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第88話「木漏れ日亭の風変わりな客」

 ようやく訪れた穏やかな日々。

 図書室の暖炉の前、ふかふかの絨毯にごろんと寝転がり窓から差し込む柔らかい日差しを浴びていた。


 ウトウトと微睡んでいると、扉がこんこん、とノックされた。


「メルヴィン様、少しよろしいでしょうか?」


「どうしたの、エリス?」


「はい。奥様がお呼びです。ハンナさんへのお届け物をお願いしたい、と」


「お届け物?」


「はい。リディアさんが新しく試作したポプリだそうです」


 母様からのお使いとなれば断れない。

 まあ、ちょうどお昼寝の前に少しだけ体を動かすのも悪くないか。


「分かった。すぐに行くよ」


 僕はエリスにそう返事をすると、母様がいるであろう談話室へと向かった。


「母様、呼んだ?」


「あら、メル。来てくれたのね、ありがとう」


 母様はにっこりと微笑むと、そばの小さなテーブルに置かれていた可愛らしい布袋を手に取った。

 ふわりと爽やかで甘い香りが漂う。


「リディアがね、新しい香りのポプリを試作したのよ。これを少しだけハンナさんにおすそ分けしてきてくれませんか?きっとお店の飾りにもなると思うし感想も聞けると嬉しいのだけれど」


「わかったよ。ハンナさんに渡して感想も聞いてくるね。」


「ありがとう。ではこの包みを持っていって」


 母様からポプリの包みを受け取る。

(よし、お使いはささっと済ませて午後はたっぷりお昼寝だ)


「じゃあ、行ってくるね」


「ええ、お願いね。気をつけて」



 母様に見送られ僕は屋敷を出た。

 外は完璧な秋晴れで、ひんやりとした空気が気持ちいい。

 色づいた葉が舞う村への道を歩き、やがて見えてきたのは木漏れ日亭の温かみのある木の扉だった。


「こんにちはー」


 からん、とドアベルが鳴る。

 店内は昼下がりの落ち着いた雰囲気だった。

 カウンターの奥からはハンナさんが皿を洗う水の音が聞こえ、いくつかのテーブルでは村の人たちが食後のお茶を楽しんでいる。

 奥の大きなテーブルでは数人の若者たちが、トランプで盛り上がっている声が響いていた。


「あら、メルヴィン様。いらっしゃい」

「こんにちはハンナさん。母様から、これ。リディアが新しく作ったポプリなんだって」


 僕がポプリの包みを渡すと、ハンナさんは「まあ、リディアさんの!どんな香りかしら?」と嬉しそうに受け取り、そっと香りを確かめた。「……ふふ、爽やかで少し甘くて素敵ね」


「うん。母様がね、『お店の飾りにでもして、もしよかったら感想を聞かせてもらえると嬉しい』って言ってたよ」


「まあ、奥様がそんな風に。ありがとうございます。素敵に飾らせていただきますね。リディアさんにも、とても良い香りだったとお伝えくださいな」


「うん、分かった。母様とリディアに伝えておくね」


 目的は果たしたので、屋敷に戻ろうか……と思った、その時だった。


「おっ、噂をすればですね。メル坊ちゃま!ちょうどいいところに!」


 声がしたのは食堂のテーブルの一つ。

 そこでは村の若者たち数人に混じって、見慣れない中年男性が楽しそうにトランプをしているのが目に入った。


 年は父様と同じくらいだろうか。

 服装は長旅で少しばかりくたびれてはいるけれど、仕立てが良いことは僕にも分かる。

 姿勢良く椅子に座り配られたカードを静かに眺めている姿は、そこらの旅商人とは明らかに違う落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


 声をかけてきた若者が、その男性に向かって説明する。


「アルフさん、この方が『トランプ』をお考えになったメルヴィン様ですよ!」


 男性は手札から顔を上げ少しだけ驚いたように僕を見た。


「ほう、あなたがメルヴィン様でしたか。いやはや素晴らしい遊戯ですね。すっかり夢中になってしまいました」


彼は穏やかで、丁寧な口調でそう言った。


(……悪い人ではなさそうだな)


 僕は当たり障りなく「どうも」とだけ返した。


 ちょうどその時、カウンターにいた常連客のおじさんが、ハンナさんが注いでくれた麦酒のジョッキを嬉しそうに受け取っていた。


「おう、サンキューな、ハンナさん!仕事終わりの一杯はたまんねえぜ!」


 おじさんはそう言うと、麦酒をゴクリと美味そうに飲み干した。

 それを見ていた別の客が、ふと僕の姿に気づいて悪戯っぽく笑いながら声を上げた。


「おい、タダでさえ美味いその一杯を、もっと『極上』にする方法があるぜ?」


「あん?なんだそりゃ?」


「へへ、そちらに『氷の魔法使い』様がいらっしゃるじゃねえか!」


 その言葉に麦酒を飲んでいたおじさんも、周りの客たちも、ぱっと僕の方を見た。


「おっ、本当だ!メル坊ちゃま!」


 おじさんは空になったジョッキをハンナさんに差し出しながら、期待に満ちた目で僕に頼み込んできた。


「なあ坊ちゃま、いつもの頼めるかい?次の一杯をよ、あの『天国の冷たさ』にしてくれねえか?」


「昼間からお酒ばっか飲んで。奥さんに怒られても知らないからね。この村には、本当に碌でもない大人しかいないなあ」


 おじさんたちは「ぐっ」「耳が痛え」とばつの悪そうな顔をする。

 すると、カウンターの中からハンナさんがくすくすと笑いながら声をかけた。


「ふふ、本当にメルヴィン様のおっしゃる通りですよ。でもまあ、こうして皆さんにお店を使っていただけるのは、私としてはありがたいんですけどね」


 ハンナさんの明るい笑い声に場が和む。


「じゃぁ、他にも冷やしてほしい人がいたら、ジョッキをここのテーブルに持ってきてー」


 僕のその言葉に待ってましたとばかりに、食堂のあちこちから声が上がった。


「おっ、坊ちゃま、太っ腹!」

「俺も頼むぜ!」

「わしもお願いしやす!」


 賑やかな声に応えるように、僕はジョッキが並べられたテーブルにさっと手をかざした。


 ――瞬間冷却。


 テーブルの上に並んだ全てのジョッキの表面が一瞬にして白く曇り冷たい水滴が一斉に流れ始める。


「おおーっ!さすが!」

「助かるぜ!」


 おじさんたちは、大喜びで冷えた麦酒を受け取っていく。

 ハンナさんも「ありがとうございます、メルヴィン様」と微笑んでいる。


 僕の仕事も終わったことだし、屋敷に戻ろうかと思った矢先、ふと視線を感じて食堂の隅のテーブルを見ると、さっきの旅の男(アルフさん、だったかな?)が目を輝かせながらこちらを見ていた。

 僕が店を出ようとすると、アルフさんが少し興奮したような、人懐っこい笑顔で呼び止めてきた。


「失礼、メルヴィン様!」


(うわ、来たかあ…まあ、悪い人じゃなさそうだし少しだけなら…)


 僕は仕方なく立ち止まった。


「いやはや、お見事な魔法でしたな!」


 アルフさんは、まるで面白いものを見つけた子供のように興奮気味に続けた。


「先ほどの冷却魔法、実に素晴らしい腕前です!無詠唱で、あれほど正確に温度を制御されるとは…!失礼ですが、どちらでそのような高度な技術を?」


(無詠唱とか専門的な言葉まで知ってる……。この人ただの旅人じゃない感じがするな)


「えへへ、まあ、なんて言うのかな……。冷やすのは、ちょっと得意なんだ。みんな喜んでくれるしね」


 僕が適当にはぐらかすと、アルフさんは「自己流!?」とさらに目を輝かせた。


「いやはや、それは驚きですな!まさに天才というやつですかな!しかも無詠唱とは……」


 彼は心から感心した様子で、それから何かを思い出したように嬉しそうに続けた。


「実は私の学生時代の友人にも、なかなか腕の立つ男がおりましてね。彼は剣術や防御魔法は得意でしたが、ああいった繊細な魔法操作は苦手でしてね……君ほどの才能があれば、彼ももっと楽ができたろうに……」


 アルフさんは何かを懐かしむような、それでいて僕の反応を探るような目で言葉を濁した。


(学生時代の友人…?剣術…防御魔法…?もしかして、父上がたまに話していた、あの変わり者の旧友のことかな?)


『ナビ、この人、どう思う?』


《はい。メルが今聞いた情報は、アレクシオ氏に関する記録と高い相関性を示しています。旧友である確率は85%以上と算出されます。また、その服装は旅で古びていますが素材や仕立ての質から、対象人物が高い社会的地位にある可能性が高いと推測されます》


(やっぱり……。父様の友達で、しかも身分の高い人みたいだ。もしかして父上が話してた、あの『変わり者の魔術師』本人なのかな?だとしたら父様の昔の話とか面白い話がたくさん聞けるかもしれないぞ)


「もしかして、私の父アレクシオの友人の方ですか?」


「おや、バレてしまいましたかな?」


「でしたら、一度、父に会ってみませんか?父も旧友に会えば、きっと驚くと思いますよ」


 僕が改めてそう提案すると、男は「ええ、ぜひ!」と快く頷いた。


「アレクシオには、少々言いたいこともありますしね」

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