わざと少しおバカな言語生成AIを作り出す意味について。
AIが人間の日常生活を様々な面でサポートする時代への突入。これはもう決定事項と言っても過言ではないだろう。そこで近未来的に起こり得る状況を想像しつつ、今回はちょっと。
筆者の予想としては、ここ数年内に汎用型の<パーソナルAI>が登場することになると考えている。ひとりにイチAI。生まれた時から様々な個人データをAIと共有し、利用者の<ライフプラン>までをも組み立ててくれる正にかけがえのないパートナーの登場。様々な特化型AIとも連携し、利用者側からだけでなく、AIの方からも積極的にサジェスト、日々の行動を提案。これはもう<規定路線>なんじゃないかなと(遅かれ早かれ)。
しかしまあ、とはいえAI。
AIは感情的な間違いを犯さない。常に正論しか言わないモンスターでもある。それが毎日のこととなってくるとさすがに息苦しい。両親が堅物教師の家庭に生まれるようなものだ(想像の話でしかないが)。
ここからは未来の人間に関する予測。
おそらくではあるが、あまりに優秀なAIは好まれず、たまに頓珍漢なことを言い出す<少々バカなAI>の方がシェアを取る時代になるんじゃないかなと。ChatGPTが最初に注目を集めた理由も、実のところ、この少々バカな部分によるところが大きいと筆者は睨んでいる。人間程度でもたまにツッコミが入れられるくらいには、おとぼけな事も言い出すAI。愛されるのはおそらくこちらだ。
リアルタイム世代ではないが、昭和のスターに王貞治と長嶋茂雄というプロ野球選手がいた。長嶋も悪くはないが、成績では王が圧倒的に神の領域(不正圧縮バットの疑惑もかけられているらしいが)。それでも圧倒的に長嶋の方が人気があったという。その理由が「おとぼけ」にある。
多くの人間は<ただ完璧なだけの物>を好まない傾向にある。何てったって息苦しい。なので<多少の隙がある物>をより好む。それが「人間味」というやつだからだ。
……ん、野球で喩えてみて、なんとか話を持っていこうとしてみたが、よくよく考えると「現代人」は、大谷や藤井のような<完璧超人>が好きだったか。藤井に関していえば、将棋以外で抜けた面があるようなので、そうでもないのかもしれないが、大谷関しては隙がないな……あれ?やばいぞ、論理破綻するぞ……。
ああ、井上にするか。同じ完璧超人だし。
井上の印象は王と同じく、競技に対する求道者。ストイックで隙がない。しかし、それだけで人間的な魅力があまり感じられない。ただただ強いだけ。王に関しても長嶋と比較してしまうと、おそらくはそうだったのではないだろうか、とこじつけてみる(このパート蛇足だったな)。
AIが人間のパートナーになるのは確定した未来。そして、より<パーソナライズ>されていく。これも決定事項。パーソナライズされるなら、もちろんカスマイズ機能も欲しい。自分好みのAIに。
筆者的には、ブラックユーモアの利いた成田悠輔のような毒舌系AIが欲しいところだ。思考のアングルにしても非常に筆者好みで、AIで成田のようなパートナーが出来たら、これはもう最高だな、といま思った。
読者の方々は、どのようなパートナーAIが希望だろうか。感想欄などで聞かせて頂けると非常にありがたい。