第94話「コンちゃんの友達」
(んん……)
まぶた越しにも、部屋が明るくなっているのが分かる。
窓から差し込む秋の日差しが、頬に当たって心地いい。
(もう朝か……。昨日はフットサルで疲れたし、もう少し寝ていたいな……)
僕は布団の中で身じろぎすると、もう一度、心地よい微睡みの中へ沈もうとした。
――ドンドンドンッ!!
「メルー!起きなさい!もう朝よ!」
(うわ……来た……)
朝から元気すぎる姉の声だ
僕は完全に無視を決め込み、布団を頭まで深くかぶった。
静かにしてれば、そのうち諦めていなくなるはずだ。
「ちょっと、メル!聞こえてるんでしょう!?」
ガシャガシャ!と、ドアノブが乱暴に回される音が響く。
「なんで鍵なんて掛けてるのよ!早く開けなさい!この!」
僕は耳を塞ぐように布団を強く引き寄せ、再び意識を手放そうとした。
その時、廊下から落ち着いた声が聞こえてきた。
「イリス様、朝からどうかなさいましたか?」
「あ、エリス!ちょうどいいところに!メルったら部屋に鍵をかけて起きないのよ!」
「まあ、大変。でしたら、こちらをどうぞ、イリス様」
「え?なにこれ鍵じゃない。なんでエリスが持ってるのよ」
「最近メルヴィン様が、よくお部屋に鍵をかけていらっしゃるので、万が一のことがあってはいけないと思いカトリーナ様に許可をいただいて合鍵を預かっておりました」
(やばいやばいやばい!入ってこられる!)
『ナビ!今すぐ、あの鍵が開かないようにして!なんでもいいから!』
《了解しました。最も効率的かつ外部からの物理的干渉に対抗できる方法は、扉の内側にある施錠用のツマミを魔力で直接固定することです。メルは扉のあのツマミが固く動かなくなるイメージで魔力を流し込んでください》
(それだ!いけーっ!)
「ふふん、これでもう逃げられないわよ……あれ?鍵が回らないんだけど!?」
「イリス様、落ち着いてください。まあ、本当ですわね。まるで内側から誰かがツマミを必死で押さえているかのようです。メルヴィン様……?」
エリスの呆れを含んだ声が扉越しに聞こえる。
僕が再び布団に潜り込み、今度こそ二度寝に戻ろうと安堵のため息をつこうとした、まさにその時だった。
「おや、朝から随分と賑やかだねえ。どうしたんだい?」
「あ、フェリクス様!あのね、メルを起こしにきたんだけど、鍵が開かないの!きっとメルが鍵に魔法をかけて開かないようにしてるのよ!」
「ほう?鍵に魔法を?」
フェリクスさんの興味深そうな声。
ガチャ、ガチャとドアノブを確かめる音がした。
「……ふむ」
彼は扉にそっと手のひらを当て、何かを探るように目を閉じた。
「……なるほど。術式による施錠ではないね。これは……魔力による純粋な物理圧着か。なんという力業と精密さだ。面白い」
フェリクスさんの声が、一層楽しそうな響きを帯びる。
「メルヴィン君、起きているんだろう?その力業、実に興味深いが……力には力で対抗するだけが能じゃないよ」
『ナビ、あの人、何する気?』
《解析します。対象はメルが流し込んでいる魔力そのものに干渉しようとしています。メルの魔力の結合だけを、そっと解いてしまうつもりのようです。非常に繊細な制御ですね》
「――さて、と。ちょっと失礼」
フェリクスさんが、まるで扉に挨拶でもするかのように軽く手のひらを当てた。
すると、僕が込め続けていた魔力が、まるで最初から存在しなかったかのように、綺麗さっぱり消え去ってしまった。
(えっ!?)
ガチャンッ!!
「あ、開いた!やった!」
その音を聞いたイリ姉が、待ってましたとばかりにドアノブを回し、勢いよく扉が開け放たれる。
「ほらメル!さっさと着替えて顔を洗いなさい!みんな待ってるわよ!」
僕は布団の中から上半身だけを起こし、ジトっとした目でお邪魔虫二人を睨みつけた。
「……うるさいなあ。僕は昨日のフットサルで疲れてるんだよ。こんな日くらい、ゆっくり寝かせてくれたっていいじゃないか」
「はあ!?あんた、疲れてなくてもいつも寝てばっかりでしょ!何を言ってるのよ、このバカメル!」
「いやはや、素晴らしい魔法だね!メルヴィン君!」
そんな僕たちのやり取りなどお構いなしに、フェリクスさんが目を輝かせて部屋に入ってきた。
「いやあ、素晴らしい魔法だね!メルヴィン君!あの冷却魔法や氷の造形とは全く系統が違う、純粋な物理干渉系だ!一体どういう理論で物理的に固定を!?教えてくれよ!」
(ああ……僕の二度寝が……)
僕は観念して深いため息をついた。
「わかった、わかったから!とにかく着替えるから、二人とも出てって!」
「む……。まあ、着替えとあらば仕方ないか。だが、メルヴィン君!その話の続きは、朝食のテーブルでじっくり聞かせてもらうからね!」
「そうよ!早く来なさいよ、メル!みんな待ってるんだから!」
イリ姉とフェリクスさんが部屋から出ていく。
僕はため息をつきながら急いで着替えると、ダイニングルームへと向かった。
中に入ると、既に家族とフェリクスさんが食卓についており、僕の席だけがぽっかりと空いていた。
「まあ、メル。おはよう。やっと起きてきたのね」
母様は、おっとりと微笑みながら僕を迎えてくれたが、父様は面白そうにニヤニヤしている。
「おはよう、メル。フェリクス相手に、随分と派手に抵抗をしていたようだな」
「……おはようございます」
僕が少し気まずい思いをしながら席に着くと、待ってましたとばかりに、向かいに座るフェリクスさんが目を輝かせて口を開こうとした。
「あ、メルヴィン君!さっきの扉の――」
「あ、メルやっと来たわね!それよりフェリクス様!」
フェリクスさんの言葉とイリ姉の甲高い声が見事に重なった。
もちろん声の大きさで勝ったのはイリ姉だ。
「さっきの話の続きですけど、王宮ではどんな魔法を使うんですか!?火の玉とか出すんですか?竜巻とか!」
イリ姉は僕の地味な魔法よりも派手な魔法に興味津々で、フェリクスさんに質問攻めを始めている。
「はは、火の玉ねえ。まあ使うこともあるけれど……」
(よし、助かった!さすがイリ姉、こういう時は役に立つ!)
僕は、なにやら盛り上がっている二人の会話をBGMに、さっさと朝食を済ませると、そっと席を立ち厨房へ向かった。
◇
厨房の扉を開けると、ちょうど仕込みをしていたヒューゴが顔を上げた。
「ヒューゴ、お願いがあるんだけど」
「おお、坊ちゃま。どうなさいました?」
「今日の僕のお昼ご飯、何か簡単なものでいいから、お弁当みたいに包んでくれないかな?あ、それと、コンちゃん……じゃなくて、森の動物にあげるかもしれないから、パンの耳とか、お肉の切れ端とかも少し包んでもらえると嬉しいな」
「ほう、森でピクニックですかな?承知いたしました!森の動物たちにもおすそ分けとは、坊ちゃまは優しいですなあ」
ヒューゴは手早く僕の分のお弁当と、動物用の包みを用意してくれた。
僕はそれを受け取ると、フェリクスさんやイリ姉に見つからないよう厨房の裏口からこっそりと屋敷を抜け出した。
目指すは僕だけの静かなお昼寝ハウスだ。
僕は誰にも見られない森の茂みに入ると、ふわりと飛行魔法で宙に浮いた。
◇
木々の梢をかすめるように飛び、あっという間に小川のせせらぎが聞こえる、いつもの場所にたどり着く。
「ふう……。やっぱりここが一番落ち着くなあ」
僕は小さなログハウスの前に降り立った。
屋敷の喧騒が、まるで嘘のようだ。
僕は家の扉を開けて中に入った。
部屋の隅には、僕が魔法で作った苔と柔らかな草で編んだコンちゃん専用の小さなベッドがある。
そこに茶色い毛並みが丸くなっているのが見えた。
「コンちゃん、ただいま」
「きゅん!」
「はは、すっかりくつろいじゃって。もうここはコンちゃんの家みたいだね」
僕はその頭を撫でながら、持ってきた包みを見せた。
「元気だったかい?今日はヒューゴからお土産もあるんだぞ」
「きゅんきゅん!」
コンちゃんが嬉しそうに飛び跳ねる。
僕が包みからハムの切れ端を取り出して見せると、コンちゃんはさらに興奮したように小さく鳴いた。
その時、ふと、コンちゃんがさっきまでいた専用ベッドのあたりから、カサ…と別の物音が聞こえた。
(ん?何かいる……?)
物音はコンちゃんのベッドのすぐ奥、僕が魔法で作ったコンちゃん専用の小さな木製扉のあたりから聞こえてきた。
『ナビ、あの扉の奥、何かいない?』
《はい。微弱な生体反応を感知します》
僕が不思議に思っていると、コンちゃんが、その小さな扉に向かって「きゅるる」と、まるで安心させるかのような優しい鳴き声を立てた。
「コンちゃん、あそこに何かいるの?」
僕がそう言うと、暗がりから、おずおずと小さな影が姿を現した。
それはコンちゃんよりも一回り小さい、もう一匹の子狐だった。
(えっ、狐が二匹!?)
「コンちゃん、その子は?」
僕が驚いてコンちゃんに話しかけると、ナビが即座に状況を分析してくれた。
《コンちゃんが、自身のテリトリーであるこの家に仲間を招き入れたものと推測されます》
『そっか。友達を連れてきたのか』
その子狐は僕の姿を見るなり「きゅっ!」と怯えたような声を出し、すぐに引っ込もうとする。
僕は、その臆病なお客さんを驚かせないよう、ゆっくりとベッドに腰を下ろした。
そしてお弁当の包みから、パンの耳を小さくちぎると、子狐が隠れている扉の近くの床に、そっと転がした。
「大丈夫だよ。ほら、君の分」
その子狐はパンの匂いに誘われたのか数秒ほど僕とコンちゃんを見比べた後、おずおずと暗がりから出てきた。
パンをぱくりと口にくわえると、素早く隅っこに戻り、そこでシャクシャクと美味しそうに食べ始めた。
コンちゃんは、友達ができて嬉しいのか満足そうに鳴いて、すぐに眠りに落ちてしまった。
子狐も隅っこでパンを食べ終えると、やがてその場で丸くなり小さな寝息を立て始めた。
(よし、お昼寝の準備は整った)
僕は、ヒューゴが作ってくれたお弁当の包みを傍らにそっと置くと、特製のベッドに、ごろんと大の字に寝転がった。
水晶の窓から差し込む木漏れ日が、優しく床を照らしている。
耳に届くのは、遠くの小川のせせらぎと風が木々を揺らす音、そして二匹の小さな動物たちの、すやすやという寝息だけ。
(ああ、最高だ……)
やっぱり、こうでなくっちゃ。
『ナビ、おやすみ』
《はい、メル。良いお昼寝を》
新しい友達が増えて少しだけ賑やかになった秘密基地。
僕は、これ以上ないほどの満足感に包まれながら、最高のお昼寝へと意識を沈めていくのだった。




