第67話「イリ姉のプレゼント大作戦!」
「メル! ちょっと大事な話があるの!」
バン!と少し乱暴にドアが開け放たれる。
僕が自室の椅子に座って静かに読書を楽しんでいた平穏な午後は、姉であるイリ姉の文字通りの「突撃」によって、唐突に終わりを告げた。
僕は読んでいた本にしおりを挟むと長いため息を一つ。
「……イリ姉。入ってくる時は、せめてノックくらいしてほしいんだけど」
「そんな細かいことはいいのよ! それより、メルに相談があるの!」
僕の苦言など、どこ吹く風だ。
イリ姉はズカズカと部屋に入ってくると、僕の目の前の机にドンと手をついた。
その表情は、なぜか非常に真剣だ。
「いいこと、メル? 賓客をもてなすのは、領主家の務めでしょう!」
「うん、そうだね」
「収穫祭には、クラリスがやってくる。あの子が手ぶらで来るわけないわ。きっと、王都の気の利いた手土産を持ってくるに違いない。それなのに、こちらが何も用意していないとフェリスウェル家が、まるでケチで無作法だと思われるじゃない!」
(……なるほど。要するにクラリス嬢にプレゼントで見劣りしたくない、と)
僕は姉の分かりやすい本音に、心の中で小さくため息をついた。
「……それで、わたしも色々と考えたのだけれど……」
イリ姉は、少しだけばつが悪そうに、視線をそらしながら言った。
「ただの花束じゃありきたりすぎて、すぐに枯れてしまうし……。かといって何か手作りのものを、と思っても良いアイデアが浮かばなくて……」
そして、ちらりと僕の顔を窺うように見る。
「……あ、メル、最近、その……色々と面白いことを思いつくじゃない。ツイストポテトとか舞台とか……」
「だから、その……何か良い考えはないかしらと思って……聞いてるだけよ! 別にメルを頼ってるわけじゃないんだからね!」
ああでもない、こうでもないと一人で悩み続ける姉の姿に、僕は(また、面倒なことに巻き込まれそうだな……)と思いつつ静かに脳内の相棒に助けを求めた。
『ナビ、イリ姉が満足して、かつ、この領地ならではの素敵な贈り物って何かあるかな?』
《はい。メルの前世の記憶にある「ポプリ」を提案します。花やハーブを乾燥させ、香りを調合して長期間楽しむ室内香です。この領地特産のフェリスハーブや、リディアが管理する薬草園の花々を活用でき、独自性も高いと判断します》
僕はナビの完璧な提案を、さも自分が思いついたかのように姉に伝えた。
「それなら『ポプリ』っていうのはどうかな。色々な花やハーブを乾燥させて良い香りを袋に詰めるんだ。それなら枯れないし、この領地だけの特別な香りも作れるよ」
「ポプリ……! 素敵じゃない! わたしのセンスで最高の香りを作ってみせるわ!」
アイデアが決まれば、イリ姉の行動は早かった。
さっそく僕たちは薬草係のメイド、リディアの元を訪れた。
「リディア! あなたの知識を貸してほしいの! 香りが良くて色が綺麗な花とハーブ、最高の組み合わせを一緒に考えてちょうだい!」
イリ姉のただならぬ熱意に、リディアは少し驚いたように目をぱちくりさせながらも「……承知いたしました」と、専門家として的確な種類の花々を静かに集めてくれた。
リディアは集めた花々を大きなカゴに入れると、僕たちを屋敷の裏手にある薬草園へと案内してくれた。
「まあ、ここがリディアの仕事部屋? 薬草のいい香りがするわね」
薬草園の隅にひっそりと佇む小さな木の小屋に、イリ姉が感心したように声を上げる。
「うん。父様が予算を増やしてくれたから、最近、新しい道具も増えたんだ。僕も、よく使わせてもらってる」
僕にとっては、すっかり見慣れた光景だ。
小屋の扉を開けると、凝縮されたハーブの香りがふわりと鼻をくすぐる。
天井の梁からは、乾燥させるためのドライフラワーがいくつも吊るされ、壁際の作業台には僕がゴードンさんにお願いして作ってもらった、新しい薬研も置かれている。
「ポプリ作りに使えそうなものは、こちらに。ご自由にお使いください、イリス様、メルヴィン様」
リディアはそう言うと、作業台に並べたハーブについて、少しだけ付け加えた。
「……香りを混ぜる際は、一度にたくさんではなく、少しずつ試した方が、失敗が少ないかと存じます」
「分かったわ、ありがとう、リディア!」
「では、わたくしは次の仕事がございますので、これで失礼いたします。何か御用があれば、お呼びください」
リディアは静かに一礼して、小屋から出ていった。
こうして僕とイリ姉の二人だけの、秘密の共同作業が始まった。
『ナビ、ついでに、最高のブレンドのレシピも教えてよ』
《……申し訳ありません、メル。香りの調合は極めて芸術的で主観的な領域です。基礎的な理論は提示できますが、最終的な調和は、イリス様の感性に委ねるのが最善かと》
『そっか。ナビがそう言うなら仕方ない。ここはイリ姉の『芸術的センス』とやらに任せてみるか……』
ナビの知識を元に、僕が「香りを長持ちさせるためのコツ」を教え、イリ姉が「最高の香りを作るためのブレンド」を担当する。
イリ姉は、時々「違うわ、そのハーブは香りが強すぎる!」「この花の組み合わせこそ至高よ!」などと文句を言いながらも、その作業は驚くほど真剣で丁寧だった。
しかし――。
「うーん……なんだか、薬草っぽい匂いね……」
「こっちは、甘すぎて頭が痛くなるわ……!」
イリ姉のセンスだけで最高の香りを作り出すのは、さすがに難しかったらしい。
イリ姉の自信作は、どれも香りが喧嘩してしまいお世辞にも「良い香り」とは言えないものばかりだった。
僕とイリ姉が行き詰って、気まずい空気が流れ始めた、その時だった。
ちょうど、母様が趣味である薬草園の手入れを終え、お茶の時間にしようと僕たちを探しに来てくれたのだ。
「まあ、二人とも。ここでしたのね。お茶とお菓子を持ってきましたわよ」
母様が、にこやかに小屋に入ってきた。
「あら、ポプリ作り? 素敵ですわね。……でも、少し香りが喧嘩しているかしら」
母様はイリ姉が作った試作品の匂いを、ふわりと一つ嗅いだ。
そして普段のおっとりした雰囲気とは違う、真剣な、まるで職人のような目で作業台に並んだハーブを見渡す。
「イリス。このラベンダーと、こちらのミント。どちらも主張が強いから間にカモミールのような、柔らかい香りを入れてあげると仲良くなりますのよ。このラベンダーとミントを仲良くさせるために、つなぎ役として、このゼラニウムの葉を一枚だけ……」
半信半疑でイリ姉が母様の言う通りにハーブを調合してみる。
すると、どうだろう。
さっきまでの、ちぐはぐだった香りが嘘のように一つにまとまり爽やかで華やかで、それでいてどこか心が落ち着くような絶妙な香へと変化したのだ。
「う、そ……! すごい……母様、どうしてそんなこと……」
驚くイリ姉に母様は「ふふっ」と、お茶目に微笑んだ。
「お花を育てるのが好きというのは、お花の『声』を聞くのが好きということですもの。どの子とどの子が、お話したがっているか分かるのですわ」
普段は穏やかな母様の、誰も知らなかった意外な才能。
イリ姉は呆然とそして心の底から尊敬の眼差しで母様を見つめていた。
その後、母様の完璧な監督のもと、僕たちのポプリ作りは驚くほどスムーズに進んだ。
夕暮れ時。イリ姉が自分で刺繍を施した小さなリネンの袋に、完成したポプリをそっと詰めている。
その横顔は満足感と達成感に満ちていた。
「……できたわ」
「すごく良い香りだね、イリ姉」
「ふん……! 別に、あの子のために頑張ったわけじゃないんだから。家の名誉のためよ、家の!」
真っ赤になってそっぽを向く姉の姿に、僕は素直じゃないなぁと、心の中で微笑むのだった。