第93話「魔法は反則」
「よし、腹ごしらえも済んだし、広場に行くぞ!」
ルカの元気なひと言に促され僕たちは木漏れ日亭を出て広場へ向かった。
広場のコートには村の若者たちが数人集まって練習していた。
フットサルは村の男たちにとってすっかり人気の遊びになっている。
「おっ、メル坊ちゃまだ!それと、アルフさん!」
村の人たちはフェリクスさんのことを、アルフさんと呼んで親しんでいるようだった。
「やあ、皆さん。このフットサルとやら、実に興味深い遊戯だと聞いているよ。ぜひ、私も参加させてもらえないかな?」
「えっ、アルフさんもやるんですかい?」
「へえ、面白そうだ!いいですとも!」
「よし、じゃあチーム分けだ!」
ルカが元気よく手を叩くと、集まった村の若者たちも「おう!」と応じた。
「えーっと、俺と、アルフさんと、イリ姉がこっちな!」
「ちょっと待ちなさいよ、ルカ!なんであんたが勝手に決めるの!」
イリ姉がすぐに抗議する。リリィがやれやれという顔で間に入った。
「二人とも落ち着いて。ええと、私たちとアルフさん、それと村の人たちで……全部で11人ね」
「うわ、本当だ。奇数じゃんか。どうすんだよ」
ルカが頭を掻く。
「ふむ、5対6では公平性に欠けるね」
フェリクスさんも、腕を組んで真面目に悩んでいる。
(よし、来た……!)
僕は待ってましたとばかりに、そっと手を挙げた。
「じゃあ、僕が審判をやるよ。この前の大人たちの試合みたいに、ちゃんと反則とか見てた方がいいでしょ?」
「えー、メルもやりなさいよ!運動不足になるわよ!」
「いいんだよ。僕はこっちの方が得意だから。ね?これで5対5。ちょうどいいだろ?」
「よし、じゃあメルは審判な!助かるぜ!」
チームは、ルカ、イリ姉のAチーム。
そして、フェリクスさん、リリィがBチームとなった。
「フェリクスさん。さっき、来る途中にルカたちが説明してましたけど、ルールは大体わかりました?」
僕の問いかけに、フェリクスさんは「ああ、もちろん」と、なぜか難しい顔で頷いた。
「実に興味深い。手を使ってはいけない。あの枠に球を入れれば得点。要は足を使った陣取り合戦というわけだ。実に…動的な幾何学だね」
「なんだか難しいことは分かんねえけど、いくぜ!アルフさん!」
笛の代わりにルカの叫び声が響き、試合が始まった。
◇
前半戦。フェリクスさんは、やはり運動不足なのだろう、動きがぎこちない。
ルカやイリ姉にボールを簡単に奪われ、コートの隅で呆然としていることが多かった。
(よし、これなら心配ないな。ただの運動神経の鈍いおじさんだ)
僕は広場の端に座り込み、審判らしい仕事もせずに、のんびりと空を見上げていた。
しかし、五分ほど経った頃だろうか。フェリクスさんは急に、試合の動きについていくのをやめた。
彼はコートの真ん中に立ち止まり、まるで彫像のように動かない。
その青い目は、ボールとボールを追いかけるプレイヤーたちの動きを、じっと追っていた。
「おい、アルフさん、動けよ!ボールがそっち行ったぞ!」
ルカが叫ぶが、フェリクスさんは「ふむふむ」と頷くだけで、あまり動こうとしない。
(……なんか、やる気ないのかな?それならそれで、こっちも楽だけど)
僕が審判という名の傍観者に戻ろうとした、その時だった。
ルカが相手チームのディフェンスを抜けて、無人のゴールに向かって決定的なシュートを放った!
「もらったぁ!」
誰もがゴールを確信した、まさにその瞬間。
「おっと」
まだコートの真ん中あたりに突っ立っていたフェリクスさんが、ゴールに向かって軽く人差し指を振った。
すると、ゴールに向かって転がっていたボールが、ゴールラインを割る寸前まるで壁にでもぶつかったかのように真横にポーン!と弾き飛ばされたのだ。
「「「…………え?」」」
全員が口を開けて固まった。
ボールは明後日の方向に転々と転がっている。
フェリクスさんは不思議そうに首を傾げた。
「……ふむ。何か問題でも?」
「「「ずるいぞー!!!!」」」
広場に、今日一番の大ブーイングが響き渡った!
「なんだよ今の!なんか変だぞ!」
「そうよ!ボールが勝手に横に飛んでったじゃない!」
「壁に当たったみたいだったぞ!」
「絶対魔法じゃねえか!」
「そんなのありかよ!反則だ!反則!」
ルカとイリ姉を筆頭に、全員がフェリクスさんに詰め寄る。
フェリクスさんは、ブーイングを浴びながらも、心底不思議そうな顔をしていた。
「おや?なぜだい?ルールは手を使ってはいけないだろう?私は手も足も使っていない。魔法で空気を制御して壁を作っただけだ。論理的には問題ないんじゃないか?」
「「「問題ないわけないだろ!!」」」
みんなの声が、綺麗にハモった。
「魔法を使うのは反則に決まってるだろ!」
「そうよ!そんなのありなら、勝負にならないじゃない!」
「ふむ……。ルールブックには魔法の使用を禁ずるとは明記されていなかったが……」
「そうだ!審判!審判がいるじゃない!」
「「「審判!!!」」」
みんなの視線が、コートの端で傍観していた僕に一斉に突き刺さる。
「メル!今の、反則か、反則じゃないか、はっきり決めてくれ!」
僕は、いきなり騒動の中心に放り込まれてしまった。
(判断するまでもない。普通に考えて魔法を使ったら反則に決まってるじゃないか!なんでこの人あんな堂々としてるんだ……!?)
僕が頭を抱えていると、それまで黙って僕たちのやり取りを見ていたリリィが、フェリクスさんに向かって、こほん、と一つ咳払いをした。
「アルフさん」
「おや、どうしたんだい?リリィ君」
「この遊びは、みんなで楽しくボールを蹴るためのものです。魔法を使ってしまったら、魔法を使えない人たちが楽しめなくなってしまいます」
「む……」
「メル様がこの遊びを教えてくれた時、一番大事なのは、みんなで楽しむことだって言ってました。だから、魔法を使うのは、その一番大事なルールに反していると私は思います」
リリィの子供らしいが、まっすぐな言葉。
それを聞いたフェリクスさんは、一瞬きょとんとした顔をしたあと腹を抱えて笑い出した。
「は、はは、ははは!なるほど!参ったな!みんなで楽しむことがルールか!それは確かに、私の盲点だったよ!」
彼は涙を拭いながら僕たちに向かって軽く頭を下げた。
「いや、すまなかった。どうやら私の方が、この遊戯の本質を理解していなかったようだ。素晴らしいルールだね、それは」
フェリクスさんの素直な謝罪に、みんなも毒気を抜かれたようだ。
「……まあ、分かればいいんだよ」
「次からはダメだからね!」
(この人、本当に掴みどころがないな……)
結局、試合は仕切り直しになったけれど、フェリクスさんは「いやあ、私はもう満足したよ。理論は理解できたからね」と言って、あっさりとコートの端に座り込んでしまった。
「えーっ!なんだよアルフさん、もう終わりかよ!」
「おい、ちょっと待てよ!」
「そっちが一人抜けたら、こっちは5人、そっち4人じゃねえか!公平じゃないだろ!」
「じゃあ、あんたたちのチームが一人抜ければいいじゃない!」
「はあ!?なんで俺たちが抜けなきゃなんねえんだよ!」
「そうだ!メルがBチームに入れば、5対5だ!」
ルカが、名案だと言わんばかりに叫んだ。
「決まりだな!」
「それが一番公平だ!」
「さあ、メルヴィン様!」
(えええ!?僕は審判だって言ったのに!)
こうして僕は審判という快適なポジションを剥奪されコートへと引きずり出されたのだった。




