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第7話「村の市場と、新しい匂い」

母様に手を引かれて、僕は初めてリーデル村の市場にやってきた。

いつもは静かな村の中心が、今日はいろんな声で溢れかえっていて、なんだかお祭りみたいだ。


「さあさあ、奥さん! 今朝とれたての川魚だよ! 塩焼きにしたら最高だ!」

「あら、じゃあそれを二匹いただくわ」

「そっちのパン屋の新しいお菓子、もう食べたかい? リンゴが丸ごと入ってるんだとさ!」

「まあ! それは美味しそうねえ!」


あちこちから聞こえてくる楽しそうな会話。

焼きたてのパンの香ばしい匂いと、果物の甘い匂いが混ざって、僕のお腹が「ぐー」と鳴った。


『ナビ、すごいね。人がいっぱいだ』


《はい。限定された空間に多数の人間が集まることで、情報交換と経済活動が活発化しています。非常に効率的なシステムです》


ナビはいつも通り、冷静に分析している。



僕は母様に手を引かれながら、きょろきょろと周りを見渡した。

色とりどりの野菜、山と積まれた果物、ふわふわのパン。

全部がキラキラして見えて、歩いているだけで楽しくなってくる。


そんな中、僕は一軒だけ、少しだけお客さんが少ない屋台を見つけた。

おじさんが、川でとれた魚を、ただ塩を振って焼いているだけの、シンプルな屋台だ。

煙は出ているけれど、周りのパン屋さんやお菓子屋さんみたいな、食欲をそそる匂いはあまりしない。

店主のおじさんも、少しだけ手持ち無沙打ちな様子で、空を眺めていた。


『ナビ、あのお魚、おいしいのかな?』


《タンパク質の加熱による香りは確認できますが、訴求力に欠けます。揮発性の高い芳香成分を加えることで、顧客の嗅覚へより効果的にアピール可能です》


『ほうこうせいぶん?』


《簡単に言えば、もっと「いい匂い」にすれば、お客さんが増えるということです》


『いい匂いかあ……』


《解決策を提案します。メルの視界の右斜め前、あの石畳の隙間に自生している植物。あれを利用します》


ナビに言われてそちらを見ると、市場の隅や、道端のあちこちに、見慣れた緑の葉っぱがたくさん生えているのが見えた。

このお屋敷の庭にも生えている、少し甘い香りがする、すーっとする爽やかな草だ。



「母様、あのお魚、食べてみたいな」


「ええ、いいですわよ。さ、おじさんのところへ行ってみましょうか」


「おじさん、お魚くださいな」


「へい、坊ちゃん。今、焼きたてをやるからな」


網の上でじゅうじゅうと音を立てる魚を受け取った僕は、おじさんに言った。


「おじさん、このお魚にね、そこの葉っぱを乗せて焼いてみてほしいな」


僕が指さした先に生えている、見慣れた緑の草。

おじさんは、僕の言葉にきょとんとした顔をした。


「ん? 坊ちゃん、あの草のことかい? あんなもん、ただの雑草だぞ。食べられるもんなのかい?」


「うん。いい匂いがするから、きっとおいしくなるよ」


「ははは、そうかい。坊ちゃんは面白いことを言うなあ」


おじさんは、子供の戯言だと思って、笑っているだけだった。

その時、僕の後ろから、母様が優しく声をかけた。


「まあ、面白そうなことを考えるのね、メル。おじさん、試してみてはくださらない? この葉、フェリスウェル領ではよく見かけるけれど、毒がないことは知っていますわ。もし、美味しくなかったら、私たちが全部いただきますから」


母様の言葉に、おじさんは「奥様がそうおっしゃるなら」と、少しだけ驚いた顔で頷いた。



おじさんは、半信半疑といった顔で、僕が指さした葉っぱを数枚摘んでくると、それを焼いている魚の上に乗せた。


じゅわっ。


葉っぱが魚の熱で焼かれると、今までとは全く違う匂いが、ふわりと立ち上った。

ただの塩焼きの匂いじゃない。

香ばしい魚の匂いに、甘くて、すーっとする爽やかな香りが混ざった、ものすごく食欲をそそる匂いだ。


その匂いは、風に乗って市場一帯に広がっていく。


「ん? なんだ、このいい匂いは?」

「あら、魚の焼ける匂いかしら? でも、いつもと違うわね」

「おい、あそこの屋台からじゃないか?」


周りの村人たちが、匂いの元を探して、ざわざわとし始めた。

そして、一人、また一人と、僕たちのいる屋台に吸寄せられるように集まってくる。


「おじさん! なんだいその魚は! ものすごくいい匂いがするじゃないか!」

「あら、その葉っぱを乗せて焼いてるの? 私にも一つちょうだい!」


あっという間に、さっきまで閑散としていた屋台の前には、人だかりができていた。

一番驚いているのは、魚を焼いているおじさん本人だ。


「な、なんだこりゃ……。ただの雑草を乗せただけだぞ……?」


彼は、自分の焼いた魚の新しい味と香りに、目を丸くしている。



僕は、行列ができた屋台を少し離れたところから眺めながら、母様に買ってもらった、香草焼きになったばかりの魚を、はふはふと頬張っていた。

塩味だけの時より、ずっとずっと美味しい。


『みんな、おいしそうだね。よかった。……そうだ、このお魚、ヒューゴにも食べさせてあげたいな。きっと、びっくりするだろうな』


僕がそう思うと、ナビが頭の中で報告を始めた。


《良い提案です、メル。ヒューゴ氏の料理レパートリーに加えることで、当家における食文化の満足度がさらに向上するでしょう。この『フェリスハーブ』は、将来的に当領地の重要な特産品となります》


『ふぇりすはーぶ?』


《私が今、命名しました》


ナビのいつも通りの冷静な分析と、少しだけズレた返事。

僕は、そのやり取りがおかしくて、くすりと笑った。

僕のスローライフに、また一つ、新しい「おいしい」と「楽しい」が加わった、最高の一日だった。

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