第127話「甘い独占欲」
屋敷の調理場に戻ると、ちょうど昼の忙しさのピークが過ぎたところだった。
片付けをしていたヒューゴが、入ってきた僕に気づく。
「おや、坊ちゃま。何か御用ですか?」
「うん、ヒューゴに見てもらいたいものがあって。これ、食べてみて」
艶やかな焦げ茶色のチョコを載せた皿を差し出すと、不思議そうに皿の上を覗き込む。
「……これは? 微かに甘い香りがしますが」
「例のカカオ豆で作ったお菓子だよ。美味しいから、味見してみて」
「ほう、あの豆がこうなるのですか」
パクリとヒューゴが口に入れる。
咀嚼し、そして動きが止まった。
「――っ!?」
ヒューゴの目が、カッと見開かれる。
次の瞬間、その表情がふにゃりと崩れた。
「……なんだこれは。固形なのに、口の中でクリームのように溶けた……。それにこの濃厚な甘味と、鼻に抜ける香ばしさは……!」
「チョコレートっていうお菓子だよ。どうかな?」
「どうもこうも……傑作ですぞ! 焼き菓子にはない食感に、果物とは違うコク……。これを知ったら、他のお菓子じゃ満足できなくなってしまいます!」
ヒューゴが大興奮でまくし立てる。
よかった、気に入ってもらえたみたいだ。
「でね、ヒューゴ。これを作ってほしいんだ」
用意しておいたレシピを渡す。
ヒューゴは真剣な様子で目を通していく。
「……ふむ。まずは固めるだけでいい……ですが、滑らかにするならザラつきが消えるまで練るですか」
「うん。さっき食べたみたいな口溶けにするなら、すり鉢で何時間も練らないといけないんだ」
「なるほど。あの味を出すには、根気勝負というわけですな」
ヒューゴはニヤリと不敵に笑った。
「パン生地をこねるのに比べれば、どうということはありません。この味が出せるなら、腕がパンパンになろうとも、喜んで捧げましょう」
頼もしい言葉だ。
ヒューゴなら、きっと美味しいものを作ってくれるはずだ。
◇
そして、その夜の夕食後。
サロンには、食後のお茶を楽しむ家族が集まっていた。
「今日は特別なデザートがあるんだ」
僕の合図で、メイドがワゴンを運んでくる。
乗っているのは二つ。
湯気を立てるコーヒーのカップと、一口サイズに割ったチョコレートだ。
「あら、昨日のコーヒーね。それと……黒いお菓子?」
母様が興味深そうに覗き込む。
イリ姉はコーヒーを見て少し顔をしかめたが、横にあるチョコレートの匂いを嗅ぐと、パァッと顔を輝かせた。
「いい匂い! ねえメル、これは甘いんでしょうね?」
「うん。すごく甘いよ。チョコレートっていうお菓子なんだ」
僕が頷くと、イリ姉は待ちきれない様子でチョコを口に放り込んだ。
「んん~ッ! あまーい! とろけるぅ! なにこれ最高!」
「気に入ったみたいだね。父様と母様、レオ兄はチョコレートを口の中で溶かしながらコーヒーを飲んでみて」
「ほう、合わせて楽しむのか」
父様たちは言われた通りにチョコを含み、コーヒーを口にする。
「……なるほど。これは素晴らしい」
「本当だわ……。甘さが残る口の中をコーヒーの苦味と香りがさっぱりと洗い流してくれる。それどころか、お互いの香りが引き立って……」
母様がうっとりとしたため息をつく。
単体では強すぎる甘さと苦さが、二つ合わさることで完成された味わいになっているようだ。
「メル! 私もそれやる!」
大人たちの反応を見て、イリ姉も慌ててカップを掴んだ。
口の中にチョコが残っているうちに、勢いよくコーヒーを流し込む。
「んぐっ……」
イリ姉の動きが止まった。
そして、顔をしかめて舌を出す。
「……にがっ! やっぱり苦いじゃん!」
「ほら無理するな、イリス」
「あらあら。イリス、まだ子どもなんだもの。甘い方だけでいいのよ」
「母様までー!」
「あはは、イリ姉にはまだ早かったかな」
「むー! メルまで馬鹿にして! もういい、私はこのチョコだけでいいもん!」
残りのチョコを独り占めするように抱え込んだ。
その様子を見て、家族みんなが笑い声を上げる。
「ごめん、今あるのはこれだけなんだ。僕が試しに作った分だけだから」
「えー! もうないのー?」
イリ姉が絶望したような声を上げる。
僕は苦笑しながら言った。
「レシピはヒューゴに渡したけど、豆の量は限られてるし、作るのもすごく大変だからね。これからは、本当に特別な時だけのお楽しみかな」
「むー……。残念だけど、仕方ないか。次はいつになるのかなぁ」
肩を落とすのを見て、父様が口を開いた。
「なに、そう悲観することはないだろう。その豆を持ってきたのはヨナスなのだろう?」
「うん。南の方で見つけたって言ってたよ」
「ならば、次に彼が来た時に相談してみればいい。これだけ評判が良いのだ、定期的に仕入れられないかとな」
「あ、そっか! ヨナスさんに頼めばいいんだ!」
パァッと顔を輝かせる。
母様もホッとしたように微笑んだ。
「そうね。あの方なら、きっとまた見つけてきてくれるわ」
「ああ。それまでは、今ある分を大切に味わうとしよう。しかし、あの豆からこれほど美味い菓子を作るとはな。この味なら、来客用としても十分通用するだろう」
「……だめ。これはだめよ」
母様がじっと父様を見る。
その目が真剣すぎて父様が一瞬たじろいだ。
「だって、まだ豆が少ないのでしょう? そんな中でお客様にお出ししたら……私の食べる分がなくなってしまうじゃない」
「……そ、そういう問題か?」
「そういう問題です!」
母様は少女のように悪戯っぽくチョコレートを指先で包み込む。
「これは我が家だけの……いいえ、私のとっておきの内緒オヤツにしましょう」
「ははは、これは参った。お前をここまで夢中にさせるとはな」
これには父様も苦笑いだ。
「わかった。在庫が増えるまでは、家族だけで楽しむとしよう」
「うん。ヒューゴもすごく張り切ってたから、喜んで作ってくれるよ」
「ええ、期待しているわ」
「そうか。これでまた、ティータイムの楽しみが増えたな」
父様は穏やかに微笑んで、残りのコーヒーを口に運んだ。
僕は心の中で相棒に話しかける。
『ナビ、大成功だったね』
《はい。素晴らしい成果です》
森の奥には僕だけのキッチンハウスがある。
次はあそこで何を作ろうか。
僕はそんなことを考えながら、最後の一口を飲み干した。




