第60話「祭りの"華"と、甘い香り」
領主である父様による「史上最大の収穫祭」の開催宣言から数日が過ぎ、祭りに向けた具体的な準備が着々と進み始めていた。開催までは、まだ二週間ほど時間がある。村の広場では、大工のゴードンさんたちが新しい屋台の骨組みを組む音が響き、女性たちは飾り付けの計画を楽しそうに話し合っていた。
その日の午後、屋敷の会議室には、父様と村長、そしてヒューゴやゴードンさんといった各部門の責任者が集まり、第一回の準備会議が開かれていた。僕も、端っこの方でお菓子を食べながら、その様子をなんとなく眺めている。
「うむ。屋台の増設は順調、警備計画も問題ない。……ヒューゴ、料理の目玉である『ツイストポテト』の準備はどうか?」
「はっ! お任せくだされ、旦那様。最高のじゃがいもを最高の形で提供すべく、万全の準備を進めておりますぞ!」
ヒューゴが自信満々に胸を叩く。会議は順調に進んでいるように見えた。その時、母様がおずおずと手を挙げた。
「あの、皆様。お食事のメニューは素晴らしいのですが、女性や子供たちにとっては、甘いお菓子の類……デザートが少し物足りないように思うのですけれど、いかがかしら?」
母様の言葉に、会議に参加していた婦人会の代表もこくこくと頷く。
「はい、奥様のおっしゃる通りです。現状の案では、焼きリンゴや干し果物くらいでして……」
「むぅ、確かに。祭りの『華』となるようなデザートがあれば、より一層盛り上がるだろうが……」
父様が腕を組んで唸る。ヒューゴも、専門外とあってか少し難しい顔をしていた。
(デザートか……。そういえば、前世のお祭りには、もっとこう、心躍るような甘いお菓子がたくさんあったな)
僕の脳裏に、縁日の屋台の光景が蘇る。キラキラと輝く、甘い香り。
『ナビ、この世界で「りんご飴」とか「チョコバナナ」って作れるかな?』
《照会します。まず「りんご飴」について。主材料であるリンゴ、砂糖、水は全て入手可能です。高温で砂糖を煮詰めて飴状にする技術は、この地域ではまだ一般的ではありませんが、火力の調整とメルの魔力による温度管理補助があれば、再現は容易と判断します》
『ふむふむ。じゃあ、チョコバナナは?』
《「チョコレート」の主原料であるカカオ豆は、遥か南方大陸を原産とする非常に希少な交易品です。商人ヨナスに特別に依頼すれば入手は可能ですが、現物を取り寄せるだけでも数ヶ月を要します》
『そっか、今すぐは無理なんだ』
《はい。加えて、カカオ豆から我々が知る『チョコレート』へと加工するには、焙煎、磨砕、精練といった、現在のこの領地の技術レベルでは再現が極めて困難な、複数の特殊な工程が必要です》
『うーん、やっぱりそんなに簡単じゃないんだ……』
《結論として、今回の収穫祭での『チョコバナナ』の再現は、原料の入手時期、および技術的側面の両面から不可能と判断します》
(そっか……。でも、チョコレートか。もし作れたら、甘いものが大好きなイリ姉や母様、村の女性陣や子供たちが、きっとすごく喜んでくれるだろうな。よし、これは、今後の楽しみな“宿題”にとっておこう)
『ナビ、分かった。チョコバナナは、また今度だね。それじゃあ、りんご飴の他に、今すぐこの村でできる、お祭り向けのデザートって何かある?』
《はい。りんご飴で実証された「砂糖の高温加熱による状態変化」は、この領地における新しい調理技術です。この技術を応用するか、あるいは既存の単純な調理法で実現可能なものをいくつか提案します》
『お、いいね! なになに?』
《まず、最も単純なのは『焼きフルーツの蜂蜜がけ』です。既存の調理法ですが、祭りの屋台としては十分な商品価値を持ちます》
『なるほど、シンプルだけど美味しいやつだね。他には?』
《次に、メルの前世の記憶にある『クレープ』を提案します。小麦粉、卵、牛乳を基本とする生地を薄く焼く菓子です。この領地にも類似のパンケーキは存在しますが、「極めて薄く焼く」という点に新規性があります》
『クレープ! いいね、それだ!』
《はい。そして、この『クレープ』は、中に詰める具材によって甘い菓子にも、塩味の主食にもなり得ます。将来的に、領地の食文化を大きく発展させるポテンシャルを秘めていると分析します》
『そんなにすごいの!? ……そっか、それなら今のうちから村に広めておくのもいいかもしれないね!』
僕は、お菓子の皿を空にすると、会議の輪に歩み寄った。
「ねえ、父様。僕、知ってるよ。お祭りにぴったりの、甘くてキラキラしたお菓子」
「ほう、メルか。どんなお菓子なんだ?」
僕の言葉に、大人たちが興味深そうに顔を向ける。
「リンゴに棒を刺して、溶かしたお砂糖をかけて、そのまま固めるんだよ」
「溶かした砂糖、ですかい?」
ヒューゴが真剣な顔で聞き返す。
「蜂蜜を煮詰めることはありますが、砂糖だけで……。それに、冷やしてもベタベタするだけで、固まったりはしないでさあ」
「ううん、それはね、温度が足りないんだ」
僕が静かに言うと、ヒューゴは目を見開いた。
「もっと、煙が出るくらいすごく熱くするんだ。そうすると、冷めた時に、ガラスみたいにパリンって硬くなるんだよ」
「なんと! 砂糖の性質が、温度で……!? そ、そんなことが……!」
ヒューゴは、料理人としての常識を覆されたかのように、わなわなと震えている。
「坊ちゃま! それは誠ですかい!? もし本当なら、菓子の世界が……いや、料理の世界そのものがひっくり返りますぞ!」
「はっはっは! 見事だ、メル! さすがは我が息子だ!」
父様もヒューゴの興奮ぶりを見て事の重大さを理解したようだ。満足げに僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「よし、ヒューゴ! その『ガラスの飴』作り、お前に一任する! 最高のりんご飴を完成させ、収穫祭の目玉とするのだ!」
「ははっ! このヒューゴ、生涯の全てをかけて、必ずや成功させてみせまする!」
りんご飴の担当が決まり、一度そこで話が区切りとなる。
そこで、父様はもう一人の責任者であるハンナさんに向き直った。
「さて、素晴らしい案が一つ出たが、ハンナ君。君の『木漏れ日亭』でも、何か新しいことはできそうかな?」
父様に話を振られ、ハンナさんは「はい!」と元気よく返事をすると、期待に満ちた目で僕を見た。
「メルヴィン様! 私たちのお店でもできるような、何か素敵なお菓子のアイデア、ありませんでしょうか?」
「えっとね……うん、二つあるよ」
僕は、ナビが提案してくれた案を思い出しながら言った。
「一つは串に刺した果物を軽く焼いて、蜂蜜をとろーってかけるの。シンプルだけど、きっと美味しいと思う。もう一つは小麦粉と卵を溶いたのを、紙みたいにうすーく焼いてジャムとかをくるくるって巻くんだ」
「まあ! 焼きフルーツに蜂蜜……! それに薄焼きのお菓子! 両方とも、なんて素敵なのかしら!」
ハンナさんは目を輝かせた。
「その薄焼きのお菓子というのは、パンケーキとは違うのですか?」
「うん。もっとずっと薄く焼くんだ。そうすれば、色々なものを包めるから、きっと楽しいよ」
「なるほど……! 夢が広がりますね! よし、決まりました! 私たち『木漏れ日亭』は、メルヴィン様から頂いたその二つのアイデアで、最高の屋台を出してみせます!」
ハンナさんの力強い宣言に、ヒューゴもじっとしていられなくなったようだ。
彼は、会議の席から勢いよく立ち上がると、父様に向かって深々と頭を下げた。
「旦那様! もはや会議をしている場合ではございませんぞ! 一刻も早く厨房へ向かい、試作に取り掛かる許可を!」
父様は、その熱意に満ちた料理長の姿に、愉快そうに笑って頷いた。
「うむ、許可しよう! 思う存分、腕を振るうが良い!」
「ははっ! ありがたき幸せ!」
許可を得たヒューゴは、ぎらぎらと目を輝かせながら、僕の肩をがしっと掴んだ。
「さあ、坊ちゃま、参りましょう! その『ガラスの飴』の秘儀、今すぐこのヒューゴにご教示くだされ!」
「わ、私もです!」とハンナさんも続く。
「ぜひ、その『クレープ』の作り方を、この目で見させてください!」
大人たちの、ものすごい熱意と期待に満ちた視線が、僕一人に突き刺さる。
(うわあ、すごいやる気だ……。お昼寝してからじゃ、だめかなあ)
こうして僕ののんびりしたいという願いとは裏腹に収穫祭に向けた新デザート開発の実践編が、すぐさま幕を開けることになったのだった。