第31話「秘密の、夜のお手伝い」
リディアという頼もしい仲間を得て、僕の土壌改良プロジェクトは順調に滑り出した。
昼間はリディアが、僕の不思議な指示通りに堆肥の山を管理してくれる。僕はそれを、切り株に座ってのんびり眺めているだけ。実に快適な毎日だ。
ただ、一つだけ問題があった。
『ナビ、このままだと、完成まで数ヶ月かかるんだよね?』
その日の夜、僕は自室のベッドでごろごろしながら、ナビに話しかけていた。
《はい。リディア氏による適切な管理が行われた場合でも、一次発酵の完了には最短で二ヶ月を要します》
『二ヶ月かあ……。僕、そんなに待てないな。早くあの、ほくほくで美味しいお芋が食べたい』
僕のフライドポテトへの切実な願い。
それを聞いたナビは、即座に最適な解決策を提示した。
《解決策を提案します。メルの魔法を応用し、堆肥内部の微生物の活動を人為的に活性化させます。これにより、発酵期間を90%以上短縮することが可能です》
『つまり、魔法で手伝ってあげればいいんだね』
《はい。一種のバイオテクノロジーです。メルの快適な食生活の早期実現のため、実行を推奨します》
僕は、にやりと笑うと、ベッドからそっと抜け出した。
家族が寝静まった深夜の屋敷は、しいんと静まり返っている。
僕の、秘密の「夜のお仕事」の時間だ。
◇
月明かりだけが照らす、夜の実験農場。
昼間の賑やかさが嘘のように、静かで、ひんやりとした空気に包まれている。
僕は、農場の隅に作られた堆肥の山の前に立つと、そっと両手をかざした。
『ナビ、どうやるんだっけ?』
《はい。まず、堆肥内部の水分量を最適化するため、ごく微量の水分を均一に散布します》
僕はナビの指示通りに水の魔法をイメージする。
僕の手のひらから夜気よりも細かい霧のような水分が生まれ、堆肥の山に優しく染み込んでいく。
《次に内部温度を発酵に最適な状態まで上昇させます。熱魔法を極めて微弱なレベルで維持してください》
今度は、じんわりと温かい熱が、僕の手から堆肥へと伝わっていく。
堆肥の山から、湯気のようなものが、うっすらと立ち上った。
《最終フェーズです。生命活動を活性化させる特殊な魔力を、堆肥の中心部へと送り込みます。内部の微生物たちに「もっと頑張れ」と、優しく応援するイメージで》
僕は、目を閉じて、意識を集中させる。
土の中にいる、目に見えない小さな生き物たち。彼らが、もっと元気に、もっと活発になるように。
僕の魔力が、きらきらとした光の粒子となって、堆肥の中へと染み込んでいく。
すると、堆肥の山全体が、月明かりの下で、蛍のように、淡く、緑色の光を放ち始めた。
『わあ、綺麗……』
僕が、その幻想的な光景に見とれていた、その時だった。
カサリ、と背後で小さな物音がした。
◇
僕は、びくりと肩を揺らし、慌てて魔法を解いた。
堆肥の山から、ふっと光が消える。
『だ、誰かいるの?』
僕は、恐る恐る後ろを振り返った。
そこに立っていたのは、小さなランタンを手にした、リディアだった。
彼女は、驚きに目を見開いたまま、僕と、そして僕が手をかざしていた堆肥の山を、交互に見つめている。
「……メルヴィン様」
夜の静寂に、彼女の小さな声が響いた。
「今のは……一体……?」
リディアの目は、僕が言い訳できないくらい、はっきりと今の光景を捉えていた。
どうしよう。ナビの存在は、まだ誰にも言っていない。
『ナビ、どうしよう!?』
《現状、言い逃れは不可能です。対象人物の性格データを分析した結果、正直に話すことが最もリスクが低いと判断します》
僕は、意を決して、リディアに向き直った。
「リディア、これは、秘密だよ」
僕の言葉に、リディアはこくりと頷く。
僕は、ナビに教えてもらった知識を、一生懸命、自分の言葉で説明した。
「魔法でね、土の中にいる小さい生き物たちを元気づけてあげてたんだ。そうすると、この土がもっと早く元気になるから」
僕の子供らしい、しかしあまりにも突飛な説明。
普通の人が聞いたら、きっと信じないだろう。
でも、リディアは違った。
「……魔法で、微生物を……?」
彼女はランタンを地面に置くと、僕のそばにそっと跪いた。
その目は恐怖や疑いではなく純粋な好奇心と、そして科学者のような探究心でキラキラと輝いていた。
「すごい……! なんてことでしょう……! 魔法とは、癒やしや攻撃だけでなく、こんな風に、生命の循環そのものに干渉することもできるのですね……!」
彼女は僕ではなく堆肥の山を、まるで宝物でも見るかのような熱い眼差しで見つめている。
「メルヴィン様は、やはり、ただのお子様ではなかったのですね……」
リディアはハッと我に返ると、僕に向かって深々と頭を下げた。
「ご安心ください。私リディアは、今宵見たことも聞いたことも、全て胸の中に仕舞っておきます。決して誰にも口外いたしません」
その真剣な表情に僕はほっと胸をなでおろした。
◇
それから一週間後。
僕の「夜のお仕事」は、リディアという心強い共犯者を得て、続けられた。
本来なら数ヶ月はかかるはずのものが、たった一週間で、ふかふかの、栄養満点の、黒い土へと変わったのだ。
「素晴らしい……! なんて豊かな土なのでしょう……!」
完成した堆肥を前に、リディアは感嘆の声を漏らしている。
『ナビ、大成功だね』
《はい。計画は完璧に遂行されました。次のフェーズに移行します》
僕たちは、完成したばかりの特別な土を、実験農場へと運び込んだ。
そして、父様にお願いして、村の畑から分けてもらった「土イモ」の種芋を、その土に植えていく。
それは、これまでこの領地で採れていた、少しかたくて味気ない、いつものお芋だ。
でも、この特別な土で育てれば、きっと、僕が夢見る、あの黄金色のフライドポテトになるはずだ。
「この土なら、きっと、素晴らしいお芋が育ちますね」
リディアが、嬉しそうに微笑む。
僕も、こくりと頷いた。
僕の、快適な食生活のための、ささやかな、しかし壮大なプロジェクト。
その最初の種は、今、確かに蒔かれたのだ。
『ナビ、収穫が楽しみだな』
《はい。数週間後には、品種改良された高品質なジャガイモが収穫できるでしょう。フライドポテトの実現です》
僕は、ナビの言葉に、ごくりと喉を鳴らした。
うん、やっぱり、のんびりするためには、美味しいものがなくっちゃね。
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