第25話 月明かりに、消ゆ
「リヴェル……」
「――――――――っ!」
黒い足音が、高らかに目の前で上がった。
その瞬間。
がたっと。リヴェルは、勢い良く椅子ごと身を引いた。
そのまま、ずるりと後退る。足が震える様に床を引きずって、体が小刻みに震え出した。
目の前の手が、己に向かって魔法を放つ様に伸びてくる。
嫌だ。やめろ。
そんなことをされたら、自分は。
さっきの彼らみたいに、爆発――。
「……っ! い、っ」
嫌だ。恐い。
べちゃっと、纏わり付く血が。無残に散らばる肉片が。自分の手に、頬にこびり付いて離れない。
もし、あの手が魔法を放ったら。
自分も。
「……っ、ひ、あ……っ!」
あんな、風に。
「リヴェルよ! しっかりしたまえ!」
「――――――――」
突然、背中を叩かれた。ばしん、とかなり強い衝撃に、はっと目を見開いてしまう。
だが、おかげで目が覚めた。我に返り、はっと肩で息をする。
「は、あ、……っ、――――――――」
意識を取り戻した瞬間、どっと肩の力が抜ける。崩れ落ちそうになるのを寸でで堪え、リヴェルはもう一度息を吐き出した。
そして、何とか不規則にも呼吸が出来る様になってから、呆然と目の前を見上げ。
――血の気が引いた。
「……、あ」
見上げて、リヴェルは表情が音を立てて崩れていくのを感じた。
視線の行く先。
目の前の彼女が、こちらに手を伸ばしたまま、固まっていた。
「ステ、ラ」
呆けながら、名を紡ぐ。
だが、彼女は答えない。中途半端に伸ばした手は、こちらに届くことは無かった。硬直したまま、距離が離れたまま、ゆっくりと下がっていく。
――自分は、今。取り返しの付かないことをした。
思い至っても、既に遅い。
彼女は、伸ばした方の手を、きゅっと軽く握った。
悲しそうに、苦しそうに、――泣きそうに。手だけが、小さく震えていた。
「……ごめんなさい」
「――――――――」
吐息の様な囁きで、彼女は自分の耳に熱を残す。
そうして、すぐさま踵を返した。早足で扉の方へと歩き出す。
「っ、ステラ!」
呼び止めたが、それで止まるはずもない。彼女は一瞬も止まらないまま、振り返らないまま、乱雑に扉を開けて出て行ってしまった。ばたん、と閉じられた音がやけに大きく、彼女の心から締め出された様な錯覚に陥る。
「待ってくれ、ステラ!」
「リヴェル、待つのだよ!」
追いかけようとしたリヴェルを、エルスターが力強く左肩を掴んで止めてくる。
遮ろうとする彼が邪魔で、リヴェルは堪らず手を振り払った。
「離せ! ステラに追い付けなくなるだろ!」
「お前さん、彼女が恐いんじゃないのかね! さっきまで人が死んで発狂していただろうに! 魔法が! ……っ、魔法使いが! 恐くなったんじゃないのかね!」
「っ」
痛いところを突かれて、リヴェルは一瞬押し黙ってしまった。
そうだ。恐い。
魔法が、恐い。
恐いに決まっている。
あんな風に、目の前で。
人が、真っ赤に、無残に、破裂した。
纏わり付く生温い感触が、指から全然離れてくれない。布きれの混じった、惨たらしい肉片がばら撒かれる光景が、瞼の裏に焼き付いて恐ろしい。
そうだ。当たり前だ。
「……、目の前で、人が爆発したんだっ。恐いに、決まってるだろっ!」
人が死んで、平静でいられる奴がいるなら見てみたい。
いや、むしろ見たくない。そんな人物とは一秒だって一緒にいたくないし、言葉も交わしたくない。
しかも、刺されたとか、殴られたとか、一般人が取る方法の殺され方ではない。
魔法だった。
体外からではなく、体内から直接、魔法で爆破させられた。
そんな残酷な魔法に、怯えない人間がいるか。怯えるなという方が無茶な注文だ。
恐い。ひどく。
何度も襲われた。狂った様に、命を脅かされた。
出来ればもう二度とお目にかかりたくない。魔法なんて。恐くて堪らない。
そうだ。恐い。嫌だ。見たくない。――見たく、ない。
――だけど。
〝リヴェル……〟
だけど。
〝……ごめんなさい〟
――俺は、彼女に。あんな顔を、させたかったわけではない。
「魔法も、恐い。魔法を使うステラも。いくら、使う人によって違うって頭で分かってたって、恐いさ。……君の言う通り、今は彼女に触れることだって、恐い」
「……っ、だったら」
「けどなっ」
〝リヴェル〟
彼女に呼ばれるたびに、時に優しく、時に激しく、熱に浮かされる。
腹が立つし、意味が通じないし、馬鹿にされるし、恐いし、苦しいし、嫌なことだらけでもあった。
だけど。
それでも。
〝リヴェルが泣きそうな顔をしていると、胸の辺りが、変になる〟
自分は。
真っ直ぐすぎるほど純粋に、優しい気持ちを向けられる彼女に。
凛と己の音を鳴り響かせ、常に颯爽と道を歩く彼女の姿に、どうしようもなく心を奪われた。
そんな彼女の、隣にいたいと願った。
最初は、ただ彼女を知りたいと思っただけだ。
それが、いつから。
〝リヴェル、気持ち良い?〟
こんなに、もっと彼女が欲しいと願う様になってしまったのだろう。
離れていくことが、こんなに淋しいと思う様になってしまったのだろう。
苦しい。痛い。死ぬことよりも、ずっと、辛い。
嫌だ。――嫌だ。
行かないで。
お願い。頼むから。
謝るから。傷付けたこと。
だから、頼む。
「……俺はっ。俺はっ! 彼女に置いていかれる方が! ずっと、ずっとっ、……恐い……っ!」
「――――――――」
頼むよ。
――置いて、行かないで。
溢れる願いは、自分勝手に過ぎて幻滅しそうだ。
それでも迸る思いは、己の身勝手さに拍車をかける。
「……リヴェルっ!」
背中から追いかける声には振り返らず、リヴェルは扉を叩き開けて追いかける。
途端、むわっと長年降り積もった埃が宙を舞った。噎せながらも、彼女の行く先を追いかける。
姿が見えない。彼女が見えない。
それでも、必死に、ただただ彼女を追い求めた。
「ステラ! ステラ、どこだ!」
走って、走って、どれだけ走っただろうか。
いつの間にか外に出れば、月が煌々《こうこう》と空高く舞い上がっていた。世界を密やかに照らしながらも、隠したいものの影を色濃くしていくその光に、苛立ちが積りに積もっていく。
「待ってくれ、ステラ。なあ、ステラ! どこだ! なあっ!」
探しても、叫んでも、返事は無い。ただ、眠る様に横たわる静寂だけがリヴェルを迎えて無視をした。
どこにもいない。誰もいない。虫の声どころか、風の音さえ聞こえないなんて、彼女が隠したとしか思えない。
「なあ、ステラ……っ。待ってくれ。なあっ」
声が聞きたい。話がしたい。
言葉がなくとも、傍にいたい。寄り添っていたい。
傍にいて欲しい。温もりが欲しい。頭を撫でて欲しい。
それが、叶わぬのなら。
一目、だけでも。
〝……、おかあ、さん〟
「――――――――」
遠くに響く己の声と共に、かつての更地が眼前に広がる。
だだっ広い空き地だけが、無情に静かに沈殿しており、求める姿など何一つ探し当てられなかった。
そうだ。あの時と同じ。
全て、掻き消えた。
あれだけくっきりと幸せは咲き乱れていたのに、何故、今は荒地になってしまったのか。
「……リヴェ、ルっ! 足が、速すぎる、のだ、よっ」
追いかけてきた息切れに、けれど答えを打ち返せない。
ぽっかりと、無人の空間だけが目の前にくり抜かれている。そこには、探し人の残り香すら嗅ぎ当てられなかった。
――ああ、またか。
夜よりも濃い真っ暗な景色を見つめながら、思う。
金魚が死に。
父が死に。
母が消え。
そして、今度は。
「……君も、消えるのか」
ぼろっと、涙が零れる様に声が落ちる。
追いかけた先には、何も無い。リヴェルの願いなど端から届かないのだと、真っ黒な空白がせせら笑った。
〝あんたの父は、死んだよ〟
父の時と、同じ様に。
「俺が、悪い子だからか」
〝命を粗末にする子、愛する価値もないわ〟
母が置き去りにし、姿を消した様に。
消えていくのか。跡形もなく、何も、残してはいかないまま。
「だから、みんな消えるのか。俺だけを、残して」
みんな、みんな、置いていく。
好きな人は、みんな自分を捨てていく。
金魚も、父も、母も。
そして。
今度は、彼女も。
「……エルスター、も」
マリアも、クラリスも。今、友と呼べる人達も。
いつか。
いつかは。
「君も、……君たちも。いつか、俺を、置いていくのか」
「――――――――」
自分を置いて、消えるのか。
心を許した人達は、結局。
〝よろしく、ステラ〟
〝うん。――よろしく〟
かつて交わした友情の証が、虚しく響く。
そんな風に、心を交わしても。
最後は、結局、みんな捨てていくのだ。
自分を蔑んで、未練もなく、みんな、自分を捨てていく。
「……、だったらっ!」
最初から、言葉など交わさなければ良かった。
傍にいなければ、顔を合わせなければ、触れ合わなければ、心を許すことなどありはしなかったのに。
それなのに。
〝何となく、こうしたかった〟
――それなのに。
何て酷い奴らだろう。
こんなに心を奪ってから、みんな、置いていくのか。捨てていくのか。
また、自分は一人になるのか。
小さな幸せを壊され、周りは敵だらけで、誰もが背を向ける中へと残していく。
そんな世界に。自分は、また。
「……っ、なあ」
あの、光さえ一片も見えない暗闇に、逆戻りするのか。
そんなのは。
「頼むよ、なあ」
――嫌だ。
膝を付いて、蹲る。地面のじゃりっとした痛みが、まるでリヴェルを嘲笑う様な答えの代わりな気がして、息が出来なくなりそうだ。
届かないと分かっていながら、暗い底で、さもしく願う。
お願いだから。頼むから。
――どうか、俺を。
「……、もう」
一人に、しないでくれ。
悲痛な祈りは、しかし月明かりに無慈悲に照らされたまま。
静かに、虚しく、霧散した。
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