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第70話「賓客の夜と、小さな科学教室」

 鷲の紋章をつけた、隣領バルカス家の立派な馬車は、賑わう広場には入らず、屋敷の正面玄関へと静かに到着した。

 僕たちフェリスウェル家は、総出で、長旅をしてくれた賓客を丁重に出迎える。


「ようこそ、バルトール殿。お待ちしておりましたぞ」

「いやはや、アレクシオ殿。この度はお招きいただき、まことに光栄だ」


 父様と、隣領の領主であるバルトール様が、貴族らしい固い握手を交わす。

 その傍らで、クラリス嬢は、僕を見つけると、その紫色の瞳をきらりと輝かせた。


「ごきげんよう、メルヴィン様。またお会いできて、光栄ですわ。……わたくし、以前いただいた万華鏡、今でも大切にしておりますのよ」


 その、まっすぐすぎる好奇心の視線と、隣で早くも不機嫌そうに眉をひそめている姉の視線。


 二つの全く違う種類の視線に挟まれて、僕は(ああ、やっぱり、面倒なことになりそうだ……)と、心の中で、そっと溜息をついた。



 長旅の疲れを癒すため、その日はお祭りには向かわず、屋敷の客間で、両家揃ってお茶を飲むことになった。

 クラリス嬢の興味は、僕が作ったあの不思議な玩具にあるらしかった。


「メルヴィン様、あの万華鏡の仕組みは、どうなっているのですの? 中には、本当に宝石が入っているのですか?」


『ナビ。万華鏡の仕組みって、どんなんだったかな?』


《はい。あの玩具の中に見える像の正体は、色ガラスや鉱石の破片です。内部に配置された三枚の鏡が、その色ガラスの像を、光の反射によって無数に増やして見せているのです》


 ナビからの、いつも通り完璧な回答。

 僕は、それを自分の言葉に置き換えて、クラリス嬢ににっこりと笑いかけた。


「ううん、宝石じゃないんだ。あれはね、ただの、色のついたガラスの欠片や鉱石の破片だよ。筒の中に、鏡が三枚、三角になるように入ってて、それがガラスの欠片を、何回も何回も反射させて、たくさんあるみたいに見せてるんだ」


「反射……?」


 僕の説明を聞いても、クラリス嬢は、まだピンと来ていない様子で首を傾げる。


「じゃあ、やってみようか」


 僕は、母様と、バルカス夫人のエレオノーラ様に「奥様方、少しだけ、手鏡をお借りしてもよろしいですか?」とお願いする。イリ姉にも頼み、三枚の手鏡を集めた。


 そして、テーブルの上で、三枚の手鏡を三角柱になるように、鏡の面を内側にして組み合わせる。

 お茶菓子にあった角砂糖を一つ、その中央に置いた。


「クラリスさん、この中を、上から覗いてみて」


 クラリス嬢が、不思議そうに、その鏡の筒の中を覗き込む。

 その瞬間、彼女の目が、驚きに大きく見開かれた。


「まあ……! すごいですわ! 一つしかない角砂糖が、まるで雪の結晶のように、たくさん……! これが、反射……!」


 言葉ではなく、実際の光景として「反射」の原理を理解したクラリス嬢は、心の底から感動したように、何度も何度も鏡の中を覗き込んでいる。


 クラリス嬢の、普段の彼女からは想像もつかないような、素直で大きな歓声は、談笑していた大人たちの耳にも届いたようで、父様やバルトール様たちが、興味深そうにこちらを見ている。


 その視線に気づいた僕は、にっこりと笑って、大人たちに手招きをした。


「父様、バルトール様も、ご覧になりますか? 面白いですよ」


 僕の誘いに、バルトール様が「ほう?」と言いながら、ゆっくりと席を立つ。父様たちも、それに続いた。


 僕は、少しだけ面白い気持ちになりながら、大人たちにも、テーブルの上で三角に組んだ、その手鏡の中を覗き込んでもらった。


「む……! なるほど、これは……!」


 カタブツなバルトール様の表情が、子供のような驚愕に変わる。


「単純な鏡の組み合わせで、これほどの幻惑的な光景を作り出すとは……! アレクシオ殿、これも、貴殿の発明か?」


 バルトール様が、心の底から感心したように、父様に問いかける。

 しかし、父様は、楽しそうに首を横に振った。


「はっはっは、いやいや、バルトール殿。それは、私ではありませんな」


 父様はそう言うと、僕の頭に、ぽん、と大きな手を置いた。


「……発案者は、こちらの、私の自慢の息子でしてな」


 その言葉に、バルトール様は、信じられないという顔で、僕の方をまじまじと見つめた。


 次に覗き込んだバルカス家の奥様、エレオノーラ様も、うっとりとため息を漏らした。


「まあ、本当に宝石箱のようですわ! セリーナ様、素晴らしいですわね!」


 さっきまで難しい顔で領地の話をしていた貴族の大人たちが、今は子供のようにはしゃぎながら、代わる代わるテーブルに身をかがめて、小さな鏡の隙間から、中の景色を覗き込んでいる。


 その、なんとも不思議で微笑ましい光景を、僕は静かに眺めていた。



 日が落ち、夜になると、バルカス家を歓迎するための、ささやかな晩餐会が開かれた。

 食卓には、ヒューゴが腕によりをかけた、この領地の新しい名物が並ぶ。

 ポタージュ、マヨネーズソースの魚料理、そして特別なプリン。その一つ一つに、バルトール様やエレオノーラ様は、驚きと称賛の声を上げていた。


そして、晩餐会で僕たちの領地の料理を存分に味わってもらった後、父様は賓客をもてなす、とっておきの切り札を用意していた。


 この領地が誇る温泉だ。

 僕たちは男性陣と女性陣に分かれて、それぞれの湯で長旅と今日の疲れを癒すことになった。


 広々とした岩風呂の湯けむりの中、僕の隣で父様とバルトール様が、ゆったりと湯船に浸かっている。


「これは……素晴らしい! まさに極楽ですな。王都のどんな贅沢よりも、価値があるかもしれん……!」


 バルトール様が心の底からリラックスしたように素直な感嘆の声を上げる。


「はっはっは、お気に召して何よりです」


 父様も、我が事のように満足げだ。


「しかし、アレクシオ殿。街道、水車、そしてこの温泉……。以前伺った時とは、比べ物にならない発展ぶりだ。一体、どのような秘策を……?」


 バルトール様の鋭い視線が、父様と、そして僕の方をちらりと見る。


「いやはや、領民たちの頑張りのおかげですよ」


 父様はそう言って楽しそうに笑うだけだった。

 一方、その頃、女性陣の湯では。


「まあ、クラリスさん、お肌がつるつるですわね!」

「イリスさんこそ! このお湯は本当に魔法のようですわ!」


 さっきまでのお茶会でのぎこちない雰囲気が嘘のように、イリ姉とクラリス嬢は年相応の少女らしく、きゃっきゃっと楽しそうにはしゃいでいる。

どうやら、午後の科学教室が、二人の心の壁をすっかり溶かしてくれたらしい。


「明日のお祭りでは、どんなお店を回られますの?」

「ふふん、まずは『おたのしみ屋』よ! わたしの友達のお店なんだから!」

「まあ、素敵! ぜひ、ご一緒させてくださいませ!」


 その様子を、母様とバルカス家の奥様、エレオノーラ様が、微笑ましく見守っていた。


 すっかり体も温まり、一行がそれぞれの脱衣所から休憩スペースへと出てくると、そこではメイドのエリスが、冷たい飲み物の準備をして待っていてくれた。


 銀の盆の上には、水滴がびっしりとついた、キンキンに冷えた瓶が並んでいる。中身は、ほんのり果物の色が溶け込んだ、乳白色の液体だ。


「まあ、これは?」


 不思議そうに尋ねるエレオノーラ様に、母様がにこやかに答える。


「ふふっ、我が領地の新しい名物、『フルーツ牛乳』ですの。お風呂上がりには、これが一番ですのよ」


 僕も火照った体に冷たい瓶の感触が気持ちよくて、ぐいっと一気に呷った。

 甘くて、冷たくて、フルーティーな優しい味が体の隅々まで染み渡っていく。


(うん、やっぱり、これだなあ……!)


 初めて飲むその味に、クラリス嬢も目を丸くしている。


「まあ、美味しい……! 甘くて、冷たくて……!」

「でしょ! 温泉の後は、これに限るのよ!」


 イリ姉が、得意げに胸を張る。

 一方、男性陣の休憩スペースでは。

 バルトール様が、無言でフルーツ牛乳を飲み干し、そして、唸った。


「……風呂上がりに冷えた甘い牛乳だと……? 馬鹿げているようで、なんと理にかなっている……! 恐ろしいな、アレクシオ殿! 貴殿の領地は、どこまでわしを驚かせれば気が済むのだ!」


 父様は、ただ「はっはっは」と、楽しそうに笑うだけだった。



 その夜、それぞれの部屋で。


 クラリスは、(メルヴィン様の科学教室、とても面白かったわ。イリス様とも、たくさんお話できたし……。明日、三人で一緒にお祭りを見て回るのが、楽しみですわ)と、翌日への期待で胸を膨らせていた。


 イリ姉は、(ふふん、メルはやっぱりすごいでしょ! ……クラリスも、思ったよりは、悪い子じゃないみたいね。でも、明日、一番クラリスたちを驚かせるのは、このわたしが案内する、お祭りの楽しさなんだから!)と、姉としての、そして案内役としての新しい対抗心を、楽しそうに燃やしていた。


 そして僕は、(よかった。イリ姉とクラリスさん、なんだか、すっかり仲良くなったみたいだ。これなら、明日のお祭り案内も、少しは楽になるかな……? まあ、どっちにしろ、面倒なことに変わりはないか)と、安堵のため息と、諦めのため息を、同時につくのだった。

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― 新着の感想 ―
この幸せでワクワクな感じとても好きです。 応援してます。これからもワクワクさせてください。
両手に花で過ごすのか、捕まった宇宙人で過ごすのか。楽しみです。
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