第20話「お姉ちゃんの、新しい悩み」
僕が発明した「紙」と「トランプ」は、すっかりフェリスウェル家の夜の定番になっていた。
夕食の後、家族みんなで談話室に集まって、カードで遊ぶ。
それは、とても賑やかで、楽しい時間だった。
ただ一人、最近ずっと不機嫌な人物を除いては。
「もうっ! なんで勝てないのよー!」
バチーン!と大きな音を立てて、イリ姉が手札をテーブルに叩きつけた。
また僕に負けたのが、よほど悔しかったらしい。
「イリス、カードは優しく扱いなさい。メルが一生懸命作ったものだろう」
レオ兄様が、優しく姉をたしなめる。
「だって! だって、メルに全然勝てないんだもん! いつも私の考えてること、分かってるみたいで、悔しいんだから!」
ぷんぷん怒りながら、イリ姉は椅子から立ち上がると、ずんずんと部屋から出ていってしまった。
僕は、その様子をぽかんと見送る。
『ナビ。僕、そんなに顔に出てるかな?』
《いいえ。あなたのポーカーフェイスは完璧です。問題は、イリス様の思考が単純すぎることにあると分析します》
ナビの、あまりにも率直な意見に、僕は少しだけ笑ってしまった。
◇
次の日の午後。
僕がお昼寝スポットを探して屋敷の中を歩いていると、レオ兄様の部屋から、何やら言い争うような声が聞こえてきた。
「だから! どうしてメルに勝てないのか、兄様も一緒に考えてよ!」
「落ち着きなさい、イリス。そもそも、お前は感情的になりすぎなんだ」
僕は、そっと扉の隙間から、部屋の中を覗いてみた。
中では、イリ姉がレオ兄様に詰め寄り、兄様は困った顔でそれを受け流している。
「メルは、ただ運が良いだけではない。相手の表情や、些細な仕草を読むのが、非常にうまいんだ」
レオ兄様は、冷静に分析する。
「それに比べてイリス、お前は考えがすぐに顔に出る。それでは、メルに勝てるはずがないだろう」
「むっ……! そ、そんなことないわよ!」
図星を突かれたのか、イリ姉は顔を真っ赤にしている。
でも、すぐに何かをひらめいたように、ぱっと顔を輝かせた。
「そうよ! じゃあ、練習すればいいのよ! 私の考えてることが、顔に出ないように!」
「練習?」
「そう! レオ兄様、付き合いなさい! 私が完璧な『むひょうじょう』を身につけるまで!」
イリ姉は、兄様の手をぐいぐいと引っ張る。
レオ兄様は、深いため息をつきながらも、妹の勢いには逆らえないようだった。
◇
こうして、二人の奇妙な特訓が始まった。
「どう!? レオ兄様! 今の私、何を考えてるか分からないでしょ!」
イリ姉は、腕を組んで、これ以上ないくらいの真顔を作っている。
でも、その口元はぴくぴくと震えていて、今にも笑い出しそうだ。
「……今のは、夕食のプリンのことを考えていただろう」
「なっ……! なんで分かったのよ!?」
「顔に『ぷりん』と書いてあるぞ」
「むきーっ! もう一回よ!」
二人の、あまりにも平和なやり取り。
僕は、その様子を、扉の隙間から静かに眺めていた。
『ナビ、何やってるんだろう、あの二人』
《あなたのカードゲームにおける優位性を打破するため、表情筋のコントロールに関する、初歩的なトレーニングを実施している模様です。成功確率は、現状では2%未満と算出されます》
『そっか。がんばれー』
僕は、心の中でだけ、二人を応援することにした。
◇
しばらくして、イリ姉が今度は泣き真似を始めた。
「う、うう……レオ兄様……私、悲しいわ……」
「……今日の昼間に、メアリーがお前の分のお菓子まで食べてしまったことを、まだ根に持っているな」
「なんで分かるのよー!」
どうやら、この特訓は、あまり意味がないみたいだ。
僕は、くすくすと笑いがこみ上げてくるのを、必死にこらえた。
こんなに面白い光景が見られるなら、たまにはお昼寝の邪魔をされても、悪くないかもしれない。
僕は、二人の邪魔をしないように、静かにその場を離れた。
僕の知らないところで、兄と姉が、僕に勝つために必死になっている。
そのことが、なんだかとても、おかしくて、そして嬉しかった。
◇
その夜、父アレクシオの執務室。
「……信じられんな」
父は、先日メルが作った『紙』を一枚手に取り、光に透かしながら呟いた。
向かいに座るレオ兄様も、真剣な顔で頷く。
「はい、父上。羊皮紙よりも遥かに軽く、そして何より、安価に大量に作れる……。これは、革命的です」
「うむ。ただの遊び道具を作るためだけに、これほどのものを発明してしまうとはな……。あいつの頭の中は、一体どうなっているんだ」
父は、呆れたように、しかしその口元は誇らしげに笑っていた。
「ゴードンには、すでに量産化の研究を命じた。まずは、この領地で安定して供給できるようにする。そして、いずれは……王都の商人たちにも卸すぞ。これは、ハーブや石鹸を超える、我が領地の最大の特産品になるかもしれん」
父の言葉に、レオ兄様も静かに興奮を隠せない様子だった。
メルの、ただ「退屈しのぎ」のためだけの発明が、また一つ、この領地の未来を大きく変えようとしていた。
もちろん、当の本人は、そんなこととはつゆ知らず、自分のベッドで気持ちよさそうに寝息を立てているだけだったのだが。




