プロローグ 彼女との、二度目の出会い
その日は、まっさらな闇に、月明かりが静かに染み渡っていく夜だった。
夢見が悪く、中途半端な時間に目覚めてしまった青年――リヴェルは寄宿舎を出て、自らが通う大学の中庭に何となく足を踏み入れる。さらりとした夜風に琥珀の髪を撫でていく感触が心地良い。
だからこそ、思う。
――何故、今更あんな夢を見てしまったのだろう。
中等院、高等院を卒業し、十九歳になるこの春、ウィストラ大学に進学した。
それから半年間夢にも見なかったのにと、自然と顔が気分と一緒に垂れていく。このくすぶった感情をどうにかしたくて、清冽な空気に満たされる月夜の下を散歩した。
ふと見上げれば、星ひとつ見えない真っ暗な空に、角一つない丸い月が煌々《こうこう》と輝いていた。
街も大地も穏やかに眠り、それを愛しそうに月の光が抱き締める。
まるで月が、世界に微笑んでいるかの様な光景は幻想的で、リヴェルは誘われる様に、更に人気のない中庭の中心へと踏み込んでいった。
――それが、運命の分かれ道だったのかもしれない。
「……綺麗だな」
ぽつりと呟き、物思いに耽る。
こんな夜も、たまには良い。夢見は悪かったが、綺麗な月を見れたと心がほぐれていくのが心地良かった。
そのまま、静かな夜空を見上げていると。
「? 何だ?」
不意に、何故か月が不自然に欠け始めた。
はて、と首を傾げて目を凝らし――リヴェルは、己の目が見開いていくのをまざまざと感じ取る。
「――、え」
見上げた先。
並び立つ街燈の上に、真っ黒な人影が悠然と佇んでいた。
風に翻る黒いコートが、翼を広げる様に優雅に羽ばたく。
月を半分隠す様にはためくその闇の翼は、かえって欠けた月の明るさをくっきりと照らし出し、相反しながら綺麗に絡み合っていた。
互いに、反発しながらも絡み合う姿に、リヴェルは視線を外せない。
そうこうしている内に、ゆっくりと人影がこちらを振り向いてきた。完全にこちらに顔が向いている気がして、どきりと心臓が大きく跳ねる。
――気付かれた。
思いながらも、焦る心とは裏腹に、足は縫い付けられた様に地面から離れない。
澄み切った黒い翼が、月を背に優雅にはためくその光景が、目に焼き付いて堪らない。
――もっと。もっと、見ていたい。
叫ぶ様に、腹の底から深い歓喜にじわじわと満たされていく。
夜空では、相変わらず黒い翼と月が微笑み合っている。
相容れないはずの二つの色が艶やかに煌めき、空を妖しく彩っていた。
まるで嘲笑う様に見下ろしてくる感覚に、ぞくりと背筋が粟立つ。昂ぶる心が震え、喉が無意識に鳴り響いた。
――綺麗、だな。
何故だろうか。
異様なまでの不協和音が、とても美しく響き渡っている風に映って、リヴェルは逃げることも忘れて見惚れていた。
――が。
「――よけなさい」
「―――――」
頭上から、涼やかな声が降ってきた。
同時に、従う様に体は動き――。
――その後のことは、よく覚えていない。
ただリヴェルは無様に倒れ込み、呆然と空を、黒い翼の主を見上げる。
その翼の主はふわりと、優雅に大地に降り立った。
こつ、こつ、と高らかな音を響かせて少しずつ、しかし着実に歩み寄ってくる。
そして。
「あなた」
かつん、と、間近で清らかな足音が舞い上がった。
あと数歩という距離で彼女は綺麗に立ち止まり、無感動にこちらを見つめてくる。
磨き抜かれた様な漆黒の瞳は、吸い込まれるほどに美しかった。見つめているこの合間にも、彼女の瞳の闇に堕ちていく様な錯覚さえ覚える。
だが、彼女の表情はまるで変わらない。リヴェルの高揚や恐怖を知ってか知らずか、淡泊に真っ直ぐに見据え。
そして。
「あなた、――死ぬのは、恐い?」
淡々と、感情が一切こもらない声で、青年に告げる。
それがリヴェルと、そして彼女――ステラとの『二度目』の出会いだった。
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