第86話「御用商人の帰還と光の実験」
森で見つけた新しいキノコは、ヒューゴの腕によって絶品のクリームスープとなり、フェリスウェル家の食卓を彩った。
村での安全な採取体制も、森番のダリウス爺さんの協力のおかげで、少しずつ形になりつつある。
(うん、これで美味しいキノコがいつでも食べられて完璧だ)
そんな風に、ようやく訪れた平穏に満足し、僕は屋敷の図書室で静かに読書を楽しんでいた。
秋の午後の柔らかな日差しが、窓から差し込んでいる。
これこそ、僕が求めていたスローライフだ。
そんな穏やかな時間を破るように図書室の扉が、こんこんとノックされた。
「メルヴィン様、よろしいでしょうか」
顔を出したのは、エリスだった。
「どうしたの、エリス?」
「はい。先ほど王都からお戻りになったヨナス様が、旦那様へのご報告を済まされ、ぜひメルヴィン様にもご挨拶したいと、応接室でお待ちです」
「ヨナスさんが? 分かった、すぐに行くよ」
僕は読んでいた本にしおりを挟むと、少しだけわくわくした気持ちで応接室へと向かった。
最後に会ったのは収穫祭の後、彼が僕の花火と幻灯会を見て、とてつもない熱意でまくし立てていた時以来だ。
王都での商いはどうだっただろうか。
応接室の扉を開けると、そこには長旅の疲れも見せず、どこかそわそわとした様子で待っているヨナスさんの姿があった。
「おお、坊ちゃま! お待ちしておりました!」
ヨナスさんは、僕の姿を見るなり、ぱあっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「ヨナスさん、お帰りなさい。王都での商いはどうだった?」
「へへ、おかげさまで大成功でさあ! 先ほど旦那様にもご報告した通り、特に石鹸とシャンプーが王都のご婦人方に大層な人気でしてね! それから、坊ちゃまがお作りになったトランプ! あれも、あっという間に売り切れて、今じゃ入荷待ちの問い合わせが殺到してる状況ですぜ!」
ヨナスさんは興奮冷めやらぬといった様子で、まくし立てる。
父様への報告も無事に終わり、利益もきちんと確保できたのだろう、その顔はこれ以上ないほど晴れやかだった。
しかし、ヨナスさんの表情が、ふと真剣なものに変わった。
彼は僕の前に跪くと、深々と頭を下げた。
「……そして坊ちゃま。先日の収穫祭の夜は、あっしが柄にもなく興奮してしまい、花火の件で、とんだ無理難題を申し上げて、まことに申し訳ありませんでした」
収穫祭の夜。ヨナスさんは、僕が披露した魔法式花火を見て、これを王都で商業化しようと息巻いていた。
しかし、あの花火はナビの補助があって初めて成り立つ、僕だけの特別な魔法だ。
再現は不可能だと説明すると、彼はひどく落ち込んでいたのだ。
「いいんだよ、ヨナスさん。気にしないで。僕の方こそ、期待させちゃってごめんね」
「いえいえ! とんでもございません! あれが坊ちゃまだけの特別な魔法だということは、今では重々承知しております。あっしの方こそ、あまりの素晴らしさに、つい舞い上がってしまいまして……」
ヨナスさんは顔を上げると、少しだけ気まずそうに、しかしその目には諦めきれない光を宿して僕に問いかけた。
「ですが坊ちゃま……花火は無理だとしても、あの美しい『光の筒』……万華鏡でしたかな? あれだけでも、どうにかなりやせんかねぇ?」
僕は、以前ヨナスさんに説明したことを思い出しながら、少しだけ困った顔で答えた。
「うーん、でもヨナスさん。あれも、僕が魔法で強い光を作り出して、それを万華鏡に通してるだけだからね。あの光がないと、壁には何も映らないんだよ」
僕がそう言うと、ヨナスさんは「それは重々承知しておりやす!」と力強く頷いた。
「ですから坊ちゃま! あっし、王都で面白いものを見つけてきやした!」
ヨナスさんは待ってましたとばかりに、懐から小さな布袋を取り出した。
「王都の魔道具市で見つけたんですがね、『魔光石』というそうでして」
袋の中から出てきたのは、こぶし大の一見ただの水晶のような石だった。
「王都の魔道具市で見つけたんですがね、『魔光石』というそうでして。なんでも魔力のある方が、こうやって魔力を流し込むと光るらしいんでさあ」
ヨナスさんは、石に魔力を流し込む"ふり"をしながら熱心に説明する。
「あっしには難しい魔法のことは分かりやせん。ですが、もしかしたらこの石の光が、坊ちゃまの魔法の代わりになるんじゃないか……なんて、素人考えで思いましてね。もし違ったら笑ってくだせえ」
『ナビ、この石……魔光石って言ったかな? これを光源として、あの幻灯会を再現できる可能性はある?』
《魔光石の構造と推定される魔力光変換効率を分析します……。はい、可能性は十分にあります。メルの魔法光源と比較した場合、単体での光量は約60%程度に低下すると予測されますが、安定した光源として機能するスペックは有しています》
(……この石の光……もしかして僕が魔法で光を出さなくても、これで代用できるのか……?)
そうだ、以前は光源が僕の魔法だから無理だって諦めてたけど、これなら……僕抜きで、あの幻灯会ができるかもしれない!
(……つまり、僕が楽できるってことだ!)
「……ヨナスさん、これ、すごいよ!」
「へ? あ、いや……その、もしかしたら坊ちゃまの魔法の代わりになるんじゃないかと淡い期待で買ってみただけで……まさか本当に役に立ちそうですかい!?」
「ううん、すごい発見だよ! ちょっと試してみてもいいかい?」
「も、もちろんですとも!」
ぱあっと顔を輝かせるヨナスさん。
「よし、じゃあ早速試してみようか。エリスに収穫祭の時に使った道具を持ってきてもらおう。場所は窓のない物置部屋がいいかな。暗い方がよく見えるだろうから」
僕とヨナスさんが先に物置部屋へ行くと、ほどなくしてエリスが道具を運んできた。
興味深そうに、これから何が始まるのかを見守っている。
「エリス、ありがとう。少しの間、部屋を暗くしてくれるかい?」
「はい、メルヴィン様」
エリスが扉を閉めると、部屋は完全な暗闇に包まれた。
僕は木の枠に固定されたレンズと万華鏡を壁に向け、本来、僕が魔法で光を作り出す位置にヨナスさんが持ってきた魔光石を慎重にセットした。
『ナビ、魔力供給の調整をお願い。最初は弱い光から試してみよう』
《了解しました。魔光石への魔力供給を開始します。出力レベル10%》
僕が魔光石にそっと手を触れ魔力を流し込む。
ナビの補助を受けながら、石が最適な光を放つように出力を微調整していく。
ぼうっと光り始めた魔光石の光が、レンズを通って万華鏡の中へと吸い込まれていく。
すると僕たちの目の前の真っ暗だった物置部屋の壁に、ふわりと光の模様が映し出された。
「おお……!」
「まあ……!」
ヨナスさんとエリスから同時に感嘆の声が漏れた。
それは収穫祭の夜に見た光景よりは、少しだけ淡く大きさも小さいかったが、色とりどりの美しい幾何学模様が、ゆっくりと回転しながら壁の上を彩っていた。
新しい発明ではない。 ただ、動力源が僕の魔法から魔光石へと変わっただけだ。
でも、それは僕の魔法なしに、あの美しい光景を再現できた第一歩だった。
「やりましたな、坊ちゃま!」
ヨナスさんが興奮した様子で僕の手を握る。
エリスも、うっとりとした表情で壁の光を見つめていた。
「素晴らしいですわ、メルヴィン様……。まるで、お部屋の中に宝石箱をひっくり返したみたい……」
その言葉に、僕は壁に映る少しだけ頼りない光を見つめながら考える。
(綺麗だけど……やっぱり、もう少し明るさがほしいかな……)
壁に映る淡い光を見つめながら、僕は早くも次の改良案についてナビに相談を始めていた。




