第80話「最高のボールと、職人たちの技」
僕が新しい遊び「フットサル」を教えてから、数日が経った。
あれ以来、村の子供たちは毎日、日が暮れるまで、秘密基地の近くの広場でボールを追いかけている。
おかげで、僕の読書タイムは完全に平和を取り戻していた。
『……ああ、静かだ……。ナビ、これだよ。これこそが、僕の求めていた完璧な平和だ……』
《はい、メル。あなたの心拍数、呼吸数ともに理想的なリラックス状態です。外部からの物理的な安眠妨害のリスクも、現在、0.1%未満に低下しています》
『でしょ? このままこの平和がずっと続けばいいんだけどなあ……』
しかし、そんな僕の平穏は、またしてもルカによって打ち破られた。
「メーール! 大変だ! ボールがボールがーっ!」
息を切らして僕の元に駆け寄ってきたルカが手にしていたのは、哀れな姿に成り果てたボールの残骸だった。
革袋はあちこちが破け、中から芯にしていた布切れが無残にはみ出してしまっている。
「もうボロボロで、全然蹴れねえんだ!」
ルカはそう言うと、ボールの残骸を地面にぽいと投げ捨てた。
「もっと、こう、頑丈で蹴りやすい、すげえボールは作れねえのか!?」
(うわあ、また面倒な……)
僕は心の中で小さくため息をつき、脳内の相棒に相談した。
『ナビ。もっと丈夫で、よく弾むボール……そうだ、ゴムボールは作れないかな?』
《はい。主原料となるラテックスを産出する植物は、メルの周辺地域の植生データの中には発見されていません。将来的に、ヨナス氏に南方大陸からの輸入を依頼する必要があるでしょう》
『そっか……。じゃあ、何か代わりになるものは?』
《はい。代替案を提案します。動物の「膀胱」に空気を詰めて膨らませ、その周りをなめした「革」で覆うことで、軽量で反発性の高いボールを作製可能です》
『ナビ。膀胱と革、それぞれこの村で一番詳しい人、分かる?』
《はい。新鮮で傷のない「膀胱」の入手は、食肉処理を担当する肉屋の親方が最適です。また、丈夫でしなやかな「革」の加工は、革なめし職人の工房が最高の技術を保有しています。そして最後の精密な縫合は、メイド長であるカトリーナさんの技術が最も信頼できます》
僕は期待の眼差しで僕を見つめているルカたちに向き直った。
「ルカ、みんな、ごめん。最高のボールを作るには、ちょっとだけ時間がかかりそうなんだ」
「えー、すぐじゃねえのかよー」
「うん。村の一番腕の良い職人さんたちに、お願いしてこないといけないから」
「そっか……」
がっかりするルカたち。
僕はそんな彼らに、にっと笑いかけた。
「だから、その間に、みんなで、もっとフットサルが上手くなるように練習しておいてくれるかな? 新しいボールができたら、すぐに試合ができるようにさ」
僕の言葉に、ルカの顔がぱっと輝いた。
「! ……おう、任せとけ、メル! 俺たち、すっげえ上手くなっとくぜ!」
ルカたちに新しい目標を与えた僕は、その足で、まず一人目の専門家の元へと向かうのだった。
◇
僕がまず訪れたのは、村の肉屋の親方だった。
「ほう、坊ちゃま。豚の膀胱が欲しいと? 変わったものを欲しがりますな。……いいでしょう。最高の傷一つないやつを用意してさしあげやす」
次に向かったのは、革なめし職人の工房だ。
「親方、お願いがあるんだ。新しい『遊びの玉』を作っていて、その外側を覆う丈夫な革が必要なんだ」
僕の言葉に、工房の親方は興味深そうに眉を上げた。
「ほう、『遊びの玉』の外側ですかい。蹴ったり投げたりするんで? どんな形ですかい?」
「うん、足で強く蹴るんだ。だから、できるだけ、まん丸で、絶対に破れないくらい丈夫なものがいい」
「へっ、まん丸で破れねえ革袋……。面白い!」
職人の探求心に火がついたようだった。
「任せてくだせえ! この道何十年、あっしの腕の見せ所ですぜ! 最高のなめし革で作ってご覧にいれます!」
そして最後に、僕がお願いに上がったのは、屋敷のメイド長であるカトリーナさんの元だった。
彼女は、メイドたちの仕事を監督するだけでなく、この領地で最高の縫製の腕前を持っている。
「カトリーナさん、少しお願いしたいことがあるんだ」
「はい、メルヴィン様。なんでしょうか」
僕は一枚の設計図を、カトリーナさんの前に広げた。
そこには、たくさんの六角形と五角形の図形が描かれている。
「これから、革なめし職人さんに、これをパーツとして切り出してもらうんだ。そして、カトリーナさんには、この全てのパーツを縫い合わせてほしい」
「これを、寸分の狂いもなく、完璧な球の形になるように縫い合わせてほしいんだ。中の空気が、絶対に漏れないくらい頑丈に」
僕のその無茶な要求に、カトリーナさんは少しだけ目を見開いた。
「……革ですか。それも、これほど精密な立体縫製を……」
彼女は設計図をじっと見つめ、何かを考えていたが、やがて、ふふっ、と静かに微笑んだ。
「メルヴィン様は、わたくしたち使用人の腕を試すような、面白いことをお考えになりますね」
「……できるかな?」
「ええ。お任せください。このカトリーナ、メルヴィン様のご期待、いえ、それを超える完璧な仕事で、お応えしてみせましょう」
それぞれの職人たちが、僕の奇妙な、しかし面白そうな依頼に、それぞれのプライドをかけて、最高の「部品」を作り上げてくれた。
◇
数日後。工房に、僕と職人たち、そしてルカたちが集まっていた。
カトリーナさんが、ほとんど縫い上げた美しい六角形と五角形の革の袋に、肉屋の親方が用意してくれた豚の膀胱を、そっと滑り込ませる。
「メルヴィン様。あとはお願いします」
「うん」
僕は、革袋の最後に残された小さな空気穴に、指先をそっと当てる。
そして、ごく微量の風魔法で、少しずつ丁寧に空気を送り込んでいった。
革の袋が、まるで生き物のように、内側からゆっくりと膨らんでいく。
やがて完璧な球形になったところで、僕は魔法を止めた。
カトリーナさんが、その最後の空気穴を、きゅっと手早く縫い合わせる。
「――完成だ」
そこに誕生したのは、いびつな布の塊では、もはやない。
濃い茶色と明るい黄土色の二色の革が、美しい亀の甲羅のような模様を描く、完璧な球形の玉だった。
僕はそれを地面にそっと落としてみる。
ボンッと心地よい音を立てて、ボールは少しだけ弾んだ。布のボールではありえなかった、その確かな反発力。
「すげえ……!」
ルカがそのボールを、試しに軽く蹴ってみる。
ボールは、まっすぐ綺麗な軌道を描いて、工房の壁に、ぽん、と当たった。
「蹴りやすい……! 今までのやつと、全然違うぞ!」
その完璧な出来栄えに、ルカたちはもちろん、ボール作りに協力してくれた職人たちまでもが、「おお……!」と、童心に返って歓声を上げていた。
こうして、一つのボールが、村の様々な職人たちの技術を一つに結びつけた瞬間だった。




