第96話「メル先生、爆誕」
釣りを堪能した次の日の朝。
僕は朝食を終え食後の運動がてら屋敷の廊下をのんびりと歩いていた。
角を曲がったところで、ちょうど向かいから、ドジっ子のメイド・メアリーが、シーツか何かを山のように抱えて、ふらふらとやってくるのに出くわした。
「ひゃっ、重いですぅ!まっすぐ歩けません……!」
「メアリー、それ、やばいんじゃない?」
「あっ、メルヴィン様!だ、大丈夫ですぅ!これくらい、一人で運べますから!」
《警告。メアリーの歩行安定性が著しく低下。95%の確率で3秒以内に転倒します》
(やっぱり)
「わっ!」
案の定、メアリーは自分の足をもつれさせ、抱えていた洗濯物の山ごと前に倒れ込む。
「おっと」
メアリーが体勢を崩したのとほぼ同時に僕はとっさに魔法を使った。
彼女が抱えていた洗濯物の山が、ふわりと宙に浮かぶ。
「え?え?浮いた!?わわっ!」
「ほら、気をつけないと」
「助かりましたぁ!ありがとうございますぅ!」
「どういたしまして。次は無理しない量を持ったほうがいいよ」
「はいですぅ!がんばります!」
メアリーは軽くなった洗濯物を抱え直し、廊下の向こうへと消えていった。
その背中を見送っていると後ろから声がした。
「――メルヴィン君」
振り向くと少し離れた場所にフェリクスさんが、目を丸くして立ちっていた。
(げ、見られた)
その目は深い好奇心と驚きで、まっすぐに僕を見つめていた。
「……メルヴィン君。今の……」
「え、なにが?」
「今の魔法だよ!風魔法による浮遊であれば物体を丸ごと持ち上げるはずだ。だが、今のは……物体の重さだけを消したのか?」
フェリクスさんは、ぶつぶつと分析を続ける。
「あんな形のはっきりしないシーツの山に、どうやってあれほど正確に……?なんという精密な魔法なんだ!」
「そんな大した魔法じゃないんだけど……」
「王宮の研究所でも見たことがないぞ!私は!」
フェリクスさんは、突然、僕の肩をがしっと掴んだ。
「私は!攻撃魔法や防御魔法、大規模な結界術ばかり研究してきた!だが、魔法を!洗濯物のために!あんなにも繊細に応用しようなどと、考えたこともなかった!!」
「は、はあ……」
「君の魔法の使い方は、本当に面白いね!」
僕が若干引き気味になっていると、どこからかイリ姉の声が聞こえてきた。
「なーにやってるのよ、あんたたち」
「あ、イリス君!ちょうどいいところに!今、メルヴィン君の素晴らしい生活魔法について話していたんだよ!」
「はあ?生活魔法?なによそれ」
フェリクスさんが、さっきの洗濯物の一件を興奮気味に説明する。
「ふーん。メルはいつもそんな感じに変な魔法を使ってるから気にもしてなかったわ。まあ、やろうとすれば私もできるけどね!!」
「ほう?イリス君にもできるのかい?それは面白い!」
フェリクスさんは、ちょうど窓から見えた中庭を指差した。
「では、あそこに見える中庭の掃除……あれも魔法でできるのかい?」
「当たり前じゃない!メル!あんたより先に私が綺麗にしてあげるわ!」
イリ姉はそう言うなり中庭へ駆けだした。
「あ、ちょっと待ってよイリ姉!僕は別にそんなことしたくないのに……」
「ははは、これは面白くなってきたねえ」
◇
僕たちが中庭に着くと、ちょうど庭園担当のメイドであるソフィアが、大きな箒を持って落ち葉を掃除しようとしているところだった。
「あら、メルヴィン様!イリス様も!皆様お揃いで、どうかなさいました?」
ソフィアが僕たちに気づき、きょとんとした顔で挨拶をする。
イリ姉が待ってましたとばかりに仁王立ちになった。
「ソフィア!ちょうどいいわ!」
「は、はい?なんでしょうか、イリス様?」
「その掃除、私が魔法で一瞬で終わらせてあげる!だから、あなたは休んでていいわよ!」
「ええっ!?ま、魔法で、ですかぁ!?」
「そうよ!掃除なんて魔法でやれば一瞬よ!見てなさい!」
イリ姉が自信満々に前に出る。
「集え大気の息吹、風よ集いて吹き飛ばせ【ウィンド・ブラスト】!!」
イリ姉がドヤ顔で手を突き出すと、その手から突風が吹き荒れた。
落ち葉や土埃が一瞬にして舞い上がったが――。
ばさぁっ……!
風が止むと土埃は余計に広がり、落ち葉は近くの植木鉢の周りや手入れされた茂みの上に散らばってしまった。
掃除する前より、ひどい有様だ。
「な、なんでよ!」
「ふむ、力押しはダメみたいだね。ただ吹き飛ばすだけでは落ち葉が舞うだけだ」
フェリクスさんが学者の顔で分析する。
「こういうのは集めるべきだ。【サイクロン】!」
フェリクスさんが軽く指を振ると、中庭に小さな竜巻が生まれようとした……が。
「あっ、危ない!」
竜巻はフェリクスさんの想像以上に強力だったらしく、中庭に置いてあった植木鉢をガタガタと揺らし始めた。
「おっと、いけない。少し魔力を込めすぎたかな?」
フェリクスさんが慌てて魔法を解く。
彼は戦闘や大規模魔法の天才だが、こういう加減は苦手らしい。
「もう、二人とも何やってるの……」
『ナビ、あの二人、なんであんなにうまくいかないの?』
《はい。イリス様は魔力の出力が不安定すぎます。フェリクス氏は、戦闘魔法に特化しているため、魔力の加減ができていません。どちらも「清掃」という精密作業に必要な魔力制御が雑すぎますね》
『要するに、二人とも大雑把ってことか。やれやれ』
僕はため息をつくと二人に声をかけた。
「イリ姉もフェリクスさんも力が入りすぎなんだよ。掃除は吹き飛ばすんじゃなくて集めないと」
「ほう?メルヴィン君。では、どうすれば効率的に集められるというんだい?」
「もっとこう……そよ風みたいに優しく魔力を使わないと。魔法って攻撃とか防御とかだけじゃなくて、こういう地味なことを毎日使って練習することが大事なんだと思うよ」
「毎日の地味な練習か。なるほどねえ……攻撃魔法というものは、いかに魔力を込めるか、いかに術式を早く構築するかが重要でね。一度覚えてしまえば、そこまで細かい魔力制御の練習は、必要ないと思っていたよ」
フェリクスさんは目を輝かせて僕に向き直った。
「メルヴィン君。ぜひ、君のお手本を見せてもらえないだろうか?」
「うん。お手本ってわけじゃないけど、僕ならこうやるかな」
『ナビ、さっき言った「そよ風」のイメージでいくよ。サポートお願い』
《了解しました。メルの魔力制御を最適化します》
僕の手のひらから、魔法とは気づかないほどの「そよ風」が生まれた。
その風は石畳の上を這うように、まるで意思を持ったかのように進んでいく。
落ち葉は、その風に導かれ、ダンスでも踊るかのようにクルクルと集まっていき、あっという間に中庭の隅っこに落ち葉の山が出来上がった。
「「…………」」
イリ姉も、フェリクスさんも、口をぽかんと開けて固まっている。
「なっ……なんで……あんな綺麗に集まるのよ……」
「風の強弱だけじゃない。流れを面ではなく線で制御しているのか……。なんという繊細な魔力制御だ」
フェリクスさんは中庭の隅にできた落ち葉の山を、ただじっと見つめていた。
そして小さく息を吐いた。
「……負けたよ」
「え?」
「私が間違っていた!メルヴィン君!」
フェリクスさんは僕の前に進み出ると、僕の肩をがしっと掴んだ。
「その落ち葉を踊らせるような繊細な制御……!破壊力や派手さばかりを追い求めていた私には、眩しすぎる!魔法の真髄は生活だ!」
(なんだか、とんでもない勘違いをされてる気がする……)
フェリクスさんは、目を輝かせたまま僕の手を握った。
「メルヴィン君!いや、メル先生!どうか、私にその生活魔法の極意を教えてはくれないだろうか!」
「……えええええ!?」
「先生ですって!?」
僕の悲鳴とイリ姉の驚きの声が、静かな中庭に響き渡った。




