第15話 ― 風穴の路 ―― 声と印
>みなさん、風穴の路へようやく足を踏み入れる話です。
今回はただの洞窟探検ではありません。イランが「声」と「印」に向き合い、学院の学生としての一歩が、物語を大きく動かします。
深い暗がりと揺れる光の中で、胸の鼓動まで物語に巻き込まれる感覚を、一緒に味わってください。
時間:3670シヴン年12月25日 AM 03∶22
場所:パミラ避難区・下層洞窟帯
本来、人が近づくはずのない危険な道を、三人の影が慎重に進んでいた。
その空洞はまるで巨獣の咢のように広がり、彼らを呑み込もうとしている。
足元の地面は激しく歪み、何かの力に無理やり抉られたようだ。
砕けた石片や灰が滑り落ち、微かな音を立てる。だがそれもすぐに深淵のような反響に呑み込まれてしまう。
頭上の穹壁は果てを見せず、かすかな光に照らされ、乱雑に積み重なる岩層の筋が辛うじて浮かび上がる。
ルキが先頭に立ち、蒼と白の二重環の導光石を握りしめていた。
その石の光は均衡を失った流れのように震え、闇の中で不安定に明滅を繰り返していた
「足元に気をつけて。」
彼女は低く告げた。
前方には侵蝕され尽くした路基が続き、半ば崩れ落ちた鉄の支架だけが壁に辛うじて固定されている。
もう一方は、果てのない深淵へと宙吊りになっていた。
もし普通の洞窟なら、光源さえあれば歩けるだろう。
だがここは違う――風がある。
岩壁の裂け目から風が噴き出し、上へ、下へ、横へと乱れ飛ぶ。
「シュー──シュー────イ────」
そのたびに砂粒と霧が巻き込まれ、声は遠近を繰り返し、無数の気脈が交錯し震動するかのように響き渡った。
これが島に特有の環風現象なのだ。
風は洞窟の奥深く、海底の空洞から巻き上がり、下から上へと渦を描く。脈の様相が安定している時、それはただ規則的に流れる息吹となり、島全体のエネルギー循環を保っている……。
だが今、その風は導きを失ったかのように――歪み、荒々しく、互いに衝突していた。
それぞれの気流はエネルギーの脈が崩れた余響を帯び、吹き抜けるたび岩壁に低い唸りを生ませる。
俺はルキの背にぴたりと続いて、風の流れの間に瞬く光を仰ぎ見た。
それはただの風ではなく、均衡の乱れが生んだ余波だった。
蒼の気流が岩壁に沿って蛇のように這い、暗がりで螢のように光りながら進む。時折、光の弧が走り、空気に微かな稲妻の痕を刻んでいった。
ミドは錬金瓶と工具をぎっしり背負い、最後尾を歩いていた。
瓶の中の符紋液は震動に合わせて微かに光を放ち、彼の顔に映し出されたのは集中の色と、次第に強まる緊張の不安だった。
「うっ!こ、こ、この能圧……想像以上に――高い!」
狂風は彼の口を歪ませ、声は乱流に切り裂かれて途切れ途切れになる。
俺は思わず低く笑った。
「ぷっ!」
笑いは溢れた途端、轟く風にさらわれ、岩壁の間に反響した。
「どうやら島全体の風脈構造が崩れかけているな……」
俺は振り返り、笑みを消して低く言った。
前方のルキは振り返らず、暗闇の奥を凝視したまま、短く応じた。
「うん......だからこそここを通るしかない。」
数歩進んだ彼女はわずかに首を傾け、風に抗う俺とミドの姿を横目に捉えた。
その口元はほんの一瞬、かすかに持ち上がる。
それは風に紛れてすぐ消えた儚い刹那だった。
だが、俺の心の奥にはなおわずかな疑念が残っていた。
さっき身を潜めていた場所で、ルキの様子がいつもと違うのをぼんやりと感じた。何かを抱え込んでいるように。
その微かな表情は風の音とともに胸に重くのしかかり、問いただしたい衝動を呼び起こしたが、ためらいに縛られて言葉は口をついて出なかった。
「もうすぐだ。」
彼女は前方へと目を上げ、霧に封じられた出口のように淡く光る一点を指さした。
「この風穴を越えて、もう少し行けば――教授が指定した最後の合流地点だ。」
言葉が落ちるや否や、風の唸りはにわかに膨れ上がった。
導光石の光は吹き散らされるように揺らぎ、空間はたちまち蒼の青と黒影が交錯する混沌に沈む。
思わず岩壁へ手を伸ばす。掌に走るのは、骨まで染みる冷たさ。
その刹那、地の底の深みに低い鳴動が響いた気がした――
何か巨大で古い存在が、眠りのただ中で、かすかに身を翻す。
風の音が突如として耳を刺すように鋭くなり、深奥で何かが無理やり引き裂かれる気配が走った。
導光石の光は完全に呑み込まれ、岩壁の間には青いエネルギーの流れだけが閃いていた。その光は蛇のように絡み、奔り、露琪が振り返る一瞬を照らす――銀の髪が風に舞い、闇の中で刹那の輝きを放つ。
「岩壁に――掴まれ!風脈が乱れ――」
振り返った彼女の叫びは、すぐさま嘯きに呑み込まれた。
「ルキ!」
必死に手を伸ばす俺の感覚は、空間そのものが引き裂かれるような揺らぎに捕らわれる。
重力は狂い始め――さっきまで足元だった岩層が、次の瞬間には壁へと変わっていた。
「風の精霊よ、我が呼び声に応えよ――
この刻に守印を刻み、汝の息吹で障壁を築け。旋舞する壁となり、流動の力で狂風を鎮めよ――!」
風の呪術:〈風刻守印〉!
切迫する中、俺は防御の呪を急ぎ詠唱した。風の印は瞬く間に旋舞の障壁へと変じ、気流が環を成して交錯し、呼吸に合わせて伸縮しながら周囲を守り包み込む。
だが程なくして、その障壁には亀裂が走り始めた――
微細な裂け目が気流の壁に煌めき、まるで硝子のように震える。嘯き狂う風が絶え間なく衝突し、亀裂は瞬く間に広がっていく。見えぬ巨力がこの守印を引き裂こうとしているかのようだった。
「ミド!」
遠くに赤い符文の光がちらりと見えた。それはきっとミドだ。
「……」
やがて、遠方からくぐもった返答が届く。
「オレ――ここ――だぁ――!」
咆哮する風が砂塵と礫を巻き込み、横殴りに襲いかかってくる。
「ゴオオオーーー」
「シューーーッ、シューーーッ」
「パキッ、パキッ――ガラガラガラ――」
風化した岩壁に礫が叩きつけられた。澄んだが乱雑な音を響かせながら、転がり落ちていく。
「イラン、動くな――!」
ルキは導光石を掲げた途端、その光は裂けて幾筋の光線となり、宙に散って風に呑み込まれていった。
かすかに彼女の声が耳に届いたが、もう方向は分からない。
突然、吹き上がる上昇気流が俺の体を地から引き離し、冷風が袖口から流れ込み、無数の細刃が肌を掠めるような微かな痛みを走らせる。
眼前の世界は青と黒の渦へと引き裂かれ――
岩壁の裂け目が眼のように開き、そこから風が嘯き出す。その響きは低く、どこかリズムを刻んでいるようだった。
俺は身を捻って、傍らの突き出た岩に手を伸ばした。指先が石面を擦り、ようやく体勢を保った。
だがルキとミドの姿はすでに風に呑まれ、残されたのは空気の中で瞬く光の欠片だけだった。
「ルキ──!ミド──!」
叫びは風に切り裂かれ、幾重もの反響となって散っていく。
次の瞬間、耳元に轟音が響いた。
風穴の奥が力に引き裂かれ、白と青の閃光が炸裂する――
空洞全体が震え始めた。
視界は刺すような白に覆われ、耳に届くのは自分の荒い呼吸だけ。
裂け目から輝光が湧き上がり、洪流のように周囲を呑み込んだ。
防壁は光の中で砕け、無数の蛍光緑の粒となって星屑のように散り、やがて支えを失った。
半ば横たわるように落下し、肩と腰が空気に引かれる。
耳膜は圧迫に震え、胸は荒く上下する。
頭をわずかに持ち上げ、揺れる視線が周囲を掃く。
冷気が脊椎を走り、四肢は空中で力なくもがき、全身が底のない深淵へ投げ込まれたかのようだった。
すべて――
沈黙に呑まれる。
「うっ……うっーー」
白光が退き、思わず顔を背けて強風に抗い、どうにか目を開いた。
四方を覆う巨大な洞窟が姿を現す。
岩壁には樹脈のように伸びる幽暗な光沢が走り、その紋理は歳月に磨蝕された古代の刻跡のようだった。
遠くには微かな光点が瞬き、晶石なのか、あるいは未知の符印なのか判然としない。
空気は重く湿り、ひと息ごとに厚い歴史を吸い込むようだった。
落下の限界が迫ったその刹那、下方から突如気流が湧き上がった。
それは温もりを帯び、言葉に尽くせぬ懐かしさを含み、まるで両手がそっと身を支えるようだった。
速度は次第に緩み、耳を圧迫していた感覚も消えていった。
半空に懸かり、見えぬ力に安らかに支えられていた。
ここには風の狂乱もなく、風の咆哮もない――
自らの呼吸さえも呑み込まれ、曖昧に溶けていく。
光は遠方で緩やかに流れながらも、何ひとつ形を照らし出さない。
静寂は広がり、まるで洞窟全体が息を潜めて見守っているかのようだ。
その淀みのただ中で、低く沈んだ震動が耳へと滲み始めた――
【xL°──ra//縫…∴】
俺は息を呑み、前方へと顔を上げた。
耳元に囁くのではなくーー
まるで脳髄の奥で直接響いているかのように聞こえる。
その声は人ではなく、機械でもない。
むしろ空気そのものが俺に囁きかけているようだった。
【…△ko—失衡∵yu°…】
途切れた音節が頭の奥で反響し、夢の残響のように漂う。
(――この声、あの競売の場で聞いた......)
(いったい誰なのか、何なのか。)
【源…裂//∴印──】
【…守∴崩…】
言葉はまだ曖昧で、風に裂かれた符紋のように散り、
意味のない断片に見えながらも、切迫を帯びて何かを伝えようとしていた。
「……誰だ?」
息を止め、腰に掛けた魔導徽環へ手を伸ばす。
それは一瞬だけ光を返したが、呼吸を失ったように数度きらめき、やがて静かに暗く沈んでいった。
胸前の六角切面箱が突然震えた。脳の奥深くで声が響き、地底の深淵から届くような遠い反響となって広がる。
それは封じられた時代の気配をまとい、ずっと昔から存在していたものが、今この瞬間に呼び覚まされたかのようだった。
箱は青白い光を放ち、角がわずかに震え、呼吸のように開閉する。光は紋理に沿って流れ、表面は水面のように揺らぎ、見えない力に引かれていく。
平らだった形は次第にねじれ、屈折し、やがて眼のような菱形の構造へと形を変えて凝縮していった。
中央には青金色のエネルギー球が浮かび、光は律動的に瞬く。それは心臓の鼓動にも似て、風脈の共鳴にも似ていた。脈動のたびに周囲の空気が引き寄せられ、胸の奥まで震えが伝わり、古い意志に見つめられているように感じる。
(なっ、なに!……何起こった?これは何だ!!)
意味を持たなかった断片の音節がつながり、次第に明瞭な言葉へと変わっていく。
【……風穴……崩裂……】 【聞け……聞いてくれ……】
瞳孔が縮み、心臓が激しく震え、中央で音に合わせて瞬くエネルギー球を凝視した。
そのとき、理解を超えた声が体の奥から湧き上がる。
「……おぬしなのか、サフィール。」
(ど、どう言うことだ……サフィール!?)
(まさか自分の口から風神サフィールの名を呼ぶなんて!)
(ずっと伝説や噂にすぎないと思っていたのに……)
「貴様!」
「今度は何を企んでいる!」
風神の威圧に満ちた声が響いた瞬間、呼吸は荒くなり、心臓は胸を突き破りそうなほど激しく脈打った。
(お前?風神はあの声に敵意を抱いている?俺に???)
(なぜ……なぜこんな強烈な感情が湧き上がるんだ?)
指先は震え、喉は焼けつくように乾ききっているのに、言葉は止められずに口から溢れ出す。
その声の存在はサフィールだけに向けられ、俺の驚愕など一切顧みなかった。
「俺の偉業に、お前の居場所はない。」
耳を澄ますと、その声は異様なほど穏やかでありながら、どこか深い悲しみを含んでいた。
静かな語調の奥には揺るぎない意志が宿り、まるで覆すことのできない決断を淡々と告げる宣告のように響いた。
「眠り続けろ!」
洞窟全体が震え、サフィールの怒りが瞬時に迸った。
光と影が渦を巻き、壁の模様は裂けるように歪み、微光が亀裂の間を走り抜ける。
符紋の残影は引き延ばされ、砕けた線が岩層に亀裂のように広がっていく。
幾筋もの光弧が交錯しながら閃き、闇に覆われた穹壁を照らし出す。
低く唸る轟音がそのたびに響き渡り、空間そのものが彼の憤りに応じているかのようだった。
砕けた光粒が宙に舞い、回転し、漂い、震えながら、やがて渦へと引き寄せられていく。
胸が急に締めつけられ、呼吸は流れに巻き込まれ、視界は光と影の回転に合わせて揺らいだ。
全身が形のない深海へと沈み込むようで、心臓の鼓動は光弧の脈動と重なり、
その一閃ごとに魂が裂かれるように感じられた。
なすすべもなく、この交流が自分の体の中で展開していくのを見届けるしかなかった——。
驚き、恐れ、戸惑いが胸の奥で絡み合い、
自分はただの器にすぎず、見えない壁に隔てられ、理解できない声が風神サフィールと対話するのを許すしかなかった。
そしてその場に立ち尽くし、まるで古の裁きを強制的に聞かされているかのように、
一語一語が意識の奥底を重く打ち据え、魂を圧迫の中で震えさせていた。
【∴──grh/∵──lath……】
【∴──∵/∴──∴──】
声は突然、理解不能な言語へと変わり、断ち切られた音節が刃のように脳裏を削り裂いた。
耳膜は唸りを上げ、思考は引き裂かれ、粉々に砕け散った。
(これ……もう人間には理解できない言語だ!……まさか、藍亞!?)
一つひとつの音符が意識の奥底に刻み込まれ、ただ震えながら受け止めるしかなく、
その意味を掴むことはまったくできなかった。
エネルギーの球体は声に呼応して閃き、光と影が洞窟の中で交錯し、空間そのものが不可解な言語に応じているかのように揺らめいていた。
【∵──shr/∴──velh……】
【∴──∵──/∵──∴】
【──∴∵/∴──∴──∵──!】
一瞬、理解不能の言語が突如として高まり、断ち切られるような音節が矢継ぎ早に重なり、強烈な威圧を帯びて雷鳴のごとく脳内に炸裂し、空間全体を震わせた。
全身が跳ね、脳裏は轟きに満たされ、宿っていた声の存在は瞬時に押し潰され、掻き消された炎のように跡形もなく消え去った。
(……消えた!?)
それでも脳内の轟鳴は止まず、声は遠海のうねりのような微細な低鳴へと変わり、波が意識の縁を打ち続け、かすかに現れては絶えず深層へ引き込んでいった。
次の瞬間、響きは突如として変貌し、風導列車が疾走するかのように、鋼鉄と気流の長鳴りが脳内で交錯し、速度と圧力が同時に押し寄せ、思考を震わせた。
続いて押し寄せたのは、理解不能の人声の断片が幾重にも重なり合う響き。遠い市場のざわめきのように、数百もの対話が同時に響きながらすべてが曖昧に溶け合い、ただ圧迫と混乱の残響だけが残った。
その場に立ち尽くし、不可解な声の奔流に脳内を翻弄され、瞬間ごとに異界へ引きずり込まれるようで、逃れる術はなかった。
混乱の真っ最中、鮮明な声が雑音を切り裂き、威圧を帯びながらも切迫して意識へ突き刺さった。
「蒼血の子、もう時間はない。前に待つのは残酷な運命……それでも風と共に進むか?」
(蒼血の子……これは?)
呼吸は乱れ、風に裂かれるように不安定になり、胸は激しく上下し、心臓は胸の奥で鳴り響く。思考が交錯する中、声が勝手に応じてしまう。
「風神……風神さま、僕は怖い。何をすればいいか分からない……でも止まりたくはない。もし風がこの混乱を抜け出させてくれるなら、僕は従います!」
サフィールは短く沈黙し、低く重い声で告げた。
「心を握り締めろ。風は前へ導くだけじゃない。お前の馴染んだすべてをも切り裂く。」
その言葉が落ちた瞬間、洞窟の光と影はねじれ、壁は見えない気流に押されるように震え、微光は空間で引き延ばされて欠片のような細い線へと変わり、運命の裂け目が眼前にゆっくり開いていくかのようだった。
裂け目は徐々に広がり、縁には不安定な光の弧が瞬き、まるで闇の中で扉が押し開かれていくようだった。
低い唸りが奥底から響き、遠い古代の呼吸のように空間を重く圧し潰す。
光の粒は裂け目へ吸い込まれ、回転し、崩れ、無数の破片となって散り、震える自分の姿を照らし出す。
胸の鼓動と洞窟の震動が重なり合い、世界そのものが返答を迫っているかのようだった。
裂け目で形作られたその扉は静かに眼前に立ち、未知の運命へと続く入口のように、恐怖と渇望をまとめて風の奔流へ巻き込む瞬間を待っていた。
「風神さま……なぜ、この島にこんな異変が起きているのですか?」
混乱の中で、答えを求める思いが恐怖を凌ぎ、声は抑えきれずに溢れ出す。弦が裂けるように震え、急き立てられるように空間へ突き刺さった。
裂け目の奥から低い声が響いた。
「この世界を変えようとする者がいる。裂斗山脈――運命の縄の端はそこに結ばれている。」
サフィールの声は風の深みから届くように重く、心臓を押し潰すようにのしかかった。
(裂斗山脈……運命の縄の端?そこには何が隠されている?)
瞳孔が収縮し、胸の奥で心臓が激しく跳ねる。恐怖と好奇が交錯し、無意識に拳を握り締め、指の関節が張り詰め、不安を掌に押し込める。
「運命の……縄の端?」
「もしそこに何かがあるのなら……俺は行かなければならない。」
言葉が落ちた瞬間、空気が震え、洞窟の光と影が再びねじれ、心の奥の決意に呼応するように揺らめいた。
「ならば風の印を魂に刻め!」
洞窟の深部から低い風の音が響き、古い呼吸のように広がり、やがて全身を包む力へと変わっていく。四肢は微かに震え、血流は体内を奔り、何かが絶え間なく注ぎ込まれているのを感じた。
光と影は渦を巻き、洞壁の微光は引き裂かれて線となり、交錯して符紋のような形を描き出す。それはまるで運命の縄が空間に顕れたかのようだった。
息を止め、空中に浮かぶ巨大な符陣を見つめる。風神の力が骨と肉に染み渡り、心臓の鼓動ひとつひとつが光と影の震動と重なり合っていた。
「契約、成れ。」
サフィールの声が洞窟に響き渡り、古の鐘鳴のように重く落ちた。
風がざわめき、裂け目の光と影が前方でゆっくりと広がっていく。
「余はこの『無知の眼』に眠る。これからの旅は未知と危険に満ちている。力が必要なときは、余の名を呼べ――ムラス・サフィール!」
その名が心に響き渡り、胸の鼓動は呼吸を引き裂くほどに高鳴った。
「風神がそう言っても……俺の力に何ができる?ミドは左手を失い、星織・雨はすぐそばにいるのに、俺は守れなかった……俺は……俺は……」
重い悔恨が胸にのしかかり、周囲の風がふいに止まった。低く漏れた言葉は洞窟に届いたかのように、風の囁きが次第に嘶きへと変わり、裂け目の縁で光と影が震え始めた。
裂け目の光が集まり始め、無数の破片が一つの焦点へと引き寄せられていく。掌は次第に灼熱を帯び、やがて一つの指輪がゆるやかに形を成した。
それは純粋な金属ではなく、光と影の交錯から凝り固まったものだった。環の表面には微細な裂紋が走り、まるで天空に刻まれた傷痕のように、ひと筋ひと筋が幽かな蒼光を瞬かせていた。裂紋は明滅し、まるで呼吸しているかのようだった。
指輪の縁にはわずかな鋸歯の感触があり、風に裂かれたものを再び繋ぎ合わせたかのようだった。環の中心からは淡い光の波紋が広がり、水面に揺れるさざ波のように静かに脈動していた。
それが完全に掌へと落ちた瞬間、光と影が爆ぜ、周囲の裂け目を照らし出した。その光は深い蒼であり、砕けた硝子のように冷たく重かった。
光の残響の中で、俺は風の残影を見た。無数の細線が空に交錯し、裂痕のように走り、次の瞬間には羽翼の紋様へと変じて私を取り囲んだ。
「蒼血の子よ。」
サフィールの声が光影の中で低く囁いた。
「風はすでに汝を受け入れた。」
幻影は次第に薄れ、洞窟は静寂を取り戻した。ただ指輪の裂紋だけが、なお微かに瞬いていた。
裂け目から声が響いた。
「これこそが『裂契サフィール――空痕風環』。」
サフィールの声が再び鳴り渡る。
「それは契約の具現、風を汝の身に繋ぐものだ。拳を振るえば風は汝を強撃へと導き、跳ねれば風は汝を一歩押し進める。蒼血の子よ、忘れるな。環に刻まれた裂痕は欠陥ではなく、運命の印なのだ。」
俺は環を強く握りしめ、心臓の鼓動と風の囁きが交錯するのを感じた。
この環がすでに俺をその運命へと取り込んだことは分かる。
だが、それがどこへ俺を押しやるのかはまだ知れない。
思考が途切れた刹那、裂け目の奥から蛍光緑の曖昧な形体が閃き、瞬時に内部に浮かぶエネルギー球へと吸い込まれた。外殻は菱形の六角切面箱へと変じ、それを強く包み込んだ。
(この切面箱は『無知の眼』……?)
(なぜエンおじさんがこれを俺に……)
疑念が次々と脳裏に浮かぶ。俺は菱形の切面箱の中に浮かぶ球体を凝視し、心臓はなお激しく脈打ち、指先は握りしめる力で震えていた。
視界の光影は次第に収束し、洞窟の壁は静寂を取り戻したかのようだった。だが感覚は異様に鋭敏で、呼吸は重く、耳にはなお風精の囁きが反響していた。
胸の灼熱は消えることなく、むしろ烙印のように魂へ深く刻み込まれていった。
眼前にはぼんやりとした符紋の残影が浮かび、目を閉じればその力が血脈を流れるのが見えるかのようだった。
魔導徽環の符紋は安定せず、呼吸のように明滅し、そのたびに胸の鼓動を揺さぶり、まるで告げるように――契約はすでに定まった。
俺は悟った。これは風神からの贈り物ではなく、試練の契約なのだ。
――逃げ場なし。
>乱れる風脈、見失いそうになる仲間、そして風神との対話。
イランの手に残った裂紋の指環――『裂契サフィール・空痕風環』は、贈り物ではなく試練の印です。学院の学生として選ばれた「蒼血の子」が、これからどこへ向かうのか。
物語はここから一段深く、運命の縄の端へと進んでいきます。息を整えて、次の一歩を見届けてください。




