第44話「氷室のひみつと、魔法の箱」
温泉の完成が待ち遠しくて、僕は毎日そわそわしていた。
お風呂上がりに飲む、キンキンに冷えたフルーツ牛乳。それを想像するだけで、口の中にじゅわっと甘い味が広がるようだ。
「……そうだ、ヒューゴのところへ行ってみよう」
僕は、来るべきその日のために、最高のフルーツ牛乳のレシピをヒューゴに伝えておくべきだと思いついた。
僕の快適なスローライフのためには、準備を怠ってはいけない。
◇
僕が厨房を覗くと、ヒューゴはちょうど休憩中だったらしく、賄いのスープを飲んでいるところだった。
「やあ、ヒューゴ」
「おお、坊ちゃま! どうかなさいましたか? また何か、新しいお菓子のアイデアでも?」
ヒューゴは、僕の顔を見るなり、にやりと笑った。
僕は、こくりと頷くと、早速本題を切り出した。
「うん。温泉ができたら、お風呂上がりに、冷たいフルーツ牛乳が飲みたいんだ」
「ほう、フルーツ牛乳、ですかい?」
「うん。牛乳に、お砂糖と、季節の果物をぎゅーって絞った汁を混ぜるの。それを、キンキンに冷やして飲むんだよ」
「なるほど! それは実に美味しそうですな! 承知いたしました! このヒューゴ、最高のフルーツ牛乳をご用意いたしましょう!」
ヒューゴは、力強く胸を叩いた。
でも、すぐに「うーむ」と腕を組んで、少しだけ困った顔になる。
「しかし、坊ちゃま。問題は、その『キンキンに冷やす』というところですな」
「どうして?」
「お屋敷にある氷室ですが、今の時期は、冬の間に蓄えておいた氷も、ずいぶんと小さくなってきておりましてな。あまり贅沢には使えんのです」
そうか、氷は無限じゃないのか。
それは、僕のスローライフにとって、かなり重大な問題だ。
「ヒューゴ、その氷室、見てみたいな」
「へえ、構いやせんが。少し、ひんやりしますぜ?」
◇
ヒューゴに案内されて、僕はお屋敷の裏手にある、地下へと続く扉の前に来ていた。
重い木の扉を開けると、ひんやりとした、少しだけ湿った空気が流れ出してくる。
「ここが、氷室です。冬の間に、湖から切り出した氷を、夏まで溶けないように貯蔵しておくための場所でさ」
中は、思ったよりもずっと広かった。
壁は分厚い石でできていて、床には藁がびっしりと敷き詰められている。
その奥に、かつては山のように積まれていたであろう、大きな氷の塊が、今は少しだけ寂しそうに鎮座していた。
「最近は、坊ちゃまのおかげで新しい料理も増えましたし、お客様もいらっしゃいましたからな。氷の出番が多くて、ずいぶんと減ってしまったんですわい」
ヒューゴが、残念そうに言う。
僕は、その氷の塊にそっと手を触れてみた。確かに、ひんやりとして気持ちがいい。
『ナビ、これ、どうにかならないかな?』
《提案します。メルの氷魔法を応用し、既存の氷塊を核として、新たな氷を生成します。これにより、貯蔵量を回復させることが可能です》
『だよね』
僕は、ヒューゴに向き直った。
「ヒューゴ、ちょっと見てて」
僕が、氷の塊に両手をかざすと、キラキラとした氷の結晶が、みるみるうちにその大きさを増していく。
それを見ていたヒューゴは、一瞬だけ目を丸くした後、はっはっは、と声を上げて笑った。
「いやはや、参りやした。坊ちゃま、氷の魔法までお使いになれるとは。もう、これしきのことで驚きはしやせんぞ」
彼は、呆れたように、でもどこか嬉しそうに、首を横に振っている。
「うん。これで、フルーツ牛乳、たくさん冷やせるね」
「へえ! まったくですな! これで、最高のフルーツ牛乳が作れますぞ!」
◇
氷の問題は解決した。
でも、屋敷に戻る道すがら、僕はふと思った。
『ナビ。毎回、氷室まで氷を取りに来るの、ちょっと面倒じゃないかな』
《はい。作業効率は著しく低いです。また、扉の開閉による温度上昇が、氷の消耗を早める原因となります》
『僕が魔法で冷やせば解決だけど、毎回、全員分僕が冷やすのも面倒だしなー』
『ナビ、この世界で「冷蔵庫」って作れないかな?』
僕がそう尋ねると、ナビは少しだけ思考した後、答えてくれた。
《可能です。この世界には、魔力を流すと周囲の熱を吸収する『冷却石』という魔道具が存在します》
『冷却石?』
《はい。非常に高価で、主に王都の富裕層などが、ワインセラー全体の空気をほんの少しだけ冷やすために使う、贅沢品です。しかし、魔力消費が激しく、効率も悪いため、何かをキンキンに冷やすような、強力な冷却には不向きとされています》
『そっか。だから、冷蔵庫みたいな便利なものは、まだないんだね』
《ですが》
ナビは、そこで言葉を続けた。
《メルの前世の知識である『断熱構造』と、『空気の対流』という二つの概念を、この世界の魔道具と組み合わせれば、その非効率な冷却石を、極めて効率的な冷却装置へと昇華させることが可能です》
ナビの言葉と共に、僕の頭の中に、シンプルだけど画期的な、見たこともない箱の設計図が映し出された。
◇
僕は、早速、僕の「快適なスローライフ」のための、協力者集めを始めた。
まずは、大工のゴードンさんのところへ。
「ゴードンさん、箱の中に、もう一つ小さな箱が入っているような、『二重の木箱』を作ってほしいんだ。壁と壁の間は、空っぽにしておいてね」
「へえ? 二重の箱ですかい? また、何やら面白いものをお考えですな! 腕によりをかけて、作ってみせやしょう!」
次に、父様の執務室へ。
「父様、お屋敷の宝物庫にある、『冷却石』と、『そよ風の石』を貸してほしいな」
「ん? あの高価な魔石を、二つも、ただの木箱にどうするのだ?」
父様は、心底不思議そうな顔をしていたけれど、僕のこれまでの実績を信じて、渋々貸してくれた。
数日後。
厨房に、僕の発明品に関わる全ての部品と、全ての協力者が集まっていた。
父様、レオ兄様、ヒューゴ、そして、ゴードンさん。みんな、僕が一体何を始めるのか、興味津々な顔で見守っている。
僕は、まず、ゴードンさんが作ってくれた二重の木箱の、壁の隙間に、乾いた藁をぎゅうぎゅうに詰め込んだ。
「なるほど、こう使うのか! 面白いことを考えなさる!」
ゴードンさんが、感心したように頷く。
次に、箱の一番上に「冷却石」を、一番下に「そよ風の石」を設置する。
そして、僕がそれぞれの石に、ほんの少しだけ魔力を注ぎ込むと……。
「おおっ……!?」
「これは……!」
箱の中から、ひんやりとした冷気が、溢れ出してきたのだ。
試しに、ぬるい水の入った瓶を入れておくと、数分後には、表面に水滴がつくほど、キンキンに冷えていた。
「こ、これがあれば、食材が長持ちする! 料理の幅が、無限に広がりますぞ!」
ヒューゴは、涙を流して感動している。
父様は、二つの使い道の乏しい魔道具が、とんでもない価値を持つ生活必需品に生まれ変わったことに衝撃を受け、「メル、お前は……!」と、呆然と僕を見つめていた。
僕は、そんな大人たちの興奮をよそに、早速、完成したばかりの魔法冷蔵庫から、キンキンに冷えたフルーツ牛乳を取り出す。
うん、これだよ、これ。
僕のスローライフ計画は、今日もまた一つ、大きな進歩を遂げたのだった。




