第59話「料理長の挑戦と、秘密の助言者」
僕たちの領地が、観測史上最大とも言われる土イモの大豊作に沸いてから、一週間ほどの月日が流れた。
山のように積まれた収穫物を前に、父様は高らかに宣言した。「今年の収穫祭は、この大いなる実りへの感謝と、領民たちの労をねぎらうため、我がフェリスウェル領の歴史上、最も盛大なものとする!」と。
その日を境に、村は収穫の後の静けさから一転、新たな熱気に包まれ始めた。収穫祭まで、まだ二週間以上あるというのに、村人たちはどこかそわそわと、楽しそうな計画に胸を躍らせている。
そんなある日の午後。僕はおやつの匂いに誘われて、屋敷の厨房へと足を運んだ。
厨房は昼食の後片付けも一段落したのか、いつもよりは落ち着いた様子だった。
ただ一人、その静けさの中で、料理長のヒューゴだけが、腕を組んだまま巨大な調理台の前で仁王立ちになり、ぶつぶつと何かを呟いている。
(あれ、ヒューゴ、どうしたんだろう。なんだか、すごく悩んでるみたいだ)
僕が声をかけると、ヒューゴはこちらを振り返り、「おお、坊ちゃま」といつものように豪快な笑顔を見せた。だが、その目には、どこか苦悩の色が浮かんでいるように見えた。
「坊ちゃま、ちょうど良いところに。新作の焼き菓子ができましたぞ。味見をしていってください」
「わーい、ありがとう」
差し出されたクッキーを一枚もらう。サクサクで、バターの風味が豊かで、とても美味しい。
「うん、美味しいよ」
「それはようございました。……しかし」
ヒューゴは、ふう、と大きなため息をついた。
「わしは今、このクッキーのような、ささやかな幸せを生み出すだけでは、許されない立場にありましてなあ」
「どういうこと?」
「旦那様……領主様から、直々にご下命があったのです。『今年の収穫祭、その主役である土イモを使い、領民たちの度肝を抜くような、最高の目玉料理を考案せよ』と……」
なるほど。それは、料理人としての腕の見せ所であると同時に、とてつもないプレッシャーだろう。プライドの高いヒューゴだからこそ、中途半端なものは絶対に出したくないはずだ。
「このヒューゴ、料理にかけては誰にも負けんという自負はあります。ですが、『最高の目玉』となりますと……。ポテトフライではありきたり、コロッケでは手間がかかりすぎる。グラタンでは、屋台で出すのは難しい……ううむ……」
唸り続けるヒューゴは、やがて、わらにもすがるような目で僕を見た。
「……坊ちゃまなら、何か奇抜なことを思いつかれますかいのう?」
『ナビ、ヒューゴが困ってる。ヒューゴにはいつも手伝ってもらってるし助けてあげたいな。土イモが主役で、お祭りの目玉になって、みんなが楽しくなるような料理……何かいいアイデアはないかな?』
《了解。要望を分析します。主材料:土イモ。用途:祭りの屋台。特徴:領民の記憶に残るインパクト。以上の条件に合致する最適解を、メルの潜在記憶データベースより抽出しました》
『本当!? どんなやつ?』
《『ツイストポテト』を提案します。一本の土イモを螺旋状に加工し、串揚げにすることで、食べ歩きやすさと視覚的な楽しさ(エンターテイメント性)を両立可能です。現在の厨房設備でも、調理法を工夫すれば再現可能と判断します》
『ツイストポテト! それだ!』
僕はヒューゴに向き直った。
「ねえ、ヒューゴ。土イモをね、こう、くるくるーって、一本に繋がったまま、切ることってできないかな?」
「なに……? くるくる、繋がったまま、ですかい?」
僕の子供らしい漠然としたヒント。
だが、次の瞬間、ヒューゴの目にカッと料理人としての閃きの光が宿った。
「……面白い! なんと面白いことをお考えになる! 坊ちゃま、ちと、お待ちを!」
ヒューゴは調理台から一番形の良い土イモを手に取ると、果物の皮を剥くための小ぶりな包丁を握りしめた。
「まずは、中心に真っ直ぐ、串を……こうですな?」
「うん、そんな感じ」
「そして、刃を当てて、土イモを回す……おお、おお……!」
最初は途中で切れてしまったり、厚さがバラバラになったりしたが、数回の試行錯誤の末、ベテラン料理長の長年の勘が、完璧な角度と力加減を掴み取った。
一本の土イモが、まるで魔法のように、美しい螺旋状のオブジェへと姿を変えていく。
厨房にいた他の料理人たちも、その見事な手際に「おお……」と感嘆の声を漏らした。
「これを揚げる……! きっと、とんでもないものが出来上がりますぞ!」
熱した油の中に螺旋状の土イモが投入される。
しゅわーっという心地よい音と共に、厨房に香ばしい匂いが立ち込めた。
きつね色に揚がったそれに、ぱらぱらと塩が振られる。
「坊ちゃま! 試作品第一号、揚がりましたぞ!」
ヒューゴが興奮気味に差し出したそれを、僕はふーふーと冷ましながら、カリッと一口。
外はサクサク、中はホクホク。完璧な食感と、土イモの甘みが、口の中いっぱいに広がった。
「……うん、最高に、美味しい!」
その一言で、厨房にいた全員から「おおっ!」と歓声が上がる。ヒューゴは満足げに腕を組み、にやりと笑った。
ふと、僕は厨房の隅から、熱烈な視線を感じた。
そちらに目を向けると、大きな鍋の影からメイドのメアリーが目をキラキラさせながら、僕の手の中にあるツイストポテトをじーっと見つめている。口元からは今にもよだれが垂れてきそうだ。
「……あ、あの、それ、おいしそうですぅ……」
ぼそりと呟いた、その時だった。
ぐぅぅ〜〜〜っ。
静かになった厨房に、あまりにも盛大で可愛らしい音が鳴り響いた。
音の発生源であるメアリーは、顔をボンッと真っ赤にさせて、ぶんぶんと首を横に振る。
「ひゃっ!? ち、違います! 今のは、わたしの音じゃありませんですぅ!」
「メアリーッ! この新しい料理が産声を上げた瞬間に、つまみ食いを狙うとは一万年早いわっ!」
ヒューゴの叱責が飛ぶが、僕は思わず笑ってしまった。
「まあまあ、ヒューゴ。一つくらい、いいでしょ? みんなの意見も聞きたいしね。メアリーも味見してみて」
「め、メルヴィン様……! や、やはり、天使様ですぅ……!」
僕がちぎって渡した一片を、メアリーは感涙にむせびながら、それはそれは大事そうに口に運んでいった。
その様子を満足げに眺めてから、ヒューゴは咳払いを一つして僕に向き直る。
「して、坊ちゃま。この素晴らしいお料理、何と名付けましょうか?」
「そうだね……『ツイストポテト』かな!」
「ツイストポテト! なるほど、捻じれたポテト、ですな! 素晴らしい! なんと分かりやすく、心躍る響きでしょう!」
ヒューゴは快哉を叫んだ。
「やりましたな、坊ちゃま! これですぞ! 今年の収穫祭の主役は、この『ツイストポテト』で決まりですな!」
ヒューゴの喜びと自信に満ちた声が、厨房に高らかに響き渡った。
こうして、収穫祭の歴史に名を刻むことになる新メニューは、祭りの喧騒から遠く離れた、静かな午後の厨房で、僕と料理長のささやかな共同作業によって産声を上げたのだった。