第22話「お姉ちゃんの発見と、秘密のドア」
僕が作った「お昼寝洞窟」は、完璧だった。
ひんやりと涼しい空気、ふかふかの苔のベッド、天井で優しく光るヒカリゴケ、そして、ぽたん、ぽたんと心地よく響く水の音。
これ以上の安息の地は、この世のどこにもないだろう。
『ナビ、最高だね、ここ』
《はい。騒音レベルは0、湿度・温度ともに最適化されています。理想的な安眠環境です》
僕の足元では、いつの間にかすっかり懐いてしまった小さなキツネが、安心しきった顔で丸くなって眠っている。
僕も、その完璧な静けさの中で、そろそろお昼寝を始めようかと思っていた、その時だった。
「きゃーーーーっ!」
洞窟の外から、ものすごい叫び声が聞こえてきた。
それに続いて、ガラガラと土砂が崩れるような、大きな音。
キツネがびくりと飛び起き、僕も思わず眉をひそめた。
『ナビ、今の音は?』
《不明なオブジェクトが、丘の中腹に高速で墜落した模様です。熱源反応から、生命体であると推測されます》
ナビの、いつも通り冷静な分析。
でも、その分析が終わる前に、洞窟の入り口を覆っていた緑のカーテンが、ビリビリと破られた。
そして、土と葉っぱにまみれた何かが、勢いよく洞窟の中に転がり込んできた。
「もうっ! なによこの丘! 木の枝が顔に当たって、痛いじゃない!」
聞き覚えのある、不機嫌そうな声。
間違いない。これは絶対に、イリ姉だ……。
『ナビ! イリ姉に見つからないように、僕たちの姿を消す魔法とかないの!?』
《緊急回避プロトコルを検索。……該当する術式は存在しません。また、すでに視認されています》
『最悪だー……!』
どうやら、また飛行魔法の練習に失敗して、この丘に墜落したらしい。
◇
「いったた……。最悪よ、もう……」
イリ姉は、ぶつぶつと文句を言いながら、ゆっくりと体を起こした。
そして、目の前の光景に気づく。
滑らかな曲線を描く、苔のベッド。
天井で、星のように瞬く、光る苔。
壁から、こんこんと湧き出る、綺麗な泉。
そして、そのベッドの上で、キツネと一緒にぽかんとした顔で座っている、弟の僕。
「メ、メメメ、メル!? な、な、な、なによ、これーーーーーっ!?」
イリ姉の、今日一番の絶叫が、静かだった洞窟の中に響き渡った。
キツネが、僕の後ろにさっと隠れる。
「すごい! すごいわメル! なによこの秘密基地! 最高じゃない!」
イリ姉は、さっきまでの不機嫌はどこへやら。
目をキラキラさせて、洞窟の中を走り回り始めた。
「うわ、このベッド、ふわふわ! 苔なのに、気持ちいい!」
「このお水、冷たくておいしい!」
一通りはしゃぎ回った後、イリ姉は、満足げな顔で、僕の前に仁王立ちした。
そして、僕にとって、世界で一番聞きたくない言葉を、高らかに宣言した。
「決めたわ! ここは今日から、私とあんたの『ひみつのきょうだいっこきち』よ!」
『えっ!?』
「明日、お友達を呼んで、お菓子パーティしましょう! きっと、みんなびっくりするわ!」
イリ姉は、一人で盛り上がると、「じゃあ、また明日ね!」と、上機嫌で洞窟から出ていってしまった。
◇
一人(と一匹)残された洞窟の中で、僕は、静かに、深いため息をついた。
『ナビ……僕の平和な時間が……』
《はい。イリス様の介入により、当施設の安寧は98%の確率で失われます。物理的な防衛設備の構築を提案します》
『物理的?』
《はい。例えば、入り口を物理的に、大きな岩などで完全に塞いでしまうのが最も確実です》
『そんなことしたら、後でイリ姉に見つかった時、何をされるか……! ただでさえ、この前は飛行魔法のことで質問攻めにあったのに』
僕の脳裏に、ぷんぷん怒りながら僕を追いかけ回す姉の姿が浮かぶ。あれは、できればもう経験したくない。
《リスクを比較分析します。パターンA:扉を作らない場合。メルの安息の地が98%の確率で失われます。パターンB:扉を作る場合。イリス様からの物理的または精神的な攻撃を受ける可能性が75%。しかし、これは短期的な事象であり、発見されなければリスクは0%です。長期的な利益を考えれば、パターンBを選択するのが合理的です》
『いや、そういう確率の話じゃなくて……。でも、確かにこの場所を失うのは嫌だな。僕の平和は、僕が守らないと……』
《では、解決策を提案します。物理的な閉鎖と、あなた個人のアクセスを両立させるため、あなたの魔力にのみ反応する、特殊な認識魔法を付与した扉を作成します。いわば、あなた専用の鍵です》
『なるほど。僕だけが入れる、秘密のドアか。それ、いいね』
僕は、静かに立ち上がった。
僕の、僕による、僕のためのお昼寝洞窟。
その平和は、僕自身の手で守らなければならない!
◇
『ナビ、設計図を見せて』
《承知しました。これより、複合術式『プライベート・ロック』の構築を開始します》
ナビの言葉と同時に、僕の頭の中に、複雑な幾何学模様のような、美しい術式の設計図が浮かび上がった。
土の魔法で岩の扉を形成する部分と、僕の魔力を鍵として登録する、認識魔法の部分。二つの異なる魔法が、精密な歯車のように組み合わさっている。
『すごい……。こんなの、僕一人じゃ絶対に無理だ』
《問題ありません。メルはただ、この設計図の光の流れに沿って、マナを流し込むだけでいいのです》
僕は、ナビの言葉を信じて、ゆっくりと魔法を組み立てていく。
まず、土の魔法で、洞窟の入り口に、ぴったりとはまる、分厚い岩の扉を作り出した。
見た目は、ただの岩壁だ。
次に、その岩の扉に、そっと手を触れる。
そして、ナビの指示通りに、僕自身の魔力の「かたち」を、鍵として扉に記憶させる。
『これで、よし』
《はい。認識魔法の付与、完了しました。この扉は、あなたの魔力以外には、ただの岩として認識されます》
完璧だ。
僕は、満足げに一つ頷いた。
次の日の午後。
洞窟の外から、イリ姉たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
「さあ、こっちよ! 私の新しい秘密基地に案内してあげる!」
「本当かよ、イリス! 楽しみだな!」
「まあ、どんな場所なのかしら」
でも、彼女たちが見つけたのは、ただの、のっぺりとした岩壁だけだった。
「あれー!? おかしいわ! 昨日、確かにここに入り口があったのに!……はっ! きっとメルね! あんたが何かしたんでしょ! 出てきなさい!」
イリ姉が、岩壁をぺたぺたと触ったり、蹴ったりしている。
もちろん、びくともしない。
「イリス、ただの行き止まりじゃないか」
「本当よ! 信じて! ここに、すごーい洞窟があったの!」
外の騒ぎを、僕は岩壁の向こう側で、静かに聞いていた。
完璧な静けさを取り戻した洞窟の中で、僕はキツネと一緒にお昼寝を再開する。
『ナビ、静かだね』
《はい。防音性も完璧です。それでは、おやすみなさい、メル》
《……ですが、先ほど算出した『イリス様からの物理的または精神的な攻撃を受ける可能性が75%』というリスクは、近日中に現実のものとなるでしょう》
『……うーん、まあ、その時はその時かな。今は、お昼寝だ』
僕は、遠くで聞こえる姉の声をBGMに、今度こそ、最高の眠りへと落ちていった。