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第1話 情けねえ女神様

 暫しの閃光と浮遊感の後、アルケーと三郎は下界に降り立った。

 辺りは草木が生い茂る森の中、木々の隙間からは青空が見え、耳をすませば小鳥が鳴いている。

 こんな長閑(のどか)な森が存在する世界が、魔王に侵略されているとは想像出来ない。

 しかし女神であるアルケーは感じていた。遥か彼方より発せられる異質で強大な力を。


「おかしいわね。カラミティの根城に直接乗り込んでやろうと思ったのに。もしかして結界で弾かれたのかしら?」


 どうやら大分予定からズレた位置に降りてしまったらしい。出鼻を挫かれたアルケーは不満気な顔をした。


「何だ? カラミチに奇襲でも掛ける気だったのか?」

「そうよ。その方が手っ取り早く終わらせられるもの。文句ある?」

「いや、俺でもそうする」


 意外な事で意見が合った。

 アルケーとしてはこんな面倒事はパッとやってチャッと終わらせたかった。しかし感じられる魔王の気配は遥か遠い。

 これは長引きそうだとアルケーは溜息を吐いた。

 彼女は歩くのが苦手だ。


「しかしここが異世界か。魔王が居ると聞いてたから、もっとこうヤマタノオロチでも出て来そうな、おどろおどろしい場所を想像してたが、なんて事はねえ普通の森じゃねえか」


 三郎は拍子抜けした様に辺りを見回す。


「油断しないでよ。貴方の世界とは違って、こっちは凶暴なモンスターが居るんだから」

「何だモンスターって?」

「怪物みたいなものよ。こっちではモンスターって言うの」


 ほう、と三郎は興味深そうに話を聞く。


「けどこっちにはお前さんが居るんだから心配要らねえんじゃねえのか?」

「どういう意味?」

「いやほらだってこの世界の女神様なんだろ? 皆、お前さんの前に平伏すんじゃねえのか?」

「あのねえ。モンスターがそんな分別付く訳無いでしょ。問答無用に襲って来るわ」


 つまりこの女神様は自分が治める世界の者に噛まれると言うのだ。


「情けねえ女神様だなぁ」

「うるさいわね! とにかくこの森を抜けるわよ!」

「道分かるのか?」

「分からないから抜けるのよ!」


 要するに迷子らしい。

 三郎は神仏であるなら世界の隅々まで見渡し、衆生を見守っていると思っていたのだが、そのイメージが音を立てて崩れて行くような気がした。


 アルケーは魔王の力が感じられる方角に向かって突き進む。

 だがどうも、こういう場所は慣れてないのか動きがぎこちない。木の根を跨ぐのだって、一旦脚を揃えてから踏み出している。まるで子供の歩き方だ。

 そう、彼女は()()()()()()なのだ。


(うう、歩き難い。ちゃんと手入れしときなさいよ)


 草はぼーぼー、木の根はうにゃうにゃな森に文句を吐く。

 彼女の居た天界ではこんな場所は無かった。神域の外に出る事はあったが、その時はいつも輿に乗ったり浮遊して移動するので、歩く事なんてほとんど無い。たまに歩いたとしても石ころ一つ落ちていない真っ平らな世界なので、こんな凸凹した足場は初めてなのだ。


「森を歩くのは初めてか?」


 女神のぎこちない歩行を見兼ねた三郎が問い掛ける。

 図星を言い当てられ、アルケーはビクッとなるも自身のプライドから強がってしまった。


「な!? ただ慎重に歩いてるだけよ!」


 そう言ってずんずんと道なき道を進む。指摘されたからか、その歩幅がかなり大胆になっていた。

 そして濡れた木の根に脚を掛けた時だった。


 ズルッ!


「ヒャッ!?」


 盛大に滑って転んだ。


「どんくせぇなぁ。大丈夫か?」


 やっぱりなという顔をしながら三郎は手を貸す。


「あーもう! 最っ悪! 何でこんな所に木の根があるのよ!?」

「そりゃあ森ん中だから木の根くらいあんだろ。まさか本当にこういう所初めてなのか?」

「女神がこんな所に来る訳ないでしょ」


 嫌な奴に無様な所を見られ逆ギレする。もうこうなったら一刻も早く森を出たい。


「さあ速くこんな所からーーブェッ!?」


 だが今度は脚に草が引っ掛かり、これまた盛大に転んだ。


「どんくさ過ぎないか?」


 さすがの三郎もあまりのドジっぷりに口をДの字にして唖然とする。

 それからもアルケーは木に頭をぶつけ、石に躓き、斜面を滑り落ちてと散々なドジをやらかした。そして――、


「もうかーえーるー!!」


 ただ歩いただけで女神様の心は折れた。


「女神様よお。そりゃあねえぞ。魔王はどうすんだよ?」

「まさか下界がこんな危険に溢れた場所だなんて思わなかったのよ! もうダメだわ! このままじゃ私はこの魔の森の肥やしになってしまう!」


 何の変哲もない穏やかな森で早々にギブアップを言い始める。

 三郎はめんどくさいと思いつつも彼女を立ち上がらせるべく発破を掛けた。


「帰るなら帰ってもいいがよ。それでお前さんは天使共に合わせる顔あんのか? あいつ等は俺からお前さんを庇った忠義者だぜ? 主のお前さんが尻尾巻いて逃げて良いのか? 情けねえ女神様だなぁ!」


 怒気の孕んだ罵声を浴びせる。

 するとアルケーの弱っていた目にキッと火が灯った。


「はあ? 帰る訳ないじゃない! カラミティを倒さないと私だけじゃなく、あの子達まで消滅するの! ただの戯言にマジにならないで!」

「ははぁ! その意気だぜ!」


 再びやる気を取り戻したアルケーへ手を差し出す。

 ムッとしながらもその手を掴んだアルケーは小さく「ありがとう」と言ったような言ってないような微妙な声を呟いた。


「よし、じゃあ気を取り直してカラミチの首を取りに行こうぜ!」


 そう言って再び歩き出そうとした三郎だったが、それをアルケーが止めた。


「待って、何か聞こえない?」


 言われて三郎は耳を澄ます。

 風に乗って、荒々しい喧騒が聞こえて来る。誰かの悲鳴、獣の咆哮、それに混じって何かが破壊される音だ。

 これに似た音を彼は知っていた。多少違うがこの暴力的な音を忘れる筈がない。


「これは……戦の音か!」

「戦? まさか魔王軍!?」


 そうと聞いた三郎は脱兎の如く駆け出して行った。


「ちょっとどこ行くのよ!?」

「決まってんだろ? 魔王の首を取りに行くんだよ!」

「待ちなさい! ここに魔王は――」


 居ない、と言いかけた時、


 ――ズルッ


「ビャッ!?」


 踏み込んだ泥に脚を滑らせ、またまた盛大に転倒した。

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