第9話「食卓から始まる、未来の話」
その日の夕食の食卓には、先日僕が市場で見つけた、あのいい匂いのする魚料理が並んでいた。
厨房に持ち帰ったフェリスハーブを、料理長のヒューゴが早速研究して、屋敷のメニューに取り入れてくれたのだ。
ふわりと立ち上る、香ばしい魚の匂いと、ハーブの爽やかな香り。
その匂いだけで、お腹が「ぐー」と鳴ってしまいそうだ。
「うむ、この香草は実にうまいな。ただの塩焼きが、これほど豊かな味わいになるとは」
父アレクシオが、満足げに一つ頷きながら、魚を口に運んでいる。
「しかし、驚いたな。庭の隅に生えている、ただの雑草だと思っていたものが、こんな風に使えるとは」
レオ兄様が、魚に乗った緑の葉をフォークの先でつつきながら、感心したように言った。
「ほんとよ! よくあんな草を料理に使おうなんて思ったわよね。メルはやっぱり、ちょっと変わってるわ」
イリ姉は、少しだけ呆れたように言いながらも、その口は休むことなく動いている。
「ふふ、メルは面白いことを思いつくのよ」
母セリーナがにこにこと嬉しそうに言う。
家族みんなが、この新しい味を気に入ってくれたみたいで、僕はなんだか嬉しくなった。
『ナビ、みんな喜んでるね』
《はい。食事による幸福度の向上は、家族関係の円満化に直結します。良好な結果です》
ナビの言葉に、僕は満足げに頷く。
《この『フェリスハーブ』は、嗜好品としての価値が非常に高いと予測されます。現状では領地内での自家消費に留まっており、その経済的価値はゼロです》
『けいざいてきかち?』
《簡単に言えば、お金になっていない、ということです。非常にもったいない状態ですね》
もったいない。
その言葉が、僕の頭に引っかかった。
僕の快適なスローライフのためには、お金は、たぶん、たくさんあった方がいい。
何もしなくても、毎日お昼寝して、美味しいものを食べて暮らしていけるくらいには。
僕は、もぐもぐと魚を咀嚼しながら、父様に顔を向けた。
「お父様」
「ん? どうした、メル」
「この葉っぱ、村の外の人も、食べたいって思うかな?」
僕の唐突な質問に、父様はきょとんとした顔をした。
「ははは、そうだな。きっと、食べたがるだろうな」
「このお魚、他の街で売ったら、お金いっぱいになる?」
僕の、あまりにも直接的な言葉に、食卓の空気が一瞬だけ止まった。
最初に吹き出したのは、イリ姉だった。
「ぷっ! なによメル、あんた、お金の話なんてするの? 食いしん坊なだけじゃなかったのね!」
「まあ、メルったら。もうそんなことを考えるの?」
母様も、くすくすと笑っている。
父様も、最初は楽しそうに笑っていた。
でも、その表情が、ふと、真剣なものに変わった。
「……待てよ」
父様は、手に持っていたフォークを置くと、腕を組んで考え込み始めた。
「セリーナ。この香草だが、他の土地でも生えているのを見たことがあるか?」
「いいえ? 私も、このフェリスウェル領でしか見たことがありませんわ。昔から、どこにでも生えている草ですもの」
「そうか……そうだよな。俺も、王都にいた頃には、こんな香りのする料理は食べたことがなかった……」
父様の独り言に、レオ兄様が反応する。
「父上、もしや、この香草は当領地固有の植物である可能性がある、と?」
「ああ、その通りだ。もし、そうだとしたら……」
父様の目の色が変わった。
それは、優しい父親の目ではなく、領地を治める領主の目だった。
「もし、この香草の独占販売権を我々が持てば……。これは、とんでもない財産になるかもしれんぞ……!」
父様は、興奮したように声を上げた。
「乾燥させて、長期保存可能な『香辛料』として売ることもできる! 油に香りを移して、高級な『香油』として売ることもできるかもしれん!」
「まあ、あなた!」
「レオ! お前も考えろ! 他にどんな使い道がある!?」
父様の言葉に、それまで静かだった食卓が、一気に熱を帯び始めた。
◇
僕は、大人たちが何やら難しい顔で盛り上がっているのを、いつものように、ぽやんと眺めていた。
イリ姉だけが、「なによ、食事中に難しい話しないでよ!」と、少しだけ不満そうだ。
やがて、父様は椅子から立ち上がると、大きな声で言った。
「ヒューゴを呼べ! それから、村の商業を取り仕切っている者を、至急私の書斎に!」
父様は、僕の頭を一度だけくしゃっと撫ると、嵐のように食堂から出ていってしまった。
レオ兄様も、その後を慌てて追いかけていく。
残された食卓で、僕は最後の一口の魚を、ゆっくりと味わった。
『ナビ、これで僕が大人になった時、何もしなくても暮らしていけるかな?』
《はい。初期投資は必要ですが、この事業が成功すれば、領地には莫大な利益が見込めます。メルの不労所得生活の基盤となる、極めて重要な第一歩です》
ナビの、頼もしい言葉。
僕は、満足げに一つ頷いた。
うん。今日も、僕ののんびりスローライフは、順調だ。
「メル、あなた、本当にすごいことを考えるのねえ」
母様が、感心したような、少しだけ呆れたような顔で、僕の頭を優しく撫でてくれた。
僕は、それに対して、えへへ、と笑って見せるだけだった。