第18話「トランプを作りたい。だからまず紙を作ろう」
父様が号令をかけた街道整備計画は、驚くほどの速さで進んでいた。
村は、毎日がお祭りのような活気に満ちている。男たちの威勢のいい掛け声や、槌で石を叩く音、炊き出しを作る女性たちのおしゃべり。
それは、領地が豊かになっていく音なのだろう。
でも、僕にとっては、一つだけ大きな問題があった。
『ナビ。うるさくて、お昼寝ができない』
僕は、自室のベッドでごろごろしながら、心の中で不満を漏らした。
窓の外から聞こえてくる賑やかな音は、僕の快適な睡眠を妨げるには十分すぎる威力を持っていた。
《はい。現在の騒音レベルは、推奨される安眠環境の基準値を40%上回っています》
『何か、お部屋の中で、みんなで静かに遊べるものはないかな。退屈だよ』
僕の、切実な願い。
それを聞いたナビは、即座に最適な解決策を提示した。
《提案します。メルの前世のデータに基づき、室内で複数人が楽しめる、戦略性の高いカードゲームを導入します。その名を「トランプ」と言います》
『トランプか。懐かしいな。いいね、それ』
ナビが、僕の記憶を補完するように、鮮明なカードのデザインや、家族みんなで遊べる簡単なゲームのルールを頭の中に表示してくれる。
『うん、これならイリ姉でもすぐに覚えられるかな。でも……』
『ナビ、カードを作る材料がないよ。羊皮紙はもったいなくて使えないし、木の板じゃ分厚すぎる』
《問題ありません。材料そのものを作成します。メルの前世には、「紙」という便利なものがありました。木の繊維や、使い古した布から作ることができますよ》
『そっか、紙から作ればいいのか。ちょっと面倒だけど、トランプで遊べるなら、まあいっか』
◇
僕は、早速、僕の「らくちん計画」に協力してくれる仲間を集めに向かった。
まずは、大工のゴードンさんだ。
ちょうど中庭で、父様と大きな地図を広げて、何やら真剣な顔で話し込んでいるのが見えた。街道整備の打ち合わせだろう。
「……なので、この区画の地盤は一度固め直す必要が……」
「うむ、ゴードンの言う通りだ。費用はかさむが、安全には代えられん」
なんだか、すごく難しい話をしているみたいだ。
僕が話に割り込めるような雰囲気じゃない。
僕は、二人の邪魔にならないように、少し離れたところで待つことにした。
しばらくして、僕の視線に気づいた父様が、ふっと顔を上げた。
「おお、メルじゃないか。どうしたんだい、そんなところで」
「お父様、ゴードンさん、お話中ごめんね」
「いやいや、構いませんぞ、坊ちゃま」
ゴードンさんが、にこやかに笑ってくれる。
僕は、二人のそばに駆け寄ると、早速本題に入った。
「ゴードンさん、ちょっと作りたいものがあってね。木の加工を手伝ってほしいんだ」
僕の言葉に、ゴードンさんはにこやかに頷いた。
「ほう、『あそび』の道具ですかな? お安い御用でさあ。どんな加工をいたしましょう?」
「うん。木をね、ふわふわの綿みたいにしてほしいんだ」
その言葉に、ゴードンさんは「はて?」と不思議そうに首をかしげた。父様も、きょとんとした顔をしている。
「木を、綿のように、でございますか……。それはまた、面白いことをお考えで」
「うん、新しい『あそび』に使うの」
「ははは、そうかそうか。分かりやした。腕によりをかけて、ふわっふわにしてご覧にいれましょう」
ゴードンさんは、僕の不思議なお願いを、面白がって引き受けてくれた。
父様は、また何か始まったな、という顔で、やれやれと首を振っている。
次に、僕はリディアの作業場へ向かった。
「リディア、この古い布をね、お鍋でぐつぐつ煮て、どろどろに溶かしてほしいんだ」
「……承知いたしました。坊ちゃまの考えることは、いつも面白いですね」
最後に、厨房へ。
「ヒューゴ、大きな鍋と、使わないかまどを貸してね」
「がはは! また何か面白い料理ですかな? 存分にお使いください!」
僕の不思議なお願いに、みんなは首をかしげながらも、面白がって手伝ってくれた。
厨房の隅では、大きな鍋がいくつも火にかけられ、なんだかお祭りみたいに賑やかだ。
最初は、失敗の連続だった。
木の繊維がうまくほぐれなかったり、布がうまく溶けなかったり。
「うーむ、これはなかなか……」
「メルヴィン様、少し焦げ臭い匂いが……」
でも、その試行錯誤の過程が、なんだかとても楽しかった。
ナビの正確な指示と、職人たちの見事な技術。
そして、僕の「絶対にトランプで遊びたい」という強い気持ちが合わさって、ついにその時はやってきた。
どろどろに溶けた材料を、木の枠に張った網の上で、薄く、平らに広げる。
『ナビ、これ、乾くのに時間がかかりそうだね。早くトランプで遊びたいんだけど』
《はい。自然乾燥では数時間を要します。ですが、メルの魔法を応用すれば、乾燥時間を90%以上短縮可能です。風魔法と同時に、紙に含まれる水分だけを細かく振動させる特殊な魔法を使います。内側から水分を蒸発させ、それを風で効率的に運び去るのです》
僕はナビの言う通り、木の枠にそっと手をかざした。
僕の手のひらから、優しい風が生まれると同時に、濡れた紙の表面から、目に見えないほどの速さで水分が蒸発していくのが分かった。
「メルヴィン様……それは、一体何を?」
隣で見ていたリディアが、驚いたように声を上げた。
「うん、魔法で乾かしてるんだ。こっちの方が早いから」
「まあ……!すごい……。魔法とは、物を乾かすためにも使えるのですね。初めて知りました」
リディアが感心している間に、紙はすっかり乾いてしまった。
「できた……!」
僕たちの目の前には、少し不格好だけど、ちゃんと文字や絵が描ける、真っ白な「紙」が完成していた。
◇
その日の夜。
僕は、完成したばかりの紙で作った手作りトランプを手に、家族が集まる談話室へと向かった。
「父様、母様、兄様、イリ姉。面白い遊びを思いついたんだ」
僕が、テーブルの上に紙のカードを並べると、イリ姉が不思議そうな顔でそれを覗き込んだ。
「何これ? このペラペラなのがカード? 安っぽいわね」
「まあ、メルが作ったの? 上手な絵ですわね」
母様が、優しく褒めてくれる。
「ふむ。これは、なかなか興味深いな。メル、どうやって遊ぶんだ?」
父様が、興味深そうにカードを手に取った。
僕は、一番簡単な「ババ抜き」のルールを、みんなに説明し始めた。
◇
最初は、「なによ、簡単じゃない」と馬鹿にしていたイリ姉。
でも、ゲームが進むにつれて、彼女の表情はどんどん真剣になっていった。
「待って! レオ兄様、今、私のカード見たでしょ!」
「見ていないさ。僕はただ、君の表情を読んでいるだけだ」
「むきーっ! 絶対に嘘よ!」
冷静に相手の心理を読むレオ兄様と、思ったことがすぐに顔に出てしまうイリ姉。
二人の勝負は、面白いようにレオ兄様に軍配が上がっていた。
やがて、イリ姉と僕の一騎打ちになった。
イリ姉の手には、二枚のカード。僕の手には、一枚のカード。
「さあ、引きなさい、メル! どっちを引いても、私の勝ちよ!」
イリ姉は、自信満々の顔で、二枚のカードを僕の前に突き出す。
『ナビ、確率は?』
《イリス様の心拍数、瞳孔の開き、微細な表情筋の動きを分析した結果、ジョーカーは右側のカードである確率、92%です》
『了解』
僕は、迷わず、左側のカードを引いた。
「そろった」
僕が、手元のカードをテーブルに置くと、イリ姉は「ええーっ! なんでー!?」と、本気で悔しそうな声を上げた。
その姿を見て、談話室は大きな笑い声に包まれた。
◇
すっかりトランプの魅力に取り憑かれた僕たちは、その夜、遅くまでいろんなゲームで遊んだ。
やがて、父様が、カードそのものではなく、その「材料」である紙を、じっと見つめて、ぽつりと呟いた。
「メル、この『紙』は……すごいな」
「え?」
「羊皮紙よりも遥かに軽く、そして何より、安価に大量に作れる……。メル、お前は、とんでもないものを作ってくれたかもしれんぞ」
父様は、領主の顔になっていた。
レオ兄様も、その言葉の意味に気づき、はっとした顔で紙を見つめている。
「父上……! これがあれば、高価な羊皮紙を節約できます! 領地の帳簿や、村への通達も、もっとたくさん作れます!」
「うむ。我が領地だけの秘密にしておくには、あまりにも惜しい発明だ……!」
父様とレオ兄様が、何やら難しい話で盛り上がり始めた。
僕は、そんな二人を横目に、あくびを一つ。
『ナビ、父様、また張り切ってるね』
《はい。製紙技術の確立は、文明レベルを一段階引き上げる、極めて重要なターニングポイントです。メルのスローライフ計画における、安定した収入源となるでしょう》
『そっか。それは、よかった』
僕は、イリ姉との次の勝負に備えて、カードをシャッフルし始めた。
うん。退屈しのぎに始めた遊びが、僕の未来のお昼寝時間を確保してくれるなら、それに越したことはない。
 




