第34話「初めての、剣のお稽古」
その日の午後、僕はお昼寝洞窟で、最高に気持ちのいい時間を過ごしていた。
ふかふかの苔のベッドに寝転がり、洞窟の中を吹き抜ける涼しい風を感じる。足元では、すっかり懐いたキツネが丸くなって寝息を立てていた。
『ああ、平和だなあ……』
これこそが、僕の求める完璧なスローライフだ。
僕が、そろそろ本格的に眠りにつこうかと思っていた、その時だった。
「メルー! いるかー!」
洞窟の外から、父様の大きな声が聞こえてきた。
『うわ、父様!?』
《はい。父君のアレクシオ氏ですね。メルの現在地を特定したようです。今日のお昼寝時間は、30分短縮される見込みです》
『なんで父様が、この場所知ってるの!?』
《情報漏洩源は、99.8%の確率でイリス様です》
『やっぱり!?』
《はい。彼女の性格データを分析した結果、驚くべき発見をした際、それを第三者に報告せずにはいられない『情報共有欲求』が極めて高いと結論付けられています。》
《結果としてメルの平穏なお昼寝時間が脅かされる事態を招いた、と考えられます》
僕は、仕方なくのっそりと体を起こすと、魔法の扉を開けて外に出た。
そこには、なぜか少しだけ楽しそうな顔をした父様が、腕を組んで立っていた。
「おお、メル。少し付き合え」
父様は、有無を言わさぬ口調で言うと、僕の小さな手を引いて、屋敷の方へと歩き出した。
◇
僕が連れてこられたのは、屋敷の庭の一角にある、広い訓練場だった。
地面は固く踏みならされ、隅には藁を束ねた的などが置かれている。
「父様、ここで何するの?」
「うむ。メルももう八歳だ。そろそろ、剣の握り方くらいは覚えておけ。貴族の嗜みだからな」
父様は、そう言うと、立てかけてあった二本の木剣のうち、短い方を僕に手渡した。
『ナビ、貴族って、めんどくさいね』
《はい。社会的地位には、相応の責務が伴います。これも、快適なスローライフのための必要経費と割り切るのが合理的です》
僕が、ナビとそんな会話をしながら、ずっしりと重い木剣を両手でなんとか支えていると、元気な声が飛んできた。
「なによ、メルだけずるいわ! 私が手本を見せてあげる!」
やってきたのは、練習の音を聞きつけたらしいイリ姉だった。
彼女は、自分の背丈に合った木剣を手に取ると、ぶん、と軽快に素振りを見せる。
「いいこと、メル。剣は、こうやって、腰を入れて振るのよ!」
イリ姉は、僕に見せつけるように、もう一度、大きく木剣を振りかぶった。
ブォン!
「きゃっ!」
力みすぎたのか、彼女の振った木剣は、的のはるか上を空振りし、イリ姉はたたらを踏んで、少しだけ恥ずかしそうに顔を赤くした。
◇
「ははは、イリス。力みすぎだ」
父様は、楽しそうに笑うと、僕の前に屈みこんで、手取り足取り構えを教えてくれる。
「いいか、メル。足は肩幅に開いて、腰を落とす。剣は体の中心で、両手でしっかりと握るんだ」
僕は、言われた通りにやってみる。
でも、すぐにぐにゃぐにゃになってしまった。
「うーん、重い……疲れた……」
「こら、メル! まだ始めたばかりじゃない!」
イリ姉に怒られても、ないものはない。
僕の体力は、お昼寝に特化しているのだ。こんな重いものを、ずっと持っているなんて無理だ。
ちょうどそこへ、レオ兄様もやってきた。
「父上、イリス、メル。何をしているんだい?」
「おお、レオか。メルに剣の初歩を教えているところだ」
レオ兄様は、僕のふにゃふにゃの構えを見て、少しだけ苦笑している。
『ナビ、どうにかして、楽に終わらせる方法はないの?』
僕が、心の中で泣きつくと、ナビは即座に、完璧な解決策を提示した。
《提案します。メルの魔法を応用し、身体的負荷を極限まで軽減します》
『詳しく!』
《はい。まず、風魔法で木剣の重量を95%相殺。次に、土魔法で両足の接地面を微細に固定し、体幹を安定させます。さらに、ごく微弱な身体強化魔法で、筋肉の持久力を補助。これにより、メルは最小限のエネルギーで、完璧な姿勢を維持することが可能です》
『……完璧な、サボりプランだ!』
僕は、ナビの天才的な提案に、心の中で快哉を叫んだ。
◇
「ほら、メル! もう一度だ! しっかり構えなさい!」
父様が、少しだけ厳しい声で言う。
僕は、こくりと頷くと、目を閉じて、ナビの言う通りに、三つの魔法を同時に、そしてごくごく微弱に発動させた。
風が、僕の持つ木剣を、ふわりと軽くする。
足元の土が、僕の足を、優しく、しかしがっちりと支える。
体の内側から、じんわりと力が湧いてくる。
僕が、再び目を開けて、木剣を構え直した、その瞬間。
目の前にいた父様の顔が、驚きに固まった。
「なっ……!」
僕の姿は、外見からは、完璧な構えを、微動だにせず、涼しい顔で維持しているように見えているはずだ。
「なんだ、その構えは……! 一点のブレもない……!」
父様が、信じられないという顔で、僕の周りをぐるぐると歩き回る。
その完璧すぎる構えに、一番に疑いの声を上げたのは、やっぱりイリ姉だった。
「うそ…うそよ! あんた、何かズルしたでしょ!」
イリ姉は、僕の肩を、どん、と押してくる。
普通の子供なら、よろけるか、倒れてしまうくらいの強さだ。
でも、僕はびくともしない。足が、まるで地面に根を張ったかのように、ぴくりとも動かなかった。
「なっ……! なによ、これ! 硬い!?」
その異常な光景に、今度は父様とレオ兄様の顔色が変わった。
称賛ではなく、純粋な疑問と、魔法使いとしての探究心の色だ。
「……おかしい。メルほどの子供が、あれだけの衝撃を受けて、微動だにしないなど……」
「父上、まさか。この、微かな魔力の流れは……」
父様は、僕の前に屈みこむと、真剣な目で僕の目を見つめた。
その目は、もう「剣の才能」を見ている目ではなかった。
「メル。正直に答えなさい。お前、今……魔法を使っているな?」
僕は、観念した。
こくりと頷くと同時に、かけていた三つの魔法を、そっと解いた。
その瞬間、ずしり、と木剣の重みが腕に戻り、足元の固定が解けて、僕はふにゃりとその場にへたり込んでしまった。
「あ、やっぱりズルじゃない!」
イリ姉が、鬼の首を取ったように叫ぶ。
そんな彼女をよそに、レオ兄様は、信じられないという顔で呟いていた。
「……風と、土と、身体強化を、同時に……? しかも、あれほど微弱なレベルで、完璧に維持するなど、聞いたことがないぞ……」
そして、父様は。
僕の、あまりにも規格外な才能の、その「使い道」を知って、天を仰いで、深いため息をついた。
「はぁ……。お前は……お前というやつは……。剣の稽古をサボるためだけに、そんな高等な魔法を、いともたやすく……」
その声は、怒っているというよりは、完全に呆れきっていた。
そして、その呆れの中には、ほんの少しだけ、誇らしさのようなものが混じっているように聞こえた。
◇
「……今日の稽古は、もう終わりだ」
父様は、疲れたようにそう言うと、僕の頭を、わしわし、と少しだけ乱暴に撫でた。
『助かった……のかな?』
僕は、内心で首をかしげる。
剣の稽古は回避できたけれど、なんだか、もっと面倒なことになった気もする。
《当初の目的である『稽古の中止』は達成されました。完璧な成果です》
ナビの、どこまでもポジティブな分析を聞きながら、僕は、今日の夕食は、ヒューゴの特製プリンだといいな、と、そんなことだけを考えていた。
【次の更新は本日 18:00】
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