第13話──防衛隊の誓守──灰霧の影(下)
>読者の皆さんへ。
今回は少し長い時間をかけて、この戦闘の場面を書き上げました。多くのことを考え、何度も調整を重ねながら、それぞれの人物の個性や心の動きをできる限り刻み込もうとしました。彼らの選択や言葉には、ただの戦い以上のもの――仲間への想い、守るべきものへの誓い――が込められています。
執筆の途中、何度も立ち止まり、彼らの心情をどう描けば読者に伝わるのかを考えました。時に迷い、時に胸が熱くなりながら、ようやく形にできた一章です。どうか、この物語を通して彼らの息遣いを感じていただければ嬉しいです。
時間:3670シヴン年 12月24日 22時05分
場所:ビコトラス島・港前広場の路地
「ついて来い、止まるな!」
灰霧が街路にじわじわと広がり、低い咆哮が奥の方から響き渡った。
瓦礫が散乱し、折れた屋根が垂れ下がり、炎が砕けた壁の隙間で揺らめいていた。
ミラ・セインは魔導氷盾を掲げて道を切り開き、その表面には混乱する人影が映し出していた。
異族たちは混沌とした街路の中で、人族と何ら変わらぬ姿を見せていた。彼らも同じように傷つき、血を流し、痛みに顔を歪める。その表情に差はなく、ただ外見にそれぞれ鮮明な印が刻まれているだけだった。
「痛っ、痛い……腕が──裂けた!」
樹族の男は痩せた体を震わせ、樹皮のような肌に紋理が走り、折れた腕から淡い緑の樹液が滲み出る。防衛隊員がすぐに彼を支え、傷口を固定する。男は歯を食いしばり、痛みに耐えながら包帯を巻かれるのを受け入れた。
「私の子が、まだ中に!」
人族の婦人は声を震わせ、涙が埃と混じって流れ落ちた。ガサンはすぐに彼女の足を押さえ、低い声でなだめ、危険な瓦礫の中へ飛び込もうとするのを制した。
ハロはためらうことなく瓦礫の間へ駆け込み、傷ついた子供を抱き上げる。
婦人は子を強く抱きしめ、震える声で言った。
「ありがとう……本当にありがとう。」
「教えて、翼は……翼まだ動けるの?」
鳥族の母は傷ついた翼を引きずり、胸に抱いた幼鳥が泣き叫んでいた。羽毛が灰霧の中に散り落ち、彼女は痛みに耐えながら必死に隊列に追いつこうとする。
「大丈夫、私が治療する。」
サラは彼女の傍らに歩み寄り、両手を翼にそっと添え、口の中で低く治癒風術を唱えた。
「風よ──
息吹は大地を育み、
命の水へと変わり、
静かに癒せ……傷ついた魂を。」
術法は鳥族の母の身に淡い緑の脈動を広げ、微風が傷口を撫でるように痛みを鎮めていった。母の呼吸は次第に穏やかになり、その瞳に驚きと感謝の光が一瞬きらめいた。
サラは微笑みを返し、タリスが手招きする方へ小走りに向かった。
「水……水を……」
魚族の老人は瓦礫の傍に崩れ落ち、灰霧に締め付けられた鰓が収縮し、呼吸は荒く乱れていた。ブレンはすぐに彼を支え、不器用に水袋を口元へ差し出す。老人はようやく呼吸を取り戻した。
「……」
老人は激しく両側の鰓を膨らませ、涙を含んだ目で感謝を示すように何度も頷いた。
ブレンは低く唸ったあと、わずかに頷くと、黙って身を屈めて両腕に力を込め、路地を塞ぐ瓦礫を持ち上げた。
灰が彼の肩に散り落ち、その沈黙は厚い壁のように人々を守り、前へ進む道を切り開いていた。
「もう……助からないと思ってた……」
琉火族の少女の胸に刻まれた火紋は明滅し、炎は灰霧の中で次第に弱まっていく。瓦礫から救い出されたばかりの人族の少女が彼女を支えながら歩き、目に涙を浮かべて小さく呟いた。人族の少女が肩にそっと手を置くと、琉火族の少女の紅い瞳に自然と笑みがこぼれた。
東西に展開した防衛隊員たちは彼らの傍らで動き回り、盾を掲げて守り、水を撒いて救援し、瓦礫を持ち上げながら、人族と類人異族が共に前へ進めるよう道を拓いていった。
救援がこれほど迅速に進んだのは、緊急時に言語共通協定が発動されたからだった。異族であっても光紋を通じて共通語を理解でき、混乱した叫び声も隊員たちに即座に届いた。
こうして道中には次々と救い出された各族の人々が加わり、彼ら自身も自発的に誘導を手伝い、二隊の負担を確かに軽減していった。
「俺たちについて来い。前方に安全な小屋がある。隊形を保て、俺たちが守る。」
ガサンは瓦礫の間から身を屈め、人族の青年を引き起こした。彼の声は落ち着いていて、慌てる様子もなく、闇の中で頼れる存在のようだった。青年は震える手でガサンの腕を強く握り、その瞳に一瞬の安堵が走った。
「走れ、止まるな。」
ミラは隊列の前方側面に立ち、前へ進みながら警戒を続けた。盾の面で灰霧の圧力を受け止め、後方の人々が遅れずについて来られるようにした。
「これはパレードじゃないんだぞ!みんな……そんなにのろのろしてたら、すぐ追いつかれる!」
ハロは魔導ライトニングランスを握りしめ、汗だくになりながら被災者たちを急き立て、口元に無理やり笑みを浮かべた。
「黙れ、ブサイク。人々を守ることに集中しろ。」
ミラは鋭く睨みつけ、盾の表面に氷霧が凍りついた。
子供の泣き声が灰霧の中で震え、鳥族の母親は必死に抱きしめ、目を彷徨わせていた。ミラは盾を側翼に構え、迫り来る黒い影を遮った。
灰霧の中の叫びは、もう一方へと続いていく──
東側の街路。
避難民たちを収容し終えたばかりの副隊長エドリック・ローンは魔導符紋短杖 を掲げ、符紋が灰霧の中で光った。タリス・オートは炎の剣を肩に担ぎ、豪快な笑い声を上げながらも、どこか過剰に響いた。
「タリス、道を切り開け。サラ、負傷者の世話を続けろ。ブレン、後方を守れ。」
エドリックは冷静に命じ、その眼差しは揺るがなかった。
周囲の灰霧はますます濃くなり、その中からは虫の鳴き声のような響きと低いうなりが混じって聞こえた。エドリックは緊急に指揮を執っていた。
「速く走れ!灰霧に追いつかせるな!」
タリスは笑いながら魔導炎剣を振り、燃え立つ刃が怯えた人々の顔を次々と照らした。
「しっかりついて来い、列を崩すな!」
サラは素早く倒れた魚族の少年を抱き起こし、黒いポニーテールが夜に揺れた。
ブレンは黙って最後尾に立ち、石拳のガントレットを地面に打ちつけ、壁のように灰霧の圧力を遮った。彼は低く唸るだけだったが、その巨体は人々の心をわずかに落ち着かせた。
安全小屋の外壁に刻まれた符紋の灯柱は不安定に瞬き、微かな光が灰霧の中で明滅した。避難民たちは防衛隊に導かれ、一人ずつ中へ送られていき、急ぎ足の音が入口で交錯した。
樹族の長者は震えながら敷居を越え、光紋の庇護の下でわずかに落ち着きを取り戻した。琉火族の胸に刻まれた火紋は屋内で次第に安定し、消えかけた火光が再び温もりを灯した。
「早く入れ、入口で立ち止まるな。中の方が安全だ。」
タリスは低い声で言い放ち、群衆を見渡すその眼差しは冷静で揺るぎなかった。
「中では壁際に座り、静かにしていろ。」
エドリックは奥の空いた場所を指し示し、手にした符紋の魔導符紋短杖 が光を放った。
人々がようやく落ち着いたその時、灰霧の奥からさらに近い咆哮が響いた。瓦礫の山が震え、火光の中で黒い影が蠢いた。低い振動はまるで地底から滲み出すように胸を圧迫し、壁に刻まれた符紋の光は明滅し、人々の心に残されたわずかな光を奪おうとしていた。
防衛隊員たちは互いに視線を交わした――彼らは理解していた、本当の試練が迫っていることを。
街道の両側の叫びは次第に弱まり、灰霧の中から迫る音だけが残った。瓦礫の山が震え、小石が転がり落ちる。廃墟の裂け目からは、焼けた石炭のように赤々と光る獰猛な眼が次々と浮かび上がった。
「グリリリ……シャッシャッ……カカカ……」
その声は崩れた壁や倒れた梁の間に反響し、骨が擦れる音と鋭い爪が石を削る音が重なり合った。異獣の影は破壊された街路の隙間を這い出し、その声が先に人々の心を締め付けた。
「迎え撃て!」
ガサンは声を張り上げ、迎え撃つ構えを命じた。灰色のローブが風に揺れ、彼は最前に立ち、瓦礫の間から飛び出す黒い影を鋭く見据えていた。
ミラは盾を構え、その表面に氷霧が張り付き、人々を背後に庇った。ハロは魔導ライトニングランスを握りしめ、矛先に稲光が迸り、汗に濡れた顔に笑みを浮かべ、一歩前へ踏み込んだ。
三人は同時に戦闘の構えを取り、灰霧の中の圧迫感が一瞬にして凍りつき、街道全体を決戦の淵へと追い込んでいた。
「来るぞ――!」
瓦礫の山が突如として崩れ落ち、黒い影が奔流のように溢れ出し、圧迫感は瞬時に実体を得た。
彼らの眼前に現れた異獣の群れは、言葉では到底言い表せなかった。
あるものは狼の輪郭を思わせながら、歪みに歪んで原形を失っていた。あるものは昆虫のような複眼を無数に並べ、冷たい光を瞬かせていた。背骨が盛り上がり、骨がむき出しになり、まるで無理やり継ぎ接ぎされた残骸のような姿もあった。四肢の比率は異様で、筋肉の線はなく、それでも体を引きずって進んでいた。二つの頭が一つの体を共有し、互いに咆哮しながら同時に苦悶していた。
体格はいろいろな大きさで、最大でも成犬ほどにすぎなかったが、異様な構成によって一層不気味さを増していた。
これらの怪物は壊れた生物の寄せ集めのようで、灰霧に生み出された不自然な生命として、耳を裂く叫びを放ち、瓦礫の間で影をうねらせ続けていた。
「こいつら、なんだこの化け物? 粘土遊びの失敗作かよ! ハハハ──」
「何度見ても、ぶっ壊したくてたまらないな!」
ハロは口を大きく裂いて笑い、魔導ライトニングランスが手の中でバチバチと音を立てた。その笑い声には抑えきれない怒りが混じっていた──死んだ仲間たちは、まさにこの怪物どもに奪われたのだ!彼の影は瓦礫の間を閃き、電光が獣群の牙の冷たい輝きを照らし出す。
「同類を嘲ることが、そんなに愉しいのか? ハロ。」
ミラは魔導氷盾を掲げて一歩前へ踏み出し、鏡のように滑らかな面をハロへ向けた。ハロはそれを見て、歯ぎしりしながらも苦笑を浮かべた。
その瞬間、氷霧が盾の表面に急速に凝結した──それは単なる冷気ではなく、ミラの直感が危機の接近を告げていた。映し出されたハロの顔は次第に曇り、歪んでいく。彼女は咄嗟に気づいた、断壁の上から異獣が飛び降りてきたのだ。咄嗟に魔導氷盾を引き戻し、回転させて受け止め、迫り来る爪を強引に弾き返した。鋭い爪は空気を裂き、軌道を逸れて人々への攻撃は彼女によって阻まれた。
人々の驚きの声が灰霧の中で響き渡り、鳥族の母親は子を強く抱きしめ、その瞳には生き延びた恐怖が一瞬きらめいた。
「退け!」
ミラは大声で叫び、素早く踏み込み、人々の前に躍り出る。盾面が一気に跳ね上がり、氷霧が爆ぜ散る。異獣の突進は正面から食い止められ、衝撃に瓦礫と灰霧が四方へと飛び散った。
「よくやった、俺がやる!」
ハロは身を翻して飛び出し、魔導ライトニングランスを振り下ろした。電光が異獣の背骨に沿って走り、爆ぜる。後列の異獣が嘶き、痙攣しながら瓦礫の間へ崩れ落ちた。
「陣形を崩すな!」
刀影が灰霧の中で閃き、ガサンは術士のローブの下から魔導長刀を抜き放つ。符紋が刀身に沿って灯り、冷たい光が霧の中に弧を描いた。
「ハッ!」
ガサンは叫び、長刀を一気に振り抜いた。符紋が爆ぜ散り、氷藍の光刃が灰霧を切り裂き、前後から襲いかかる三頭の異獣を迎え撃つ。
刃は止まらず、その勢いのまま横薙ぎに振り払う。瓦礫の間から飛び出した二頭の異獣が斬り裂かれ、血霧と灰霧が交錯する。彼の影は岩のように揺るがず、人々の恐怖を押し留めた。
街道は一瞬の静寂に包まれ、ただ灰霧が渦を巻き、獣群の鳴き声が遠くに木霊していた。その張り詰めた静けさは、次の衝撃の前の深い息継ぎのようだった。
西側が激戦に包まれるその頃、東の街路も灰霧に呑み込まれていた。もう一つの小隊が同じ圧迫に直面している。
副隊長エドリック・ローンは魔導符紋短杖 を掲げ、符紋が灰霧の中で瞬きする。タリス・オートは魔導炎剣を胸前に構え、いつもの朗らかな笑みを収めて濃霧の気配を鋭く見据えた。
「急げ!灰霧に追いつかれるな、中には異獣が潜んでいる!」
タリスは大声で叫び、炎剣を振り抜いて弧を描く。その光が人々の恐怖に染まった顔を照らし出す。灰霧は吐き出すように迫り、黒い影がその中で蠢き、今にも灰色の幕を裂いて飛び出そうとしていた。
「しっかり付いて来い、遅れるな!」
サラは敏捷に倒れた魚族の少年を支え、黒いポニーテールが夜に揺れた。
ブレンは黙したまま最後尾に立ち、石拳ガンレットを地面に叩きつける。大地が震え、岩壁が突き上がって灰霧の圧迫を遮った。
「俺のそばを離れるな!」
魔導符紋短杖が手の中で脈打つように輝き、光紋が波のように外へ押し広がる。エドリックは迫る影を一時的に押し退けた。
「どけ、どけ!俺が道を開く――後ろの者は付いて来い!」
タリスは魔導炎剣を高く掲げ、火光が暖色の回廊を広げる。彼は倒れた扉板を蹴り飛ばし、人々が通れる隙間を作った。
「右へ!瓦礫を避けろ!」
サラは低く声を掛け、腕で少年をしっかり守りながら前へ導く。振り返ったその視線の先、黒い影が灰霧の中で壁に沿って滑っていた。
「グリ……ガリ……」
音がアーチの上から滲み落ち、爪が石を削るように響く。屋根の上で何かが動き、灰霧に細長い裂け目が走った。
「上だ!」
「うわぁ──」
「うっ!」
人々は一斉に叫び、頭上で蠢く黒い影を指差したとき、ブレンは鋭く顔を上げ、右の魔導石拳ガンレットを柱の基部へ叩きつける。潜んでいた異獣は瞬時に姿を失い、拱門全体が震え、埃が雨のように降り注いだ。
彼はすぐに肩と背で、未だ追いつけない最後列の人々の行く手を塞ぎ、嵌め込まれた岩のように揺るがず、沈黙のまま圧迫する闇を遮った。
「急げ、建物の中へ!壁際に座れ!」
エドリックは安全な小屋へ続々と入ってくる人々に声を張り上げた。雑音を切り裂くその声と鋭い視線が一人ひとりを捉える。彼が魔導符紋短杖を掲げると符紋灯柱の光輪がわずかに広がり、まだ敷居にいた者たちを光の中へ包み込んだ。
「タリス、五秒後に封門だ!」
「了解!」
タリスは身を翻し、魔導炎剣を振り払った。小屋の外縁から十メートルの地面が真紅に焼け、いつでも引き下ろせる火線が刻まれる。
「最後の一団──!」
サラは少年を光輪へ押し込み、自らは敷居際の瓦礫を踏みしめ、魔導風刃刀の背を前に構え、冷静な眼差しを向けた。
符紋の光が壁面を走り、呼吸のように収縮する。群衆の足音は急き立てられ、最後の数人がよろめきながら敷居を越えた。建物の中の空気は光紋の庇護によってわずかに安定する。エドリックの声は沈着にして重く、混乱を抑え込み、残された時間がほんの数秒であることを全員に悟らせた。
「三人はひとまず休め。五分後、予定された合流地点へ向かう路を掃討し、異獣を排除する。人々の安全な通過を確保するぞ。」
「了解!」
エドリックが指示を終えると、タリスは小屋の壁際へ歩み寄り、魔導炎剣を身側に立てかけた。わずかに身を緩め、壁にもたれて目を閉じ、静かに息を整える。サラは身を翻して小屋へ入り、負傷者に再び手を差し伸べ、低く声をかけて怯えた息を落ち着かせた。
ブレンは依然として沈黙し、黙々と火線の外へ歩み出て、魔導石拳ガンレットを地へ落とした。その鈍い響きは揺るぎない誓約のごとく重く広がった。
彼の重厚な体躯は灰霧の縁に揺るがず立ち、肩と背で黒影の突進を受け止め、風だけを抜けさせた。
この時、西側の小隊も最後の避難民を小屋へ護送していた。だが街道の灰霧からは異獣が次々と湧き出し、彼らの前に立ちはだかっていた。瓦礫の山は震え、崩れた壁の上では新たな黒影が左右に絶えず走り回っていた。
「ハロ!左だ!」
ガサンは右手を伸ばして素早く背後を制し、避難民に足を止めるよう示した。すぐにローブから魔導長刀を抜き放つ。術士のローブは歩みに合わせて翻り、彼は腕を振り上げて長刀を胸の前に構えた。符紋が灰霧の中で光り、氷青の輝きが刀身に沿って走り、濃霧を切り裂いた。彼らは斜面に立ち、飛び出す黒影に真正面から立ち向かった。
「へへっ、ここは俺に任せろ!」
ハロは口元を歪めて笑い、魔導ライトニングランスが手中でバチバチと鳴り響いた。彼は勢いよく突進し、電光が槍先に沿って炸裂し、崩れた壁から飛び降りようとしていた二頭の異獣を貫いた。
「落ち着け、前に出すぎるな!ハロ!」
ミラは眉をひそめて前方のハロに叫んだ。盾を高く掲げると、縁に氷霧が凝結し、左上から急降下してきた獣の爪を正面から受け止めた。彼女は身をひねって衝突し、盾の角で異獣の胸を叩きつけ、瓦礫の山へと弾き飛ばした。
「どけ!ミラ──」
ガサンが低く吠えながら突進し、魔導長刀を振り下ろした。符紋が弾け、光刃が灰霧の中で閃いた。彼はその勢いのまま横薙ぎに振り抜き、飛び出した黒影を次々と斬り払った。刀勢は鋭く、ぶれずに、まるで壁のように立ちはだかり獣群の突撃を封じた。
「グリ……グルルッ」
灰霧の中で獣群の咆哮はなお迫り、瓦礫は絶えず転がり落ち、街道の圧迫感は一瞬で極まった。ミラの盾が震え、氷霧が弾け、壁沿いに滑る異獣を押し返した。
ハロはその時、再び前へと突進した。
「無茶するな、人々を守ることに集中しろ!」
ミラは冷たく叱りつけ、その声は灰霧の中ではっきり響いた。盾の角が激しくぶつかり、瓦礫が飛び散り、押し返された獣影は一時的に動きを止めた。
ハロは振り返って口元を歪め、挑発的な眼差しを向けた。
「ふん、俺があいつら片付けてやるぜ。」
「口を閉じて、足を固めろ。ここはお前が見せびらかす場所じゃない。」
ミラは再び鋭く睨みつけ、低く、毒舌ながらも揺るぎない声で言い放った。
ガサンの長刀がわずかに震え、符紋が霧の中で輝いた。彼は異獣が潜んでいないことを確かめると、後方へ視線を戻した。
「ハロ……もうふざけるな。」
「ミラ、お前もだよ……はぁ。」
その声には諦めが滲んでいたが、余計な怒りはなかった。彼は分かっていた。ハロはそういう性格であり、ミラは毒舌な性格だが、それこそが二人のいつものやり取りなのだ。
戦場では言い争う暇などなく、ガサンは短い言葉で警告すると、すぐに目前の危機へ意識を戻した。
街道は坂を上がって続き、灰霧はますます濃くなっていく。重苦しい響きが上方から響き渡り、まるで巨石が引きずられているかのように、圧迫感がじわじわと強まった。
その圧力に覆われる中、避難者たちの叫び声が霧の中で次々と響き渡った——
「急げ!上へ走れ――!」
「耐えろ!」
「置いていくな……!」
彼らが我先にと坂を駆け上がる理由は――
両側から押し寄せる濃い霧は先ほどよりもさらに厚みを増し、生き物のように迫ってきた。樹族、鳥族、琉火族、魚族、そして人族の姿が混乱の中で互いに支え合い、足取りはよろめきながらも止まることはなかった。
霧は足首に絡みつき、一歩ごとに引きずり込もうとする。震える叫びと荒い息遣いが狭い石段に入り混じり、砕けた石や瓦礫が蹴り飛ばされ、驚愕と荒い息遣いの中でようやく細い通路が姿を現した。
ミラとハロが手を忙しく動かしながら必死に人々をなだめ、秩序を保とうとしている間、ガサンは顔を上げ、目の前を漂う灰色の霧を透かして、音のした方角を見据えた。
「……」
その音はいつの間にか消え、街道に渦巻く霧だけが残り、すべてを覆い隠そうとしていた。圧迫感はなお消えず、しかし遠方の霧の層の奥に、かすかに符紋の光が透けていた――それは彼らが避難者を護送すべきもう一つの安全な小屋だった。
周囲はなお濃い霧に包まれていたが、その光は唯一の導きのように胸を締めつけ、そしてわずかに解きほぐした。
同時に、ハロはすでに斜面の上へ駆け上がり、力尽きかけた人々を手で引き上げていた。電光がランスの穂先に閃き、彼の歪んだ笑みを照らし出した。
ガサンは真っ先に小屋へ駆け寄り、その前に立った。鋭い視線で周囲を素早く見渡した。異獣の気配が近づいていないことを確かめると刀を収め、低く促した。
「早く、中へ!」
一行はすでに入口に迫り、避難者たちは導かれるまま次々と屋内へ入っていく。足取りは乱れ、息は荒い。
最後の数人が踏み入ろうとしたその時――
(この感覚……何だ?)
ガサンの胸は緊張に包まれ、刀の柄を握りしめる。視線を巡らせると、街口の灰色の霧が渦を巻き、何かを吐き出そうとしているかのようだった。彼は反射的に、避難者を導いているハロへ合図を送る。
ミラは盾を掲げ、氷のような霧がその表面に凝りつく。彼女の眼差しは張り詰め、濃い霧の奥を必死に探っていた。呼吸の音がいつも以上にはっきりと響き、まるで街全体が息を止めているかのようだった。
ちょうどその時、街の入口の外から急な足音が響いた――
二つの遅れてきた影が濃い霧の中へ踉めきながら飛び込み、人族の青年と魚族の少女が必死に小屋へと走り寄る。
「ま、待って……俺たちを!閉めないでくれ!」
人族の青年の声は震え、喉を裂くような叫びとなった。
「うっ……わ、私……もう走れない……!」
魚族の少女は荒い息を吐き、足取りは乱れ、瞳には恐怖が満ちていた。
「耐えろ!すぐそこだ!」
ハロが声を張り上げ、魔導ライトニングランスを構えたまま、二人を小屋へと押し込んでいった。
「!」
ミラの盾面が激しく震え、氷の霧が縁を伝って広がった。彼女の視線は街口の奥を射抜くように捉え続けている。
深い霧はまるで巨大な何かにかき乱されるかのように揺れ、幾重もの影が翻り立つ。直感が告げていた――次の瞬間、必ず何かが霧を突き破って現れる。
ちょうど二人が小屋へと辿り着こうとしたその時――。
ガサンの胸は強く緊張に締めつけられ、刀身の符紋が微かに震えた。彼は鋭く察した、結界の節点が揺らいでいることを。二人が踏み入る前に封じなければ、結界は起動できない。
ガサンは素早く目を上げ、ハロとミラの間に視線を走らせ、切迫した声で叫んだ。
「急げ!二人が入る前に、結界をかならず閉じろ!」
刀身の符紋は極限まで輝きを増し、耳をつんざくような唸りを放ち、光は空気を震わせた。ガサンは眉を鋭く寄せ、再び大声で叫ぶ。
「結界が断ち切られる!」
「ハロ!」
「二人を中へ引き入れろ――俺は最後の瞬間まで持ちこたえる!」
「わかった!」
ハロは歯を食いしばって応じ、魔導ライトニングランスを口元に噛み寄せるようにして、勢いよく人族の青年を前へと押し込んだ。
「待って、待って……待ってくれ!扉を閉めないで!」
心肺は急ぎ足に追いつけず、人族の青年の声は途切れ途切れに震え、切迫した哀願が滲む。
「俺……足が折れそうだ……!」
隣の魚族の少女も息を切らし、足取りはよろめき、瞳には絶望が満ちていた。
「頼む、頼む、耐えてくれ!必ず耐えてくれ!あと数歩なんだ!」
その時、彼は左右の手で二人を押し支え、額前に編み込んだ髪はすでに乱れ、汗に張り付いて頬を濡らしていた。整える暇もなく、歯を食いしばりながら励ましの声を上げ、二人を力任せに前へと押しやった。
魔導ライトニングランスは口元で炸裂し、電光が空気を震わせ、彼の食いしばった輪郭を鮮烈に照らし出した。
ミラの盾面は再び震え、氷霧は細かな結晶片となって砕け、濃霧の中へ散り落ちた。
「急げ、もっと急げ!ハロ――!」
彼女の声は冷たいが震えを隠せず、ミラは全力でその巨大な力の衝撃を受け止めていた。
一方、ガサンの握る刀の柄に刻まれた符紋は閃光を放ち、光はすでに臨界へと迫っていた。
「中へ入れ!」
「一瞬でも遅れれば、結界は崩れ!」
彼は雷鳴のような声で叫び、その響きは濃霧を打ち砕いた。
そしてハロが二人を押しつつ、よろめきながら門を越えた瞬間、ガサンの長刀は地面へと猛然突き刺した――
続く次の瞬間、氷藍の光陣が瞬時に展開し、符紋は氷霜のように広がっていき、結界は小屋の前方の通路を完全に封じた。
「ふぅ……封じた!」
その直後、濃霧の奥から巨獣の咆哮が響き渡り、低い轟鳴が波のように押し寄せる。胸腔は重石で連続して圧し潰されるかのように震えた。
「くそっ!もうすぐ破られる……!」
ミラは歯を食いしばり、両手で盾面を光陣の縁へと強く押し当てた。
黒影が轟然と衝突し、結界は激しく揺れ、符紋は震え鳴り、今にも引き裂かれそうだった。
「見ろ……あれは何だ……」
「まさか、あの影……すごく大きいぞ……」
「こ、この家屋は持ちこたえられるのか?」
小屋の中の避難者たちは息を殺し、暗がりの中で不安げに目を光らせた。衣の裾を必死に握りしめ、掌から冷汗が滲み出る者。壁に背を預け、肩を震わせる者。隅に身を縮め、両腕で膝を抱え込む者。心臓の鼓動は胸腔を激しく叩き、呼吸音は静寂の中でひときわ鮮明に響いた。
彼らの表情は恐怖と渇望の狭間で揺れ、灰色の濃霧は無理やり断ち割られ、迫り来る黒影は光陣へと衝突を繰り返す。鈍い轟音が響き、符紋は絶えず震え鳴り続けた。
光陣の結界は辛うじて耐え、その衝撃を外へと遮断していた。
しかし衝撃は消えず、濃霧の海全体をさらにかき乱した。
濃霧は巨体の接近に押し出されるように外へと翻り、空気には腐敗を思わせる臭気が滲み出す。
重く規則的な呼吸が響き、その一息ごとに胸を圧迫するようだった。
霧の層が重ねて裂かれていくにつれ、輪郭が少しずつ浮かび上がってきた。
小型の異獣とは異なり、目の前のそれはさらに巨大で、成人二人分ほどの高さにそびえ立っていた。肩は厚く、胴は無理やり引き延ばされた獣の体躯のように歪んでいる。四肢の比率はやや不自然ながら、そこに秘められた爆発力は凄まじく、一歩踏み出すたびに地面が細かく震え、まるで街全体がその重量に応じて応えるかのようだった。
灰黒いろの皮膚には不規則な裂紋が走り、隙間からは腐臭が滲み出す。腐肉そのものが呼吸しているかのように見えた。背は盛り上がり、骨板が幾重にも重なり合い、呼吸のたびに擦れ合って鈍い軋みを響かせ、近づく者への警告のように鳴り続けていた。
そして最も恐ろしいのはーーその頭部だった。
眼窩は深く落ち込み、双眸は暗紅の光を放ち、霧の中で火花のように燃え立つ。鼻腔から吐き出される白い霧は腐敗の臭気と混じり、瞬く間に周囲を覆い尽くす。
口は異様に裂け広がり、歯は石片のように鋭く乱立し、呼吸に合わせて微かに震え、今にも目の前のすべてを引き裂こうとしているようだった。
「……前の小型の異獣よりも、ずっと大きい……。」
ミラが低く呟いた。盾面に張りつく氷霧は緊張でさらに濃くなり、額から滲んだ汗が頬を伝って落ちていった。
「落ち着け、ミラ!気を散らすな!やることはただひとつ――倒すんだ!」
「ハロ、牽制しろ!俺が隙を探す!ミラは動きを鈍らせろ!」
ガサンは声を抑え、長刀の符紋が震え続ける。冷汗が首筋を伝い、握り締めた刀柄に力がこもり、関節は硬直していた。
「来い……」
ハロは歯を食いしばり、掌に握った魔導ライトニングランスがバチバチと鳴り響く。電光は霧の中で閃き、全身の筋肉は張り詰め、背は汗に濡れていた。呼吸は荒いが揺るがず、一歩も退かなかった。
指令を受けたミラは、震えていた手を強く握り直す。深く息を吸い込み、視線を再び定める。盾面の氷霧は瞬く間に厚い霜へと凝結し、彼女の意志に従って広がり、異獣の衝撃を寸刻ごとに鈍らせていく。
「わかった!」
彼女は再び気を奮い立たせ、足を一歩踏み出し、全身の力を盾面へと注ぎ込んだ。額の汗はなお流れ落ちていたが、その表情はもはや揺らぐことなく、代わりに揺るぎない決意と断固たる覚悟が宿っていた。
「ミラ、左足を凍らせろ!ハロ、ランスを構え――奴の眼を狙え!」
ガサンの長刀に刻まれた符文が一斉に輝き、刀尖は結界の外に光る暗赤の獣眼を鋭く指し示した。
「結界を裂かせるな、まずは押し返す!」
ハロは怒声を上げ、ランスを構えて結界の縁へと突き出す。符文に沿って電光が爆ぜ、一直線に異獣の眼へと走った。
「ドォン!」
異獣は仰け反り、地に倒れてもがき、眼窩の奥で血のような光が激しく閃いた。咆哮は小屋全体を震わせ、次の瞬間、巨体を翻し背の骨板が結界を擦り、耳を裂くような摩擦音を響かせた。
ガサンは好機を逃さず長刀を振り下ろし、青白い術紋が刃に走って獣の爪先を斬りつけた。だが異獣は身を翻し、巨大な爪を勢いよく叩きつける。
ガサンの眼が鋭く光り、身を横へ滑らせる。長刀が霧の中に残影を描き、正面の衝撃をかろうじて外した。爪先が結界の縁を擦り、術紋が甲高く鳴り響く。気流が弾け、袖が裂け、冷汗が頬を伝った。
ミラは歯を食いしばり、盾を前へ押し出す。冷たい霧が厚く凝り、裂け目を押さえ込む。衝撃に押されて半歩退き、踵が地面を擦って耳を刺す音が走った。
異獣は再び咆哮し、身を強く捻って霧を巻き起こす。巨大な爪が連打で結界を叩き、荒々しく鋭い動きで腐った白い霧を巻き上げ、圧迫は波のように押し寄せた。
「やつは何をしている……まさか!」
ミラは目を細め、荒い息の合間に異獣の攻撃の動きを捉え、胸がどきりとした。
「やつ、同じ一点を狙っている!」
彼女は叫び、声は霧を突き抜けてガサンとハロに届いた。すぐさま両手で盾を強く押さえ、氷霧が厚い氷層となって術紋の裂け目を必死に抑え込む。
「なにっ!」
ガサンはぎょっとして身を震わせ、刃先を引き上げる。冷や汗が頬を伝い落ちた。
「よし!あの裂け目を封じる!ハロ、あいつを押し退けろ!」
「任せろ!」
ハロは魔導ライトニングランスを握り締め、一気に跳躍して身を翻し、渾身の一撃を叩き込む。雷光がランスのシャフトを奔り、瞬時に炸裂して術紋に沿って下へと打ち下ろされ、異獣の爪撃と真っ向から激突した。
霧の海は閃光に裂かれ、魔導ライトニングランスの炸裂する力が符文を激しく震わせ、古びた小屋は轟音を立て、今にも軋み割れそうになった。
重苦しい気配が室内に満ち、見えない巨大な手に胸をわし掴みにされるような圧迫が襲う。彼らは息を呑んで身を固くし、外の死闘が彼らの生死に固く結び付いていることを感じた。
「裂け目が崩れんとする時、水の勢いをもって秩序を保て——
風は刃となり、水は鎖となり、
侵蝕を眠りへと還し、この界を延命せしめよ!」
ガサンは大声で詠唱し、刃先が術紋の弧光を描き、声は空気に響き渡った。
呪文が落ちると同時に術紋の縁が颯然と震え、疾風が奔流を巻き込み、青白の障壁を織り成す。裂け目を固く封じ、ミラの氷霧と噛み合い、揺るぎない防線へと変わった。
「ミラ、裂け目を閉じ続けろ!ハロ、俺とともに斬り込め!」
ガサンの長刀に符文が次第に輝き、彼は猛然と顔を上げた。刃のように鋭い眼差しを放ち、刀身は蒼白の術光を迸らせ、眼前の異獣を真っ直ぐに指し示す。
「了解!」
ハロは力強く応じだ。魔導ライトニングランスの術紋が瞬く間に爆ぜる。足元に電光が奔り、姿は疾雷のごとく躍り出た。彼はランスを猛然と押し下げ、ランスの穂先は異獣の胸を直撃し、電光が空気を裂いて炸裂した。異獣の身は激しく震え、全身が麻痺に襲われた。
ミラは魔導冰盾を掲げ、異獣の猛撃を正面から受け止めた。すぐさま低声で呪文を唱えると、氷晶が地面から瞬く間に広がり、異獣の両脚をがっちりと封じ込めた。
ガサンは勢いに乗って跳躍し、長刀が氷藍の弧線を描いてその爪先を斬り裂いた。異獣は怒号を上げ、猛然と身を捻って爪を引き抜く。氷晶は粉々に砕け散り、飛沫のように舞った。異獣は反手で裂け目の縁を叩きつけ、術紋が瞬時に震え、裂口はまるで引き裂かれるかのように広がった。
しかし、雷撃による麻痺は次第に薄れ、異獣の四肢に再び力が戻っていく。震えていた体は徐々に制御を取り戻し、怒りの咆哮とともにその瞳が再び鋭く光った。
異獣は怒号を上げ、猛然と身を捻って爪を引き抜く。氷晶は粉々に砕け散り、飛沫のように舞った。異獣は反手で裂け目の縁を叩きつけ、術紋が瞬時に震え、裂口はまるで引き裂かれるかのように広がった。
異獣は身を低く伏せ、肩をぐっと沈めて全身に力を溜め込む。次の瞬間、全体重をもって結界へと激突した。光陣は激しく歪み、術紋が絶え間なく閃き、今にも崩れ落ちそうに見える。
「こいつ、なぜ俺たちを狙わず、結界ばかり叩いているんだ!」
ハロは思わずそう不満を口にし、その言葉にガサンも違和感を感じていた。
(この大きな獣は、先ほどの小さな異獣の攻撃とは明らかに違う……まるで思考しているようで、動きも一筋ではない。)
ガサンは眉を深く寄せ、低く声を落とした。
「背後に何かの力が操っている――奴は俺たちを殺すだけじゃない、結界そのものを引き裂こうとしているんだ。
「もし結界が崩れれば、防衛線全体が崩壊する!奴の注意を逸らさなければならない!」
ミラの顔色は鉄のように険しくなり、氷盾の術紋が震えた。彼女は盾を猛然と前へ押し出し、縁から氷結が広がり、異獣の衝撃を必死に受け止めた。
「なら、俺たちに狙いを定めさせろ!」
ハロは魔導ライトニングランスを握り締め、矛尖に電光が奔る。彼は猛然と跳躍し、槍先を異獣の頭部へと真っ直ぐ突き立てんとした。
雷鳴が半空に炸裂し、戦場を震わせた。
「集中攻撃だ、結界にもう一度ぶつけさせるな!」
ガサンの刀が素早く斬り落ち、ハロの魔導ライトニングランスと交差しながら、異獣の意識を強引に結界から引き離した。
三人は長く異獣と戦い続け、結界の縁は絶えず震えていた。誰もがすでに傷を負い、呼吸は重く、疲労が動きの端々に滲み出ていた。
「はぁ……はぁ……」
ガサンは肩で息をし、その瞳に決意の光が走る。体内の攻撃術式は本来まだ完成していなかった――だが今、無理やり限界まで引き上げられていた。符紋は血脈に沿って震え、刀身は低く唸りを上げる。
でも、この切り札が何度使えるのかは未だ分からない。なにしろ、五百年もの間封じられてきた術式なのだから。
彼は低く詠唱し、その声は風刃のように空気を切り裂いた。
符紋が瞬時に輝き、左手の指先が素早く紋を描く。掌には気流が渦を巻き、踏み込みで地が鳴り、袖は風に翻り、呼吸と律動がぴたりと重なる。
――風の攻撃術式・解放:〈刃舞爆空〉!
淡い緑の光が切っ先から刀身へと糸のように絡みつき、符紋の響きと気流の共鳴によって、氷のような蒼い光が弾けた。長刀が振り抜かれ、刀光と風刃がひとつになり、爆ぜる音は無数の刃が同時に斬り裂くかのように鋭く響く。
疾風は空中で交差し、狂烈に舞い踊る血に飢えた刃の幕を形づくる。その奔流は異獣の肩口と首筋へと迫り、周囲を覆っていた灰色の霧さえ強引に裂いた。
「うぉおっ!」
ハロは怒号とともに猛然と跳躍し、魔導ライトニングランスを叩き込んだ。槍の穂先は雷鳴を纏い、異獣の胸へ一直線に走る。
風刃と雷撃は空中で交差し、瞬時に蒼白の雷光と碧緑の刃の奔流へと変わった。電弧は巨蛇のように絡み、風刃は鋭い翼のように翻り、互いに裂き合いながら氷色の閃光を弾けさせ、胸腔の中心で爆ぜる。
異獣の胸は裂け、肩口から首筋にかけて血肉が飛び散った。術紋が体表で狂ったように点滅し、天を仰いだ口から空気を切り裂く絶叫が迸る。音は結界全体を揺らし、哀号のように響き渡った。
長い叫びの直後、全身が激しく痙攣した。術紋の光は極限まで明滅したのち、裂け目から崩れ落ちる。巨躯は轟音とともに地へ倒れ込み、地面を砕いて塵煙を巻き上げた。輝きは次第に薄れ、砕けた気配は空へと散った。
「倒したのか……」
「やった!ははは!」
「もう出られるのか……」
屋内の人々は息を呑んで見守り、やがて歓声と涙が爆発した。喜びと解放が空気に交錯する。ハロは長く息を吐き、ミラは氷盾を下ろして肩を震わせ、ガサンは長刀を握りしめたまま冷たい眼差しを崩さない。
だが、その歓喜は一瞬で終わった。
「グゥゥ……ガァァァァァッ!」
濃霧の奥から耳膜を突き破る咆哮が響き、屋根瓦が震え、空気が裂ける。先の異獣よりもさらに低く、荒々しいその声は、新たな脅威の到来を告げていた。
「おい……あれは何だ……」
「いやだ、やめてくれぇぇーー!」
「光の神よ、どうかお守りください……」
「わぁぁぁーー!」
屋内の人々の歓声は瞬く間に凍りつき、笑みは恐怖と震えへと変わった。人々は慌てて壁際へ退き、異族は低く祈り、島民は悲鳴を上げる。子を抱いて泣き叫ぶ者、地に崩れ落ちる者――屋内は一息で混乱に沈んだ。
誰ひとり戸口を越える者はなく、全員が屋内で身を縮める。濃霧の外には、すべてを呑み尽くす深淵が潜んでいる。
「おい……冗談だろう?くそ……さらに大きい奴か?ふざけるなよ!」
ハロの顔は険しく沈み、魔導ライトニングランスを握り直す。槍身が手中で微かに震え、汗が額に滲む。
「全員、屋内に留まれ!結界に近づくな!」
ミラは歯を食いしばり、魔導氷盾の術紋が再点灯する。冷気が周囲へ広がり、震える手首を押さえつけて呼吸を整えた。
ガサンは眉間に汗をにじませ、長刀を握りしめた。
濃霧の奥に徐々に姿を現す巨大な輪郭を見据えた。
濃霧は波のように押し寄せ、街路の裂け目は低い震動に合わせて徐々に広がっていった。耳をつんざく摩擦音が響き、巨大な影が霧の幕を押し分けてゆっくり現れる。
先に現れた大異獣とは少し違い、この怪物はさらに歪だった。高さは成人三人分に迫り、胴は丸みを帯びているのに、無理に複数の獣体を継ぎ合わせたように骨格が噛み合わず、筋肉が皮膚の下で絶えず痙攣し、生き物が奥でうごめいているようだった。
四肢の末端から伸びる骨の棘は地面に深い裂け目を刻み、一歩ごとに街路を震わせ、壁まで揺らす。暗い紫と灰黒の裂紋が走る皮膚からは灼けるような腐食性の黒煙が滲み、触れた壁に焦げ跡を残し、空気には息苦しい重さが満ちていく。
背の骨板は幾重にも積み上がり、塔のように上へ伸びている。擦れ合うたび火花が散り、甲高い金属音が刺さる。まるで近づく者への警告だ。
頭部はさらに異様さを増していた――眼窩には幾重もの裂け目が走り、六つの暗い赤の眼球が霧の中で点滅し、灼ける光を放つ。視線が掃くたび、背筋が冷える。鼻腔から吐き出された霧は腐敗の匂いと熱気を混ぜ、瞬く間に周囲へ広がり、屋内の人々は息を殺して声を失った。
口の裂け目は耳の根元まで伸び、歯は幾重にも交錯し、歯車のように噛み合う。大口を開いて吠えた瞬間、声は重なり合い、数十の異獣が同時に咆哮するように響き渡る。屋根瓦が震え、鼓膜を刺し、心臓を揺らす。
「こ、こいつはさっきのよりもさらに大きい!しかも、もっと醜い!」
ハロは唾を飲み込み、両手で魔導ライトニングランスを強く握りしめ、指関節が白くなる。呼吸は荒いが、視線は前方の巨影から外さない。ガサンは身を横にずらし、魔導長刀をわずかに下げる。刃の縁には欠けが出て、掌からは冷たい汗が滴る。淡い緑の光糸が刀身を巡り、氷のような青い光がかすかに明滅する。
ミラの盾の表面はひびだらけで、手首は力みで震え、血が氷の層に滲む。ハロの肩は焼けただれ、魔導ライトニングランスの電光は不安定に明滅し、顔の焦げ跡が疼く。
三人の疲労は隠しようもなく、呼吸は乱れていた。長い対峙の末、疲弊は極みに達し、息は乱れ切っていた。
異獣の影が灰霧の中からゆっくりと現れる。胸は山のように隆起し、符紋が体表を狂ったように走り回る。低い咆哮が響き、結界の縁を震わせ、絶えず唸り続けた。
「ガガガガ……グルルル……オオオオーー」
異獣は虫の鳴きに似た共鳴音を発し、ばね板を震わせるような響きで身を伏せ、六つの眼が同時に閃いた。歯列が交錯し、鋼鉄が擦れ合うような音を立てながら腐紋を吐き出す。
溶岩のように粘る黒い液が轟音とともに結界へ叩きつけられ、符紋は鋭く悲鳴を上げ、氷の盾はひび割れ、雷光は押さえ込まれ、刃の符紋は激しく震えた。
街路の石板はその液に焼かれ、白煙を上げ、裂け目が瞬く間に広がる。空気には鼻を刺す焦げ臭が満ちていく。
続いて巨大な爪が突き入れられ、符紋の光が激しく唸り、結界は今にも崩れそうになる。
「くそっ──!」
ミラが吠え、盾を無理に押し上げる。氷霜の符紋が一斉に輝いたが、次の瞬間、腐紋に侵され、氷晶は砕け、割れたガラスのように飛び散った。
「ミラ!下がれ!」
ガサンが切迫した声を上げ、長刀の符紋が震える。彼は異獣の吐いた腐食液をかわし、刃で爪の一撃を弾き上げる。ミラの前へ割って入ろうとしたが、獣影の攻勢は速すぎ、腐食液はすでに彼女の身へ迫っていた。
「ミラ──!」
ハロも腕を伸ばしたが、同時に異獣の背の骨板が擦れ、火花が散る。腐食の白霧が顔を打ち、目尻が刺すように痛み、呼吸が詰まる。
「終わったか……」
ミラが液に呑まれかけた刹那、濃霧の奥から低い詠唱が響き渡った。
「光壁守土――崩陣!」
符紋の光が一気に輝き、厚い光壁が地面から立ち上がる。腐食液の衝撃を正面から受け止め、次の瞬間には壁が砕け散り、流星のような破片となって異獣へ降り注ぎ、その巨体を押し返した。
「エドリック!どうしてここに!」
ガサンは思わず叫んだ。長刀の符紋はなお震え、視線は馴染みの影を捉えて一瞬揺らいだ。
「副隊長!」
ハロの瞳に言葉では尽くせぬ喜びが宿る。金髪は乱れ、顔の焦痕もまだ癒えぬまま、彼はほとんど叫ぶように声を上げた。その響きには長く押し殺してきた希望が滲んでいた。
「ありがとう……エドッ、ゴホッ――」
ミラは荒い息を吐き、盾面の符紋はすでに砕け散っている。唇の端から血が滲み、声は途切れ途切れに震えた。
「詳細は後で話す、まずは目の前だ!」
「ミラ、後方へ下がれ!」
副隊長エドリックの短杖符紋が猛然と輝き、光と土の力が街路に共鳴する。彼の声は沈着にして果断だった。
「タリス!お前の出番――!」
灰霧の中からタリスが怒号とともに飛び出す。符紋が燃え上がり、烈火が刃を這い瞬時に爆ぜる。
濃霧を裂くように灼烈な弧線が走り、異獣の前肢へ直撃した。灼熱の炎と腐食の黒煙が衝突し、耳を裂く嘶鳴が響き渡る。霧は強引に切り裂かれ、一角が露わになった。
「タリス!牽制を続けろ、腐食液に気をつけろ!」
ガサンは果断に命じた。長刀の符紋が一斉に輝き、裂け目の間で氷藍の光が閃く。彼の眼差しは刃のように鋭かった。
「アハハハ──任せろ!」
タリスは鼻を刺す蒸気の中で笑い声を返す。魔導炎剣が再び燃え上がり、その声は掠れながらも決意に満ちていた。灰霧に響く笑いは震え、狂気じみた勇気を帯びていた。
「エドリック!ハロ!行くぞ!」
「了解。」
「おう!」
三人は同時に踏み込む。光壁、雷槍、長刀の符紋が交錯し、蒸気の中で光が閃き、黒霧を裂く三本の刃のように走った。
重厚な光壁が巨石のごとく押し下ろされ、退路を封じる。魔導ライトニングランスは電光を炸裂させ、蒸気の中でバチバチと響きながら胸元へ突き刺さる。
氷藍の刀光は寒霜のように空を裂き、肩脊へ斬り込む。符紋は鳴動を止めず、戦場に鋭い響きを刻んだ。
猛烈な攻勢にもかかわらず、刃は骨板に硬く噛み込まれ、蒸気の中で火花が散った。圧し合う力は瞬時に極限へと達する。魔導ライトニングランスは黒煙に逸れ、光壁の縁は腐食液に焼かれ、戦場は膠着した。
「こいつ、さっきのより硬ぇな!」
「ハロ!右の骨板の隙間を狙え!」
ガサンは叫びながら刃を押しつけ続ける。
異獣の六つの眼が同時に閃き、背の骨板が擦れ合って火花を散らす。巨爪が猛然と振り下ろされ、腐食液が沸き立ち、黒煙と嘶鳴が街路を震わせた。
「ちっ、この化け物、なんでこんなに唾を吐くんだ……」
タリスは苛立ちながら、連発で吐きかけてくる腐蝕液をはじき飛ばす。烈焔の剣光は濃霧の中で絶えず閃き、灼熱の焔が腐蝕液にぶつかる。高温で黒液が激しく沸き、蒸気が弾け、耳を裂く嘶鳴が街路に響いた。
「うわああーー痛ぇ!」
蒸気が立った瞬間、腐蝕煙が液体を巻き込み飛び、濃霧の下でタリスの頬をかすめる。右耳が一気に焼け、血の匂いと焦げ臭が混じり、彼は叫んで半歩よろけた。
タリスは歯を食いしばり、腰の短剣を抜くと、ためらいなく腐蝕された右耳を切り落とす。耳は地面に落ち、数秒で黒煙と塵に崩れた。
「えっ!」
ガサンとエドリックはその即断即決に敬意を込めた視線を送り、ハロは驚愕に目を見開いた。魔導ライトニングランスを握る手は強張り、視線が一瞬ぶれ、胸に湧いたのは戦意だけじゃない、言葉にならない衝撃だった。
彼は、誰かが自分の体をこれほど果敢に捨ててまで戦い続けるとは、夢にも思わなかった。
「ギギギ……ガラララ……」
蒸気の中で狡猾に光を瞬かせ、背の骨板が突き上がり低い轟音を響かせる。身を前に傾け、爪が地面を引き裂くような音を立てた。タリスを退けたことでさらに傲慢さを増し、黒煙が渦を巻き、腐蝕液が再び集まっていく。
六つの眼は冷たく規則的に開閉し、まるで目の前の敵に致命の一撃をどう与えるか思案しているかのようだった。
次の瞬間、骨板が勢いよく開き、腐蝕液が豪雨のように噴き出した。黒煙は刃のような渦となり、一直線に襲いかかる。蒸気は一瞬で裂かれ、空気には焦げ臭と灼け付く匂いが満ちた。
防護の光壁は衝撃で震え、縁から急速に崩れ落ちる。魔導ライトニングランスの電光が炸裂するも黒煙に呑まれ、氷のような蒼い刃が振り下ろされる。火花と腐蝕液が交錯し、刃は危うく蝕まれそうになった。
「目が多すぎて狙いが定まらねえだろ?ここを見ろ!アハハハハーー!」
「ガガガガガーーーー」
反対側では、魔導炎剣の光が再び燃え上がり、烈火が黒煙の渦にぶつかる。火と煙が爆ぜ散り、タリスの笑い声と変幻する姿が灰霧の中で揺らめく。その刹那、悲鳴とともに腐蝕液をまとった背板の一枚が斬り落とされた。
「耐えろ!」
「押さえ込め!」
「くそっ、化け物!」
一人が牽制し、三人が連携攻撃して異獣を押し返したその瞬間、六つの眼が同時に閉じ、背の骨板が鳴り響いた。低い共鳴が街路の石畳を震わせ、亀裂を走らせる。
「危ない!」
エドリックは眉をひそめ、異様さにすぐ気づき、咄嗟に仲間へ警告を叫んだ。
次の瞬間、異獣が大きく口を開けた。口腔の中で紫紅の血管が膨れ、触手がうねり、砲身のような赤い肉塊が震える。周囲の空気が一気に吸い込まれ、街路は一瞬の静寂に包まれる。直後、爆裂する咆哮が轟き、音波は衝撃波となって灰霧を吹き飛ばし、空気を鋭く切り裂いた。
「ゴオーーッ!」
エドリックは勢いよく腕を振り上げ、防壁を展開する。白金のように輝く光が広がり、その表面には重厚な土色の紋様が浮かび、まるで岩壁のように堅固だった。衝撃波がぶつかり、石が砕けるような音が響く。肩は圧力に震えながらも、彼は必死に耐え続けた。
タリスは反対側へ勢いよく跳び退き、魔導炎剣が震え、炎が噴き立ち、正面の衝撃をかわす。
ガサンは身を低く踏み込み、長刀を勢いよく斜めに振り下ろす。刃が衝撃波の縁を裂き、全身の筋肉が張り詰める。荒い息のまま、衝撃波の軌道を強引に逸らす。
ハロは衝撃波に押されて数歩退き、胸が激しく波打つ。両手で武器を握り締め、必死に体勢を保つ。
咆哮は空気を裂き、符紋そのものを震わせる。まるで彼らの力を少しずつ剥ぎ取っていくかのように。
ガサンは襲いかかる腐蝕液を斬り払い、荒い息を吐きながらエドリックへ叫んだ。声は切迫していた。
「エ......ドリック!攻、撃術式ーー使えるのか!」
「まだ……内化が……せいぜい一度!」
エドリックの額には汗が滲み、呼吸は乱れ、防壁を必死に維持していた。
「アハハハーー使うのか!」
「俺は……まだ……少しは……食い止められる!」
ハロの胸は激しく波打つ。ランスを突き出し、声はかすれている。
「奴の腐蝕液と攻撃波は厄介すぎる。タリスは傷を負い、ハロも限界が近い……」
ガサンは不利な展開を感じ、ハロとタリスが必死に異獣を食い止める間、逆転の策を巡らせた。
灰霧はさらに濃さを増し、黒煙の渦が街道を覆う。六つの眼光が不規則に瞬き、彼らのもがきを嘲るかのようだった。
「エドリック!俺たちは――」
ガサンが振り返り、決断を伝えようとしたその声は突然途切れる。街道の裂け目から滲み出す冷気に、視線を奪われたのだ。
裂け目から薄霜が滲み出す。最初は石の隙間に張り付くだけだったが、呼吸のたびに氷晶は厚みを増し、樹脈のようにゆっくりと広がっていく。
蒸気は一片ずつ凍りつき、黒煙は氷霜の進行に押されて塊となり、砕け散った。
源は地面ではなく、ミラの胸に宿る寒光だった。
氷霜は心臓から溢れ出し、血脈に沿って少しずつ広がり、まず鎖骨を覆い、肘を巡って指先へ流れ込む。
彼女の息は白霧となり、瞳孔は純粋な氷藍へと収縮した。
「ミラ!まさか……」
「駄目――これは命令だ!」
ガサンが焦って叫ぶが、彼女はいつの間にか前へと進み出ていた。
「ミラ――やめろ!」
ハロは涙で顔を濡らし、よろめきながら駆け寄る。
だが瞬時に地面から突き上がった氷錐が行く手を遮る。
寒霜は街道を這い、氷錐は壁のように立ち塞がり、彼とミラを隔てた。
ミラは振り返らず、右手を後ろへと払う。
氷霜はその腕を伝い、触れるものすべてを凍てつかせる。
黒煙は低温に震え、腐蝕液は動きを止め、街道の蒸気は無形の手に掬われたように宙で止まった。
彼女は身を屈め、破裂した氷盾を拾い上げた。
寒霜は掌を伝って流れ、残片は掌中で震え鳴り、星光のように繋がっていく。
両手を高く掲げ、心臓の脈動は氷脈と同調し、跳動のたびに寒霜はより広い境界へと押し拡げられた。
彼女は低く詠唱する。
「氷霜の下僕よ、白を顕せ;
心脈を導とし、永遠の壁を築け。
寒光の庇護を願い、邪影の歩を止めよ;
我が息は霜震と化し、この域を封ぜよ。」
詠唱の声と心臓の鼓動が重なり、符紋は瞬時に外へ放たれた。
氷晶は空中で環状陣を組み、幾層にも重なって街道を城壁のように封じる。
六眼の光は寒霧に押し沈められ、背骨板の震鳴は遅れた裂音へ変わる。
封界の縁はミラの心臓を中心の脈門とし、鼓動のたびに壁面へ微細な氷震が走る――心拍が氷に響く。
「ミラ……」
「……この娘、骨があるな!アハハハ――」
ミラは振り返り、冷厳な眼差しにわずかな優しさを宿した。
「隊長、あることは命令で変えられません。」
「守護の陣――氷盾封界! 」
彼女の眼差しに一瞬、決然の光が走り、魔導氷盾を猛然に地へ突き立てた。符紋が一斉に輝き、氷青の光線は盾の縁を伝って拡散し、瞬時に彼女の能脈へと結び付く。
氷青の光陣は激しく展開し、雪片が旋回して壁となり、異獣の巨大な爪を半空に封じ込める。符紋は氷晶のように幾重にも積み重なり、やがて絶対の障壁を築き上げた。
ミラの銀白の短髪は寒風に翻り、毛先には細かな氷晶が結ぶ。息は次第に白霧へと変わり、胸の動きは弱まりゆく。肌から血色は失われ、指先は裂け、鮮血は氷晶に凝り付いた。
「ふっ……結局、一番強がっていたのは私だ……」
彼女は低く呟き、口元がわずかに吊り上がり、解き放たれるような笑みを浮かべた。
「ミラ――う、うっ……」
ハロはおえつまじりに彼女の名を呼び、氷錐が消えた瞬間、駆け寄って膝をつき、涙が止まらず頬を伝った。
「ブサイク……泣くな。いや、今はもうブサイクじゃない……かっこいい……」
彼女は凍えゆく身を折り、意識が薄れていく虚ろな目でハロの乱れた編み込みの前髪に手を伸ばし、撫でた。口元がわずかに緩み、決然とした眼差しをガサンとエドリックへ向ける。
「必ず勝って……隊長、副隊長……うっ……」
「ミラ……」
「……必ず。」
氷晶が胸に咲き、心臓を封じる裂け目のように広がる。寒気は血管を伝い、胸から肩へ、さらに首筋へと侵していく。息は白霧となり、声は震えながらも揺るがない。
「ハロ……ジパフィルを……頼む……」
氷霜は無感情に顎へと広がり、彼女の瞳には一片の悔いもなく、蒼白の唇はなおわずかに吊り上がっていた。
言葉が途切れると同時に氷晶が唇を覆い、その笑みを永遠の氷像に刻み付ける。
次の瞬間、彼女の身は完全に静止した。銀白の髪は吹雪の中で凍り付き、毛先には透明な氷晶が煌めく。彼女は氷の彫像となり――瞳は揺るぎなく、姿は守護の女神のように。美しくも残酷に、その命は凍結し、永遠となった。
アシュール環工房の職人たちの口伝によれば――
この島では攻撃術式が存在しないため、魔導武器や防具は施術者自身の能脈を触媒とし、体質の差異に応じて顕現する。
氷盾封界は、その中でも最も残酷にして美しい防衛顕化のひとつである。敵を殺すことはなく、施術者の命を代価として最後の障壁を築く。
ハロは膝をつき、涙にくれながら魔導ライトニングランスを握りしめた。掌の中でバチバチと火花が散り、電光が彼女の氷に閉ざされた輪郭を照らす。
ガサンの目尻に一雫の涙が滲んだが、歩みは止まらない。彼は黙ってハロの傍らを通り過ぎ、その視線は矢のように一直線にミラの背後で氷を破ろうともがく異獣を射抜く。
「おい、ミラ……もう一度俺をブサイクと呼べ。お前だって……氷に閉ざされても、こんなにも……美しい!」
ハロの声は震え、乱れた金髪、涙はなお乾かず。だがその笑みに怒りが宿る。彼は歩み去る隊長を見据え、胸の悲憤を決断へと変えた。
「隊長――俺の雷脈を受け取ってくれ! 一緒に奴を斬るんだ!」
彼は怒号を上げ、両手で魔導ライトニングランスを地へ突き立てた。電光が瞬時に炸裂し、符紋に沿って洪流のように奔り、轟きを伴ってガサンの長刀の符紋へと流れ込む。
その刹那、空間全体が震え、大地そのものがこの一撃に力を導いているかのようだった。
「……誓守の刃。」
ガサンは誓いのように低く囁き、長刀の符紋が一斉に燃え上がる。氷藍の巨大な弧が刹那に膨れ上がり、その上を雷脈が絡み、斬撃は瞬時に「爆流断空」へと化す。
エドリックは短杖を強く握り、杖先の符紋が迅速に連鎖する。彼の視線はミラの氷像に釘付けられ、声が低く落ちる。
「ミラ……この一撃で安息を与えよう。」
短杖の符紋が閃光を放ち、導引陣列へと転じ、ガサンの爆流断空とハロの雷脈をさらに集約し、より精密な能脈の焦点へと凝縮する。
タリスの右頬を流れる血は氷に封じられ、魔導炎剣を肩に担ぎながら彼は口を裂いて笑った。その笑声には震えが混じっていた。
「アハハハ……本当に骨があるな……ミラ、お前は俺より狂ってる!」
「これが俺からの最高の敬意だ!」
「オオオォォ!」
タリスは天を仰ぎ怒号を放ち、跳躍して半空に舞い上がると魔導炎剣を猛然と振り下ろした――。
深紅の火柱が轟然と爆裂し、炎は巨獣のごとく空気を引き裂く。蒼藍の水刃が断空に奔り、水流は刃へと変じて街路の蒸気を切り裂く。銀白の符光は誓紋の導心から放たれ、聖言のように邪影を直撃する。金色の電脈は雷槍の奔流へと凝縮し、轟鳴を伴って長空を貫いた。
四系の力が同時に叩きつけられ、空気は瞬時に収縮し、力は氷盾封界の内部に集束する。標的はただ一つ――氷に封じられた異獣の核心。街区全体が震動し、火・水・光・雷が交錯して、戦場は破滅の色に染まった。
音は重く鋭く、まるで空間の裂け目が無理やり引き裂かれるかのようだった。骨板は金雷の脈撃に砕け、血の光は銀白に呑み込まれ、残片は蒼藍の水流に巻き込まれて散り、深紅の火柱が残滓を灰へと焼き尽くす。
異獣は叫ぶ暇すらなく、六つの眼は最後の瞬間に完全に光を失った。氷霜は裂け目に沿って急速に広がり、その躯殻を徹底的に封じる。巨体は崩れ、雪白の氷片へと砕け、烈焔の残燼とともに消え去った。
空気にはもはやあの忌まわしい悪臭も血腥さもなく、ただ氷霜の冷気と烈焔の残燼の灼熱が交錯していた。
雪白の破片は空に舞い落ち、赤・金・青・藍・銀の残光を映し出す。それはまるで彼女の遺した守護がなお流転しているかのようだった。
「願風歸途……」
屋内から人々が次々と歩み出て、その視線は氷に封じられた姿へと集まった。ミラの勇壮な姿は寒霜の中に刻まれ、まるで守護の碑銘のように静止している。
琉火族は氷像の前に立ち、掌に炎を灯しながらも外へ放たず、火を鎮める姿勢で頭を垂れる。それは戦意を敬意へと変える象徴だった。
樹族は肩に掛けていた藤葉を静かに摘み取り、氷像の前の地面に挿す。枝葉は垂れ下がり、彼女に永遠の庇蔭を築くかのようだった。
魚族は携えていた水袋を取り出し、清水を注いで氷像の足元に撒く。水光は氷晶に映え、彼女の魂を大海へと還すように見えた。
人族はただ静かに佇み、右手を胸に当て、低く誓いを呟く。その声は彼女の名を心脈に刻み込むものだった。
この荘厳な静寂の中で、一人の子供が父の衣の裾を引き、氷像を見上げながら純粋で困惑した声を発した。
「パパ、このお姉さんはどうして動かないの?」
父の眼差しは震えていたが、それでも揺るぎなく答えた。
「彼女は私たちを守っている……永遠に離れることはない。」
「風が......」
風の音が掠め、氷像の表面に細かな亀裂が瞬く間に広がった。次の瞬間、氷像全体が人々の目の前で無数の銀白の粉となり、風に舞い散って空気の中へ消えていった。
「カラン……」
澄んだ金属音が静寂を破った。人々の視線が一斉に集まり、氷の粉が散り尽くした後、地面に一つの物が落ちているのが見えた。
一人の少女が好奇心に駆られて前へ歩み寄り、身をかがめてその落ちたものを拾い上げた。
「それは……!!」
ハロは傍らに跪き、音を聞いた瞬間に視線を凝らした。赤く泣き腫らした目をこすり、焦点が次第に定まっていく。
「ねぇ……それを、見せてくれるか?」
少女はおずおずと両手を差し出し、掌には粗削りの木製の小盾が載っていた。
その盾の表面には簡素ながら深く刻まれた紋路があり、交差する線はハロの前額の編み込みに刻まれた紋様と寸分違わぬものだった。
ハロは息を詰まらせ、胸が急に締め付けられる。
その小盾を目にした瞬間、全身が裂かれるように震えた。
「わあああぁぁーーあああぁーー」
涙は制御できずに溢れ、嗄れた声での叫びは途切れた呼吸と混じり、胸腔に押し込めていた痛みを一気に吐き出すかのようだった。
それは単なる悲しみではなく、完全に崩壊した狂気の慟哭だった――肩を掴んで震え、あるいは両手で地面を掴み、指の関節が白くなるほど力を込め、砕けた石と氷霜の中に跪き崩れ落ちる。
彼の泣き声は小屋の外の空地に響き渡り、重く、乱れ、周囲の静寂を引き裂くかのようだった。人々はただ黙して見守るしかなかった。
なぜなら、この痛みは慰められるものではなく、ただ彼に吐き出させるしかなかった。
「ハロが……」
ガサンの声は低く、眼差しには憂慮が満ちていた。彼は制御を失った慟哭の姿を見つめながらも、止めようとはしなかった。
「隊長、今は思い切り泣かせてやりましょう……。」
エドリックは短杖を強く握り、深く息を吸った。眼差しは冷静を保ちながらも、涙が滲み出ていた。
「……うん。」
ガサンはしばし沈黙し、やがて頷いた。
彼は振り返り、視線をエドリックとタリスへと向け、疑念と抑えきれぬ焦燥を帯びた声で問う。
「そうだ、お前たちはどうしてここに来たんだ?他のみんなは?」
エドリックは重い表情で答えた。
「俺たちもさっき激戦をくぐり抜けた……ブレンを失ったんだ。彼は断橋の下で必死に抗い、ついに倒れた。石拳の護具はそこに残っている。最後に残した言葉は四文字――『隊長、ありがとう』。」
「ブレン……俺もありがとうと言わせてくれ。」
そう言うと、ガサンは頭を上げ、雲に隠れた月を見上げ、両手を固く握りしめた。
「サラは一人でそこに?」
ガサンは目を閉じ、エドリックに問いかけた。
「いや、彼女は俺たちと共に進んでいる。」
「途中で再び危機に遭い、異獣の群れに囲まれかけた。その時、琉火族を名乗る戦士タレンが現れた。彼は強く、二人の族人を連れて俺たちを救い出してくれた。」
「この辺りのエネルギーの波動が強すぎると感じたので、タレンたちには避難を最優先とする形で、サラと難民を導いてもらった。だから俺たちはここに来られたんだ。」
「アハハハハ――隊長、ずいぶんやられたな!」
タリスは朗らかな声で笑い、ガサンに「挨拶」を投げかけた。
「ところで、タリス……大丈夫か?」
ガサンは残骸の上に座るタリスへ視線を向けた。
「問題ない!せいぜい耳が一つ減って、サラの小言を少し聞き逃すくらいさ。アハハハハ――」
タリスは笑いながら、包帯を巻いた右耳を叩いた。
「無事ならいい……だが無理はするな。」
ガサンの声は低く、その眼差しはわずかに緩んでいた。
「エドリック、結界はまだ小型の異獣を防いでいる。三十分休んでから、予定の小屋へ向かう。」
「了解。」
エドリックは低く応じ、視線を屋内に入ってきたばかりのハーロに走らせた。
この三十分は単なる休息ではなく、感情を鎮めるための時間でもあることを、彼は理解していた。
ガサンは振り返り、ミラが倒れた場所へ歩み寄った。
夜空にはなお銀白の微粉がゆるやかに漂い、彼はその微光を見つめていた。
「勝った……ミラ……」
喉は乾き締めつけられ、声は胸の奥で途切れそうになる。
「俺は……本当に不甲斐ない隊長だな……みんな。」
彼は低く呟き、両拳を固く握りしめ、爪が掌に深く食い込み、痛みが彼をさらに意識をはっきりさせていった。
脳裏には失った仲間の姿が次々と浮かぶ――断橋で命を賭して抗ったブレン、倒れたミラと散った銀白の粉、そして最後の叫びを残した戦友たち。
黒雲が空を覆い、月光は途切れ途切れに降り注ぐ。それは応答のようでもあり、静かな裁きのようでもあった。
ガサンの身にまとう灰色のローブは夜風に揺れ、彼はただ静かに立ち、目を閉じて、この言葉にならぬ重みを夜の闇にゆっくりと沈めていった。
その先の道はーー
まだ、続いている。
>防衛隊の誓い。
ミラは自らの犠牲によって仲間を守り、勝利をもたらしました。この場面を書いている間、私自身も涙が止まらず、胸が締め付けられる思いでした。彼女の選択は悲しみでありながら、確かな希望でもあります。
そして――ハロが木製の小盾を目にした瞬間、心が崩れ落ちる場面がありました。なぜ彼がそこまで強い反応を示したのか。その答えは、次の幕間で語られる「誓いの物語」に隠されています。
是非楽しみにして下さい。




