第3話「ようこそ、魔法の国へ」
「すっご〜い!!!」
中世ヨーロッパ式のものによく似た建造物たち。複雑に入り組んだ路地。運河に面した土地ゆえに物作りを生業にしている人が多いのだろうか、つなぎを汚した大柄な老人たちが集まって話し合っている様子が見える。
空を見上げればバイクによく似た乗り物に乗って移動する人たち、昔どこかの本の挿絵で見た空中都市のようなものがふわふわと浮遊している。
そんな夢のような光景に陽菜の心はずっと高鳴り続けている。おとぎ話でしか触れることのなかった、人間であれば1度は夢見る景色が今陽菜の目の前にはリアルなものとして存在しているのだ。
興奮しきった様子であれはなんだ、これはなんだと尋ねる陽菜の姿にヒナタがひとつずつ答えていく。
「すごいなぁ!ほんとに魔法の世界だ!」
「まぁ厳密に言うと魔法科学の世界なんだけどね」
「マホウカガク?」
魔法と科学って言葉的に真反対のものなのでは?
「何千年も前は純粋な魔法の世界だったんだけどさ。ある時起こった大戦で魔法そのものが断絶してしまったから、今あるのは魔道具で補助して使う擬似的な魔法だけなんだ。だから魔法科学って言われてるんだよ」
たしかに言われてみればみんな手首だとか腰周りに何かしらの道具を身につけている。所謂魔道具とかいうやつか。あれを使って魔法を行使するということなのだろうか。
純粋な魔法ではないとヒナタは言ったけれど、それにしたって魔法も何も存在しない世界にいた陽菜からすれば擬似的な魔法でも十分すごいことだ。
そこではたと気づいた。
「待って、もしかしてあれ使ったら私も魔法が使えるってこと…!?」
「うーん、それはどうだろう。体との相性もあるからなぁ」
「え〜、そうなんだぁ…」
がくりと肩を落とす。下がった視線の中に彼の腕が映り込む。
(長袖だからわかんないけど、ヒナタくんもそういうのつけてるのかな)
物思いにふけっている陽菜の様子にヒナタが控えめに声をかける。
「ちょっと買い物してっていいかな?おつかい頼まれてるんだ」
「あ、もちろん!むしろ色々見れるから嬉しい!」
「ならよかった」
市街地へと足を運ぼうとすると、今まで大人しく陽菜の腕の中でくつろいでいた獣がぴょんと地面に飛び降りた。
「どしたの?」
陽菜が視線を合わせるようにしゃがみこむと、獣はぐるるとひとつ喉を鳴らしてなんと陽菜の影の中へ沈んでいってしまった。
「え!?うそ!?」
目の前で起こった現象に驚きを隠せない陽菜はぺたぺたと自身の影が映る地面を触る。しかし獣のように自身の手が影に沈むこともなければ、そこにあるのはただの固く冷えた地面だけ。
「え、え〜…」
「もしかしたら人のいるとこが嫌だったのかもね」
ヒナタが苦笑しながら言った。
たしかに今まで人っ子一人いない森の中にいた上、この子は人間に傷を負わされていたのだ。こんな人がたくさんいる街中はあまりいい気はしないだろう。
(市街地を離れたらまた出てきてくれるかもしれないしね)
陽菜は獣の消えた影をもう一度だけサラリと撫でて勢いよく立ち上がった。
「よし!お待たせヒナタくん」
「ううん、大丈夫」
「何買う予定なの?」
「食べ物がメインかな。よく食べる人だからすぐなくなるんだ。それに、今日からは君もいるしね」
「はは、ご迷惑をおかけします…」
「あぁごめん、気にしないで。作る量自体は多分そんなに変わらないから」
なんてにこやかに言う。
彼の同居人とやらはそんなに食べる人なのか。大食らいとまではいかないが陽菜も現役高校生なのでそこそこ食べる。
それなのに作る量が変わらないというのだから、相当大食いな人なのだろうと陽菜が想像しながら市街地に入っていくと食べ物の美味しそうな匂いと楽しそうな音楽が聞こえてきた。
ぐるりと様々な店を周りながらヒナタは次々と食料を袋に詰めていく。
何店舗か巡った後、ヒナタは小道の先にひっそりと佇む雑貨店へと足を踏み入れた。
食器のコーナーを物色しているヒナタを横目に店内を見回す。
先ほど周っていた店と比べると随分と古い作りなお店のようだ。天井に吊るされたガラスのライトがキラキラと光っていて美しい。
じっくりと棚一つ一つ見ていくと、店の片隅、棚の奥にひっそりと隠されるように置かれていたマグカップを見つけた。
埃をかぶったそれを手に取りぐるりと手の中で回して眺める。被った埃を払ってみれば、傷一つない、鮮やかな緑で描かれた植物の模様が現れた。その鮮やかな色が、向こうでじっと食器を見つめている彼の翡翠と重なる。
(見えにくい所にあったから売れ残っちゃったのかな。こんなに綺麗なのに)
誰も買わないのなら自分が買って手元に置いておきたいという気持ちが湧くけれど、あいにく陽菜はこの世界の通貨を持っていない。この場でこれを買うことはできない。
だから陽菜はできるだけ丁寧にカップをもとの棚に戻した。
カップを置いて別のスペースを見に行こうと体を反転させると、この店の中で一際異質なオーラを放つスペースが目に入ってきた。そこにはなにやら少々怪しげな道具が大量に並んでいて、おそらく店主であろう老婆が口元を歪にゆがめながらこちらを見て笑っている。
それに引きつった頬を無理やり引き上げて会釈を返しながらそそくさとその場を離れる。
うん、あの人は多分関わっちゃダメなやつだ。
戸棚から離れてぼんやりと店内を眺めているとヒナタがこちらに近づいてきて、
「これどう?」
と言って花の絵柄が入った白いマグカップを見せてくる。意図がつかめずに彼の翡翠の目を見つめ返してるとそれを否定と受けとったのか、ヒナタが不安そうに小さく眉を寄せた。
「あ、ごめん、もしかして嫌だった?…花好きそうだったからこれにしたんだけど」
申し訳なさそうに呟かれたその言葉にようやく彼が陽菜の食器を見繕っていたことを悟る。その後もなにやら言っていたがそれは陽菜の耳には入ってこなかった。
(こ、言葉が…言葉が圧倒的に足りない…!)
森でヒナタの家に来ないかと提案された時も少し思ったのだが、どうやら目の前の男は言葉が足りないことがしばしばあるらしい。
いや、言葉が足りないというより単純にコミュニケーションが下手だと言うべきだろうか。街や森の説明はうまかったのに対話となると随分とぎこちなくなる。
人によってはいつか誤解を招いて大変なことになりそうだ。
思わず苦笑を漏らすと困惑した表情をし出すから、慌てて彼の先程の言葉を否定する。
「あ、ううん!そういうわけじゃないの!私の選んでくれてたっていうのがわかってなかっただけで」
言いながら彼の手にある花柄のマグカップに手を伸ばす。
「ありがとう、これがいい」
そう言うとヒナタは安心したように笑って、お会計、してくるよと言ってマグカップを老婆の元へ持って行こうとする。
「あ、ちょっと待って!」
歩き出そうとしたヒナタを呼び止める。その場で待ってるように言って、少し離れた戸棚から緑の葉があしらわれたマグカップを手に取り彼の元へ持っていく。
「これも一緒に買おう」
「陽菜マグカップ使い分ける派なの?」
「違う違う、ヒナタくんの」
「え、俺?」
心底驚いたというように目をまん丸にしてマグカップを見ているヒナタ。
「さっき見つけてね。ヒナタくんの目の色に似てるなぁって思って。ヒナタくんが選んでくれたの嬉しかったからさ、せっかくだしこれも買っておそろいにしない?あ、お金はもちろん返すよ!?はっ!待ってでも通貨が違うんだった…あーうー、だ、大丈夫!ちゃんと返すから!ちょっとまだどうやって稼げばいいかはわかんないけど…」
彼から反応が一つも返ってこないからだんだん恥ずかしくなって口早に言葉を紡ぐ。
さすがに会って数時間の人間にこんなこと言うのはまずかったかなぁ!?いやでも選んでくれたのは本当に嬉しかったし……と陽菜が頭を抱えているとヒナタが何かをポツリと呟いた。
「───」
「え?」
「あ、いや、なんでもない。ありがとう陽菜。これとこれ、買ってくるよ」
そう言ってヒナタは老婆の元へと向かっていった。カップを渡した途端老婆に細枝のような指でさされながらケラケラと笑われて、それになにやら言い返しているヒナタの様子が見える。
会計が終わったのか、少しムスッとした顔をしながらこちらに戻ってくるヒナタが小さな子どものようで面白くて口角が上がる。
感情の起伏が控えめな人だと思っていたけれど、案外不器用で子供っぽい人だったりするのかもしれない。そんな陽菜に不思議そうな目をしながらヒナタはマグカップの入った紙袋を手渡してくる。
「ありがとう」
「うん、じゃあ、行こうか」
大通りを抜けて彼が住んでいるベルドナールという小さな町へ向かう。
日が落ち始めたにも関わらず、市街地はまだまだその賑わいが衰える様子はなく人々の笑い声で満ちている。
人で溢れかえった大通りを通り抜けて、街の中央に位置する広場を通り過ぎようとしていたその時、広場の端に建てられた大きな壁画が陽菜の目に入る。
「ねぇ、あれなに?」
「どれ?」
「あの壁画」
王冠を被り杖を持った女と、剣を片手に鎧を身にまとった男が握手をしている。その周りを囲むように佇んでいる兵士たち。
そして中央にそびえ立つ巨大な木。
その精巧な作りと独特な雰囲気に目が奪われる。
「あぁ…。あれはこの国の創世伝説を描いた壁画だよ。これは調停の朝って場面だね」
「調停の朝?」
「さっきこの国では昔大戦が起こったって話したでしょ?それを和平って形で収束させたのがこの二人の王なんだよ」
あぁ、そういえばそんな話をしていた気がする。たしか魔法という存在そのものが消え去ったという大戦だっただろうか。
「国中にこういう壁画が散らばってるんだよね。いくつかは盗難とか自然災害で崩れちゃってるみたいなんだけど」
「この女の人は?」
「この国の初代女王さ。文献に全く情報が残ってないから名前とかはわかってないんだけどね」
晴れやかな空と緑とは対照的に作られた、慈悲とも苦悶とも取れるような彼女の表情。ヒナタのそれよりも少し暗い光を放つ翡翠の石が埋め込まれた彼女の瞳が、こちらをじっと見つめてきているような錯覚さえ引き起こしてしまいそうだ。
「気になるの?」
「…うん」
「ならうちある本貸してあげようか?」
「いいの?」
「誰も読まないしね。とりあえず帰ろう。日が暮れちゃうから」
「え、あっ、待ってよー」
壁画から空に目を向ければたしかに太陽が沈み夜の帳が降り始めていた。いまだこちらを見つめる彼女が気になりはするが、早く帰りたいと言わんばかりにスタスタと歩き始めてしまったヒナタにおいていかれてしまっては困る。ざわめく心に目を背けながら陽菜はヒナタの後を追った。