はじまりの思い出
「、、、ママ?」
気づいた時には、そこに母はいなかった。
目の前に広がる光景は先程まで視界で捉えていたものとは違い、土の地面はレンガの道に、祭りの光は赤い提灯から明るい緑の光に変わってしまっていた。ここは一体どこなのだろうか。
まだ5歳の陽菜には全くもって理解が出来なかった。
恐る恐る屋台に挟まれたレンガの道を歩く。鮮やかな屋台と陽気な音楽は人々の笑顔を作り出してはいたが、たった一人陽菜だけは不安で仕方なかった。
怖くてこぼれ落ちる涙を見つけた親切な人達が陽菜に声をかける。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」
「お母さんは?お父さんは?」
「どうしたの?お名前は?」
「あ、うう、、、」
一度に沢山の大人に話しかけられたって分からない。ただでさえ混乱してしまっている陽菜には恐怖を助長させるだけであった。縮こまりながら少し後ろに退くと、視界の端に誰もいない通りがあるのをみつけた。
怖くって怖くって、少しよろけながらもそちらへと走り出してしまう。
「う、ひっく、ママ、、、!!」
「あ、こら!」
「待ってお嬢ちゃん!」
沢山の大人の声が聞こえてくるが、足は止まらなかった。暗い通りだって怖くて仕方なかったが、そのまま真っ直ぐ走り抜けていく。
通りを抜けて木々の鬱蒼とした林の中へと進んでもその足は止まらなかった。
いつまで走ればいいんだろう、そう思った瞬間足がぬかるみにハマり転んでしまった。
「ゔっ!!!!」
しばらく地面に伏した後、ゆっくりと顔を上げる。恐怖やら痛いやらが感情の波となって一気に陽菜に押し寄せてくると、それと同時に大量の涙が陽菜の瞳からこぼれ落ちていく。
泣いたって誰も助けてくれない。
孤独感が激しく陽菜を襲う。
「ああ、うぅ、、ああああん!」
真っ暗な林に大きな泣き声が響く。
しばらく泣いたあと、体を起こして立ち上がると、お気に入りのワンピースは泥だらけで膝は擦り剥けて血が出ているのわかった。
「う、うぅ、痛いよ、、」
スンスンと泣きながらも少し落ち着きを取り戻した陽菜は、ゆっくりと立ち上がった。
一体ここはどこなのだろう、そう思って一歩前に進む。
パキッ
「いっ!!!」
何かが折れたような音と共におでこに何か当たった感覚がする。痛い。
陽菜は蹲り小さい手で自らのおでこを抑えた。
「うぅ、、あっ!」
ゆっくりと顔をあげると、陽菜の頭上で枝が1本折れてしまっていた。きっとあの枝の折れた音が、先程聞こえた音なのだろう。力なくプラリと垂れる枝が痛そうで痛そうで、すでに悲しみで溢れている陽菜の瞳から再度涙がこぼれ始めてしまった。
「う、ひう、ごめんねぇ」
スンスンと泣きながら枝を撫で、ひたすらに謝る。枝の痛みと自分の痛みが共鳴し、余計泣いてしまう。
陽菜は持っていたお花のポシェットから絆創膏を取り出し、ペリペリと包装を剥がすと拙い手でゆっくり枝に絆創膏を巻き付ける。
先日母に買ってもらい大事に取っておいたクマの柄の可愛い絆創膏。正直使いたくはなかったが、枝を折ってしまったのは陽菜だ。
「ごめんね、ごめんね」
なんとも不恰好な枝ではあるが、これが陽菜の精一杯だった。
「いたいのいたいのとんでけっ」
絆創膏を貼った部分にそう唱えると、自分のおでこの痛みもスっと軽くなったように感じる。
絆創膏の上を優しく撫でているうちに陽菜の瞳からだんだんと涙は引いていった。しかし、涙が引いたところで母が何処にいるかも、どうしたら帰れるのかも分からない。途方もない無力感と絶望で、陽菜は大きな木の根元にうずくまってしまった。
「ひな、もうお家帰れないのかな」
抱えた足と腕の中に顔を埋めると陽菜はまた小さく泣き始めた。しばらくそのまま蹲っていると段々と周りが明るくなってきたのを感じる。何だろう。
気になって顔を上げるとそこにはいくつかの光の塊が空中をぷかぷかと漂っていた。
「ひゃあ!!」
驚いて声を上げると光たちはびくりと大きく動いた。全く理解できない状況に放心状態の陽菜の周りを光たちはくるくると回り始める。その光たちはどこか優しく、悲しみに暮れている陽菜を慰めてくれているかのようだった。
その光たちをただひたすらに見つめていると何かを囁いているのがわかる。最初は何を言っているのか全く理解できなかったが段々と聞き覚えのある単語が聞こえてくるようになった。
『、、、コッチ、、コッチ』
「、、こっち?」
ゆらゆらと揺らめく光たちはまるで手招きするかのように陽菜を誘う。その美しさと魅力からは不信感や怪しさを感じることはなく、ただ包み込むような温かさが放たれていた。先程まで悲しみに暮れていたのも忘れて好奇心の湧き出してきた陽菜は戸惑うことなくその光たちへとついていった。
光たちは陽菜がついてこれているか時折確認しながら森の奥へと進んでゆく。転びそうになると光たちはふわりと陽菜の周りを舞い助けてくれた。光たちに助けられながら暗い林の中を進んでいくと突然目の前に花の咲き乱れた草原が現れた。薄紫色の花々は月光に照らされ、微風に靡いていおり、まるで淡い海を見ているようであった。
「わ、、わぁぁぁ!」
瞳に輝きを取り戻した陽菜は膝の痛みも忘れて無我夢中に草原の中へと駆け出していく。ふんわりと香る柔らかい花の香りが心地よい。光たちは陽菜と共に夜の草原を漂っていた。
『キレイ、、、ゲンキ、、ナル、、』
光たちはポツポツとそう呟いていく。
「ひなのこと心配してくれたの?」
光たちはそれに応えるかのように一度揺らめいて見せる。
「へへ、そっか、ありがとう!」
満面の笑みでそう言うと、また夜の草原へと走り出していく。光たちもそれを見守るようについて行く。
楽しげな笑い声を響かせながら縦横無尽に駆けていく。光と追いかけっこをして、跳ねて、回って、遊び尽くして少し疲れた頃、草原に座り込んだ陽菜のところへ光たちが集まってきた。
『アゲル、、、チカラ、、ナル、、』
そういうと光たちからポンと何か宝石のようなものがはじけて飛び出してきた。
「え?」
『タベテ』
「えっと」
『オイシイ、、タベテ』
光たちはポンポンと宝石のような食べ物らしい何かを出し続けながら陽菜に催促する。陽菜の手のひらに段々と宝石の山ができ始めてしまっていた。どうやら一つ食べるまでこの宝石のようなものは止まらないらしい。段々と手のひらでは収まりきらなくなりポロポロと落ち始めてしまっている。増え続けるお菓子を止めるには食べるしかない、そう感じた陽菜は混乱しながらも覚悟を決めてこの初めて見る食べ物を口の中へと放り込んだ。
「え、えい!」
サクリと小気味のいい音が口から響く。優しい甘さが口の中にじんわりと広がっていく。しゃりしゃりすると思ったら、中からは初めて食べるような味の甘いシロップが溶け出してきた。
「、、、おいしい」
続けてもう一粒口に運ぶ。先ほどとはまた違う味のシロップが口の中にはじけて広がる。その様子を光たちは嬉しそうに見守っていた。パク、パクといくらか口に運んだところで何か思いついたかのように、持っていたポシェットからハンカチを取り出すと残りのお菓子を包みそっとポシェットの中に戻した。
何をしたいのか全くわからない光たちがソワソワと心配そうに漂い始める。その様子に気づいた陽菜がそっと応える。
「おいしかったからね、ママにあげるの!」
それを聞いた光たちは驚いたように一度強く光るとまたふよふよと動き始める。
『コッチ、、コッチ、、』
「え?」
『コッチ、、』
「あ、まって!」
光たちは草原を抜けるとまた暗い森の中へと戻っていく。慌ててその光を追いかけているとだんだん聞き馴染みのある音楽が聞こえてくるようになった。
光たちはまだまだ先へと進んでいく。
『コッチ、オイデ』
森の先に明かりが見えた。どうやら森の外れまで来たらしい。
『モット、コッチ』
「、、、あっ!」
森の向こうには陽菜の知っているあの夏祭りの光景が広がっていた。赤い提灯と浴衣を着た人々、それからあの音楽。帰ってきたのだ、陽菜のもといた場所に。
「、、、連れてきてくれたの?」
光たちは何やら嬉しそうに陽菜の周りを漂う。
『、、アリガトウ』
「え」
『マ、タ、、、、ネ』
光たちはくすくすと笑うとそのまま消えてしまった。
「あ!ありがとう!」
突然の別れに放ったこの声は果たしてあの光たちに届いたのだろうか。というか、あの光たちはなんだったのか。そんなこと陽菜にはわからない。ただ温かい感情がじんわりと胸の中で広がっていく。
と、その時。
「陽菜!!!」
「あ!ママ!」
長い髪を振り乱した小柄な女性は陽菜を抱きしめる。
陽菜を抱きしめるその肩は小刻みに震えていた。
「よかった、、本当によかった、、、」
「むぐぅ」
少し苦しいほどに抱きしめられた陽菜からうめき声が漏れ出す。
「あっ!ごめん。って怪我してるじゃない!大丈夫?」
「うん!ねぇママ、聞いて聞いて!なんかね、ピカピカしたね、う〜んとね、あ!妖精さん!妖精さんとね、遊んでたの!」
「よ、妖精さん、、?」
あの光はきっと妖精さんだったのだ。多分そうだ。先日観た映画の中に確かそんな感じで光っている妖精がいたような気がする。
、、、ちょっと違う気もするけど。
「そうだよ、あ!綺麗なお花畑も見たしね、キラキラ〜ってしたお菓子ももらったの!ママにもあげるね!」
そういうと陽菜はポシェットからあのハンカチを取り出そうとする。
「え、待って陽菜ママちょっと理解が、、」
「あっ」
「どうしたの、、?」
取り出したハンカチには何も包まれていなかった。
「なくなっちゃた、、」
悲しそうにポツリと呟く。
「陽菜、、」
「ママ!こっちにね、お花たくさん咲いてるの!来て!すっごいんだよ!」
「、、陽菜!」
母が強く陽菜の腕を掴んで動きを止める。
「帰ろ?ね?さっき欲しいって言ってたわたあめ買ってあげるから」
不安で歪んだ母は優しくそっと陽菜の頭を撫でる。
(綺麗だったから、見て欲しかったのにな)
少ししょげて地面を見つめていると、さっと母に抱きかかえられ気づけば足が地面から離れてしまっていた。
「んっしょ、、!陽菜も重くなったねぇ」
腰いわしちゃいそう、と呟きながら母はスタスタと歩き出した。ふわりと香る母の匂いが心地よい。
暖かい体温が伝わってくるたびに先程まで忘れていた怖かった感情や孤独感が安心感と共に思い起こされていく。
もう一人じゃない、抱きしめてくれる存在がいる、少し涙が浮かんできた陽菜はそのまま母にしがみついた。
「、、、怖かった?ごめんね、手離しちゃって、、」
「、、、ねぇママ」
「なぁに?」
「だいすき」
「ママも陽菜のこと大好きだよ」
段々と視界が霞んで母の顔がわからなくなっていく、重い瞼が必死に抗うもその誘惑には勝てなくて、、、
ピピピピピピピピーーーー
ピピピピピピピピーーーー
「んぁぁ、、」
ピ
もぞりと上半身を動かすと、陽菜はスマホのアラームを止める。しばらくベットの上で動かずにいるとだんだんと意識がはっきりしてきた。
「久しぶりに、この夢、、、」
数年前、まだ母が生きていた頃のこの経験は16歳になったいまでも夢に出てくるらしい。あの後あそこで見た幻想的な光景を何度家族に話しても、全く信じてくれなかったのを覚えている。とりあえずベットから起き上がり一つ伸びをする。
「おはよう、お母さん。さっきね、夢でお母さんに会ったよ」
本棚の上に置いてある母の写真に向かってそう話しかけるがもちろん返事はない。
「久しぶりにお母さんと会えて、私すごく嬉しかったんだからね」
あの夢はいつまで見ていられるのだろうか。できればずっと見続けていたい。あの夢を見ている間だけ、目が覚めるその瞬間までは、確かに母の体温も何も思い出せるのだ。夢から覚めれば全て霞んでいってしまう。もう少しあの夢に浸っていたいところだがそういうわけにはいかない。
「さ、準備しなきゃ」
そう言うと陽菜は部屋のドアを開け、一階にいる家族の元へと降りていった。