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第1話「森と獣」

さわさわと風の音が聞こえる。肌に触れる草花の柔らかな感触。鼻をくすぐる土と花の匂い。地は乾いているけれど、どこか湿ったような匂いが空気に混じっているから近いうちに雨が降るのかもしれない。

(いい匂いだなぁ…)

日ノ森は比較的雨の少ない地域であったからここまで強い雨の匂いはなかなか感じることがなかったけれど、木々の間から差し込む光や草木の匂いはここと似ていて酷く安心する。

馴染みのある匂いに浮上していた陽菜の意識が再びゆるやかに沈んでいこうとする。


「っていやいやいや!沈んじゃダメだって!」


沈みかけた意識を無理やり叩き起して弛緩していた体に力を入れる。

落ちた時にぶつけたせいか、ところどころ鈍い痛みを発している体。しかし折れてもいないし動けないほどの痛みというわけではなかったので陽菜はゆっくりと立ち上がりあたりを見回した。

「ここ、どこ…?、ってあれ!?スマホがない!?」


自身のポケットに触れてみれば、そこにあったはずの己の相棒が消え去っていた。

慌てて地に膝を着いて探し回るが、どこにも見当たらない。


「う、うそでしょ〜?あ、お財布はある…!でもお財布があってもなぁ…」


この場において必要なのはお金ではなく連絡手段なのだ。しかしどれだけ探しても目当てのものは見つからない。情けない声が口から漏れ出てくる。


「……でもまぁ、とりあえず生きてりゃどうにかなる…!多分!!」


パシッと頬を両手で1度叩いて立ち上がる。

散らばった己の荷物を片手間にまとめながら頭上を見ると緑の葉が生い茂る森の隙間、先程まで夜の闇が溶けだし始めていたはずの空は澄んだ青となっていた。


(私たしか…)


いつか見た祭りの光景が目の前に広がっていたのは覚えている。そして帰ろうとした時、背後から誰かに拘束されかけたことも覚えている、のだが…


(その後どうしたんだっけ…)


そう、拘束されかけた後のことが全く思い出せないのだ。

どうして今こんな森にいるのか、そもそもどうやってここにたどり着いたのか、わからない事だらけで頭が痛くなってきた。

しかしここでただこうして立っていては日が暮れてしまう。夜の森の危険は誰よりも知っているのだ。早いところ屋根のある場所を探そうとまとめた荷物を肩にかけ、陽菜は森の中を歩き始めた。


おそらくここは陽菜の知っている世界とは別の世界なのだろう。

いや、陽菜自身も信じられないとは思っているのだが、自然界に存在してて大丈夫なのかと疑いたくなるような色をしたものだったり、アニメでしか見たことのないような不思議な形状をしたものだったり、明らかに現実では存在しえない植物たちがあらゆるところに生えているのだ。ならばここは別世界と思うほかないだろう。


「えぇ〜、何あの花…すっごい色してる…!」


目に付いた紫色の小さな花に触れようと手を伸ばす。

すると、花弁だと思っていた白い部分がぐわりと大きく開き凄まじいスピードで陽菜に向かってきた。


「ひょわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」


ダンっと、力強く地を蹴った。背後からキシャァァァァァと気味の悪い鳴き声が聞こえてくる。私の目と耳は狂ってしまったのだろうか。あんなの深夜にテレビでやってる某奇妙な話でしか見たことがない。

ちらっと走りながら後ろをふりかえってみれば、そこにはうねうねと動くホワイトエネミー(仮)。どうやら根っこのせいで追ってくることは出来ないらしい。しかしあのまま逃げ出すことが出来なければ今頃あのホワイトエネミー(仮)の腹の中にダイブしていただろう。

これほどまでに自身の反射神経の良さに感謝したことはない。


「ふぅー……ここまで来れば、とりあえず大丈夫かな…?」


先程よりも幾分か開けた場所にたどり着いた陽菜。

色とりどりの美しい花々が、陽菜を招くようにふわふわと風に揺られている。

正直見たこともない花々が咲き乱れているこの景色に花屋の娘としてはこれほどまでに心躍ることはないのだが、如何せん状況が状況なので高ぶる気持ちに蓋をして陽菜は森の奥へと進んで行った。


風と生き物たちの声だけが響く静かな森の中。見れば見るほど自分の愛する日ノ森の緑とは違いばかりが出てくるのに、懐かしいような、悲しいような、知らないはずのその景色になぜだか心を揺さぶられる。


(なんだろう、これ)


自身の内に生まれるこの地への郷愁。心が自身のものではないなにかにじわじわと蝕まれていくような感覚がする。それに戸惑いながらも心を落ち着けるように息を整え進んでいくと、次第に倒木や大きな岩石が増えてきて足場が悪くなってきた気がする。なにやら大きな足跡なんかも出てきていささか不安になる。

先程の穏やかな森とは違い、木々がざわめき、嵐の後のようなその惨状が眼前に広がっていて、その変化に驚きながらも転ばぬように注意を払いながら比較的安全な場所を探していく。


「?」


さらりとすずらんの香りを纏った風が頬を撫でる。突然流れてきたその香り。不思議に思った陽菜は風が流れてきた方を振り返る。

一瞬、ほんの一瞬だけ、すぐそこの木の影に亜麻色の長い髪を見た気がした。

目を擦って再度見てみると木の影には何もなくて。ただ陽菜は何かに取り憑かれたようにその場から目が離せなくなってしまった。木の元へ1歩、足を踏み出す。


「ふぎゃ!?」


踏んだ。今確実になんか踏んだ。

今まで踏み締めていた倒木とは違う、ふにゃっとした感覚が足に伝わってきた。

靴越しでも妙にリアルに感じられる生き物特有の柔らかさと温もり。その感触にぞわりと鳥肌が立ち慌てて足をその場から離す。

一体自分は何を踏んでしまったのだろうか。

警戒しながらその場を覗き見るとなにやら黒いもふもふとした生き物ががモゾモゾと動いているのが見える。

どうやら木と岩の間に挟まってしまって動けなくなってしまっているらしい。


「ま、待って、今木どかしてあげるから」


陽菜は慌てて黒い生き物の傍に寄り、倒木をどかそうと力を込める。中身が腐敗していたのか、倒木は想像していたよりも軽く陽菜1人の力でも何とかどかせるくらいのものだった。

倒木をどかした先には犬のような姿をした真っ黒な生き物が1匹。

木をどかした際に毛にかかってしまった木屑や砂を払ってやろうと近づいて手を伸ばすと、弱った様子だった生き物が勢いよく起き上がり後方に大きく跳躍して陽菜に向かって威嚇をし始める。

驚いて思わず伸ばしかけた手を引いてしまう。

この世の全てに敵意を向けるように低く唸り爪をむき出しにしている。

あれに引っかかれたら何も持たない陽菜としては一溜りもない。

しかしその体に滲む血を目にして再び陽菜は必死にこちらを威嚇する黒い生き物に、自身の足を前に出し1度は引いてしまった手を静かに差し伸べた。


「大丈夫。手当したいだけなんだ。君の嫌がることは絶対にしない」


そらすことなく真っ直ぐに黒に紛れる金の目をただひたすらに見つめる。

憎悪を宿す視線をただ受け止め続ける。

辺りでざわめいていた木々が、今は陽菜たちを見守るように静まりかえっていた。


(品定め、されてるのかな)


低くうなりながらも、鈍く光る対の黄金は差し出された手と陽菜の顔を交互に行き来していた。

黒に覆われた、血に濡れた獣。

見た限り、生まれてからそれなりの年月が経っているのはわかるのだが、その大きさに反して腹回りと足が目を背けたくなるほどにやせ細っている。その上明らかに人為的だとわかる傷が体のそこかしこに刻まれているのを見て陽菜の眉間に深いしわがよる。そりゃあ警戒するのも当たり前だ。この子にとっての人間は自身を嬲り傷つける存在でしかないのだろう。


(私がこの子を傷つけたやつらと同じ"人間"である以上、今私から動いてもきっとそれは意味を成さない。それなら、)


言葉にできない代わりに言葉以上の思いを込めてその金の瞳を見つめる。

痛いことはしない、君を傷つけたやつみたいなことなんて絶対にしない、ただ君を助けたいのだと、伝わるように。


沈黙が1人と1匹の間を流れていく。

いつの間にか獣から発せられていたうなり声は消えていて、ピリピリとしていた空気は緩やかにではあるが薄くなっていた。


「…触れても、いいかな」


獣は動かない。だからゆっくりと、この子が許してくれる距離を測るように1歩ずつ近づく。

土埃や木屑で汚れてしまったその毛並みをさらりと一撫でしてみても先程のように牙を剥く様子のない獣に安堵して、その体をそっと抱き上げた。


とりあえず、汚れた体と傷口を洗うために水場を探そうと獣を抱えた陽菜が立ち上がろうとしたそのとき、


「aaaaaarrrrraaa!!!!!!」


突然の地響きにバランスが保てずその場に手をつく。何が起こったのかと顔を上げると、森の奥に巨大な魔物の姿が見えた。


(でっか!?なにあれ!!!?熊?猪?よくわかんないけどとりあえずやばいのがおいでなさった…!!!)


幸いまだあの魔物は陽菜には気づいていない。こちらには手負いの獣もいるのだ。ここで見つかってしまえば生きて帰れる保証はない。

陽菜は姿勢を低くしできる限り音を立てないようにゆっくりと後退する。

途中で投げ出していた荷物を手繰り寄せて、胸にギュッと抱え込む。獣が苦しそうに身動きをしていたが今だけは許して欲しい。

人をまるまる飲み込んでしまいそうな巨体。恐怖で喉がカラカラに乾き、手足は震えが止まらない。胸に抱いた獣の温もりがあるからなんとか踏ん張れているだけで、正直今すぐ泣きだしてしまいたい。

恐怖に押しつぶされそうな陽菜の脳がとうとう現実逃避をし始める。


(私知ってる。漫画だとこういう時って木の枝パキッてやっちゃったりすr)


パキッ


「あっ」


フラグである。


(うそでしょぉぉぉぉ!?!?)


音自体はとても小さなものだった。しかし静かな森の中ではそんな小さな音もよく響くわけで。

巨大な魔物は音の根源である陽菜を視界に入れた。標的を見つけた魔物は木をなぎ倒しながらこちらに向かって動き出す。


「っ!」


陽菜は勢いよく地を蹴りだした。

生き物に等しく宿る生存本能が、陽菜の震える足を突き動かす。


(どこか!隠れられるところに!!)


足場の不安定な森を必死の思いで走り抜けながら隠れられそうな場所を探す。


(!あそ、こ!)


段差のできた地面。木の根が入り組んでできた空洞を見つけた陽菜は一目散にその穴の中に飛び込んだ。


「aaaaaaarraaaarrrrrr!!!!!!」


陽菜が飛び込んだのと同時に魔物の一際大きな鳴き声が響いた。光の槍が森を切り裂く。


(うわっ!?)


光で目がくらむ。何が起きたのか理解できない。あの魔物はまだそこにいるのだろうか。

目が見えないからわからない。けれど、さっきまでずっと響いていた魔物の大きな足音や鳴き声が聞こえてこなくなって、不思議に思った陽菜がそっと辺りを警戒しながら空洞から顔を出すと、そこに魔物の姿はなく、かわりに地面には大きなクレーターが残っていた。


それに言葉を失って呆然としていると、


「まったく、あの人の頼みを聞くとほんとにろくな事がな、い……」


魔物がいた方の茂みからガサガサという音とともに琥珀色の髪を緩く後ろで結い上げ、厚手のローブを羽織った青年が現れた。

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