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【第一話】 深夜のカップ麺:地味な宰相の「孤独な晩餐」と、迫りくる中華帝国の危機

読者の皆様、はじめまして。


この度、新作『宰相の椅子』の連載を始めさせていただくことになりました。

今の政治に、もどかしさや物足りなさを感じていませんか?

この国の未来を、心の底から「託したい」と思えるリーダーはいるだろうか――。

この物語は、そんな私自身の問いから生まれました。

舞台は、現代によく似た、少しだけ未来の日本。

国の“かたち”を巡り、二人の男がその全てを賭けて激突します。

ページをめくる手が止まらない、最高のポリティカル・エンターテインメントをお届けすることをお約束します。


どうぞ、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

それでは、第一話をお楽しみください。

 時刻は、とっくに今日と昨日の境目を越えていた。


 午前二時過ぎ。首相官邸の主である小林鷹志(こばやしたかし)は、百年以上の歴史を刻む壮麗な執務室の片隅で、電気ケトルのスイッチを入れた。プラスチックの硬い感触が、一日の疲労を吸い込んだ指先にやけにリアルに伝わってくる。カチリ、という無機質な音が、この国の頂点に君臨する男の、一日の終わりと、つかの間の休息の始まりを告げた。



 イタリア製の本革ソファも、かつての名宰相たちが愛した重厚なデスクも、今の彼にとってはただの背景だ。おもむろにコンビニのビニール袋から取り出したのは、見慣れたパッケージのカップ麺。特盛、ニンニク醤油マシマシ。およそ一国のリーダーの夜食とは思えぬそれに、彼は手慣れた仕草でフィルムを剥がし、かやくを乗せた。



 沸騰した湯を、白い麺の上に注ぎ込む。立ち上る湯気とジャンキーな香りが、凝り固まった脳をわずかに弛緩させた。


 蓋の上にプラスチックの箸を乗せ、スマートフォンを手に取る。待ち時間は、3分。


 国会答弁なら、野党の質問に三つは答えられる時間だな――。


 そんなことを考えながら、指は無意識にSNSアプリ「Y」を開いていた。



 画面には、案の定と言うべきか、自分に対する辛辣な言葉が並んでいた。


『#小林総理の答弁は退屈』


『地味すぎる』


『面白い話の一つもできないのか』


『官僚答弁』



 彼は、その一つひとつを、まるで他人事のように無表情でスクロールしていく。傷つかないわけではない。だが、とうに慣れていた。自分には、人々を熱狂させる才能がないことなど、誰よりも本人が理解している。


 不意に、指が止まった。


『#小泉総理誕生』


 そのハッシュタグの下には、まるで光そのものを凝縮したような、笑顔の男の写真が溢れていた。熱狂的な支持者たちの、希望に満ちたコメントが滝のように流れていく。



 ――太陽、か。



 小林は自嘲気味に呟くと、スマホの電源を切り、ちょうど3分経ったカップ麺の蓋を開けた。



「またそれか」


 重厚な扉が、ノックもなしに静かに開いた。


「日本のトップが栄養失調で倒れたら、中華帝國が祝杯をあげるぞ」


 声の主は、この部屋にその作法を許された唯一の男。仕立ての良いスーツを着崩した長身の男、首相特別補佐官の黒木圭介(くろきけいすけ)だった。彼はそう言いながら、小林のデスクの隅に置かれた家族写真に一瞬だけ目をやり、すぐに逸らした。



「一番安い警備だろ」


 小林は、麺をすすりながら答えた。濃すぎる化学調味料の味が、麻痺した舌を無理やり叩き起こす。これが、今の俺に必要なエネルギー源なのだと、自分に言い聞かせるように。


「俺が倒れれば、喜ぶ奴がこの永田町にも大勢いる」


「違いない」


 黒木は肩をすくめると、ソファに深く腰を下ろした。


「特に、太陽みたいにキラキラした挑戦者殿は、大喜びだろうな」



 小林は何も答えず、黙々と麺を口に運ぶ。その沈黙が、彼の内に秘めたプライドと、隠しきれない焦りを物語っていた。



 黒木は、小林のデスクに山と積まれた資料の中から、一枚のペーパーをこともなげに抜き取った。


「また深夜まで、こんなものを読んでいたのか。『全国の公立小学校における給食費無償化に関する予算措置について』…。まったく、票にもならんことを」



「大きな絵だけでは、子供たちの腹は膨れない」


 小林は、初めて箸を止めた。その目には、反論ではなく、純粋な信念の色が浮かんでいた。


「どんなに立派な国家観を語っても、明日の給食費に悩む親子が一人でもいるなら、それは政治の敗北だ。俺は、そういう当たり前を守りたいだけだ」



 その言葉に、黒木は何も言い返さなかった。ただ、ふっと口元を緩めると、「さて」と立ち上がった。


「腹ごしらえは済んだか? ならば、本題だ」


 ふざけたような態度が一変する。彼の目が、友人の目から「国家の懐刀」の目に変わった。



 黒木は、常に持ち歩いているアタッシュケースから一枚の衛星写真を滑らせるようにデスクに置いた。


 そこに写し出されていたのは、南の海の軍港。おびただしい数の灰色のシルエット――中華帝國の軍艦が、まるで巨大な鮫の群れのように、出撃の時を待っていた。



「3時間前の偵察衛星のデータだ」


 黒木の声は、どこまでも冷たかった。


「奴らは本気で台湾を獲りに来るかもしれん。そうなれば、沖縄も、俺たちが毎日食ってる翰国産のキムチも、ユニフィア・ステーツから来る小麦も、全部止まる」



 黒木は、小林のカップ麺を、あごでしゃくった。



「その麺が、今の3倍の値段になる日も、そう遠くないかもしれんぞ」



 小林の箸が、止まった。


 さっきまで温かかったはずのスープが、急速に冷えていくように感じた。食欲を刺激していたはずのニンニクの匂いが、今はまるで腐臭のように鼻についた。写真の中の軍艦の群れが、日本の穏やかな日常に喰らいつこうと、牙を剥いているように見えた。



 彼は、食べかけのカップ麺を静かに脇に置くと、写真から目を離さずに言った。



「……だからこそ、だ」


「ああ」


 黒木が応える。



「この総裁選、絶対に負けるわけにはいかない」



 その瞳には、先ほどまでの疲労の色はなかった。ただ、この国のすべてを背負うことを決めた、宰相の覚悟の光だけが、静かに、そして強く宿っていた。


 窓の外では、何も知らぬ首都の灯りが、まるで宝石箱のように煌めいていた。



(第一話 了)



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


第一話「深夜のカップ麺」、いかがでしたでしょうか。


国民の日常を守るため、孤独に戦う《盾の宰相》小林鷹志。

しかし、彼の前に立ちはだかるのは、時代の“風”をその身にまとう、あまりにも強大なライバルでした。


次回、第二話『太陽の挑戦者』。

地味な宰相とは対照的に、光り輝くカリスマ・小泉新次郎が登場します。


彼が放つ言葉は、いかにして国民を熱狂させるのか。


そして、小林陣営を襲う、絶望的な数字とは――?


どうぞ、次回の更新を楽しみにお待ちください。

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