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第39話「お試し取引と、干し果物」

 次の日の朝、僕たちが家族で朝食を終え、父様が執務室で一日の仕事に取り掛かろうかとしていた、その時だった。

 メイド長のカトリーナが、少しだけ緊張した面持ちで、来客を告げた。


「旦那様。村の宿屋にお泊まりだった、旅商人のヨナス殿がお見えです。昨日のお約束通り、改めてお話がしたい、と」


 父様は、「うむ、通せ」と短く答えると、にやりと笑った。

 執務室には、昨日までとは比べ物にならないくらいの、静かな熱気が満ちていた。


「フェリスウェル卿! どうか、どうかお願いします! あの『紙』と『トランプ』! あっしに、あっしに売ってください!」


 旅商人のヨナスさんが、机に身を乗り出して、父様に必死に頭を下げている。

 一晩、村の宿屋で考え抜いたのだろう。その顔は、昨日までの陽気さとは違う、覚悟の決まった商人の顔になっていた。

 その隣では、レオ兄様が冷静に、しかし興味深そうにその様子を眺めている。


「まあ、落ち着け、商人殿。お主が、我が領地の産品に価値を見出してくれたことは、嬉しく思う」


 父様は、腕を組んで、鷹揚に頷いた。


「ぜひ、専属で! と言いてえところでございますが……。あっしは、ご覧の通りのただの旅商人。後ろ盾もございません。」


 父様は、その言葉を鼻で笑った。


「ふん、分かっておる。お主が、どこの馬の骨とも分からん、ただの旅商人だということはな。だからこそ、聞いているのだ。お主は、その『信用』を、どうやってこの私に示す?」



 父様の、領主としての鋭い問いかけ。

 それに、ヨナスさんはぐっと言葉を詰まらせた。

 しかし、彼はすぐに顔を上げると、にやりと笑った。


「腕前で、示させていただきやす!」


「ほう?」


「あっしに、おたくの領地の新しい産品のサンプルを、いくつかお預けください。それを、次の目的地である王都で、あっしが売りさばいてみせます。そして、ただ売るだけじゃねえ。何が、いくらで、どんな客に売れたのか。王都の連中は、どんな反応だったのか。その全てを、詳細な報告書にして、この私に持ち帰ってご覧にいれます!」


 ヨナスさんの、自信に満ち溢れた言葉。

 父様は、満足げに頷くと、一つの提案をした。


「よかろう。だが、条件がある」


「と、申しますと?」


「お主が持ち帰った利益の、半分をいただこう。それが、お主が私に示す『信用』の証だ。どうだ、この話、乗るか?」


 それは、商人にとっては、かなり厳しい条件のはずだった。

 しかし、ヨナスさんは、一瞬だけ息を呑み、そして、すぐに満面の笑みを浮かべた。

 その目は、商人の野心で、ギラギラと輝いていた。


「……面白い! 乗りました、フェリスウェル卿! このヨナス、必ずや、あなた様が腰を抜かすような結果を持ち帰ってご覧にいれましょう!」


 彼は、深々と、そして力強く、父様に頭を下げた。



 その日の午後。

 僕は、お昼寝洞窟でのんびり過ごしていると、イリ姉が慌てた様子で僕を呼びに来た。


「メル! 大変よ! あの商人のおじさんが、もう帰るんですって! 父様が、お見送りに出なさいって!」


 僕は、仕方なくのっそりと体を起こすと、屋敷の玄関へと向かった。

 玄関前には、ヨナスさんの馬車が停められていて、その荷台には、父様が用意したたくさんのサンプル品が、大切そうに積み込まれているところだった。


「いやあ、坊ちゃま! この度は、本当にお世話になりました!」


 僕の姿を見つけると、ヨナスさんが満面の笑みで駆け寄ってきた。


「うん。気をつけてね」

「へえ! ありがとうございます!」


 僕の、いつも通りの返事。

 ヨナスさんは、何がそんなに嬉しいのか、がははと豪快に笑っている。

 そして、彼は懐から、小さな革袋を取り出した。


「これは、あっしから坊ちゃまへの、ほんの気持ちです。旅のご加護がありますように、ってね」


 彼が僕の手に握らせてくれたのは、甘い香りのする、少しだけべたべたした、食べたことのない紫色の実だった。


「干し果物だよ。甘くて、栄養もある。旅の商人にとっては、大事な食いもんなのさ」


『ナビ、これ、食べても大丈夫?』

《はい。成分を分析。干しブドウの一種ですね。糖度が高く、即効性のあるエネルギー源として有効です》


 僕は、ナビのお墨付きが出たので、早速一つ、口に放り込んだ。

 口の中に、ぎゅっと凝縮された、濃厚な甘みが広がる。


「ん、おいしい」


 僕が、素直な感想を言うと、ヨナスさんは満足げに頷いた。


「……そうだ、ヨナスさん」


 僕が、何かを思いついたように彼を呼び止めると、ヨナスさんは「へえ? なんですかい、坊ちゃま?」と、楽しそうに振り返った。


「次に来る時は、何か珍しかったり面白いものがあれば、持ってきてくれると嬉しいな」


 僕の、あまりにも素直な「お願い」。

 それを聞いたヨナスさんは、一瞬だけきょとんとした後、腹を抱えて大笑いした。


「はっはっは! 承知いたしました! このヨナス、次は坊ちゃまがひっくり返るような、とびっきりの物を持ってまいりますんで!」


 彼は、そう言うと、ご機嫌な様子で馬車の御者台へとひらりと飛び乗った。


「それでは、フェリスウェル卿! 必ずや、良い報告を持ち帰りますんで!」

「うむ。期待しているぞ、ヨナス殿」


 ヨナスさんは、僕たちに大きく手を振ると、軽快な鞭の音と共に、新しい石畳の道を、王都へと向かって走り去っていった。



「ふう、ようやく行ったか。なんだか、嵐のような男だったな」


 父様が、少しだけ疲れたように、でも楽しそうに言う。


「ええ、父上。しかし、彼がどんな報告を持ち帰るか、楽しみですな」


 レオ兄様も、真剣な顔で頷いている。

 イリ姉は、「なによ、メルだけずるいわ! その紫色のやつ、私にも一つよこしなさい!」と、僕の手にある干し果物を狙っていた。


 僕は、そんな家族の様子を眺めながら、もらったばかりの干し果物を、もう一つ、口に運ぶ。

 うん、やっぱり美味しいな。


『ナビ、この干し果物、うちの畑でも作れないかな?』

《ブドウの栽培は、当領地の気候でも可能です。来年の栽培計画に、追加しておきましょう》


 父様やレオ兄様が、領地の未来を左右する、大きな取引に思いを馳せている、そのすぐ隣で。

 僕は、ただ、次の「快適な食生活」のことだけを、考えていたのだった。

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