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第31話「秘密の、夜のお手伝い」

 リディアという頼もしい仲間を得て、僕の土壌改良プロジェクトは順調に滑り出した。

 昼間はリディアが、僕の不思議な指示通りに堆肥の山を管理してくれる。僕はそれを、切り株に座ってのんびり眺めているだけ。実に快適な毎日だ。


 ただ、一つだけ問題があった。


『ナビ、このままだと、完成まで数ヶ月かかるんだよね?』


 その日の夜、僕は自室のベッドでごろごろしながら、ナビに話しかけていた。


《はい。リディア氏による適切な管理が行われた場合でも、一次発酵の完了には最短で二ヶ月を要します》


『二ヶ月かあ……。僕、そんなに待てないな。早くあの、ほくほくで美味しいお芋が食べたい』


 僕のフライドポテトへの切実な願い。

 それを聞いたナビは、即座に最適な解決策を提示した。


《解決策を提案します。メルの魔法を応用し、堆肥内部の微生物の活動を人為的に活性化させます。これにより、発酵期間を90%以上短縮することが可能です》


『つまり、魔法で手伝ってあげればいいんだね』


《はい。一種のバイオテクノロジーです。メルの快適な食生活の早期実現のため、実行を推奨します》


 僕は、にやりと笑うと、ベッドからそっと抜け出した。

 家族が寝静まった深夜の屋敷は、しいんと静まり返っている。

 僕の、秘密の「夜のお仕事」の時間だ。



 月明かりだけが照らす、夜の実験農場。

 昼間の賑やかさが嘘のように、静かで、ひんやりとした空気に包まれている。


 僕は、農場の隅に作られた堆肥の山の前に立つと、そっと両手をかざした。


『ナビ、どうやるんだっけ?』


《はい。まず、堆肥内部の水分量を最適化するため、ごく微量の水分を均一に散布します》


 僕はナビの指示通りに水の魔法をイメージする。

 僕の手のひらから夜気よりも細かい霧のような水分が生まれ、堆肥の山に優しく染み込んでいく。


《次に内部温度を発酵に最適な状態まで上昇させます。熱魔法を極めて微弱なレベルで維持してください》


 今度は、じんわりと温かい熱が、僕の手から堆肥へと伝わっていく。

 堆肥の山から、湯気のようなものが、うっすらと立ち上った。


《最終フェーズです。生命活動を活性化させる特殊な魔力を、堆肥の中心部へと送り込みます。内部の微生物たちに「もっと頑張れ」と、優しく応援するイメージで》


 僕は、目を閉じて、意識を集中させる。

 土の中にいる、目に見えない小さな生き物たち。彼らが、もっと元気に、もっと活発になるように。

 僕の魔力が、きらきらとした光の粒子となって、堆肥の中へと染み込んでいく。

 すると、堆肥の山全体が、月明かりの下で、蛍のように、淡く、緑色の光を放ち始めた。


『わあ、綺麗……』


 僕が、その幻想的な光景に見とれていた、その時だった。


カサリ、と背後で小さな物音がした。



 僕は、びくりと肩を揺らし、慌てて魔法を解いた。

 堆肥の山から、ふっと光が消える。


『だ、誰かいるの?』


 僕は、恐る恐る後ろを振り返った。

 そこに立っていたのは、小さなランタンを手にした、リディアだった。

 彼女は、驚きに目を見開いたまま、僕と、そして僕が手をかざしていた堆肥の山を、交互に見つめている。


「……メルヴィン様」


 夜の静寂に、彼女の小さな声が響いた。


「今のは……一体……?」


 リディアの目は、僕が言い訳できないくらい、はっきりと今の光景を捉えていた。

 どうしよう。ナビの存在は、まだ誰にも言っていない。


『ナビ、どうしよう!?』


《現状、言い逃れは不可能です。対象人物の性格データを分析した結果、正直に話すことが最もリスクが低いと判断します》


 僕は、意を決して、リディアに向き直った。


「リディア、これは、秘密だよ」


 僕の言葉に、リディアはこくりと頷く。

 僕は、ナビに教えてもらった知識を、一生懸命、自分の言葉で説明した。


「魔法でね、土の中にいる小さい生き物たちを元気づけてあげてたんだ。そうすると、この土がもっと早く元気になるから」


 僕の子供らしい、しかしあまりにも突飛な説明。

 普通の人が聞いたら、きっと信じないだろう。

 でも、リディアは違った。


「……魔法で、微生物を……?」


 彼女はランタンを地面に置くと、僕のそばにそっと跪いた。

 その目は恐怖や疑いではなく純粋な好奇心と、そして科学者のような探究心でキラキラと輝いていた。


「すごい……! なんてことでしょう……! 魔法とは、癒やしや攻撃だけでなく、こんな風に、生命の循環そのものに干渉することもできるのですね……!」


 彼女は僕ではなく堆肥の山を、まるで宝物でも見るかのような熱い眼差しで見つめている。


「メルヴィン様は、やはり、ただのお子様ではなかったのですね……」


 リディアはハッと我に返ると、僕に向かって深々と頭を下げた。


「ご安心ください。私リディアは、今宵見たことも聞いたことも、全て胸の中に仕舞っておきます。決して誰にも口外いたしません」


 その真剣な表情に僕はほっと胸をなでおろした。



 それから一週間後。

 僕の「夜のお仕事」は、リディアという心強い共犯者を得て、続けられた。

 本来なら数ヶ月はかかるはずのものが、たった一週間で、ふかふかの、栄養満点の、黒い土へと変わったのだ。


「素晴らしい……! なんて豊かな土なのでしょう……!」


 完成した堆肥を前に、リディアは感嘆の声を漏らしている。


『ナビ、大成功だね』

《はい。計画は完璧に遂行されました。次のフェーズに移行します》


 僕たちは、完成したばかりの特別な土を、実験農場へと運び込んだ。

 そして、父様にお願いして、村の畑から分けてもらった「土イモ」の種芋を、その土に植えていく。

 それは、これまでこの領地で採れていた、少しかたくて味気ない、いつものお芋だ。

 でも、この特別な土で育てれば、きっと、僕が夢見る、あの黄金色のフライドポテトになるはずだ。


「この土なら、きっと、素晴らしいお芋が育ちますね」


 リディアが、嬉しそうに微笑む。

 僕も、こくりと頷いた。


 僕の、快適な食生活のための、ささやかな、しかし壮大なプロジェクト。

 その最初の種は、今、確かに蒔かれたのだ。


『ナビ、収穫が楽しみだな』

《はい。数週間後には、品種改良された高品質なジャガイモが収穫できるでしょう。フライドポテトの実現です》


 僕は、ナビの言葉に、ごくりと喉を鳴らした。

 うん、やっぱり、のんびりするためには、美味しいものがなくっちゃね。

誤字脱字のご報告ありがとうございます。

とても助かります!

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