第37話「初めての旅商人」
その日の午後、僕はルカとリリィと一緒に、村の広場で遊んでいた。
と言っても、ルカみたいに走り回っているわけじゃない。広場の隅にある大きな木の根元に座って、二人が遊んでいるのをぼーっと眺めているだけだ。
「メル!こっち来て、一緒に鬼ごっこしようぜ!」
「もう、ルカったら。メル様は、静かに過ごすのがお好きなのよ」
ルカとリリィの、いつも通りのやり取り。
うん、平和だなあ。
僕が、そろそろお昼寝の体勢に入ろうかと思っていた、その時だった。
村の入り口の方から、一台の馬車がやってくるのが見えた。
お屋敷の馬車や、村の荷馬車とは違う、幌のついた、旅慣れた感じの馬車だ。
「ん?なんだ、あれ?」
「旅の人かな?珍しいわね、この時期に」
リリィが不思議そうに首をかしげる。
馬車は、村の入り口近くにゆっくりと停まると、御者台から、一人の陽気そうな男の人がひらりと飛び降りてきた。
◇
「いやあ、驚いた!こいつは驚いたぜ!」
男の人は、馬車から降りるなり、地面を何度も足で踏みしめて、大声で叫んだ。
「なんだい、あんた。そんなに大声出して。何かあったのかい?」
近くで畑仕事をしていた村のおじさんが、不思議そうな顔で声をかける。
「おっと、こいつは失礼!だってよ、旦那!この道だよ、この道!半年前に通った時は、雨が降ったら泥沼になる、ただの土の道だったじゃねえか!それがどうだ!今じゃ、こんなに綺麗に石が敷き詰められてる!俺の馬車も、全然揺れなかったぜ!」
男の人は、まるで宝物でも見つけたかのように、興奮して石畳を指さした。
ああ、父様たちが作っていた、あの道のことか。
「へっへっへ。だろう?こいつは、俺たちの自慢の道でな。うちの領主様と、そのご子息のメルヴィン様が、考えてくださったんだ!」
おじさんが、自分のことのように、得意げに胸を張る。
それを聞いて、旅の男の人は、さらに目を丸くしていた。
『ナビ、あの人、誰だろう?』
《声紋、及び服装のデータベースと照合。近隣の町を巡回している、旅商人のヨナス氏である可能性が95%です》
へえ、商人さんか。
◇
「いやあ、腹が減った!腹が減ったぞ!噂のサンドイッチとやらを、俺にも食わせてくれ!」
旅商人らしいヨナスさんは、村の食堂に駆け込むなり、そう大声で注文した。
僕たちも、ちょうどお腹が空いてきたところだったので、その後をついていく。
「へい、お待ちどう!うちの村の新名物、トマトとキュウリのサンドイッチだよ!」
食堂のおばちゃんが、元気よく運んできたサンドイッチ。
ヨナスさんは、その見た目の美しさに「おおっ」と声を上げると、大きな口でがぶりと噛みついた。
「ん!んんんー!なんだこりゃあ!パンの塩気と、野菜の酸味、そしてこの不思議な白いソースのまろやかさ!口の中で、美味いもんが祭りを開いてるみてえだ!」
ヨナスさんの、あまりにも大げさな食レポ。
ルカが、くすくすと笑っている。
「このおっちゃん、面白いな!」
「しっ、ルカ!聞こえるでしょ!」
でも、それを見ていた周りの村人たちは、嬉しそうに笑っていた。
「だろう?兄ちゃん!そいつは、うちの料理長が考えた、特別なソースを使ってるんだ!」
「その野菜も、メルヴィン坊ちゃまが見つけた、特別な畑で採れたもんなんだぜ!」
「メルヴィン坊ちゃま……?さっきも聞いた名前だな。一体、何者なんだ……?」
ヨナスさんは、サンドイッチを夢中で頬張りながら、不思議そうに首をかしげていた。
◇
お腹いっぱいになったヨナスさんは、次に村の雑貨屋へと向かった。
僕たちも、何だか面白くて、こっそり後をついていく。
「おや、なんだい、このいい匂いは?」
ヨナスさんが、店先に積まれていた、四角い塊を手に取った。
僕がリディアと一緒に作った、フェリスハーブ入りの石鹸だ。
「へえ、石鹸かい。おっと、こっちには液体のもあるのか。髪を洗うための、特別なやつ?」
彼は、シャンプーの瓶の匂いを嗅ぐと、またしても目を丸くした。
「なんだこの、爽やかで、心が落ち着くような香りは!王都で売ってる、高い香水よりもずっといいじゃねえか!」
雑貨屋のおじさんは、にこにこしながら説明している。
「へへ、そいつは、うちの奥様方にも大人気でしてね。なんでも、メルヴィン様が、メイドさんたちのために考えてくださったものだとか」
「またメルヴィン様か!一体、どうなってやがるんだ、この領地は!?」
ヨナスさんは、石鹸とシャンプーを、見たこともないくらいの勢いで買い占めていた。
そして、興奮した様子で、雑貨屋のおじさんの肩をがしりと掴んだ。
「旦那!頼む!この領地の領主様、フェリスウェル卿に会わせてくれねえか!このヨナス、商人の血が騒いで、もう我慢がならねえんだ!」
雑貨屋のおじさんは、ヨナスさんの勢いに少しだけたじろぎながらも、にやりと笑うと、店の入り口の方へ、そっと目配せした。
「へっへっへ。兄ちゃん、あんた、とんでもなく運がいいぜ」
「へ?」
「実は…あそこにこっそり隠れてるつもりの、あの子が、何を隠そう、領主様のご子息、メルヴィン坊ちゃまだ」
おじさんが指さした先には、物陰からひょっこりと顔を出している、僕と、ルカと、リリィの三人の姿。
「はぁ!?あの坊ちゃんが!?道のことから、サンドイッチから、石鹸まで、全部この坊ちゃんが!?」
ヨナスさんは、信じられないという顔で、僕たちのことを指さして固まっている。
『うわ、見つかった』
《はい。あなたのステルス行動は、完全に看破されました》
僕は、心の中でナビと会話しながら、深いため息をついた。
どうやら、僕の平和な午後は、ここで終わりのようだ。
次の瞬間、ヨナスさんは、目をキラキラさせながら、僕たちの方へ駆け寄ってきた。
そのすごい勢いに、僕は思わず一歩、後ずさってしまう。
「坊ちゃま!お願いです!どうか、あなた様のお父君に、このヨナスを!」
「わ、分かった!分かったから、少しだけ落ち着いて!」
僕は、必死に両手をぱたぱたと振って、彼をなだめようとする。
『ナビ、どうしよう!?この人、すごく勢いがすごい!』
心の中で、僕はナビに助けを求めた。
《対象人物ヨナスは、現在、極度の興奮状態にあります。ですが、彼の要求は、当領地にとって有益な経済活動に繋がる可能性が極めて高い。ここは穏便に、彼の要求を受け入れるのが最善策です》
僕は、ナビの冷静な言葉に一つ頷くと、改めてヨナスさんに向き直った。
「……分かったよ。父様のところに、案内するからついてきて」




