第14話 百年前の最期
「息子が死ななきゃ、あんたなんか」
幼い頃から、ずっとリヴェルは中傷され続けてきた。
家の中でさえ、絶えずそうだったのだ。
だから。
「あいつ、愛人の子なんだってよ」
「うわっ、どうりで図々しい」
外の罵詈雑言になど、今更心も動かされない。
氷の様な凍てついた世界で生きていくには、笑顔が一番だと気付いたのはいつの頃だっただろうか。
何を言われても動じない。笑顔で流し、愛想を良くし、適度に的になってやる。
そうすれば、相手は勝手に野蛮な行いを沈めていくのだ。
学問を身に着け、運動もそれなりにこなし、後々家督を継ぐ者としての知恵を養っていけば、祖母の権威もあってか、徐々に周囲は陰口を潜めていく様になった。
そんな風に良い子のフリをして、波風をあまり立てずにいたけれど。
昔、一度だけ。過ちを犯したことがある。
「あいつの母親、子供に全財産継がせるために、一家皆殺しにしたって噂だぜ」
「うわー、愛人、こっわ」
「あいつも、将来そうなるのかな。相手が可哀相だぜ」
母を、悪く言われた。
いつもの様に流せば良かった。にこにこと笑顔を保ったまま、聞いていないフリをすればそれで済んだ。
なのに。
〝本当に大切にしているのなら、覚えていてあげてちょうだい〟
出来なかった。
「――もう一度、言ってみろ」
気付けば、彼らは地に倒れ伏していた。
自分の拳はいつの間にか鈍痛を訴えており、見下ろす視線が暗く鋭いものになっていることも、鏡を見なくても理解した。
幸い、祖母の手回しが早かったおかげで、表沙汰にはならなかった。
だが、当然祖母からの怒りは激しく、今度は自分が床に叩き付けられる番だった。
「何だって、あんたはそうなんだい! いつもいつも私の神経を逆撫でして!」
暴力男、愛人の息子、出来損ない、孫とも思いたくない。
あらゆる限りの罵声を浴びて、常と同じく心を凍らせた。そうすれば、自然と嵐が過ぎ去っていくからだ。
一人で耐えるのは当たり前だ。
だって、自分は金魚を死なせてしまった。父も、死んだ。母も、命を粗末にする自分に愛想を尽かして捨てていった。
当然の報いなのだと、言い聞かせて。光の差さない道を連綿と歩いてきた。
だけど。
こんな時、いつも思っていた。
――ああ、誰か。
ずっと、望んでいた。
言葉など無くとも構わない。
ただ、傍にいてくれるだけで良いから。
だから、お願い。
誰か――。
「……、あれ」
いつもの様に午前の授業を終え、昼間の猫とのひとときを楽しみにリヴェルがやってくると、先客がいた。
ステラかと一瞬思ったが、黒い色は見当たらない。女性ではなく、輪郭からも男性だと予想が出来て、誰だろうと首を傾げた。
「おや」
相手も、こちらに気付いた様だ。
足元の猫と戯れていた顔を上げ、にっこりと人好きのする笑顔を向けてきた。
綺麗な銀色の髪が、風に遊ばれる様になびく。リヴェルと同じく真っ白なブレザーを着込んでいるが、顔に見覚えが無い。その上、気品が溢れんばかりに漂っており、一発で上流階級、しかもかなり上の者だということも見抜けた。
転入生だろうか。
社交界でも見かけたことのない顔に、リヴェルは不思議に思いながらも挨拶をした。
「こんにちは」
「こんにちは。君が、リヴェル君だね」
「え」
いきなり切り込んで来られた。
身元が割れていると知り、一気に警戒心が湧き起こる。
「……どちら様ですか」
「ああ、堅苦しいのは嫌いでね。敬語はやめてくれないかな。ボクのことは、そうだな、ウィルと呼んでくれ」
あからさまに偽名だ。
話し方からして、上に立つのに慣れている手合いなのも見通せた。あまり下手な言動を取って、祖母の雷が落ちることだけは避けたい。
「じゃあ、遠慮なく。ウィル。俺に、用があったのか?」
「そう。裏庭で猫と会話ができる上に、あのミステリアスで誰も近寄れない黒い魔女殿と交流がある、変な輩がいると聞いてね。遊びに来たのさ」
「はあ」
変な輩。
最近、その単語をよく聞く気がする。自分はそんなに変人呼ばわりされているのかと、天を仰いだ。
だが、嘆く前に確認したいことも出来た。
「ウィルは、ステラと知り合いなんだな」
「……どうして?」
「猫と会話ができるって、そんな風に言ったのは彼女くらいだからな」
後は、エルスターにそんな会話をしたと伝えたくらいか。つまり、彼と知り合いの可能性もあるので、正直賭けでもあった。
そして、賭けには成功した様だ。ふふ、と愉快そうに銀の髪を揺らして彼が笑う。
「正解。なるほど、度胸もあるらしい」
「度胸って」
「こちらの話だよ。彼女たちが気に入るわけだ」
今度は複数形だ。
ステラだけではなく、エルスターとも知り合いなのだろうか。
とはいえ、今のリヴェルでは彼らを繋ぐ糸が見えない。保留にするしかなかった。
「しかし、君は見たところ普通の人間の様だけど。よく、彼女と友人になったね?」
普通の人間。
言い回しで、魔法使いの事情にまで精通していることが分かる。彼は、自分に隠し事をするつもりはないのだろうか。
「彼女の素性を、知っているんだな」
「まあね。知らなければならない立場にいるから」
「……」
そこまで言われて、ある仮説が浮かび上がる。
だが、それを言葉に出して良いものか。出したら最後、不敬罪になる気がして口を噤んだ。
「それで? どうして、友人に?」
楽しげに見上げてくる様は、とても無邪気だ。
しかし、紅蓮の炎の様な瞳の奥は、鋭く煌めいている。こちらを上から下まで観察しているのが嫌というほど伝わってきて、自然と顎を引いた。
「友人になりたいと、思ったからです」
「敬語」
「……、なりたいと思ったからだよ。それ以上、理由が必要か?」
「ああ、必要だね。大いに必要だ」
芝居がかった物言いに、若干胸元がむかむかと荒れた。
むっとした感情が伝播してしまったのだろう。彼は、益々《ますます》愉快気に口の端を吊り上げた。
「彼女は、普通じゃないからね。命の危険に自ら踏み込む様なものだ。現に一度、君は巻き込まれたと聞いた」
「……ああ」
「普通は恐いと思うだろう。彼女がその気になれば、あっという間に君を真っ二つにできる」
「……」
「それだけじゃあない。彼女を狙う輩が、君を利用しようとしたり、殺そうとしたりするかもしれない。安全圏にいる内に離れるのが賢いやり方さ。違うかな?」
ぽんぽんと正論で、周囲を塞がれていく。
逃げ道を断つ様な埋め方に、リヴェルは一度大きく息を吐いた。自然と、右の拳を握り締めてしまう。
彼は、誤魔化しても通用しなさそうだ。それだけ権謀術数の世界に身を置いているのだろう。自分では足元にも及ばない。
「……彼女と友人になりたいと言ったのは、俺からだ」
「ああ、聞いているよ」
「一言で理由を言うのは難しいが、……そうだな。敢えて一つ上げるのなら、彼女を尊敬しているから、だな」
「――」
一瞬、彼の表情が真顔になった。
すぐに人の良い笑顔に戻ったが、彼の素が垣間見えた気がして、少しだけ清々《せいせい》する。
「尊敬、か」
「俺が昔捨ててしまったものを、彼女は持っている気がしたんだ。……俺は、とても穢いからな」
生きるために、生き延びるために、諦めて捨てた理想や心の何と多かったことか。
別に、彼女を理想化しているわけではない。
ただ、彼女の懸命さ、相手を理解しようとする努力、助けようとする優しさ。
いつでも真っ直ぐに歩く彼女に、恥じない自分になりたいと思い始めた。
「彼女が、人殺しでも?」
「……、そうだな」
正直、百年前までの戦の世界を想像しろと言われると、当時の苦悩や慟哭を理解することは出来ない。
かと言って、軽はずみに戦の時の命のやり取りを否定してしまったら、魔法使いだけではなく、それこそ国のために命懸けで戦った者を否定することにもなる。
彼女は、無意味に命を奪う様な者では無い気がした。
それは、前に襲ってきた青年を殺さなかったことで、証明されたと思っている。
「暗闇の中だけど、人が死ぬところは見たし、正直恐いとも思ってるさ。それは間違いない」
「……」
「でも、それだけの人じゃない。放っておいても良かったのに、彼女はわざわざ俺を助けたんだ。それが理由じゃ、駄目か?」
消化しきれたわけではない。
戦のこと。魔法使いのこと。成れの果てのこと。
知らないことだらけで、自分が未だどれほど危険な場所に身を置いているのかも、真に理解しているわけでもない。
だが、それを越えてでも、彼女と歩きたかった。
その結果。
――例え、死んだとしても。悔いは無い。
「ふーん……」
口元に手を当てて、ウィルが目を伏せる。何やら思考を巡らせている様だが、彼の真意など読み取れるはずもない。
「君は、ずいぶんと危ういね」
「……、え」
何故だろうか。
痛い所を突かれた気がした。胸の辺りが、不自然に強張る。
「まあ、真正面から人が死ぬところを見たら、君が同じことを言えるかどうか見物だね」
「……そうだな」
「おや。否定しないんだね」
意外そうに目を丸くされたが、挑発には乗らない。
実際、自分もその時になってみないと、どんな感情が湧いてくるかは想像が付かなかった。
「友人にも言ったが、あまり無責任なことは言いたくないんだよ」
「ふーん」
「友人に、嘘は吐きたくない」
気休めだとしても、軽はずみな意見は口にするのも虫唾が走る。
特に、人の死が関わることに、軽率な発言は出来ないと強く感じた。
「……ああ、なるほど。今までにいないタイプだ」
「は?」
「いや、恐くもあり、楽しみでもある」
さて、と軽い掛け声と共にウィルが立ち上がる。
にこにこと相変わらず人を食った様な好ましい笑顔ではあったが、先程よりも微かに彼らしい性格が表れていた。
「できれば、仲良くしてあげてくれ。ボクたちにとっては、恩人だからね」
「恩人?」
「そう。生きて、幸せになって欲しいと思うくらいにはね」
ぽん、とリヴェルの肩を叩いてウィルは裏庭から出て行った。ひらりと手を振って背中で別れを告げる彼に、見えていないと分かっていながらリヴェルも手を上げる。
彼の姿が見えなくなるまで眺めた後、すりっと足元に寄ってきた温もりに気付いた。しゃがみ込んで、可愛らしい存在を抱き上げる。
「やあ、今日も美人さんだな。元気にしてたみたいで何よりだ」
背中を撫でると、気持ち良さそうに猫がごろごろ喉を鳴らした。少しだけ緊迫していた空気と心が、和む。
そうこうしている内に、他の猫達も集まってきて、にゃあにゃあと合唱し始めた。草むらに座り込み、頬を緩ませながら彼らの相手をしていると。
「リヴェル」
涼やかに名を呼ばれる。
最近は、すっかり待ち合わせ場所になってしまった裏庭に、訪れる人物は決まっていた。
振り向けば、予想通り黒いコートが優雅に風に羽ばたいていた。はためきながら落ち着く様は、まるで羽を休める様な動きにも思えて、リヴェルの口元が緩む。
「ステラ」
「さっき、そこでウィルに会った。もしかして、話した?」
いきなり爆弾をぶち込んできた。彼女の率直さには、感嘆してしまう。
「ああ。……なあ、ウィルって、さ」
「この国の王様」
「ああ、……」
やっぱり。
予想が見事に的中し、リヴェルは先程までの会話を振り返った。
本名、ウィスタリア。正真正銘この国の王で、ウィルが愛称だとすれば納得がいく。
だが、敬語はやめろと言われたとはいえ、家臣が見ていたなら不敬罪で捕えられていたのではないだろうか。
「あー、やっちまった」
「何が?」
「敬語、使わなかったんだよ」
「ウィルは敬語が嫌い。むしろ、公の場以外で使ったら、笑顔で追い詰められる」
「……」
想像して、遠い目になる。今し方の彼の雰囲気なら実行しそうだ。これは、周りの家臣もさぞかし手を焼いているだろう。
だが、道理で顔を拝見したことがないはずだ。リヴェルは、まだ祖母が早いと判断して、国が開催する宴には参加していない。国王は街に出る時はお忍びスタイルだと聞いているし、会っていなくても不思議は無かった。
しかし、随分と若い。もうすぐ四十と聞いていたが、二十代でも通じそうな顔立ちだった。ブレザーもやけに様になっていたし、下手をすれば詐欺である。
「君のこと、恩人だって言ってたぞ」
「おんじん」
「仲良くして欲しいってさ。心配で様子見に来たんじゃないか?」
「……」
何となく彼女の視線が下向きになった気がした。
記憶に沈む様な反応に、リヴェルは首を傾げる。てっきりウィルは彼女と懇意なのだと思っていたが、勘違いだっただろうか。
「ステラ?」
「……、確かに、彼は私を殺しはしなかった」
「……、はい?」
物騒過ぎる単語が飛び出した。
何故、彼女との会話はいつも平穏からいきなり外れるのだろうか。意識を空に飛ばしたかった。
「ええっと、ステラ。いきなりの話に、俺、心臓が爆発寸前なんだが」
「爆発。大変。治す」
「あ、ああ、ち、違うぞ! 物の例えだ! つまり、ビックリしすぎたってことだ! 何だよ、殺すって」
いきなり血相を変えて手を翳そうとする彼女に、大慌てで訂正する。
彼女は、時折比喩が通じない。故に直接問いただしてしまったが、口にしても気持ちの良い言葉ではない。
自分の顔が苦り切っているのが伝わったのだろう。彼女は、一度猫を見つめてから、ぽつぽつと語り始めた。
「百年前、戦争は終わった」
「ああ、終わったな」
「魔法使いは英雄だと言われているけど、人々はこの力を恐れた。街中を歩いていても、半数以上は怯えているのも分かった」
淡々とした告白に、リヴェルの表情は雲が空を覆う様に陰っていく。
恐らく、自分が夜に死人を見た時や、青年に襲われた時と同じ様な恐怖だ。
圧倒的過ぎる力に、人は畏怖する。いつ殺されてもおかしくない力を持つ彼らを、自然と排斥しようとするだろう。
――魔法使いにだって、心はあるだろうに。
思いながらも、自分だって魔法に恐怖している。偉そうなことは言えなかった。
「私たち魔法使いは、別に戦を望んではいなかった。中には、永すぎる時を生きて疲れた者もいた。けれど、自分で命を絶つことが魔法使いには何故か出来ない」
「……っ」
「だから、魔法使いの大半は、国王に願った。殺してくれと」
「――」
瞬間、息が止まった。ひゅっと吸った後に、上手く呼吸が出来なくなる。
殺してくれと、願う。それは、人生に終止符を打つということだ。
当時の国王は、彼らの嘆願を耳にした時、どんな感情を抱いただろうか。あまりに衝撃的過ぎて、リヴェルには固まるばかりで想像すら不可能だった。
「当時の国王……ウィルの祖父は、何とか彼らを説得しようとした。でも、彼らは生きることに疲れていた」
「……、永すぎた、からか?」
「そう。しかも、大半の者にとって、望んだ長さの生ではなかった。普通に生きて、普通に死にたかった。そして、それが叶う唯一残された手段に望みも持てず、早く終わらせたかった」
だから、死んだ。
淡泊に語られるその結末が、かえってより強く真実だと告げていた。
嘘の様な真相だ。まるで物語のバッドエンドを聞かされている様で、自然とリヴェルの心も暗く塗り潰されていく。
国王は、どんな気持ちで彼らを処断したのだろうか。
説得を試みて、成し遂げられなかった絶望は如何ほどのものか。まるで見通せなかった。
「一応、その時は私は生きることを選んだけど」
彼女の言葉に、ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
「二十年前に、一度、死にたいとウィルに言った」
「――っ」
すぐに叩き落とされた。視界が暗転し、世界が終わりに向かう様な感覚に陥る。
「……っ、どう、して」
「何故、生きているのか分からなくなったから」
淡々と、けれど底なし沼よりも深く、昏い声だった。
声はいつも通り平坦としているのに。
何故だろうか。リヴェルには、その声に引き裂かれる様な激痛が封じ込められている気がした。
「……、あの時、守れなかったから」
「え?」
ぽつりと零した彼女の言葉に、リヴェルが反応する。
だが、彼女は答えなかった。淡々と、振り返る。
「だから、ウィルに言った。もう終わらせたいと」
「……っ」
「でも、駄目だって言われた」
拒否された。
淡泊な彼女の語りを、リヴェルは必死に呑み込もうとする。その中で差した一筋の光に、感謝さえした。
彼女の中に在るのは、恐らく虚無だ。
何の変哲もない、ひたすら平坦な日常を歩き続け、目的もなく彷徨う日々は、さぞかし虚しいだろう。
そして、きっと――先程の呟きで、決壊したのだ。何かが。心に沈殿していた、底の見えぬ何かが。
理由など分からない。
リヴェルの推測など、彼女の虚無の一端にさえ触れていないかもしれない。
それでも。
――彼女が、今、ここにいることにどうしようもなく安堵した。
「生きてもらう。普通の人生を歩むことを諦めないで欲しい、と」
「……、ウィルが」
「そう。仕方がないから、彼の言うままにこの大学に入った。ループしてる」
「る、ループ?」
「一年から四年まで通って、数年置いて、また一年から通ってる。親戚とか、色々誤魔化せばいいってウィルが」
逃げ道が適当だ。
杜撰な方法ではあるが、彼女の持つ雰囲気だと呑まれて納得しそうでもある。効果的なのかもしれないと、無理矢理賛同することにした。
しかし、また新たな謎も生まれる。
「でも、普通の道、か。その、魔法使いは悠久の時を生きるけど、普通の人と同じ寿命を得て、死ねるってことか?」
「そう」
「ちなみに、どんな方法なんだ?」
大半の者が諦めたというのならば、さぞかし難題なのだろう。
自分が聞いても、力にはなれないかもしれない。それでも、何か打破するキッカケを掴めるかもしれない。諦めたくなかった。
そう、友人になったのだ。もっと、彼女の傍にいたいと願った。
ならば、これくらいのお節介は焼いても構わないはずだ。思って、心持ち身を乗り出して彼女の言葉を待った。
が。
「――恋を、すること」
「――――――――」
刹那。
リヴェルの時間が、綺麗に停止した。
故意。濃い。来い。鯉。
どの、『こい』だろうか。魚にでもなれと言われたならば、確かにリヴェルでは無力に過ぎて不可能だ。
しかし、当然――混乱し過ぎていて当然にも思えなかったが――、どの単語も当て嵌まらなかった。
「こい、か。……こい? えっと」
「誰かに恋をして、添い遂げる」
「……」
「それが、初代魔法使いが、なけなしの力で残した唯一の普通に歩ける道」
平坦に、真っ直ぐに告げられて、リヴェルは思わず彼女を見つめ返してしまった。夏も過ぎ去ったのに、熱で浮かされた様に頭がぼうっと火照る。
恋をして、添い遂げる。
それは、文字通り想いを成就させ、一生を共に歩くということ。
何故、それが普通の人と同じ寿命を得る手段となるのだろう。よりによって、何故そんな方法なのか。
――これでは、自分では何も力になれない。
「えーっと。……、ああ、うん」
「私たちは、恐れられている。魔法使いだと知られれば大体離れて行くし、相手の心を予測するのも苦手」
「ああ。確かに」
最後だけ大いに納得して、何度もリヴェルは頷いてしまった。彼女との意思疎通は、時々大きな壁が立ちはだかって、砕け散っている。
「だから、大半は諦めた。諦めていない者は、今も生きている」
「……そっか」
絶望――というよりは、虚無だろう。
大半がその虚しさに囚われて死を選ぶ中、諦めずに今を生きる者もいる。
それは、どれほどの強さと覚悟が必要だっただろうか。今まで生きた長さよりも、途方もなく果てしない道を歩くかもしれないのに、歩く決意をしたその人を、リヴェルは顔が見えなくても尊敬する。
何故なら、生きるということは、とても辛いことだから。
〝あんたなんか〟
絶えず否定されて生きてきた自分にとっては、現実は辛くて逃げたいことだらけだった。
「私は、そんな人に会えるかな」
「……」
「死にまみれた私だから。死を恐いと思う人に、私は受け入れられる気がしない」
「……、え」
どこかで聞いた様なフレーズだ。
細い記憶の糸をぐねぐね辿っていって、あ、と目が覚める様に視界が開けた。
〝死ぬのは、恐い?〟
告白してきた人に尋ねているという、あの質問だ。
死ぬのは、恐いか。
恐いと答えて、逃げる人。
恐くないと答えても、死んでみるかと問われ、やはり脱兎の如く逃げる人。
何故、彼女はそんな質問をするのだろうか。疑問ではあったが、少しだけ解けた気がする。
「……ステラ」
「リヴェルが友達になってくれたっていうだけで、奇跡」
「え?」
「そんな風に言ってくれる人、一人しかいなかったから」
いたのか。
意外に思いながらも、彼女は話してみればとても素直で一生懸命だから、絆される人もいただろう。
むしろ、もっといれば良いのにとふて腐れながら、何も考えずに聞いてしまった。――過去形だったことを、失念した。
「じゃあ、その人は? 今、どうしてるんだ」
「死んだ」
「……、え?」
「目の前で。成れの果てに、殺された」
殺された。
成れの果てという言葉が、またも出てくる。
合間合間に飛び出してくるが、そんなに前からなのか、と目の前が暗くなっていった。
「……成れの果て、って、……何で生まれるんだ」
「前に説明した通り、堕ちた魔法使い。理性を食われた狂人。生を選んでも、日々の平穏さや虚無に耐え切れずに堕ちる……っていうのが、私たちの見解」
「……、平穏、虚無」
血に飢えている、という様な説明を前に受けた。
それは、戦争の後遺症なのだろうか。だとしたら、せっかく血塗れになって掴み取った平和を、自ら捨て去るという構図は皮肉以外の何物でもなかった。
「人の世にそのままいるのは危険。同じ魔法使いが見つけたら始末している。だから、あの時も始末した」
淡々とした説明だ。
表情だって、いつも通り無に等しい。声の抑揚も平坦で、ただ事実を事実として解説しているだけに聞こえた。
なのに、何故だろう。
彼女の横顔は、とても遠くで、濡れている気がした。
「リヴェルは、どうか死なないで欲しい」
「……」
「危なくなったら、ちゃんと逃げて。そうじゃないと、また」
死んじゃうから。
どこまでも平坦なのに、深く切実な祈りを捧げられている様に響いた。
にゃあん、と猫がいつの間にか彼女の足元にすり寄っているのが見える。
その悲しげな鳴き声が、彼女の心情を肩代わりしている気がして、リヴェルはしばらく彼女の横顔からも――寄り添う猫からも、目が離せなかった。
――ああ、こんな時。
言葉なく、彼女に寄り添えたら良かったのに。
自分が、かつて求めた様に。
彼女の隣には、自分がいる。
自分がいるから、大丈夫。
ただ、傍にいるだけで良いのだと。
そんな、夢物語の様な寄り添い方が出来たら良かったのに。
けれど。
現実は、非情だ。
〝あんたは、このライフェルス家の跡取り。それ以上でも以下でもない〟
死人の様な、自分。未来の無い、息もしていない命。
そんな自分では、彼女に生きた寄り添い方など、結局出来はしないのだ――。
もし、物語を読んで「面白い!」「続きが気になる!」と思って下さいましたら、
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