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第6話「料理長と、初めてのぷるぷる」

ぽかぽか陽気のお昼過ぎ。

気持ちのいいお昼寝から目を覚ました僕の頭に、ふと、ある欲求が浮かんできた。


『何か、ぷるぷるで、甘くて、黄色くて、とろけるようなものが食べたいな』


それは、前世の記憶の、一番奥の方にあった、おぼろげなイメージ。

でも、どうしてだか、無性にそれが食べたくなった。


『ナビ、そんなお菓子、知らない?』


《検索します……該当しました。その特徴は「プリン」と呼ばれる菓子と一致します。レシピを提示しますか?》


『うん、おねがい』


ナビの言葉と同時に、僕の頭の中に、簡単な作り方の映像が流れ込んできた。

卵と、牛乳と、お砂糖。材料は、このお屋敷にも全部あるものだ。


よし、と僕はベッドから飛び降りた。



厨房を覗くと、そこにはこの屋敷の料理を全て取り仕切る、料理長のヒューゴがいた。

彼は、僕の祖父の代からこのフェリスウェル家に仕えている、この道数十年のベテランだ。

その腕は確かで、父様も母様も、彼の作る料理をいつも楽しみにしている。


「ヒューゴ、こんにちは」


「おや、メルヴィン坊ちゃま。どうかなさいましたか? おやつの時間には、まだ少し早いですが」


ヒューゴは、野菜の皮を剥いていた手を止めると、屈強な腕を組んで、僕に優しく微笑みかけた。


「あのね、ヒューゴ。作ってほしいものがあるんだ」


僕は、ナビに教えてもらった作り方を、一生懸命、子供の言葉で伝える。


「たまごとおさとうとぎゅうにゅうでね、でもね、焼かないの。おふろみたいに、やさしーく、蒸すの」


僕の言葉を聞いたヒューゴは、その太い眉をひそめ、ふむ、と腕を組んだ。


「ほう……坊ちゃま。そのような料理は、このヒューゴ、長年厨房に立っておりますが、聞いたことがございませんな」


『やっぱり、この世界にはないんだ』


《はい。既存のレシピデータベースに該当する調理法は存在しません。これはこの世界における、全く新しい食文化の創造となります》


「ですが、卵を蒸すとなりますと、甘い汁物にしかならない可能性もございます。それに、お砂糖は高価なものですからな。失敗はできませぬ」


「だいじょうぶ! 絶対おいしいから、一回作ってみてよ!」


僕が、純粋な目でそう訴えると、ヒューゴは「うーむ」と唸って、少しだけ困った顔をした。



「あら、二人で何をお話ししているの?」


「母様!」


セリーナは、困った顔のヒューゴと、期待に満ちた顔の僕を交互に見て、優しく微笑んだ。


「なんだか、とても楽しそうね。ヒューゴ、メルが何かお願いでもしているのかしら?」


母様は、僕の話を聞くと、にっこり笑った。


「まあ、面白そうなお菓子ね。ぷるぷるで、とろーっとするのかしら?」


「うん!」


「ヒューゴ、一度試してみてはくださらない? 失敗したら、私がおやつに全部いただきますから」


母様がお茶目にそう言うと、ヒューゴは降参したように、ははっと笑った。


「奥様がそうおっしゃるのでしたら、仕方ありませんな。腕によりをかけて、作ってみせましょう。しかし、失敗しても私は知りませんぞ」


ヒューゴは、少しだけ芝居がかったように肩をすくめて、にやりと笑った。



こうして、僕の指示のもと、不思議なお菓子作りが始まった。


「ヒューゴ、火はね、あんまり強くしちゃだめ。よわーく、よわーくね」

「なるほど、弱火でじっくりと。承知いたしました」


「まぜるときはね、泡が出ないように、そーっと、やさしくね」

「ほう、泡立ててはいけない、と。これは面白い。かしこまりました」


僕の子供らしい、感覚的な指示。

でも、ヒューゴはそれをプロの技術で正確に解釈し、一つ一つの工程を、驚くほど丁寧にこなしていく。


《ヒューゴ氏の調理スキルはレベル87。あなたの指示とのシナジー効果により、レシピの再現度は95%を超えています》


『楽しみだね!』



そして、ついにその時はやってきた。

蒸し器から取り出された、小さな器。

その中には、つやつやと輝く、綺麗な黄色いお菓子が入っていた。


「ふむ……形にはなりましたな。しかし、なんとも頼りないお菓子だ」


ヒューゴは、まだ少しだけ疑いの目で、完成したばかりの「プリン」を見つめている。

母様が、小さなスプーンを僕と自分、そしてヒューゴの手に握らせた。


「さあ、いただきましょうか」


僕と母様は、わくわくしながら、スプーンをプリンに入れた。

ぷるん、とした、今まで感じたことのない感触。

それを、そっと口に運ぶ。


「「おいしいー!」」


僕と母様の声が、綺麗にハモった。

口に入れた瞬間、とろけてなくなるような、滑らかな食感。

卵と牛乳の優しい甘さが、口いっぱいに広がる。


「まあ、ヒューゴ! これは素晴らしいお菓子だわ!」


母様は、目を輝かせて感動している。

ヒューゴは、僕たちの反応を見て、まだ信じられないという顔で、おそるおそる自分もプリンを一口食べた。


その瞬間、ヒューゴの目が、カッと見開かれた。


「こ、これは……! なんという、なんという滑らかな舌触りだ……! 焼いていないのに、このしっかりとした甘さとコク……信じられん……!」


頑固な料理長は、その未知の食感と完成度に衝撃を受け、言葉を失って、ただただスプーンを口に運び続けている。


やがて、彼ははっと我に返ると、僕の前に深々と頭を下げた。


「坊ちゃま……! このヒューゴ、一生の不覚! このお菓子の名と、もう一度、その作り方を、この私に教えてはいただけませんでしょうか!」


目をキラキラさせて、僕に教えを乞うヒューゴ。

その姿を見て、厨房は大きな笑い声に包まれた。



その日の夕食。

ヒューゴが腕によりをかけて作った食事が終わった後、デザートとしてあの黄色いお菓子が、家族全員の前に並べられた。


「ほう、これはヒューゴ。見慣れない菓子だな」


父アレクシオが、興味深そうに器を眺める。


「なんだか、ぷるぷるしてるわね。気持ち悪い」


イリ姉は、スプーンでプリンの表面をつんつんしながら、少しだけ顔をしかめた。


「メルが教えてくれた、新しいお菓子なのよ。とても美味しいの。ねえ、メル」


母様が僕に優しく微笑む。僕はこくりと頷いた。

父様が、まず一口、それを口に運ぶ。


「む……! この食感は……なんだ!? 溶ける……! しかし、味は濃厚だ。うまい!」


驚く父様の隣で、レオ兄様も慎重に一口。


「……なるほど。卵を焼かずに蒸気で固めることで、この流動性を保ちつつ、風味を閉じ込めているのか。素晴らしい発想だ」


兄様は、冷静に分析しながらも、その目には感嘆の色が浮かんでいた。


「えー、ほんとにおいしいの?」


イリ姉は、まだ疑いの目で見ていたけれど、僕たちがあまりに美味しそうに食べるので、ついに観念して、おそるおそる一口食べた。


「……! な、なによこれ! おいしいじゃない! ちょっと! 私のおかわりは!?」


さっきまでの態度はどこへやら。イリ姉は、あっという間に自分の分を平らげて、おかわりを要求し始めた。

食卓は、新しいお菓子の話題で持ちきりになり、とても賑やかで、楽しい時間になった。



その夜、メイドたちの休憩室でも、小さな歓声が上がっていた。


「まあ! なんですか、このお菓子は!」

「とろけるー!」

「私、こんな美味しいもの、生まれて初めて食べました……!」


ヒューゴが、メイドたちの分も作ってくれたのだ。

特に、甘いものが大好きなメアリーは、目をうるませて感動している。


「これも全部、メルヴィン様のおかげですね……!」

「本当、あの方は天使様だわ……」


メイドたちの会話を、僕は知らない。

でも、僕の小さな思いつきが、屋敷のみんなを笑顔にできたこと。

それが、僕の心を、プリンの甘さ以上に、温かく満たしてくれていた。


僕の、のんびりスローライフに、また一つ、新しい「おいしい」が加わった、最高の一日だった。

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