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第43話「リディアの『新しいお仕事』」

 僕の「お空が見えるお風呂がほしい」という一言から始まった、壮大な温泉開発プロジェクト。

 次の日から、北の丘はにわかに活気づいていた。


「よし、こっちの岩から運ぶぞ!」「足元に気をつけろよ!」


 大工のゴードンさんの指揮のもと、村の男たちが力を合わせて、露天風呂の基礎工事を進めている。

 父様もレオ兄様も、領主とその跡継ぎという立場を忘れて、村人たちと一緒になって汗を流していた。


『ナビ、なんだか、みんなすごく楽しそうだね』

《はい。共同作業による大規模なインフラ整備は、コミュニティの一体感を醸成し、強いカタルシスをもたらします。領民の士気は現在、最高潮です》


 僕は、そんな活気あふれる現場を、少しだけ離れた木の根元に座って、ぼーっと眺めていた。

 うん、みんなが頑張ってくれるおかげで、僕の理想のお昼寝ライフ、ならぬお風呂ライフが、着々と形になっていく。実に素晴らしいことだ。



 僕が、そろそろお昼寝の体勢に入ろうかと思っていた、その時だった。

「……メルヴィン様」


 静かな声に呼ばれて顔を上げると、そこに立っていたのは、薬草係のメイド、リディアだった。

 彼女は、いつものように落ち着いた表情をしていたけれど、その手には小さな瓶を握りしめ、その目は強い好奇心の色でキラキラと輝いていた。


「こんにちは、リディア。どうしたの?」

「こんにちは。……メルヴィン様、少しだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」


 リディアは、僕の隣にそっと座ると、小さな瓶を僕の前に差し出した。

 瓶の中には、昨日掘り当てたばかりの、まだ少しだけ土の混じった温泉水が入っている。


「このお湯のことです。先ほど、少しだけ分けていただいたのですが……」

「うん」


「このお湯、ただ温かいだけではありません。独特の香りと、肌に触れた時の、この滑らかな感触……。これは、薬草と同じ、あるいはそれ以上の、何か特別な『効能』を秘めているように思えるのです」


 彼女は、まるで宝物でも見るかのような、熱心な目で瓶の中の水を見つめている。

 さすがは、薬草の専門家だ。ただのお湯ではないことに、すぐに気づいたらしい。


『ナビ、この温泉の成分、詳しく分かる?』

《はい。分析結果を提示します。硫黄、ナトリウム、カルシウムを豊富に含有。特筆すべきは、微量ながらメタケイ酸が含まれている点です。これは、肌の角質を柔らかくし、保湿効果を高める、いわゆる『美肌の湯』の特性を持ちます》


 ナビの完璧な解説。

 僕は、それを子供の言葉に翻訳して、リディアに伝えた。


「うん。このお湯はね、お肌がすべすべになる、特別な魔法のお湯なんだって」



「まあ……! やはり、そうなのですね!」


 僕の言葉に、リディアはぱっと顔を輝かせた。

 そして、彼女は少しだけ躊躇うように、僕に一つのお願いをした。


「あの、メルヴィン様。もし、もしよろしければ、このお湯と、私の育てている薬草を、いくつか組み合わせてみても、よろしいでしょうか」

「え?」


「このお湯の力と、薬草の力を合わせれば、きっと、もっと素晴らしいものが生まれるはずです。例えば、体を温める効果のある薬草を加えれば、湯冷めを防ぐことができます。香りの良いハーブを加えれば、心が安らぐ癒やしの湯に……」


 彼女は、普段の無口さが嘘のように、目を輝かせながら、次々とアイデアを語り始めた。

 その姿は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだった。


『ナビ、面白そうだね』

《はい。温泉と薬草学のシナジー効果は、計り知れません。メルの快適な入浴体験を、さらに向上させる可能性があります。全面的に協力することを推奨します》


「うん、いいよ。リディア、やってみて」


 僕がそう言うと、リディアは「ありがとうございます!」と、深々と、そして嬉しそうに頭を下げた。



 こうして、リディアの「新しいお仕事」が始まった。

 彼女は、自分の薬草園と温泉の工事現場を、毎日何度も往復するようになった。

 僕も、時々彼女の研究室という名の、薬草園の隅にある小さな作業小屋を覗きに行く。


「メルヴィン様。このカミツレの花を乾燥させて、布の袋に入れてお湯に浮かべれば、きっと安眠効果のある、優しい香りの湯になります」

「へえ、いいね、それ」


 僕は、ナビの知識を元に、時々ヒントを与えた。


「リディア、その葉っぱ、ただ入れるだけじゃなくて、お湯でじっくり煮出してから混ぜた方が、もっと効果が出ると思うよ」

「まあ! なるほど、成分を先に抽出するのですね! ありがとうございます、メルヴィン様!」


 僕の言葉を、リディアは神のお告げのように聞き入れ、目を輝かせながら、次々と新しい「薬湯」を開発していく。



 数日後。

 完成したばかりの「カミツレの薬湯の素」を、早速、お屋敷のお風呂で試してみることになった。

 一番乗りで試したのは、もちろん、イリ姉だ。


「ふーん、ただの葉っぱじゃない。本当に効果あるの?」


 半信半疑で湯船に浸かった彼女は、次の瞬間、驚きの声を上げた。


「な、なによ、これ……! すごく、いい匂い……! なんだか、体がぽかぽかして、眠たくなってきたわ……」


 その日の夜、いつもは寝る前に騒がしいイリ姉が、ぐっすりと眠りについたのは言うまでもない。



 仕事終わりのお風呂の時間。

 メイドたちの間では、リディアが作ったばかりの「カミツレの薬湯の素」が、さっそく話題になっていた。


「わあ、これがリディアさんがメルヴィン様と……? すごく、いい匂いがしますね!」


 メアリーが、布の袋に入った薬湯の素を、くんくんと嗅いで、目を輝かせている。

 リディアは、少しだけ照れくさそうに、それを湯船にそっと浮かべた。

 ふわり、と、甘くて優しい香りが、湯気と共に浴室いっぱいに広がる。


「本当だ、すごくいい匂い…! なんだか、今日の疲れが飛んでいくみたい……」


 外回りの仕事で疲れていたソフィアが、気持ちよさそうに目を細める。

 お湯に浸かったメアリーも、ぱっと顔を輝かせた。


「まあ! なんだか、お湯がいつもより柔らかい気がします! お肌も、すべすべになったような……!」


 メイドたちが、きゃっきゃと楽しそうにしているのを、少し離れた場所で、メイド長のカトリーナが静かに見ていた。

 そして彼女も湯船に浸かると、ふう、と一つ、心の底からリラックスしたような、深いため息をついた。


「……ええ。悪くありませんわね」


 その、カトリーナの滅多に聞けない、穏やかな声。

 それを聞いたリディアは、自分の仕事が認められたことが嬉しくて、湯気の中で、誰にも気づかれないように、そっと微笑むのだった。

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