第30話「実験農場と新しい仲間」
父様が「実験用の畑を作る」と宣言してから、数日後のことだった。
屋敷の裏手、森との境界にある日当たりの良い一角に、僕だけの特別な場所が完成していた。
しっかりと柵で囲まれた、何もない、ただ土が耕されているだけの小さな畑。
それが、僕の「実験農場」だった。
「まあ、素敵な畑ですわね、メル」
僕と一緒に畑を見に来てくれた母様が、感心したように言う。
「ええ、大工のゴードン殿が、一日で作り上げてくださいました」
僕たちの護衛についてきてくれていたソフィアが、誇らしげに胸を張る。
確かに、仕事が早い。
『うん、これなら誰にも邪魔されずに、土いじりができそうだ』
僕は、満足げに頷いた。
もちろん、僕が直接土をいじるわけじゃないけど。
《はい。基礎インフラの構築は完了しました。次のフェーズは、土壌改良材、すなわち『堆肥』の製造です》
『だね。じゃあ、まずは材料集めから始めようか』
◇
僕は、早速、厨房へと向かった。
中では、料理長のヒューゴが、屈強な腕で大きな魚を捌いているところだった。
「やあ、ヒューゴ」
「おお、坊ちゃま!どうかなさいましたか?また何か、新しいお菓子のアイデアでも浮かびましたかな?」
ヒューゴは、僕の顔を見るなり、がははと豪快に笑った。
どうやら、この前のプリンの衝撃が、まだ忘れられないらしい。
「ううん、今日は違うよ。ヒューゴにお願いがあるんだ」
「ほう、お願いですかい?」
「うん。厨房で出た、お野菜のくずとか、食べ残しとか、捨てないで取っておいてほしいんだ。僕の畑で使うから」
僕の言葉に、ヒューゴは一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐに合点がいったというように、にかりと笑った。
「なるほど!坊ちゃまの言う『土のご飯』ですな!がはは、承知いたしました!このヒューゴ、腕によりをかけて、最高の『ご飯』をご用意いたしましょう!」
ヒューゴは、なぜか料理人としてのプライドに火がついたらしく、やる気に満ち溢れていた。
次に、僕は庭で落ち葉を集めているメイドさんたちのところへ向かった。
「メアリー、その葉っぱ、少しだけ欲しいんだけど、いいかな?」
僕が声をかけると、落ち葉を集めていたメアリーが、ぱっと顔を輝かせた。
「はい、メルヴィン様!もちろんです!どのくらいご入用ですか?袋いっぱい、集めてまいりますね!」
そう言って、彼女は張り切って大きな袋に葉っぱを詰めようとして、案の定、自分の足につまずいて中身をぶちまけてしまった。
《警告:現行の作業効率はマイナス200%を記録。しかし、これによりメルに軽度の笑いが発生。スローライフにおける精神的充足の観点からは、有益な事象と判断します》
『メアリーは相変わらずだね……』
◇
こうして、僕の実験農場の隅には、野菜くずと落ち葉の、二つの小山が出来上がった。
『ナビ、材料は集まったね。で、これをどうするんだっけ?』
《はい。次に、これらの有機物を適切な比率で混合し、水分を加えて撹拌します。定期的に空気を送り込むことで、好気性微生物による分解を促進させ……》
『うーん、つまり、混ぜて、時々ひっくり返せばいいんだよね?』
《はい。要約すると、その通りです》
僕は、目の前の二つの山を見比べる。
これを混ぜて、ひっくり返すのか。なんだか、すごく大変そうだ。
僕ののんびりスローライフの信条は、「大変なことは、やらない」だ。
『ナビ。誰か、手伝ってくれる人はいないかなあ』
僕が、心の中でそう呟いた、その時だった。
「……メルヴィン様」
背後から、静かな声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは、薬草係のメイド、リディアだった。
「こんにちは、リディア」
「こんにちは。……もし、差し支えなければ、何をなさっているのか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
リディアは、いつも通り表情を変えずに、しかしその目には、強い好奇心の色を浮かべて、僕の足元にある二つの山を見つめていた。
◇
「……なるほど。これらの材料を混ぜ合わせ、時間を置くことで、植物の成長を促す、特別な土を作られているのですね」
僕の、子供らしい、つたない説明。
でも、リディアはそれを専門家の知識で正確に理解してくれたみたいだった。
「はい。非常に興味深い手法です。私の知る限り、このような土の作り方は、どの書物にも記されていませんでした」
彼女は、僕の目の前にそっと跪くと、真剣な目で僕を見上げた。
「もし、よろしければ。その『土作り』、このリディアにも、お手伝いさせてはいただけないでしょうか」
『きた!』
僕は、心の中でガッツポーズをした。
《リディア氏は、植物に関する深い知識と、丁寧な作業スキルを保有しています。彼女の協力は、当プロジェクトの成功確率を30%以上向上させるでしょう》
「うん、いいよ。手伝ってくれると、嬉しいな」
僕がそう言うと、リディアは、ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。
◇
こうして、僕の「土壌改良プロジェクト」に、頼もしい仲間が加わった。
僕は、リディアにナビの知識を伝える。
「茶色い葉っぱと、緑のお野菜をね、同じくらいずつ混ぜるんだよ」
「なるほど。乾燥した素材と、水分の多い素材を、均等に。……承知いたしました」
「それから、時々、こうやって混ぜて、空気をいっぱい入れてあげるの」
「はい。通気性を確保するのですね。理にかなっています」
リディアは、僕の不思議な指示を、完璧に理解し、黙々と作業を進めていく。
僕は、その様子を、近くの切り株に座って、ぼーっと眺めているだけだ。
時々、通りかかったメイドさんたちが、その不思議な光景を見て、ひそひそと噂話をしているのが聞こえてくる。
「まあ、リディアさん、何をしているのかしら?」
「さあ……。でも、メルヴィン様のご命令ですもの。きっと、また何か面白いことをなさっているのよ」
うんうん、面白いことをしているよ。
僕が、何もしなくても、美味しい野菜が食べられるようになるための、すごく面白いことをね。
◇
夕暮れ時。
その日の作業を終えたリディアが、少しだけ汗を拭いながら、僕のそばにやってきた。
「メルヴィン様。本日も、ありがとうございました」
「ううん、僕こそ。ありがとう、リディア」
「……この土、きっと、素晴らしいものになりますね。なんだか、生きているみたいです」
リディアは、堆肥の山を、愛おしそうな目で見つめていた。
『ナビ、この土、完成するまで、どれくらいかかるの?』
《はい。リディア氏の適切な管理のもと、一次発酵が完了するまで、およそ数ヶ月を要する見込みです。しかし……》
『しかし?』
《メルの魔法を応用し、微生物の活動を活性化させれば、その期間を数週間にまで短縮することが可能です》
『なるほど』
僕は、にやりと笑った。
どうやら、また一つ、楽しい「夜のお仕事」が増えそうだ。
「お疲れ様、リディア。また明日、お願いね」
僕は、ハードワーキングな仲間をその場に残して、一足先に屋敷へと戻る。
ヒューゴが腕によりをかけた、美味しい夕食が、僕を待っているのだから。




