第68話「祭り前夜と、それぞれの想い」
収穫祭を翌日に控えた日。
村の広場は明日のお祭りを待つばかりの完成された姿を見せていた。
ゴードンさんたちが建ててくれた新しい屋台には、それぞれ趣向を凝らした飾り付けが施され、広場の中心には立派な舞台が誇らしげにそびえ立っている。村全体がそわそわとした心地よい期待感に包まれていた。
僕は、そんな活気に満ちた広場をゆっくりと見て回っていた。
まず目に入ったのは子供たちの店『おたのしみ屋』だ。屋台の前では遊びチームのリーダーであるルカが、本番そっちのけで輪投げに夢中になっている。他の子たちもそれをはやしたてて騒いでいた。
「お、メル! 見てろよ俺の輪投げの腕前! 百発百中だぜ!」
僕に気づいたルカが自信満々で木の輪を投げる。しかし輪はあらぬ方向へ飛んでいき、屋台の看板にこつんと当たって地面に落ちた。
「うふふ」
隣でその様子を見ていたリリィが僕を見て、悪戯っぽく笑った。
「ルカったらさっきから一回も入っていないじゃない。……メル様、準備は順調ですけれどルカの腕前だけが少し心配かなって……」
僕はリリィに笑い返した。
「大丈夫だよ。本番でお客さんの相手をするのはルカじゃないでしょ? ルカは呼び込み担当だから」
そしてまだ悔しそうに輪を投げ続けているルカに、少しだけからかうように言う。
「ねえルカ。輪投げはお客さんに楽しんでもらうためのものだよ。君が夢中になってどうするのさ」
「う、うるせえ! これは練習だ、練習!」
「いやだから、呼び込み担当の君が何の練習をしてるのかなって」
「うぐぐ……!」
僕の冷静なツッコミにルカが言葉に詰まる。
その様子を見てリリィが「うふふ」と楽しそうに笑った。
次に『木漏れ日亭』の屋台を覗くと、甘くて香ばしい良い匂いがしてきた。
ハンナさんが例の特注鉄板とトンボを使ってクレープを焼く練習をしているところだった。その手つきはもうすっかり慣れたものだ。
「あ、メルヴィン様! ちょうどいいところに!」
僕に気づいたハンナさんが嬉しそうに手招きする。
「見てください、こんなに上手に焼けるようになりました! 練習したものですけど一つ、味見していただけませんか?」
「わあ、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
差し出されたのはまだ温かい焼きたてのクレープだ。中にはこの領地で採れた木苺で作った甘酸っぱいジャムが塗られているだけ。素朴だけど凄く美味しい食べ方だ。
僕は、そのクレープを一口。
生地は驚くほど薄く、表面はパリッとしているのに中はもちもちだ。木苺ジャムの酸味が優しい甘さの生地とよく合っている。
「うん、すごく美味しいよハンナさん。完璧じゃないかな」
「本当ですか!? やった! これなら収穫祭は成功間違いなしです!」
自分の技術に自信を深めたハンナさんの瞳は情熱的に輝いている。
(うん、甘いクレープもすごく美味しい。だけど……甘いものを食べると今度はしょっぱいものが食べたくなるんだよなあ……)
僕は、そんなことを考えながらもう一つの可能性に思い至った。
「ハンナさん。このクレープ、ジャムみたいな甘いものだけじゃなくて……」
「え?」
「例えばお肉とかお野菜とかチーズとかを乗せて、マヨネーズをかけて食べてもすっごく美味しいんだよ」
僕の言葉にハンナさんは目をぱちくりさせている。
「ええっ!? 甘いこの生地にお肉とマヨネーズですか……? 本当に……?」
「本当に本当!!……試してみる?」
僕たちは厨房から塩漬け豚の薄切りとチーズ、それからレタスを少しだけもらってくるとさっそく試作品を作ってみた。
ハンナさんがまず一枚、薄い生地を焼き、華麗な手つきでぱっとひっくり返す。
そして先に焼けていた綺麗なきつね色の面に、僕がチーズと塩漬け豚をぱらぱらと乗せていく。
すると鉄板の熱が生地ごしに伝わり、チーズがとろりと溶け始め、塩漬け豚から香ばしい匂いが立ち上った。
最後にシャキシャキのレタスを乗せ、くるくると円錐状に巻いて完成だ。
熱々の「お食事クレープ」を僕はハンナさんに手渡した。
「さあ、どうぞ」
「……はい!」
ハンナさんはごくりと喉を鳴らすと、まるで未知の食材を吟味する料理人のような真剣な眼差しでそれを受け取った。
そして意を決したようにぱくりと一口。
次の瞬間、ハンナさんの目が今までにないくらいかっと見開かれた。
「……おいしいっ! なにこれすっごく美味しいです! 甘い生地の優しい味とお肉の塩気、とろけたチーズのコク、それにマヨネーズの酸味が……全部口の中で一つになって……! 信じられない!」
その衝撃的な美味しさにハンナさんはわなわなと震え、そして僕の肩をがしっと掴んだ。
「えええーっ!? メルヴィン様! こんっなに美味しい食べ方があったなんてどうして今まで教えてくださらなかったんですか!」
「え、いや今思いついたっていうか……」
「大変! 大変です! 甘いクレープだけじゃなくてこの『お食事クレープ』の準備もしなくちゃ! チーズと塩漬け豚の在庫は……! ああもう、大忙しです!」
さっきまでの喜びとは違う新しい情熱の炎を燃やすハンナさん。
(うん、ハンナさん、すごく忙しそうだ。よし、僕は次の場所を見に行こう)
僕は一人で大興奮しているハンナさんをそっと見送り、次の場所へと足を向けたのだった。
最後に広場の中心に建てられた舞台へと足を運ぶ。
近づいてみると舞台の上では腕を組んだゴードンさんとバルツさんが、何やら真剣な顔で言い合っているのが見えた。
「……だから色気が足りねえってんだよ。わしが作った黒鉄の飾り金具でもつけりゃあもっと見栄えがするだろうに」
「馬鹿野郎! こいつのコンセプトは『軽さと誰でも簡単に組めること』なんでえ! 下手に鉄なんかくっつけてみろ、重くなるだろうが!」
どうやら二人は舞台のデザインについて、プロの視点から議論を戦わせているらしい。
その時、僕の視線に気づいたゴードンさんが、待ってましたとばかりに声をかけてきた。
「おお、メルヴィン様! ちょうどいいところに! どう思われますかい? この鉄クズ屋がせっかくの舞台に重たい飾りをつけろってうるせえんでさあ」
「なんだとこのノコギリ頭!」
すごい剣幕で睨み合う二人。その視線が今度は僕に集中する。
(うわあ、すごい板挟みだ……。どっちの味方をしても角が立ちそうだな……)
『ナビ、どう思う? ゴードンさんの言う通りコンセプトは崩したくない。でもバルツさんの言う通り見た目が寂しいのも事実だ。何か両方を解決できる方法はないかな?』
《はい。問題の要点は「恒久的で重量のある装飾」がコンセプトに反する、という点です。したがって解決策は「一時的で軽量な装飾」を施すことです》
『一時的で軽量……?』
《メルの前世の記憶における「イベント装飾」のデータを参照。花、リボン、布といった素材は祝祭の雰囲気を演出し、かつ容易に撤去可能です。子供たちのプロジェクトとの連携も可能であり、コミュニティの活性化にも繋がると分析します》
『……! それいいね!』
僕は完璧な答えをくれた相棒に心の中で感謝すると、にっこり笑って二人に向き直った。
「うん、二人ともありがとう。まずゴードンさんの言う通り、この舞台は簡単に組み立てられるのが一番大事なんだ。だから重くなる飾りは付けないよ」
「おう、そうだろ!」
ゴードンさんが我が意を得たりと胸を張る。僕はバルツさんの方も見て続けた。
「でもバルツさんの言う通り少し見た目が寂しいのも本当だよね」
「ふん、分かってんじゃねえか」
僕は両方の意見を肯定した上で、ナビがくれた最高の解決策を提示する。
「だから飾りは鉄や木じゃなくて……お祭りの当日リリィたち子供に頼んで、綺麗なお花やリボンでたくさん飾ってもらおうと思ってるんだ」
「……ふん、花か。……まあそれなら悪くねえな。舞台が傷つくこともねえ」
「へっ、嬢ちゃんたちが飾り付けかい。そいつは、賑やかになっていいかもしれねえな」
二人は少しだけ照れくさそうに頭を掻くとそれぞれの持ち場へと戻っていった。
こうして二人の職人のプロの議論は、子供たちの笑顔を巻き込むという形で穏やかに着地したのだった。
◇
その夜。
僕は自室の机で僕自身の最後の準備に取り掛かっていた。
広げた紙の上には複雑でそして美しい二つの魔法陣が描かれている。「魔法幻灯会」と「魔法式花火」のものだ。
『ナビ、みんなすごく楽しそうだね。君のおかげで、僕の思いつきがちゃんと役に立ってるみたいで嬉しいな』
《はい。各プロジェクトの進捗率は平均九十八パーセント。成功は確実です。また村全体の士気も通常時と比較して三百パーセント以上に向上。メルの介入によるポジティブな効果です》
ナビの分析に僕は満足げに微笑んだ。
『そっか。……じゃあ僕たちも最後の仕上げをしないとね』
《最終チェックを開始します。シミュレーション上問題ありません。全ての術式は完璧に機能します》
『ありがとう、ナビ』
僕は窓の外に広がる静かな夜の広場を見つめた。
プレゼント作りに奮闘していたイリ姉の真剣な横顔。
ルカやリリィたちのキラキラした期待の眼差し。
ハンナさんの新しい挑戦への情熱。
ゴードンさんやバルツさんの職人としての誇り。
明日みんながどんな顔をするだろう。
その顔を想像するだけで、準備の疲れもなんだか吹き飛んでいくようだった。