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第65話「最高の鉄板と、たった一つの忘れ物」

 ゴードンさんたちと、魔法と職人技を融合させた舞台を完成させてから、数日が過ぎた。収穫祭までは、あと五日。村の準備は、いよいよ最終段階の熱気を帯びていた。


 僕は、そんな活気に満ちた広場をぶらぶらと散歩していた。子供たちの『おたのしみ屋』の準備は順調そうだし、ゴードンさんたちが作った舞台も改めて見るとやっぱり立派だ。

 最後に、ハンナさんのお店はどうかな、と『木漏れ日亭』の屋台へ顔を出したところだった。


「ハンナさん、順調?」

「あら、メルヴィン様! はい、おかげさまで! ……ただ、肝心の鉄板がまだ来ないので、焼き方の練習ができなくて」


 ちょうどハンナさんとそんな話をしていると、広場の入り口から一台の荷馬車がこちらへ向かってくるのが見えた。荷台を引いているのは鍛冶屋のバルツさんだ。


「おお、ハンナの嬢ちゃん! 約束の品を、届けに来てやったぜ!」

 バルツさんの声に僕とハンナさんが駆け寄る。


 荷台の布が取り払われると、そこに鎮座していたのは、息をのむほどに美しい黒光りする巨大な円形の鉄板だった。


「まあ……! なんて、綺麗……!」

 表面は鏡のように滑らかに磨き上げられており、どこにも歪みやムラが見当たらない。素人目にも、これがとてつもない技術の結晶であることが分かった。

「へっ。メルヴィン様の無茶な注文のおかげで、わしの腕も、また一つ上がったってもんだ」

 バルツさんは、そう言ってぶっきらぼうに笑うが、その目は自分の作品を愛おしそうに見つめている。


「バルツさん、ありがとうございます! これで、最高のクレープが焼けます!」


ハンナさんが深々と頭を下げると、バルツさんは腕を組んで、ふんと鼻を鳴らした。


「へっ。礼を言うのは、そいつで嬢ちゃんが、そのクレープとかいう菓子を焼いてからでいい。なにせ、腕によりをかけて作った逸品だ。そいつがどう使われるか、この目で見届けるのは当然だろうが」


バルツさんは壁に寄りかかると、まるで試験官のようにじっとこちらを見据えはじめた。


 さっそく完成したばかりの屋台のかまどに、その鉄板を設置する。大きさもあつらえたようにぴったりだ。

 火が入れられ、鉄板がじっくりと温まるのを待って、ハンナさんが練習通りに作ったクレープ生地をお玉で掬い、中央にそっと流し込んだ。

「さあ、見ていてください、メルヴィン様!」

 ハンナさんは、自信満々の笑みで、お玉の背を使って生地を広げようとする。

 しかし、その時だった。


「……あれ?」


 フライパンと違い、傾けて広げることができない平らな鉄板の上で、生地は無情にも中央で固まり始め、均一な薄さに全く広がらない。慌ててヘラで伸ばそうとするが、生地は見る見るうちに、いびつな厚焼きパンケーキのようになってしまった。


「う、上手くいきません……! な、なんで……!」

 焦るハンナさんの額に、じわりと汗が浮かぶ。


それを見て壁際にいたバルツさんが、少し不機嫌そうな声を上げた。

「おい、嬢ちゃん! わしの鉄板は完璧なはずだぜ! てめえの腕が悪いんじゃねえのか!」

「そ、そんな……!」


 その様子を見ていた僕は、はっとした。

 脳内に、前世のクレープ屋さんの光景が、鮮明にフラッシュバックする。

 熱い鉄板。流し込まれる生地。そして、それを手際良く広げる、あの――。


(あっ……! しまった、大事なものを忘れてた!)


曖昧な記憶の断片。僕は、脳内の相棒に助けを求めた。


『ナビ、僕の記憶を探って! クレープ生地を、鉄板の上で薄く広げるための専門の道具があったはずだ!』


《検索しました。該当するツールを特定。日本では『クレープトンボ』と呼称される、T字型の木製器具です。接触面の平滑度と適切な重量バランスが均一な生地厚を確保する鍵となります。設計データをメルに転送します》


脳内に表示された、完璧な設計図。

(……そう、これだ!)


僕は焦るハンナさんに声をかけた。

「分かった、足りないものがあったんだ!」


 僕は鉄板を使うためには、もう一つ生地を薄く均一に広げるための専用の道具が必要だったことを、すっかり失念していたのだ。


「ハンナさん、大丈夫! いいものがあるんだ!」

 僕は慌てる彼女をなだめると、地面に木の枝で簡単な絵を描いてみせた。

 一本の棒の先に直角にもう一本、短くて平たい棒がついたT字型の道具。


「これ! この道具があれば、絶対に上手くいくよ!」

「えっと……メルヴィン様? これは……なんでしょうか? T字の……木の棒ですか?」


 ハンナさんは、僕が地面に描いた単純な絵を不思議そうに見つめている。


「うん。この平らな部分で鉄板の上の生地を、こう、くるーっと撫でるように広げるんだ」

 僕は身振り手振りを交えて、使い方を説明する。

「そうすれば、お玉の背中でやるより、ずっと速く綺麗に同じ薄さにできるんだよ」


「まあ……! なるほど……!」


 僕の説明を聞いて、ハンナさんだけでなく、バルツさんも「……なるほどな。そういう『理屈』だったか」と納得したように頷いている。


「なんて画期的な道具なのでしょう! ですが、そんなものどこに……」


 ハンナさんの言葉に僕は、にっと笑った。

「ゴードンさんのところに行こう! ゴードンさんなら、この絵を見ただけで、きっとすぐに作ってくれるはずだから!」


 最高の道具を手に入れたはずが、僕のうっかりミスのせいで新たな課題が生まれてしまった。

 僕とハンナさんは顔を見合わせると、どちらからともなく駆け出していた。

 目指すは広場の反対側で、舞台の最終調整をしているはずの村一番の大工さんの元へ。


「おーい、メルヴィン様にハンナの嬢ちゃん! そんなに慌てて、どうしたんでい!」


 舞台の上から僕たちに気づいたゴードンさんが声をかけてくる。

 僕たちは息を切らしながら事情を説明し、地面に描いたT字の棒の絵を見せた。

 それを見たゴードンさんは、きょとんとした後「がはは!」と豪快に笑い飛ばした。


「なんだい、そんなことかい! 任せときな!」


 彼は舞台の建設で出た端材の一つを手に取ると、腰の道具袋から手斧ちょうなかんなを取り出した。

 そして僕たちが瞬きする間に、慣れた手つきで木材を削り、磨き、あっという間に完璧なT字型の棒――『トンボ』を三本も作り上げてしまった。


「へっ、こんなもんでどうでい?」

「すごい……! ありがとうございます、ゴードンさん!」


 ハンナさんがお礼を言うと、僕たちはトンボを手に再び『木漏れ日亭』の屋台へと駆け戻った。


 再び熱された鉄板に、ハンナさんが慎重に生地を流し込む。

 そして出来立てのトンボを使い、僕が教えた通りに、くるりと円を描くように生地を広げる。

 すると今度はどうだろう。

 驚くほど薄く均一な黄金色の生地が美しい円を描いていく。


「……できた」


 焼き上がった完璧なクレープを前に、ハンナさんの目に、じわりと涙が浮かんだ。

「できました……! 完璧なクレープです! これで収穫祭は大成功間違いなしです!」


 安堵と喜びに満ちた彼女の笑顔を見て、僕もほっと胸をなでおろす。


「メルヴィン様! この最初の一枚、さっきお世話になったお二人に、お礼として持っていきましょう!」


 ハンナさんの提案に僕は頷いた。

 僕たちは出来立てのクレープを手に広場の反対側へと向かった。

 舞台の上では、ゴードンさんが弟子たちに指示を飛ばしており、その下ではバルツさんが腕を組んで、興味深そうに舞台の構造を眺めている。どうやら自分の鉄板がどう使われるかだけでなく、ライバルである大工の仕事も気になるらしい。


「ゴードンさん、バルツさん!」


 ハンナさんが声をかけると、二人の厳つい顔がこちらを向いた。


「さっきは、ありがとうございました! おかげさまで、こんなに素敵なものができました! お礼です、どうぞ召し上がってください!」

「んあ? わしは仕事中だぜ」

「まあまあ、そう言わずに」


 ぶっきらぼうなゴードンさんに、ハンナさんが笑顔でクレープを差し出す。

 ゴードンさんは仕方ねえなという顔で一口パクリ。バルツさんも興味なさげな顔で一口。


 次の瞬間、二人の職人の動きが、ぴたりと止まった。


「……なんだこりゃあ。薄いのにもちもちしてやがる……。ジャムの甘酸っぱさが……うめえじゃねえか」

「……ふん。悪くねえな。鉄板の熱の通り具合も完璧だったみてえだ」


 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に二人の口元は、わずかに緩んでいる。そして、その食べる手は止まらない。


 村が誇る二人の頑固な職人。

 その両名が新しいお菓子を前に、子供のように夢中で頬張っている。

 その微笑ましい光景に僕とハンナさんは、顔を見合わせて今度こそ心からの笑顔になったのだった。

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