第19話 ― 風脈印 ―― 暗流の始まり
>今回のお話では、四大貴族がついに表に出てきて、それぞれの考えや立場がぶつかり合います。
議事堂の空気はピンと張り詰めていて、ちょっとした一言でも場が揺れるような緊張感があります。
でも同時に、キャラクターたちの個性が鮮やかに浮かび上がってきて、読んでいると「なるほど、この人はこういう考え方をするんだ」と感じられるはずです。
ぜひ、現場の張りつめた雰囲気と、それぞれの人物の生き生きとした姿を楽しんでください。
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時間:3670シヴン暦 12月24日 PM 22:15
場所:ビゴトラス島・学院北側地下 ― 議事堂
風晶灯が高みに吊るされ、光は気流に揺らぎながら明滅していた。切り出された晶石のシェードは冷ややかな光を屈折させ、空間を透明な網に絡め取っていた。
壁面には淡い青の風の力が緩やかに流れ、わずかな緑を帯びて石の下を水脈のように走っていた。銀色の導管は壁に沿って伸び、低い唸りは心臓の鼓動のように響いていた。呼吸の度に圧迫を感じさせていた。
中央には巨大な印盤が嵌め込まれ、四方の紋章が次々と光を放っていた。
青と緑の流れは紋章の縁に集まり、目に見えぬ風の網を形づけていた。
静けさの中で重みはじわじわと積み重なり、空気の底に潜む暗流が、その瞬間を狙っているかのようだった。
巨大で荘厳な扉はゆっくりと押し開かれた。濃い色のオーク材で造られた扉面は金属の溶紋に覆われ、かすかに冷光を放っていた。板には古代の風脈符文が刻まれ、複雑で深い線は島の歴史を記すかのようだった。
縁には銅の装飾が嵌め込まれ、精緻な工芸が灯りに照らされて荘厳さを際立たせていた。
軸が回るたびに低い音が響き、古の機構が目覚めるようだった。隙間が広がるにつれ冷たい気流が流れ込み、重みを伴う圧迫が押し寄せていた。
それはただの入口ではなく、一つの儀式であり、何かの到来を告げるものだった。
真っ先に歩み入ったのは一人の堂々たる影だった。黒いコートは肩がしっかりと張り、生地は重みを持ちながらも光沢を失わず、胸元の裂風双蛇の徽章が冷たい光を放っていた。
髪は黒緑で、こめかみには灰白が混じり、顔立ちはきりりと、眉骨は高く、瞳は刃のように厳しかった。歳月は額に細かな皺を刻むが、その視線はなお深く、洞察の光を放っている。
彼の歩みは重々しく、一歩ごとに空気の重さを測っているかのようだった。その中年後期の重みと圧迫感は、嵐を経てもなお屹立する存在を感じさせた。
その傍らには、若い影がひときわ目立っていた。金色の巻き髪は過度に飾られた光沢を放ち、顔にはまだ少年の稚気が残っている。
体つきはやや太めで、肩線は十分に張っておらず、コートには羽飾りや鋲が縫い込まれ、胸元の偽物の宝石ブローチが灯りにきらめいていた。
身振り手振りは上層の姿勢を真似ているが、常に度を越し、軽薄で浮ついた印象を与えていた。
続いて、銀白の短髪を持つ老人が卓の端に腰を下ろした。胸元の六翼の徽章は光を収め、深い眉線と端正な姿勢が動かぬまま場を支配する。
場の空気が瞬時に張り詰め、圧迫感が静かに広がっていった。
その後、漆黒の長髪を持つ女が歩み入った。冷色のタイトなコートは光と影の中で夜空のような光沢を放っていた。胸元の裂月の徽章がゆるやかに回転し、唇は薄く固く結ばれ、瞳は深く測り知れず、全身が影のように静かで鋭敏だった。
笑みを帯びた男が反対側へ歩み寄った。栗色の短髪は灯りの下で揺らめき、灰がかった作業用コートの腰には器具がずらりと掛けられていた。
胸元の歯車の徽章が輝き、指先は金属部品をしきりに撫で、目付きは機敏で、まるで次の取引を計算しているかのようだった。
銀色がかった青の波打つ長髪を持つ女は静かに腰を下ろした。術士のローブは簡素で、水紋の模様が気流に合わせて流転していた。
彼女の手にある水晶は煌めき、光は指先で屈折し、情報は水脈のように滑らかに流れていった。
最後に、砂色の短髪を持つ青年が卓上に対称軸を描いた。淡い金色の縁取りの眼鏡が光を反射し、胸元の天秤の紋章が瞬き、動作は安定し、呼吸は細く整えられ、全身が空気の寸分を量っているかのようだった。
四方の視線が卓上で交錯し、沈黙は束の間で破られた。
灯りが揺らめき、徽章の光が壁に交錯し、圧迫感は形なき風のように人々の胸を覆っていた。
卓の一方には四家族の代表が順に席へ着き、もう一方には学院の代表が立っている。
礼官と記録官は両端に控え、術士の護衛は符紋台の光脈を注視している。声なき時はほんの一瞬しか続かず、張り詰めた弦のように、いつ断ち切られてもおかしくない。
「今夜の風脈はいつもよりも騒がしいようだな。」
彼は指先で金属部品を撫で、商人めいた笑みを口元に浮かべる。灰がかった工房のローブは灯りの下で揺らめき、胸元の歯車の晶核徽章が輝く。声の調子は軽快で、まるで交渉の場のようだ。
「ソーンヴィル侯爵、あなたの言葉は軽率すぎる。風は自然に属するものであり、取引の対象ではない。それを安定して運行させるには、秩序を守らねばならぬ。」
銀白の短髪を持つ公爵が目を上げ、胸元の六翼の羽が光を収める。彼の声は重々しく、圧迫感が静かに落ちていく。視線は秤の腕のようにゆるやかに下り、空気にさらに重みを加える。
「エルブレス公爵、あなたの言う秩序はただの口実にすぎない。本当の秩序とは、誰が風の核心を掌握できるかだ。計算も制御もできなければ、それは空論にすぎない。」
漆黒の長髪を持つ女がきっぱりと割って入る。唇は薄く固く結ばれ、眼差しは深く測り知れない。胸元の裂月の風眼の徽章がゆるやかに回転し、鋭くつめたい気配が空間を圧迫する。
「ミレーナ女侯、あなたの試みは風の方向を変えることはない。それはただ、誰が圧力に耐えられるかを記録するだけだ。」
黒いローブに刻まれた双蛇の紋が瞬きながらも展開せず、無言の圧迫は刃のように鋭い。彼はずっと口を閉ざしていたが、灯りが卓の隅で収まり始めた時、ようやく一言を吐き出した。
その声は冷たく厳しく、まるで耐久を測っているかのように響く。周囲の者は本能的に視線を逸らす。
「ふん!父上の言うとおりだ!」
金髪の若者が思わず口を挟む。胸元の偽物の宝石のブローチが灯りの下で煌めき、彼は肩を張って誇張した口調を響かせる。
「真の力が現れる時、空論を並べる者たちはただ頭を垂れるだけだ!」
その声はせわしなく、誇示は周囲の目に突き刺さるように不自然に映る。
黒いローブの肩線がわずかに張り詰め、彼は沈黙を守りながら刃のような視線を若者に走らせる。
声なき時は警告よりも重くのしかかり、隣の父親はわずかに視線を伏せたまま、何も言わなかった。その短くも重い圧力は、浮ついた気配を胸の奥へ押し戻すかのように、高調な声を空気の中で一瞬震わせる。
礼官の指が卓の縁を軽く叩き、進行が途切れていないことを思い出させる。
「ピカ卿、言葉にはお気をつけください。」
銀がかった青の波打つ長髪の女が静かに口を開く。手にした水晶は碧海のような光を映し、その声は散らばった糸をひとつに束ねるようにすっきりと整っている。視線が符紋の刻度に落ちると、流光がわずかに沈んだ。
「シーン副教授の言うとおりです。」
砂色の短髪の青年が指先で卓上に対称軸を描き、淡金の縁の眼鏡が細い光を反射する。声は穏やかで、秩序ある枠へと場を引き戻した。術士の護衛が刻度を合わせ、風脈の震えはわずかに収まる。
「改めて申し上げます。本日皆様をお招きしたのは、島の各地で起きている異変に対応するためでございます。
学院はすでに緊急事態に備え、一部の攻撃術式を解除いたしました。権限は教授、副教授、そして高位術士に限られております。
しかし今、院生と島民全体を調和させるためには、皆様の風脈印を解放していただくことが不可欠なのです。」
声が一瞬途切れ、卓上に描かれた線が輝線へ結びつく。場を同じ尺度に縛りつけるかのようだった。
タンブラムスの傍らに立つ青年は姿勢正しく、砂色の短髪は灯影の下で清潔に整って見える。
淡金の縁の眼鏡が細い光を反射し、指先は卓上に対称軸を描きながら、無言のうちに場の秩序を校正している。
濃紺の学院ローブが身を覆い、外層には精緻な幾何学紋様が縫い込まれている。
胸元には副教授の証である銀環の徽章が掛けられており、布地は灯影の下で落ち着きを湛え、誇張せずとも明確に身分を示している。
袖口は引き締まり、線は簡潔で、その冷静な気質に応じている。
この青年の名はルシアン・セルビア。学院の副教授のひとりである。
彼は調整と統合に長け、議論を測れる範囲へ引き戻すことができる。符紋幾何学と風脈構造の精緻な把握で知られ、場が崩れかけたときには、落ち着いた声と厳密な論理で術士の護衛や記録員の歩調をすぐ整える。
力は圧しつけではなく、調和にある。異なる声を共通の基準へ収束させ、風脈印の調整によって院生と島民の力を安定させるのだ。
ゆえに彼は学院内で「秩序の調理者」と見なされ、教授と副教授のあいだを支える欠かせない支点となっている。
記録員のペン先は光のページの上を滑り、符紋が次々とページの奥へ沈んでいく。
彼の表情は無愛想で、場の緊張はただペン先から無言の符号として刻まれていく。光のページは低く共鳴し、まるで一言一句を秩序の内へ封じ込めるかのように響く。
礼官の長杖は声に合わせて震え、杖端の光環は途切れることなく回転する。低いうなりが場のざわめきを抑え、張り詰めた空気が人々を縛り、この場の規範は背けないと無言で示している。
護衛は身を固くし、光脈の流れに視線を固定する。手はすでに符刃に触れ、呼吸は短く、いつでも乱れを鎮める構えだ。
長卓の正面には、四家族の代表と学院の副教授が並んで座り、光脈を隔てて緊張感を孕んで対峙していた。
各家門の族長、族母、あるいは主要な継承者が揃い、姿勢は端正、冷徹な空気をまとい、それぞれの立場を影で押し出すかのように場を支配している。
灯影は揺らめき、徽章の光が壁面に交錯し、圧迫感は形なき風のように卓上を覆っていた。
その傍らでは、随伴してきた家族の者たちが後方や側翼へ退き、長卓の燈影に隔てられていた。彼らは決定の座に触れることはできず、ただ視線や細やかな仕草に感情を滲ませるのみである。
ある者は緊張して視線を交わし、族長の次の一手を探ろうとしていた。
ある者は目を伏せて肩を震わせ、不安を必死に隠そうとしていた。
さらに別の者は苛立ちを隠せず、指先で袖を叩き続け、心の焦燥を抑えきれない。
冷笑、敵意、そして計算の影が灯影の下で閃き、暗流のように場内へ広がっていく。
それは卓上のつめたい姿勢と絡み合い、一層の圧迫を生み出していた。
これらの反応は言葉にはならないが、言葉以上に鋭く胸へ突き刺さる。張り詰めた呼吸、抑え込まれた怒気、かすかな挑発が空気の中で交錯し、符紋台の輝線さえも揺さぶられているように微かに震えている。
場の静止はもはや凝固ではなく、今にも裂けそうな幕のように場を覆い、敵意や不満、潜む思惑をきつく閉じ込めている。息をするたびに限界へ迫る気配が漂う。
ルシアンが言い終えると、銀白の短髪を持つエルブレス公爵がゆるやかに目を上げ、胸元の六翼の羽は光を収めている。彼の声は低く落ち着き、重石のように空気を押し沈めていた。
「学院の要求、確かに聞き届けた。」
彼はひと呼吸置き、視線をゆっくりと落とす。その動きは秤の腕のように、場の重みを量っているかのようだった。
「だが風脈印は、容易に解封できる器ではない。それは族の根を支え、世代を超えて守り続けてきた秩序だ。解封するには十分な理由と、確かな保障がなければならない。さもなくば、それは島をより大きな混乱へと――」
「待て。」
低く重い声が響き、場の空気を切り裂く。言葉は無理やり断ち切られ、障壁が立てられたかのように場を覆う。視線は一斉にその男へと向かい、陰鬱な表情の奥に計算めいた光が閃く。
「私は反対だ。解封は根を危険にさらすだけだ。調和だと言うが――私に言わせれば、名を変えただけの支配にすぎない。」
「ノーラント!お前!」
エルブレス公爵の眉は強く寄せられ、冷厳な睨みが黒緑の髪を持つの中年男を射抜いている。
彼の袍には口を大きく開いた双蛇の紋が縫い込まれ、今にも人を噛み砕きそうな冷気を放っている。
胸元の六翼の羽は重苦しい光を帯び、空気に壁を築いて呼吸を遮るように感じられる。
唇の上で両側へ巻き上がる髭は微かに震え、怒りに引き攣られ、遮られた言葉への抑えきれぬ反駁を露わにしている。
この一瞬の細部が、二つの家族の長きにわたる対立と不和を表面へ押し上げている。暗流がついに層を突き破り、臨界へと迫り、いつ正面衝突に変わってもおかしくない。
ミレーナ女侯の唇はわずかに吊り上がり、刃のような存在感が灯影に冷笑を閃かせ、彼女はこの衝突を愉しんでいるかのようだ。
「ふふ……」
ソーンヴィル侯爵は低く笑い声を漏らす。その響きは金属のように震え、卓の周囲に反響する。彼の指先は金属片を弄び、仕草の奥に計算の光が瞬き、争いがもたらす利を密かに思案しているようだ。
符紋台の光脈は怒気と笑声に呼応して震え、光は途切れ途切れに瞬き、まるで心臓が異なる力に引き裂かれるかのように律動を乱していく。場の空気はさらに張り詰め、緊張を強めている。
「争いは無益だ。」
彼女の声は静かでありながら、刃が空気を裂くように鋭い。視線は場内を掃き、論争の背後に潜む思惑を冷静に一つひとつ指摘していく。
「エルブレス公爵、あなたが守ろうとしているのは秩序。ノーラント、あなたが疑っているのは支配。ミレーナ、あなたが愉しんでいるのは衝突。ソーン、あなたが計算しているのは利得。だが、これらの思惑では真の問題は解決できない。」
タンブラムスは手元の情報冊を閉じた。それは先ほどまで読み込んでいた通信記録とエネルギー監測のデータだった。指先で卓を軽く叩き、声はなおも沈着だ。
「島の通信はすでに遮断され、防衛隊も各節点の者たちとも連絡が取れない。風脈のエネルギーは反転しつつある。ガサンの報告によれば、光の中から『生体』が湧き出している。従来の防衛手段では、この変化を止められない可能性が高い。」
彼女は冷静でありながら鋭さを帯び、最後の言葉が論争を唯一の結論へと導いている。
「ゆえに、攻撃的な手段を取るしかない――すなわち『消滅』だ。」
その言葉が落ちると同時に、議事堂の空気は一瞬にして凍りついた。
記録係の筆先は光のページの上で止まり、墨がじわりと滲む。彼の手は微かに震え、「消滅」という二文字を書き切ることを恐れているかのようだ。隣の助手は低く息を吸い、瞳を揺らしながら、これが史上最も暗い議決となるのではないかと考えているようだ。
壁際に立つ傍観の家族たちは互いに視線を交わし、誰かは袖口を強く握りしめ、誰かは喉を鳴らしながらも声を発せられない。
その言葉は冷刃のように人々の胸を切り裂き、抑え込まれていた対立を一瞬にして共通の恐怖へと変えている。
エルブレス公爵の眉はさらに険しく寄せられ、髭ははっきりと震えている。ミレーナは笑みを抑えながらも、瞳の奥に興奮の光を宿す。ノーラントの指は卓をせわしなく叩き、不安を隠しきれない。
ソーンはわずかに身を反らし、気配を揺らめかせながら、この異変を利得に結びつけられるかを思案している。
議事堂全体は「消滅」という二文字に押し潰されるように重苦しく、符紋台の光脈はこの瞬間激しく震え、決断に呼応するかのように危機の臨界を目前へ突き出している。
空気は凝固し、誰もが息を潜め、筆先さえ光のページの上で止まったまま、誰一人として声を発する勇気を持たない。その死寂のただ中で――
「島の工匠にもっと防具を作らせればいいじゃないか!それで解決だろう!」
ピカは得意げに目を細め、口元をわずかに吊り上げ、まるで最も単純にして賢明な解法を示したかのように振る舞う。
だがその声は議事堂の中でひどく場違いに響き、不意の打撃のように空気を乱している。
記録係の筆先は再び止まり、傍観する家族たちは互いに視線を交わす。
誰かは思わず嘲笑し、誰かは眉をひそめ、彼がこの臨界の厳粛さを壊したことを責めるように見えている。
その瞬間、彼の父はふっと頭を振り返り、低く押し殺した声で空気を裂く。
「黙れ、ピカ。」
その声は鉄槌が打ち下ろされるようにつめたく、議事堂全体をさらに重苦しく押し沈める。もしピカが唯一の後継者でなければ、彼は蛇の口に捕らえられた獲物のように、容赦なく呑み込まれていただろう。
ピカの笑みは顔に凍りつき、半ば細めていた目は一瞬にして見開かれる。得意は慌乱へと変わり、父の威圧の下で彼の無力さが露わになる。
「こんなヤツ……マジかよ」
周囲の他家の若者たちは、思わず笑い声を漏らし、礼官に厳しく睨まれるとすぐに口を閉ざした。
「まいった、まいった。」
その傍らでは、未来のシャミル家の継承者を前に、数人が口元を隠して忍び笑いを交わしていた。
「後継者って言っても、この調子じゃ先が思いやられるな。」
この一幕は彼の差し挟んだ言葉を一層滑稽にし、「消滅」という脅威を場内に否応なく突き立てた。
「ふふ……」
ミレーナ女侯は突然、冷ややかな笑いを漏らした。その響きは澄んでいながら鋭く、砕ける硝子の破片のように場の静けさを切り裂いた。彼女は理由を示さず、ただ顎をわずかに上げ、挑発の光を瞳に閃かせる。
「消滅?ふふ……そんなもの、本当にやれると思っているの?」
その声は侮蔑を帯び、決断そのものを嘲り、場の空気をさらに凍らせた。
「そんな暇はないわ。」
ミレーナ女侯の笑い声が議事堂に反響する。澄んでいながら耳に刺さり、張り詰めた空気をわざと切り裂くようだ。
彼女が反対するのは理からではなく、衝突を愉しみ、秩序が裂ける瞬間を愉しむからだ。
その姿勢そのものが挑発であり――臨界の危機のさなかでも、否定によって裂け目を広げようとする者がいるのだと人々に思い出させる。
記録係の筆先は再び震え、墨は光のページの上で滲み、無言の狼狽を描き出す。
傍観する家族たちは低く忍び笑いを漏らすが、その笑いには不安が混じる。別の者たちは沈んだ面持ちで視線を揺らし、この議事がすでに制御を失っているのではないかと量っているようだ。
「消滅」という脅威はそのためいっそう重圧めいてのしかかる――それは未知への恐怖であると同時に、内部の失序への警告でもある。
「この女……」
エルブレス公爵は、再び発言権を掌握せんとするかのように、ゆるやかに身を起こした。厚い掌を卓上に押しつけ、力のこもった指節は白く浮き上がる。
彼の声は低く、しかし厳然と、場内の秩序を再び自らの掌中へと引き戻そうとする響きを帯びていた。
「議事は遊戯ではない。笑い声で挑発し、軽率な言葉で口を挟む者があれば、それは家族への裏切りにとどまらず、制度そのものを打ち砕く行為だ!」
彼の視線はピカとミレーナをきびしく掃き、冷厳な表情は二人の口を挟む言葉と笑声をまとめて押し潰そうとする。議事堂の空気は再び張り詰め、彼は秩序の重みをもって「消滅」という言葉の圧迫に抗おうとしているかのようだ。
「我らエル家が求めるのは……ただ学院側が我らの権益を保証することだ!それが果たされるならば、我らは風脈印を結び、攻撃術式を解除しよう!」
その声は議事堂に反響し、低く重く、まるで圧力が人々の胸を締めつけるように響き渡る。これは単なる表明ではなく、公然たる条件の提示である――
彼は秩序と規律の名の下に、家族の利益を議会の決断へと固く縛りつけようとしている。
記録員の筆先は慌ただしく光のページにこの言葉を書き加える。墨跡は震えながらもはっきりと残り、傍観する家族たちは互いに耳を寄せ合い、低い囁きが空気の中を漂う。
その笑いには不安が混じり、別の側では沈んだ面持ちに視線が揺れ、この議事がすでに制御を失っているのではないかと量っているようだ。
ミレーナ女侯の笑みはこの瞬間さらに深まり、秩序と挑発の角力を愉しんでいるかのようだ。ピカはうつむき、視線を揺らし、父の圧迫の下で得意をすべて失ったかのように見える。議事堂の空気はなおも震え、この臨界の圧迫をさらに高めている。
「ふざけるな。」
タンブラムスとルシアンはエルブレス公爵の言葉を聞き、互いに肯定の視線を交わした。それはまるで暗黙の合図のようで、二人は同時にわずかに身を乗り出し、表明しようとしたその刹那――
議事堂の空気は無言の緊張に包まれる。
その緊張を断ち切るように、ノーラント侯爵が突然声を発した。きっぱりした明晰な声が場を切り裂き、二人の動きを押し止める。
「風脈印は取引の札ではない。もしそれをもって議会を操ろうとするなら、制度全体を崩壊へと導くことになる。お前たちの約束は保障なのか、それとも脅威なのか?」
その調子はエルブレス公爵のような重厚さはないが、刃のように鋭く、空気を真っ直ぐに切り裂いた。囁きは一瞬で止み、記録員の筆先は宙に留まり、視線は一斉に彼へと向かう。次の瞬間、新たな裂け目が生じる予兆が走った。
「忘れるな。風脈印は四つの支柱節点が同時に起動して初めて解除される。一方でも先に緩めば、破滅的な断裂を引き起こす。もしエルブレスに付き合ってこの『友好』と称する遊戯を続けるなら、我らシャミル家には、この荒唐な要求に応じる理由はない。」
ノーラント侯爵とエルブレス公爵が長年の宿敵であることは周知の事実だ。だがこの瞬間、彼がこれほどまでに風脈印を譲り渡すことを拒む姿を見て、ミレーナの胸にはひとつの思いが浮かんだ――
彼は何かを隠しているのではないか、と。
彼女の笑みは消えることなく、むしろさらに落ち着きを帯び、矛盾そのものを密かに味わっているかのようだ。
その傍らでソーンは意味深な目付きをまっすぐノーラント侯爵に注ぐ。視線には探究の色があり、さらに微かに澄んだ光が潜み、まるで彼が破綻を見せる瞬間を待ち構えているかのようだ。
ソーンはゆるやかに口を開き、平淡ながらも揺るぎない調子で言葉を放つ。
「アシュール環工房区の監測によれば、これは風脈エネルギー三十年に一度の調整にすぎない。些細な震動は、本来正常なものだ。」
その声は淡々としているが、口元にはかすかな笑みが浮かぶ。冷意の気配が走り、危機を数値と周期の枠組みに押し込めるかのように見える。
この場にいる者たちは皆理解している――彼が事態の深刻さを知らぬわけではなく、あえて淡化した言葉を選び、恐慌を交渉の札へと変えているのだ。
その時、ミレーナ女侯の笑みが響く。澄んだ音色ながら挑発を孕み、議事堂の空気を強く揺らす。
「聞こえたでしょう?ソーンでさえ周期的な調整だと言っている。ノーラント侯爵、あなたの反応はあまりに過剰ではなくて?……それとも、本当に恐れているのは風脈の震動そのものではなく、そこに隠された、あなたが人に知られたくない何かではないのかしら?」
彼女の語調は軽やかだが、議事堂に暗針を投げ込むように響き、視線は再びノーラント侯爵へと集まる。
ノーラント侯爵の眉は深く沈み、声は冷たく短く放たれる。
「風脈印は、渡さぬ。」
それ以上の言葉はなく、彼の目は寒鉄のように厳然と場を掃き、ミレーナの笑みを力ずくで押し潰す。議事堂の空気は瞬時に凝固し、囁きは途絶え、断語に凍りつけられたかのようだ。
膠着の中、タンブラムスが唐突に咳き込み、氷のような静けさを裂こうとする。抑えきれぬ怒りを帯びた低声で、彼女は言葉を吐き出した。
「港の方はすでに完全に途絶している!裂斗山の地下層では人為的な逆流が牽引され、このままでは地殻が断ち切られ、環風帯も断流する!
防衛隊はすでに限界を超え、人員は到底足りない!今すぐ符陣師がさらに攻撃印式を連結しなければ、局勢は全面的に崩壊する!
島の支点は短時間でことごとく瓦解するのだ!」
彼女の言葉が終わるや否や、ルシアンがきびしく声を重ねた。語調はきっぱりして、抑え込んだ怒りを帯びていた。
「前線では仲間が次々と犠牲になっている!我々はもうここで空論を続けている場合ではない!」
場が一瞬静まり、彼の声がさらにとどろいた。
「直ちに裂斗山へ人員を派遣し、現地で監測と臨時防線の構築を行うべきだ!符陣師の攻撃印式は同時に連結し、防衛隊は全力で支援する!一刻の遅れがあれば、島の断裂は不可逆となる!」
その声は重錘のように議事堂の硬直を打ち砕き、空気を震わせた。
人々の心は一斉に揺さぶられ、議論の余地は怒りと切迫に呑み込まれる。
記録員の筆先は再び宙に止まり、墨跡は灯火の下で震え、呼吸は急促に変わった。
彼はすでに意識していた――これはもうはや論争ではない。自分の手が記す余地さえなく、生死を分ける境界線に立たされている。
議事堂の空気は固まり、誰もが息を潜める。筆先は光のページの上で凍りつき、声を発する者は一人としていない。
その張り詰めた空気は静止ではなく、刃が擦れ合う前の緊張のように場を覆い、抑え込まれた怒気と不安を胸の奥へ押し込んでいた。
「すでに学院の一部独立解封権を用いたのではないか。それで十分だ。」
烈しい怒声を前にしても、ソーンの声は淡々とつめたく、議事堂の混乱を秩序へ押し戻そうとするかのようだった。彼はそれ以上語らず、視線を場に走らせ、危険な交印へ踏み込む必要はないと暗に示した。
「学院の解封権に頼るだけでは、せいぜい延命にすぎず、根治には至らぬ。」
エルブレス公爵の声は沈着にして圧迫を帯び、場の焦点を再び印式そのものへ引き戻す。激昂はなくとも、否応なく重みを感じさせる響きが、交印の論争が危機に覆い隠されただけで、消えてはいないことを人々に悟らせた。
「臨時防線は延命にすぎない。逆流を真に抑えるには、五百年にわたり封じられてきた攻撃術式を解除し、符陣師が印式を連結し、防衛隊が全力で支援するしかない。これは存亡を左右する決断であり、もはや議論ではない。」
タンブラムスの声はひややかで揺るぎなく、視線は場を掃き、囁きも沈黙も押し潰す。彼女の断語は議事堂を再び緊張へと縛り付け、誰一人逃れられぬ選択を突きつけた。
だがその断固たる姿勢を前に、一人の男が切迫を無視して立ち上がる。氷のような視線を隣に座るただ一人の後継者へ向け、短く言い放った。
「行くぞ。」
黒いローブが椅子の縁を擦り、布の摩擦音が静まり返った議事堂にとどろく。彼の視線は誰一人の弁者にも留まらず、ただ隣で震える後継者にのみ注がれている。
彼が立ち上がると、礼官は急ぎ扉へ駆け寄り、重い取手を押し開ける。冷えた空気が流れ込み、広間の静寂はさらに深く刻まれる。
礼官は扉の傍らに静かに立ち尽くし、去りゆく者たちの後ろ姿を一人残らず目で追っている。最後の影が闇に溶けるまで、その視線は揺らぐことなく続く。やがて広間には灯火だけが残り、静寂が重く降り積もる。
人々は息を呑み、彼の立ち去る背を目で追う。タンブラムスの断固たる声調はまだ場に漂っているが、鋭い刃で断ち切られたように途切れる。
議事堂の圧迫感は消えることなく、むしろその無視によってさらに重苦しくなり――まるで存亡を決する採決の前に、背を向ける者が現れたかのようだ。
「やれやれ、ノーラントとは本当に話が通じないな!これでは先へ進めない……学院が五風製品の販売許可枠を譲ってくれるなら、交印を考えてやってもいいがね……」
ソーンは苦笑しながら言葉を投げ、何気ない調子で場を撹乱しつつ、タンブラムスとルシアンへ探るような視線を走らせている。
やがて、ミレーナが軽やかに笑みを浮かべ、不遜な口調で言葉を継ぐ。
「我ら裂月家は単純だ。断海港城の交易航路は、我らが担う……」
ノーラントが退席した直後、裂月家の利を議題に割り込ませようとするかのようだ。計算ずくの言葉が次々と投げ込まれ、重々しい扉の音はなおも反響している。ソーンの軽佻、ミレーナの挑発が交錯し、無形の圧迫となって議事堂の空気をさらに重苦しくしていく。
「シャミル家、退席。」
重苦しい呼吸の停滞が議事堂に広がり、石のように胸を押し潰す。エルブレス公爵はミレーナとソーンを見返し、眉を険しく寄せ、髭をわずかに震わせながら深く息を吐き、静かにしかし重々しく言葉を発する。
「学院の解封権に頼るだけでは、延命にすぎぬ。真の鎮圧には、交印が不可欠だ。」
その声は石が深い井戸へ落ちるように重く響き、議事堂の空気を再び沈めている。ミレーナの笑みは消えず、ソーンの視線もなお計算を帯び、彼の言葉を心に留める様子はない。
「お前たちはまだ権限や航路の取り合いをしているのか?逆流は利の分配で止まるものではない。交印を行わねば、皆が共に沈むことになる……」
言葉が落ちると、議事堂には一瞬の張り詰めた空気が広がり、誰もが息を呑んで彼女の次の言葉を待っている。
「だが……私は校長に報告する。皆様のご要望については校長の決定を待つほかない。今日の協力には感謝するが、それ以上は私の権限では応えられない。」
彼女は静かに首を振り、視線をソーンとミレーナへ走らせる。その見据えは、二人の計算を一つひとつ剥ぎ取るかのようだ。議事堂の空気は再び張り詰め、心の奥に潜んでいた囁きは沈黙へ押し戻されていく。
人々は互いに顔を見合わせ、議事堂の空気はさらに凝り固まるほど重苦しくなる。
ミレーナは皮肉めいた笑みを浮かべて立ち上がり、袖を翻しながら裂月家の立場を空中に残すかのように振る舞う。
そして、ソーンもゆるやかに腰を上げ、口元に無力を装う笑みを残しつつ、その瞳には一瞬の計算が閃く。
やがて、エルブレス公爵は言葉を残さず、静かに立ち上がり、石を引きずるような足取りで議事堂を去った。
重々しい扉の音が幾度も響き、議事堂は次第に空虚となる。
記録員だけが机に残り、震える筆先で最後の一文を記す――
「会議、未決。」
ルシアンとタンブラムスは最後に立ち上がり、互いに重々しいまなざしを交わす。二人の歩みは抑え込まれた静けさを帯び、まるで議事堂全体の重みを背負っているかのようだ。
背後で重々しい扉が閉じられると、礼官は門の傍らに恭しく立ち、貴族たちの退場を見送った。
さらに各家門の成員が次々と退出し、その後ろ姿を礼官は静かに目で追った。
広間にはやがて記録員ひとりが取り残され、乾ききらぬ墨跡が灯火に照らされ、冷ややかな文字がくっきりと浮かび上がる。
「次に、最大の問題は……」
「シャミル家。」
タンブラムスの声が途切れる刹那、ルシアンは静かな声でその言葉を継ぎ、論理の枠へ収束させるように告げる。
「どうやら先はまだ長そうだ。」
彼は低く付け加え、重い気配を漂わせ議事堂の外、さらに遠い影を見据える。
二人は石段を降りた。海風が廊下を吹き抜け、湿った寒気を運んできた。タンブラムスの肩掛けは風に舞い、銀青の長髪が揺れた。彼女はただ符稿を強く握りしめ、言葉を重ねなかった。
ルシアンは頭上の暗雲を仰ぎ、険しい眉を寄せ、その圧迫の影を心に刻んだ。暗雲は島全体を未決の存亡へ閉じ込めるかのように垂れ込めていた。
二人の影は石段に長く伸び、歩みは重く、一歩ごとに告げているかのようだった――前方の路は、確かにまだ長かった。
やがて、二人の姿が月光に呑み込まれようとしたその時、議事堂の反対側別の道から声が響いた。
「ガラド様、事は片付きました。」
「議事堂の様子はご予想通りでしたね。それでは、以前話し合った件は……?」
「心配はいりません。必ずあなたの席がありました。」
月光の下、特殊な通信装置が冷たい青銀色の光を放っていた。次の瞬間、その光はふっと途切れ、通話は静かに切断された。
――夜には冷たい月光だけが残った。
>最後まで読んでくださってありがとうございます。
登場人物たちの言葉に、ちょっと心臓がドキッとした瞬間はありましたか。
(≧▽≦)
そして、最後に出てきたあの謎の通信……やっぱり気になりますよね。
『遺失の断片ーー風の環』は、パズルを組み立てるみたいに、断片が少しずつ繋がっていく物語です。
毎ひとつの断片を組み合わせるたびに、大きな達成感と驚きが訪れます。
これからも一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。
(ꈍᴗꈍ)




