第114話「サクサク衣の川魚フライ」
バルカス邸から帰ってきた翌日。
昼食も終わり、僕は自室のベッドでごろごろしながら、天井の木目をぼんやりと眺めていた。
(ふあ……。お腹いっぱいだ……)
昼食に出たバルカス領の魚の塩焼きを思い出す。
脂が乗っていて美味しかったけれど、昨日の夕食から焼くか煮るかばかりだ。
(美味しいんだけど……少し飽きてきたかも。もっとこう、違う味も食べたいな)
贅沢な悩みだとは思うけれど、食欲には勝てない。
脳内の相棒に相談を持ちかけた。
『ナビ、なんか良い魚料理ないかな?焼くとか煮る以外で、もっとガツンとくるやつ』
《検索中……。当該の魚は淡白な白身魚です。油との相性が良好であるため、フライを推奨します》
『フライ……!』
その単語を聞いた瞬間、口の中にサクサクとした衣の食感と、ジュワッと広がる脂のイメージが浮かんだ。
(それだ!サクサクの衣にタルタルソースなんかつけたら最高だ!)
『いいね!フライ作ろう!』
勢いよくベッドから飛び起きた。
善は急げだ。夕食のメニューが決まってしまう前に、ヒューゴに提案しに行かないと。
そう思って部屋を飛び出し、廊下を小走りで厨房へ向かった。
◇
厨房に行くと、ちょうどヒューゴが夕食の仕込みを始めようとしているところだった。
調理台の上には、氷室から出してきた川魚が桶に並べられている。
「ヒューゴ、ちょっといい?」
「おお、坊ちゃま。いかがなさいました?」
ヒューゴが手を止めて振り返る。
僕は桶の中の魚を指差して、目を輝かせながら言った。
「今日の夕食なんだけど、作りたいものがあるんだ」
「作りたいもの、ですかな?」
「うん。このお魚を使ってフライを作ってみたいんだ」
「ふらい……?なんですかな、その料理は」
「魚をたっぷりの油で揚げるんだよ」
「魚を油で……ですかい?」
ヒューゴが一瞬、顎をさする。
「以前作ったポテトの素揚げのようなものですかな?」
「ううん、そのまま揚げるんじゃないんだ。パンを細かく砕いたパン粉を魚にくっつけてから揚げるの。そうすると外がサクサクになるんだよ」
「ほう……。パンの粉を魚にまぶして揚げるのですか。それは聞いたことがありませぬな」
ヒューゴは興味深そうに頷いたが、すぐに棚にある丸パンを見て渋い顔をした。
「しかし坊ちゃま、硬い丸パンを粉にするのは骨が折れますぞ」
『ナビ、あの硬いパンを簡単に粉にする方法ってある?』
《はい。パンを薄く切り、窯の余熱で乾燥させて水分を飛ばし麻袋にいれて叩けば容易に粉砕できます》
『なるほど!』
「それはパンを薄く切って窯の余熱でカリカリにして麻袋にいれて砕けば、だいぶ楽になると思うんだ」
「ほう、乾燥焼きにしてから砕く、と。確かにそれなら簡単に砕けそうですな」
昼食で半端に余ったパンが、ちょうどいくつか籠に残っていたので、ヒューゴがそれを調理台に並べると、慣れた手つきでサッサッと薄切りにしていく。
さっきまでパンを焼いていた窯には、まだほんのりと温もりが残っている。
ヒューゴは天板に並べた薄切りパンを窯に滑り込ませ、湿気が逃げるように扉を少しだけ開けておいた。
しばらく時間を置いて、窯から出したパンは、水分が抜けてカチカチになっていた。
「よし、いい感じだ」
ヒューゴが厚手の麻袋を用意し、乾燥したパンを全て放り込んで、口を紐できゅっと縛った。
「砕くのですな? ならば、わしにお任せを」
麻袋を調理台の上に置くと、太い麺棒を構えた。
「ふんっ!」
「……すごい威力だね」
「がはは! こいつはストレス解消になりますな!」
あっという間に袋の中身は粉砕された。
袋を開けてみると、細かい粉末と、まだ大きめのかけらが混ざっている状態だった。
細かい方はザルで振るってボウルに入れておき、大きなかけらだけをまな板に広げる。
僕が包丁でザクザクと刻んで、粒をそろえていく。
「……ふう。これ、毎回やるのはちょっと大変だね」
「ですな。しかし、こういった一手間が美味いものを作る秘訣ですぞ」
ボウルの中には、サクサクになりそうなパン粉がこんもりと積み上がっていた。
これでフライの衣の準備はひとまず完了だ。
次は解凍しておいた川魚の下処理と特製ソース作りにとりかかる。
「ヒューゴ、フライには特別なソースをかけたいんだ」
「ソース、ですかな?」
「うん。タルタルソースっていうの。マヨネーズに刻んだゆで卵と酸っぱいピクルスを混ぜるんだ」
「ほう!マヨネーズに具材を……。それは濃厚で美味そうですな!」
ヒューゴが手際よく卵を茹でピクルスを細かく刻んでいく。
ボウルの中でそれらをマヨネーズと和えると、こってりとしたクリーム色のソースができあがった。
「よし、準備万端だ」
魚の下味にはナビの助言通りフェリスハーブと柑橘の果汁を使うことにした。
塩とハーブで下味を付けた切り身に、順番に小麦粉、溶き卵、そして苦労して作った手作りパン粉をまとわせていく。
広い調理台で並んで作業を進める。
プロの早さには敵わないけれど、僕も丁寧に衣をつけて並べていった。
大鍋の油が温まってくると、ヒューゴが真剣な目で温度を見極める。
《今が最適温度帯です》
「あ! 泡の音が変わったよ! 今がいいんじゃない?」
「おっ、流石ですな。わしも今、そう思ったところですぞ」
ヒューゴはパン粉をまとった川魚を油にそっと滑らせた。
ジュワァァ……パチパチパチ。
心地よい音がして、魚とハーブの香ばしい香りが一気に立ちのぼった。
「こいつは……。揚げている音と匂いだけで、腹が鳴りそうですわい」
泡が小さくなり、パチパチという音が軽くなる。
「よし、揚がったぞ」
網でフライを掬い上げ余分な油を落とした黄金色の塊が、カランと景気のいい音を立ててバットの上を転がった。
「……味見、してみる?」
「もちろんですぞ。料理人の特権ですからな」
ヒューゴがナイフで一つを切り分けようとした、その時だった。
「なになに? すっごくいい匂いがするんだけど!」
厨房の扉を勢いよく開けて飛び込んできたイリ姉は、バットに乗ったこんがりきつね色の塊を見て、目を丸くして立ち止まった。
「ちょっと、なによそれ!? お魚なの? 見たことない料理じゃない!」
「これはフライだよ。お魚にパンの粉をつけて油で揚げてみたんだ」
「ふらい……? 初めて聞くわね」
興味津々で近づいてきたが、僕とヒューゴがフォークを持っているのを見てジト目になった。
「って、ちょっと待って! あんたたち、自分たちだけ味見しようとしてたでしょ! ずるい!」
「あはは……。ちょうど今からするところだよ。一緒に食べる?」
「食べるに決まってるじゃない!」
すぐ隣に陣取ると、揚げたてのフライを素手で掴もうとして「あつっ!」と指を引っ込めた。
「慌てないでくだされ、お嬢様」
ヒューゴが笑いながら、小皿に切り分けたフライを乗せて差し出した。
「まずは何もつけずに、揚げたての食感を楽しんでくだされ」
「はい、どうぞ」
「いただきまーす!」
イリ姉がフーフーと息を吹きかけ、パクリと口に放り込む。 サクッ、という小気味いい音が厨房に響いた。
「んんーっ!!」
目を見開いて、口元を押さえる。
「なにこれ! サクサクで中のお魚がふわっふわ! 凄く美味しい!」
「ふふん。でもイリ姉、本番はここからだよ」
ニヤリと笑って、特製のタルタルソースを差し出した。
「次は、このソースをたっぷりつけて食べてみて」
「ソース? ……えいっ!」
言われた通りにソースを絡めて、もう一口食べる。
「……んんーっ! なにこれ! この白いソースつけると、もっと美味しい! 酸っぱくて、とろーっとしてて……最高じゃない!」
「ほう……。ではわしも」
ヒューゴも一口放り込み、唸り声を上げた。
「ぬおっ……! こいつは危険だ……! 魚の淡白な旨味を油が補って、このソースが全体をまとめ上げている……。酒にも合いますが、パンに挟んでも美味そうですぞ!」
「うん、大成功だね!」
僕も熱々を頬張りながらガッツポーズをした。
サクサクの衣とジューシーな魚の旨味。これだよ、求めていた味は。
「ねえヒューゴ! 夕食、これ山盛りにしてよね! 絶対よ!」
イリ姉は口元に白いソースの髭をつけたまま、満面の笑みで言い放った。
ヒューゴも「承知しましたぞ」と豪快に笑い、今夜のメイン料理はこのフライに決まりだ。
◇
そして、夕食の時間。
食堂のテーブルには、こんがりきつね色の川魚フライと、添え物のポテト、そして特製のタルタルソースがたっぷりと添えられて並んだ。
「バルカスからいただいたお魚を、うち流にしてみました」
ヒューゴが誇らしげに説明し、家族は興味津々でフォークを伸ばす。
父様がひと口かじると、衣のサクッという軽快な音が響いた。
「……!」
中から、湯気と共にふわふわの白身が顔を出す。
「これは……外は軽いのに、中は驚くほど柔らかいな。このソースの酸味も、揚げ物によく合っている」
父様が素直に感心して頷く。
「まあ、本当に美味しいですわ。向こうで頂いた時も感動しましたけれど、わたくし、この頂き方が一番好きかもしれません」
「でしょ! お母様、この白いソースをたっぷりつけるのが一番美味しいのよ!」
先に味見を済ませていたイリ姉が、得意げに力説しながら自分のお皿にソースを追加している。
「昨日の塩焼きも美味しかったけど、これは別格だね。サクサク感と、身の柔らかさが絶妙だよ」
僕も揚げたてのフライにタルタルソースをたっぷりつけて、一口かじった。
サクッ、フワッ。
香ばしい衣と、淡白な魚の旨味、そしてソースの濃厚な味が口いっぱいに広がる。
(うん、美味しい……。向こうで食べた味もいいけど、こうやってひと手間加えて、新しい美味しさをみんなで楽しめたなら、それが一番だ)
僕は内心で小さく満足した。
サクッ、という軽快な音が、今夜はいつまでも温かい食卓に響いていた。




