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第61話「クレープ講習会と、特注の鉄板」

 僕の提案によって、収穫祭のデザートメニューが正式に決定した翌日の午後。

 屋敷の厨房は、普段の調理場とは少し違う、熱気に満ちた「講習会場」となっていた。


「むむむ……! あと少し火力が強いと焦げ付き、弱いと固まらんとは! なんと繊細な代物ですかいな!」


 厨房の一角では料理長のヒューゴが腕を組み、鍋の中の砂糖と睨み合っている。彼の専門分野である火を使った料理でありながら、ガラスのように硬い飴を作るという未知の技術に、さすがの彼も悪戦苦闘しているようだった。


 そして、もう一方。中央の調理台では僕が先生役となって、ハンナさんにクレープ作りを教えていた。


「わわっ、また破れてしまいました……! うう、奥が深いです、クレープ作り……!」


 情熱的で飲み込みの早いハンナさんだったが、生地を紙のように薄く焼く、という作業にはかなり苦戦している。最初の一枚は分厚すぎてパンケーキのようになってしまい、今度は薄くしようとしすぎてフライパンの上で破れてしまった。


「ハンナさん、慌てないで。生地はね、あんまり混ぜすぎないで、ちょっとだけ寝かせるのがコツなんだ」


『ナビ、最適な生地の粘度は?』

《現在の湿度と室温を考慮すると、牛乳をあと五ミリリットル追加し、三十分の休止時間を推奨します》


「あと牛乳をほんの少しだけ足して、しばらく置いておくといいよ。それからフライパンは煙が出るくらい熱くして、油は本当にうすーく伸ばすんだ」


 僕の助言にハンナさんは「なるほど……!」と真剣な顔で頷くと、すぐさま実践に移る。

 そして数回の挑戦の後。

 ジュワッという軽やかな音と共に薄い黄金色の生地が、レースのような美しい焼き目をつけながらフライパンの上で見事な円を描いた。


「や、やりました! メルヴィン様! 焼けましたわ!」

「うん、すごく上手。完璧だよ、ハンナさん」


 僕の言葉に、ハンナさんは「えへへ」と嬉しそうに笑った。


その時、厨房の入り口から、母様がにこやかな表情で入ってきた。


「ふふっ、会議で話していた通り、とっても甘くて良い香りがしてきましたわね。……あら、メアリー? あなたも一緒でしたの?」


母様の後ろから、メイドのメアリーが、うっとりとした表情で鼻をくんくんさせながら、夢遊病者のようにふらふらとついてきていた。


「はっ!? い、いえ、これはその、奥様の護衛といいますか、道の安全を確認しておりました、です!」

しどろもどろで敬礼するメアリーに、僕たちは思わず笑ってしまった。


「母様! ちょうど良かった。今、ハンナさんが一枚焼き上げたところなんだ。味見していってよ」


僕が声をかけると、母様は「まあ、嬉しい!」と喜んでそばに寄ってきた。

ハンナさんが、焼き立てのクレープに木苺のジャムをくるくると巻いて、母様に差し出す。


「奥様、どうぞ! メルヴィン様に教えていただいた『クレープ』というお菓子です!」

「まあ、これが! いただきますわね……んっ、美味しい! 薄いのに、もちもちしていて、初めての食感ですわ!」


母様がクレープを絶賛している間も、メアリーはずっと、そのお皿をキラキラした目で見つめている。

声は出さないが、その全身が「わ、わたしも、それを一口……!」と雄弁に物語っている。


そのあまりに健気な姿に、僕はくすりと笑ってしまった。

「メアリー、そんな顔してたら、あげないわけにはいかないよ」


僕が自分の試食用に焼いてもらったクレープを半分ちぎって「メアリーも、はい」と渡すと、彼女は「め、メルヴィン様は、やっぱり天使様ですぅ……!」と感涙にむせびながら、それはそれは幸せそうに頬張った。


そんな賑やかな試食会を微笑ましく眺めながら、僕は一人、考え込んでいた。


(すごいな、ハンナさん。もう完全にマスターしてる。でも、これだとお祭りでたくさん売るのは、やっぱり大変そうだ。一枚のフライパンだと一度に一枚ずつしか焼けないし……)


 その思考が、つい独り言として口から漏れた。

「……もっと大きくて平らなまん丸の鉄の板があれば、一度にたくさん焼けて、もっと簡単なんだけどなあ……」


 その本当に小さなつぶやきを、ハンナさんの耳は聞き逃さなかった。

「えっ!? メルヴィン様! 今、なんておっしゃいました!?」


 彼女は焼いていたクレープを皿に置くと、目を爛々と輝かせて僕に詰め寄った。


「そんな、夢のような道具があるのですか!? 大きくて、平らで、まん丸の!?」


「ううん、実際にあるかどうかは分からないんだ。でも、このフライパンは小さいでしょ? だから、もっと大きくて平らな鉄の板があればなって、今ちょっと思っただけだよ」


 僕がそう答えた瞬間、ハンナさんの中で何かが決まったようだった。彼女は、パンッと威勢よく手を打つ。

「それ、作りましょう! 今すぐ!」


「えっ、今から!?」


「はい! 村の鍛冶屋のバルツさんなら、きっと作ってくれます! 鉄を打つことにかけては、領地一の腕利きなんですから!」


 鍛冶屋のバルツさん。頑固だけど腕は確かな、村の職人だ。確かに彼なら作ってくれるかもしれない。

 僕が呆気にとられている間に、ハンナさんは僕の手をぐいっと掴んだ。


「さあ、メルヴィン様、行きますよ! 善は急げです! バルツさんに、その『夢の道具』の形を、メルヴィン様の口から教えてあげてください!」


「ちょ、ちょっと待って、ハンナさん!」


「おおい、ハンナ君!? 講習会の途中ですぞー!」


 背後から聞こえるヒューゴの焦ったような声も、今のハンナさんの耳には届いていないようだった。

 彼女は燃えるような情熱と期待をその瞳に宿して、僕を引きずるように厨房を飛び出していく。

 目指すは、村の鍛冶場。カン、カン、とリズミカルな槌の音が聞こえる方へ。

 こうして始まったばかりのクレープ講習会は、思いがけず村の鍛冶屋を巻き込んだ、新たな騒動の序章となったのだった。

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