第6話 女神と武士の旅立ち
「う……うん……?」
ベッドの上でアルケーは目を覚ました。
「お目覚めになられましたかアルケー様」
側近の天使が安心した顔を見せる。
「身体中が痛い……」
「申し訳ございません。私達の回復魔法ではこれが限界なのです」
天使は申し訳なさそうに謝るが特に問題はない。
女神の回復魔法であればこの程度の怪我なんて、すぐに完治する。しかも自分自身への回復であれば、詠唱名を唱えずとも発動する事が出来るのだ。
(超回復)
この魔法は下界の人間達が使うものより遥かに高位の回復魔法だ。
怪我や病気はもちろん、その者の纏う装備までもを修復し、時間が経っていなければ死者ですら蘇らせる神の御業である。
さっきは恐怖に囚われて上手く発動する事が出来なかったが、今度はちゃんと出来た。
痛みが無くなり、傷も癒えたアルケーは天使に問う。
「あの男はどうしたの?」
あの時、あの男は女神を殺そうと太刀を抜いていた。正直、あのまま殺されると思っていたから、こうしてベッドの上で目覚めた事が不思議でならない。
一体どうやって助かったのか。アルケーは知らない。
「それなのですが……」
問われた天使は困った様子で言った。
「三郎様にはアルケー様と共に魔王カラミティを討って頂くようお願いし、これを了承して頂きました」
その報告にアルケーは真顔になって絶句する。報告内容を理解するまで少し時間が掛かった。
「は、はあ!? アイツに私の供をさせる気!?」
勝手に決められた事に声を荒げる。
「申し訳ございません。ですがアルケー様が眠っておられる間に、あの朝比奈三郎と言う武士について調べました。するととんでもない情報を見付けたのです。あの男は紛れもない強者です」
天使は平伏しながらも何とか彼女を納得させるべく弁を尽くす。
この話を聞けばきっと三郎を従者として認めてくれる筈だという情報を彼は得ていたのだ。
「な、何よ? そのとんでもない情報って……」
「情報によるとあの男は、陸を削り海を広げ、削り取った土で山を築き、足跡は湖となって川を成したそうです」
「嘘をつけぇ!!」
どんな武勇伝が来るかと思ったらとんだ与太話だ。
「やはりただの作り話でしょうか?」
「あたりまえよ! そんな巨人みたいな人間が居るもんですか!」
「で、ですがそのとんでもない伝説が出来るほど、朝比奈三郎という男は強いのです。どうかお願いします」
「ぜぇったいに嫌!!」
もう我慢ならなくなったアルケーはベッドから飛び降りて駆け出した。
「どちらへ!?」
「要は私の方がアイツより強ければいいんでしょ!」
寝室を飛び出し、奴が居るであろう時空の間に向かう。
力の弱まった自分のサポートに召喚したのがあの男だ。ならもう一度戦ってその必要が無いくらいの圧勝を見せればいいだけの事。
(さっきは油断しただけ! 今度こそ勝つ!)
時空の間は下界降りの出発地にもなる場所だ。
今は我が主が下界に降りられるとあって、天使達が忙しそうにその準備をしている。
そんな慌ただしい天使達に混じって、明らかに浮いた格好をした鎧武者がいた。三郎だ。
「この頭イカれ野郎!! さっきはよくもやってくれたわね!! くたばれぇ!! 剣の魔法!!」
アーリーライフルに魔法の刃が装着される。
この刃は射撃が出来なくなる代わりに、鉄の盾すら切り裂く強力な魔法剣だ。
防御不可能な一撃を以て真っ向から突き刺しにかかった。
「おう、女神様。元気そうでなにより」
しかし三郎はこれを軽く躱し、すれ違いざまに足払いする。そしてオマケとばかりにバランスを崩したアルケーの尻をペシッと叩いた。
「だがおいたが過ぎるぞ」
アルケーはそのまま勢い余って転倒する。
「アンタ……! 女神の尻を叩くなんて信じられない!」
パンッパンッと三郎は二拍手一礼した。
「拝むな!」
重ね重ねの無礼。なんて男だろうか。これほどコケにされたのは初めてだ。
「話しはこいつ等から聞いた。異界を乱す魔王討伐とは面白そうじゃねえか。この朝比奈三郎様が手ぇ貸してやるよ」
「誰がアンタなんかと行くもんですか!」
やっぱりこんな人間と下界に降りるなんて承知出来ない。
そこにアルケーを追って来た天使が彼女を宥める。
「アルケー様。そう言わずこの者をお連れ下さい」
「嫌ったら嫌なの! コイツを連れて行くなら、やっぱし私1人で行くわ!」
アルケーは頑なに拒否する。
そんな駄々こねる子供の様な女神に三郎は呆れた顔をして顎髭を撫でていた。
「何か話が違うなあ。まあ、1人で行くってんなら俺は別にいいがな。ただ俺が思うに、お前さんが出向いた所で魔王カラミチとやらに勝てるとは思えんぞ?」
「はあ? カラミティは私がこの天界から追い出したのよ」
「それは昔の話だろ? さっきと今、お前さんを相手したが、まるで子供と相撲してるみてえだった。魔王ってのはそんなんで勝てる相手なのか?」
「そうですアルケー様。こんな事言いたくはありませんが、今のアルケー様ではカラミティに勝てません」
「うるさい、うるさいうるさい!」
2人の言葉を振り払う様にアルケーはアーリーライフルを三郎の鼻先に突き付ける。
「私は女神アルケー! この私がこんな人間に、カラミティに、負ける訳がないのよ!」
だが次の瞬間、アルケーの身体は宙を舞って床に叩き付けられていた。
「これで俺に3連敗だ。坂東武者を舐めるなよ」
こんなの何て事ないとでも言うように三郎は手を払う。
対してアルケーは彼の足元に伏せられ、見下される形になっている。今まで天界でも屈指の力を持っていた筈の自分が、ただの人間に軽くあしらわれるなんて信じられなかった。認められるものでもなかった。
「ありえない! 認めない! 認めない! 認めてなるものですか!」
悔し涙を流しながら女神は睨みつける。
三郎は床に座すとそんなアルケーに語り掛けた。
「俺な、そうやって力を誇ってた奴等が滅びたのを幾つも見てきたんだ。平家、木曽、奥州の藤原、梶原、比企、畠山、そんで俺の一族、和田も……。世は盛者必衰なのさ」
彼の居た時代はまさに戦乱の世だった。仲間達と共に平家を滅ぼした後に待っていたのは、その仲間達との権力争い。その中で三郎の一族もまた滅ぼされたのだ。
「だからさあ、これはダメだと思ったら誰か頼ろうぜ。神仏から武を乞われたとあっちゃあ俺も坂東武者として断れねえよ。必ずカラミチの首を上げてやる」
「さっきから何なのよカラミチって!」
「え? なんか違った?」
おそらく「ティ」の発音が出来ないのだろう。一生懸命口をナマズの様に広げて発音を試みているが、「シ」か「チ」しか出て来ない。
その間抜けな姿に毒気を抜かれたアルケーは大きな溜息を吐いた。
そう。今は駄々こねている場合ではないのだ。
(カラミティはきっと私から奪ったマナで力を増している筈。捧げられるマナが減り続ければ、私も眷属達もいずれ消滅してしまう。そんなのダメ!)
アルケーは涙を拭いて立ち上がると、武者に向かって力強い目を向けた。
「分かりました。貴方の供を許します!」
それに三郎は待ってましたとばかりにニタリと笑った。
「応!」
「下界降りの準備は整っております」
「分かった。すぐに出発する」
「よおし。行くか!」
天使に案内されアルケーと三郎は転送魔法陣に立つ。
間もなく転送の儀式が行われ、魔法陣は輝き、光の玉が疾風と共に2人の周りを吹き荒れた。
「そう言えば、俺の傷を癒やしてくれたのはお前さんなんだってな?」
「それが何?」
アルケーにとってはせっかく召喚した人間を死なせては勿体無いと思ってやった事だ。
三郎は軽く頭を下げて一言。
「ありがとよ」
唐突に言われたお礼の言葉にドキリとする。
「べつに……」
照れ隠しからアルケーは小さな声で返す。
その返事が聞こえなかった三郎は顔を近づけもう一言。
「ありがとよぉーーーー!!」
「うっさい!! 聞こえてるわ!!」
その刹那、閃光が走り目の前が真っ白になる。
女神と坂東武者による魔王討伐の冒険が始まった。