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第53話「御用商人ヨナス、就任!」

 その日の午後、父様の執務室は、静かだが確かな熱気に満ちていた。

 父様とレオ兄様が、上座の席に座っている。

 その向かい側で、旅商人のヨナスさんが、背筋をぴんと伸ばして緊張した面持ちで座っていた。

 普段の陽気な姿は、どこにもない。


「……して、ヨナス殿。王都での試売りの件、誠に見事であった」


 父様が、重々しく口を開く。

 その声は、領主としての威厳に満ちていた。


「は、はい! あっしの予想通り、いえ、それ以上にフェリスウェル領の産品は王都で大きな評判を呼びました! 特に、あの『紙』と『トランプ』は、貴族も大商人も、誰もが目の色を変えて欲しがっておりやす!」


 ヨナスさんは緊張しながらも、その報告はどこか誇らしげだった。

 父様は満足げに一つ頷くと、レオ兄様に目配せした。

 レオ兄様が、一枚の羊皮紙をヨナスさんの前にそっと差し出す。


「これは……?」

「うむ。今後の、お主との取引に関する正式な契約書だ」


 父様は、そこで一度言葉を切ると、厳かな声で高らかに宣言した。


「旅商人ヨナス。本日この時をもって、そなたを我がフェリスウェル家の『御用商人』として、正式に任命する」


 その言葉に、ヨナスさんの目が驚きに大きく見開かれた。


「ご、御用商人……!? あっしがですかい!?」

「そうだ。我が領地の産品を、王都、いや、いずれはこの国中に広めるのだ。お主の手でな」


「……!」


 ヨナスさんは、言葉を失って、ただただ震えていた。

 そして次の瞬間、彼は椅子から滑り落ちるようにして、その場に膝をついた。


「旦那様……! このヨナス、このご恩は一生忘れやせん! この命に代えても、必ずや、ご期待に応えてみせますぞ!」


 彼の目には大粒の涙が浮かんでいた。



 会議が、ちょうど一番盛り上がった、その時だった。

 その時、レオ兄様が小声で父様に言った。

 

「……父上、やはりメルにも知らせておくべきでしょう。彼が生み出したものの話なのですから」


 父様が静かに頷き、侍女に合図を送る。

 まもなくして執務室の扉が、こんこん、と控えめにノックされた。


「父様に呼ばれたから来たよ」


 ひょっこりと顔を出したのは、僕だった。


『ナビ、なんで僕が呼ばれたんだろう』


《おそらく、あなたの発明が話題の中心だからです》


「おお、メルか。ちょうどいいところへ。お前も、こちらへ来て座りなさい」


 父様が僕を手招きする。

 僕は(えー、面倒だなあ)と内心で思いながらも、仕方なく父様の隣の席にちょこんと座った。

 部屋の厳かな雰囲気と、泣いているヨナスさんを見て僕は状況を察する。


(なるほど、交渉はうまくいったみたいだな。これで領地の暮らしが、もっと豊かになりそうだ)


「ヨナス殿。改めて紹介しよう。我が息子、メルヴィンだ。お主が商うことになる、全ての素晴らしい発明の、生みの親だ」


 父様の言葉に、ヨナスさんは改めて僕の方を向き、深々と頭を下げた。


「メルヴィン様……! この度は、誠に……!」

「うん。それより、ヨナスさん、面白い本は持ってきてくれた?」


 僕の、あまりにも呑気な一言。

 それに執務室の張り詰めていた空気が、ふっと和らいだ。

 父様は僕の頭を優しく撫でると、真剣な目で言った。


「メル。お前の発明がもたらした、この大きな成果を、これからはヨナス殿と共に、守り、そして育てていくのだ。よいな?」

「うん。分かったよ」


 僕は少しだけ照れくさくなって、こくりと頷いた。


『ナビ、なんだかすごいことになりそうだね』

《はい。新たな商流の確立により、王都から珍しい作物や便利な道具がもたらされるでしょう。また地方の特産品との交換で、暮らし全体の快適度も大幅に向上します。理想的な展開です》



 その後、契約書の細かい確認などが続き、ようやく会議は終わった。

 ヨナスさんが、感無量といった顔で、深々と頭を下げて退出していく。


「ふう、これで、ようやく一歩を踏み出せたな」

「はい、父上。ですが、ここからが正念場です。生産体制の強化、品質管理の徹底……課題は山積みですな」


 父様とレオ兄様が、領地の未来について、重責を噛みしめるように語り合っている。

 その厳かな雰囲気の中、僕は一人だけ、全く違うことを考えていた。


(やっと終わった。これで、きっと毎日が、もっと楽しくなるはずだ)



 僕が、会議室を出て、厨房へと向かう廊下を歩いていると、角のところで、腕を組んだイリ姉が待ち構えていた。


「……終わったのね」

「うん、終わったよ」


「ねえ、メル。あのヨナスって人、これからずっと私たちの商人になるんでしょ?」

「みたいだね」


「……変なやつじゃないんでしょうね?」


 イリ姉が、少しだけ心配そうな目で、僕の顔を覗き込んできた。

 自分のことじゃないのに、領地や家族のことを、ちゃんと心配している。

 姉さんは、やっぱり優しいな。


「ヨナスさんは、信用できるよ。だって、面白い話や新しい本を持ってきてくれるし」


 僕の、あまりにも個人的な信頼の理由。

 それを聞いたイリ姉は、一瞬だけぽかんとした後、ふっと安心したように顔をほころばせた。

 そして、すぐに照れ隠しのように、ぷいっとそっぽを向いた。


「べ、別に! あんたのことなんか、心配してるわけじゃないんだからね! 領地の将来を、少しだけ、考えてあげただけよ!」


(やれやれ、素直じゃないんだから)


 けれど去り際に、小さな声でつぶやく。

 「……でも、今度ヨナスにお願いして、家族みんなで楽しめるものを持ってきてもらおうかしら」


 そう言って笑ったのを、僕はちゃんと聞いていた。



 イリ姉と別れて、僕は一人、厨房へと続く廊下を歩いていた。


 さっきまで執務室に漂っていた重苦しい空気も、今はもう残っていない。

 父様も兄様も、ヨナスさんという新しい仲間を迎えて、きっと肩の荷が少し軽くなったはずだ。


(……これで、僕たちの暮らしも、もっと穏やかになるといいな)


 そんなことを思うと、心の中まで、ぽかぽかと温かくなっていった。

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