第62話「頑固な鍛冶屋と、奇妙な依頼」
ハンナさんに手を引かれるまま、僕は村の一角にある鍛冶場へとやってきた。
建物の入り口は大きく開け放たれており、中からは、むわりとした熱気と、鉄の焼ける匂い、そしてリズミカルに響き渡る力強い槌の音が漏れ聞こえてくる。
「バルツさーん! いらっしゃいますかー!」
ハンナさんが元気よく声をかけると、カン、カン、と響いていた槌の音がぴたりと止んだ。
炉の赤い光を背に汗だくの巨漢が、ぬっと姿を現す。
筋骨隆々のたくましい身体、厳つい顔には立派な髭。村の鍛冶屋、バルツ・アイゼンハルトさんだ。
「……おお、ハンナの嬢ちゃんか。それにメルヴィン様もご一緒とは。何の用だい」
彼は真っ赤に焼けた鉄の塊を一度水に浸けてから、訝しげな顔でこちらを見た。そのぶっきらぼうな口調は、いかにも職人といった感じだ。
「バルツさん! 今日は、あなたにしかできない特別なお願いがあって来ました!」
ハンナさんは、息を切らしながらも、興奮した様子でまくし立てる。
「大きくて、まん丸で平らな鉄の板を作ってほしいんです! お菓子を焼くための!」
「……はあ?」
バルツさんは心底どうでもよさそうに鼻で息を吐いた。
「くだらん。わしは農具や釘を作ってんで、嬢ちゃんたちの遊び道具を作ってる暇はねえんだ」
「遊び道具じゃありません! これは収穫祭を、ううん、この村の未来を左右する大事な大事な道具なんです!」
「大げさなこった。とにかく、できねえもんはできねえ。鉄は安くねえんだぜ」
頑固なバルツさんに、ハンナさんの情熱も空回りしている。
(やっぱり、こうなるか……。ただお願いするだけじゃ、だめだ)
僕は一歩前に出た。
「バルツさん。それは、ただの鉄の板じゃないんだ」
「……なにぃ、メルヴィン様?」
「ただ平らにするだけじゃなくて、厚さは均一にしてほしいんだ。厚い鉄の板は、一度熱すると、冷めにくいでしょう? そこに冷たい生地を流し込んでも、鉄板の温度が下がらないから、一気に、そしてムラなく焼けるんだ。だから、薄っぺらじゃだめなんだよ」
ナビが教えてくれた熱伝導の理論を、僕は子供でも分かるような言葉で説明する。
そして地面に落ちていた木炭を拾うと、近くの板切れに大きな円を描いてみせた。
「形は綺麗なまん丸。表面は生地がくっつかないように、つるつるに磨いてほしい。そういう『料理のための道具』なんだ」
僕の具体的な説明にバルツさんは腕を組み唸り声を上げた。
「……メルヴィン様。あんた、とんでもねえことを、さも簡単そうに言うもんだな」
「え?」
「まず、これだけ大きな鉄の板を、反りも歪みもなく、完全に平らに鋳造するのがどれだけ難しいか、分かって言ってるのかい? 下手をすりゃ、冷ます途中で歪んで使い物にならなくなるか、最悪割れちまう」
バルツさんの厳しい目に、ハンナさんがゴクリと喉を鳴らす。
「それに、この表面を『つるつるに』だと? 鏡じゃあるめえし。これを手作業で磨き上げるのに、どれだけの日数と砥石が必要になると思ってやがるんだ」
それは職人だからこそ分かる、この依頼の無茶さを指摘する言葉だった。
(やっぱり、難しいんだ……)
『ナビ、反りをなくして効率よく磨く方法、何か知らない?』
《はい。鋳造時の歪みは、冷却速度の不均一性が原因です。鋳型ごと断熱材で覆い、徐冷することで内部応力を緩和できます。最適な断熱材は、この場にある乾燥した砂です》
『徐冷……。磨く方は?』
《研磨については、硬度の異なる複数の研磨材を段階的に使用することで効率化が可能です。粗研磨には川砂、中研磨には水晶の粉末、最終仕上げには、獣骨を焼成して粉末化したリン酸カルシウム……通称『ボーンアッシュ』が有効です》
ナビの、いつも通り冷静な、しかし頼もしすぎる提案。僕は、それを子供の言葉に翻訳して、バルツさんに伝えた。
「あのね、バルツさん。鉄を型に流した後、すぐに冷やさないで、熱い砂を山みたいにいっぱいかけて、何日もかけて、うんとゆっくり冷やすっていうのはどうかな?」
「……なに? 砂をかけるだと?」
「それから磨くのも、ただ磨くんじゃなくて……。最初は川の荒い砂で次にキラキラした石、水晶の粉で。最後に動物の骨を焼いて粉にしたやつで磨くと、つるつるになると思う」
僕の言葉を聞き終えると、バルツさんは返事もせずに、腕を組んでじっと考え込んでしまった。
ぶっきらぼうな表情は変わらないが、その目が真剣な職人の色を宿している。
「……メルヴィン様。あんたが時々とんでもねえ事を考えるってのは、村の連中から聞いてたが……こいつは確かにな」
バルツさんは、ごしごしと己の髭を撫でた。
「砂で徐冷だと? 普通は水で一気に焼きを入れるもんだ。だが確かに、そいつなら歪みを抑えられるかもしれねえ……。段階的な研磨も理屈は通ってる」
バルツさんは、まるで新しい工具の設計図でも吟味するかのように僕の提案を分析している。
「……ちっ。面白えじゃねえか」
バルツさんは、ついに顔を上げニヤリと笑った。
それは純粋な好奇心と挑戦欲に満ちた職人の笑顔だった。
「よし、分かった、乗ってやる! 坊主の言う、その新しいやり方、このわしが試してやるぜ。もしうまくいきゃあ、今後の仕事にも活かせるかもしれねえしな!」
「その代わり、中途半端なモンは作らねえ。わしのプライドにかけて、最高の逸品に仕上げてやる。だから、完成まで口出しは無用だぜ!」
「バルツさん!」
ハンナさんが、最後の一押しとばかりに声を張った。
「もし、この道具が完成したら! 収穫祭で出す新しいお菓子、バルツさんには一年分、無料でご馳走します! 約束します!」
その言葉に、バルツさんの髭が、ぴくりと動いた。
バルツさんは、ごほん、と一つ大きな咳払いをすると、僕が描いた円を、ごつい指でなぞった。
「……ふん。理屈は分かった。嬢ちゃんの熱意もな」
彼はニヤリと、挑戦的な笑みを浮かべた。
「面白い。やってやろうじゃねえか、その『夢の道具』作りとやらを。このバルツ・アイゼンハルトの、生涯最高の『平らな鉄板』をな!」
その力強い宣言に、ハンナさんと僕は顔を見合わせてぱっと笑った。
こうして頑固な鍛冶屋の職人魂に、ナビが導き出した最適解が見事に火をつけたのだった。
『ナビ、バルツさん、なんだかんだ言って引き受けてくれたね』
《はい。ハンナ氏が提示した『菓子一年分』という追加報酬が、バルツ氏の最終的な意思決定に影響を与えた可能性は、九十五パーセント以上と算出されます》
『え、やっぱりそこ!? (はは、バルツさん、甘いもの好きなんだな)』