第25話「秘密基地と、初めてのお客さま」
僕の最高に平和だったお昼寝タイムに、新たな訪問者が訪れようとしていた。
好奇心と、少しの恐怖が入り混じった顔で、クラリスは僕が消えた岩壁へと、一歩、また一歩と近づいていく。
そして、その滑らかな岩の表面に、おそるおそる手を触れた。
「……ただの、岩ですわね」
ひんやりとして、硬い。どこからどう見ても、人が通り抜けられるような場所には見えない。
「でも、わたくし、確かにこの目で見ましたもの。あの方が、この中に……」
彼女は、もう一度、岩壁をぺたぺたと触ってみる。
もちろん、びくともしない。
「うーん……何か、秘密の言葉でもあるのかしら? 『開けゴマ』ですとか?」
ぶつぶつと独り言を言いながら、彼女は岩壁をこんこん、とノックした。
その時、僕はちょうど、洞窟の中で気持ちよく寝息を立て始めたところだった。
《警告。外部から岩盤への物理的接触を多数検知。対象はクラリス・フォン・バルカスと断定》
『ん……ナビ、どうしたの……?』
僕は、眠たい目をこすりながら、ナビに尋ねた。
《現在、対象が扉の解錠を試みています。成功確率は0%ですが、物理的な打撃による騒音が発生する可能性があります》
『あー、もう、見つかったか……』
僕は、深いため息をついた。
まあ、大事なお客さんだし、仕方ないか。
僕の完璧なお昼寝計画は、どうやら今日も邪魔されてしまうらしい。
◇
僕は、仕方なく、ふかふかの苔のベッドから体を起こした。
そして、洞窟の入り口に向かって、そっと魔力を流し込む。
僕の魔力に反応して、岩の扉が、音もなく、すっと横にスライドした。
「えっ」
ちょうど、諦めて帰ろうとしていたクラリスが、突然現れた入り口に驚いて、間の抜けた声を上げる。
そして、バランスを崩して、そのまま洞窟の中に、とてとて、と転がり込んできた。
「きゃっ!」
彼女は、尻餅をついたまま、目の前の光景に言葉を失った。
滑らかな曲線を描く、苔のベッド。
天井で、星のように瞬く、光る苔。
壁から、こんこんと湧き出る、綺麗な泉。
そして、そのベッドの上で、小さなキツネを膝に乗せて、少しだけ眠そうな顔で座っている、僕。
「な、なんですの、ここは……!?」
彼女のプライドの高いお嬢様然とした態度は、完全に消え去っていた。
ただ、目の前の信じられない光景に、子供のように目を丸くしている。
「やあ、クラリスさん。僕のお昼寝洞窟へようこそ」
僕は、あくびを一つしながら、彼女を迎えた。
◇
「お、お昼寝……洞窟ですって……!?」
クラリスは、呆然としたまま、僕の言葉を繰り返す。
「うん。静かで、涼しくて、気持ちいいんだよ」
僕は、洞窟の中を、少しだけ面倒くさそうに説明し始めた。
「これは苔のベッド。ふかふかだよ。そっちは水飲み場。冷たくておいしい。天井のはヒカリゴケ。夜でも安心」
僕の、あまりにも淡々とした説明。
クラリスは、その一つ一つに、信じられないという顔で、いちいち驚いている。
「こ、こんなすごい魔法を、ただお昼寝のためだけに……!? あなた、正気ですの!?」
「うん。お昼寝は、すごく大事だからね」
僕が、真剣な顔でそう言うと、クラリスは頭を抱えてしまった。
どうやら、彼女の常識は、今日、何度も破壊されているらしい。
やがて、彼女は気を取り直したように、僕に質問を浴びせ始めた。
「このベッドはどうやって作ったのですか!?」
「この光る苔は、どこから!?」
「そもそも、さっきの扉は一体……!」
『ナビ、この子を静かにさせる方法はないかな。お昼寝の続きがしたいんだけど』
《対象の興味を、別の、より強烈な事象に誘導するのが効果的です。例えば、あなたの魔法を、目の前で直接披露するなど》
僕は、ナビの助言に、一つ頷いた。
仕方ない、とっておきを見せてあげるか。
◇
「クラリスさん、ちょっと静かにしてて」
「な、なんですの、急に……!」
僕は、文句を言う彼女を無視して、ベッドのそばから、ふかふかの苔を少しだけちぎり取った。
それから、落ちていた小枝を二本と、綺麗な小石を一つ拾う。
そして、それを手のひらの上で、粘土をこねるように、優しく丸めていった。
「……何をしているのですか?」
クラリスが、不思議そうな顔で僕の手元を覗き込む。
やがて、僕の手のひらの上には、指先ほどの大きさの、素朴で可愛らしい「苔のお人形」が出来上がった。
「まあ、可愛らしいですわね。でも、それが何か……?」
彼女が、そう言いかけた、その時だった。
僕は、そのお人形に、ほんの少しだけ、生命を活性化させる特別な魔法を、そっと流し込んだ。
すると、僕の手のひらの上で、ただの苔と小枝だったはずのお人形が、命を宿したかのように、ぴょこんと立ち上がった。
「えっ」
そして、くるり、と優雅にお辞儀をすると、僕の手のひらを舞台にして、軽やかなステップで踊り始めたのだ。
◇
「お、お人形が……踊って……!?」
クラリスは、目の前で起こったありえない光景に、完全に言葉を失っている。
目の前で、素朴な人形が生きているかのように踊る光景は、万華鏡以上の衝撃と感動を彼女に与えたようだった。
彼女は、夢中になって、その小さなダンスを、瞬きもせずに見つめている。
僕への質問も、すっかり忘れている。
よし、と僕は一つ頷くと、再び苔のベッドにごろんと寝転がった。
◇
しばらくして、お人形がぺこりとお辞儀をして、またただの苔と小枝に戻ると、クラリスははっと我に返ったようだった。
「……そろそろ、お父様たちが心配しますわ。わたくし、戻ります」
そして、洞窟の入り口で、くるりと僕の方を振り返った。
その顔は、もうすっかり、いつものプライドの高いお嬢様の顔に戻っている。
「いいこと? この場所のことは、誰にも言いませんわ」
「うん」
「その代わり、またわたくしをここに招待なさい! いいですわね!」
彼女は、ツンとした顔で、そう言い放つ。
でも、その耳が、少しだけ赤くなっているのを、僕は見逃さなかった。
「うん、分かったから、静かに帰ってくれるかな。キツネさんが、起きちゃうから」
僕の言葉に、クラリスは一瞬だけむっとした顔をしたが、やがて「ふん」と鼻を鳴らして、洞窟から出ていった。
◇
ようやく、完璧な静寂が戻ってきた。
僕は、深いため息を一つ。
『ナビ、これで大丈夫かな』
《はい。新たな脅威(イリス様)の介入確率は低下しましたが、別の脅威(クラリス様)の定期的な訪問が予測されます。メルの安眠環境は、限定的ながら確保されました》
『そっか……』
僕ののんびりスローライフは、なんだか、少しずつ賑やかになっていくみたいだ。
まあ、それも悪くないかな。
僕は、そんなことを考えながら、今度こそ、最高に気持ちのいい眠りへと、ゆっくりと落ちていった。
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