家族の集い
ユルスが家族を伴って、パラティウムに年始の挨拶に来た。
アウグストゥスは既に庇護人たちの謁見で多忙であるので、ユルスは「俺らは後回しでいいや」と自分で言い出した。更に身内同然であるというので無礼講だと言い張る。まあそれはいい。
「と、いうわけでサイコロやるぞ! もちろん賭けだからな!」
大マルケラは、ずかずか人のうちの厨房に入りこんでいて、「お正月なのに、たいしたお酒もないのねえ。何か持ってくれば良かったわ」とボヤいている。全く失礼な。
「アウグストゥスはセティア産、リウィア様はプキヌム産のぶどう酒って、だいたい決まっているから仕方ないのよ。義兄様はどんなに強いお酒を飲んでも酔わないから、いいお酒があってもある意味水と変わらないから無駄だし」
小アントニアが異父姉と仲良く今後の献立の相談している。この場合、こうした集まりにつきものの、親族の見栄の張り合いや衝突がないのがありがたい。
「おじちゃん、お年玉ちょうだい!」
「不公平だ」
まだ子供のいない兄が、納得いかない顔をしている。子供好きなウィプサニアが笑顔で手招きをして呼び寄せ、ユルスの子供たちにお年玉を与えている。
「お主のとこはまだなのか?」
てきぱきとサイコロ遊びの準備をしながら、ユルスが尋ねる。我が家の奴隷を煩わせるまでもなく、自前で用意してきたものだ。
「黙れ」
兄は父母とも日常的に同様のやり取りをしている。その度に機嫌を損ねるし、ウィプサニアは二重の意味で兄に気を遣うはめになる。
「子供のお年玉くらいのことで、あいかわらずケチくさいのな」
「このくらいの現金なら、貴様から取り返す」
この殺気。この人たち、仲が険悪だから気が重い。ユルスもその闘争心をもっと別のことに対して有意義に使えばいいのに。
「ユルス兄様。よそのうちなんだから少しは遠慮しなさいよ!」
ある意味アントニアは、親類縁者の中で最強かも知れない。嫁連中を味方につけているから、怖いものなしだ。いずれは執政官、と目されている兄をも怒鳴りつけている。頼もしいような、恐ろし……い、いやそんなこと!
「しかしお子様と思ってたウィプサニアも、結婚して随分見違えたよな」
下種なことを、と兄がムッとしたが、大マルケラも感心したように同意している。
「大切にしてもらっているのね」
「マルケラ様、わかります?」
ウィプサニアがそこで、満面の笑顔で答えている。
「ティベリウス様は、私とラブラブなんです!」
……誰と誰が? 聞きなれない言葉を聞いた気がする。
「そこ、何を言っている!」
「ホントなのに」
「黙りなさい!」
顔を真っ赤にして否定しなくたっていいと思う。いい歳して。
しかしウィプサニアには「なんて可愛らしい方なのかしら」などと言われているのだから、不思議な夫婦だ。「何でもかんでも『可愛い』言うのにも、限度あるぞ」とユルスが年寄りくさいことを呟き、マルケラが「小さい時から変わってたから……」と一人納得している。
「いいわよねえ。新婚さんて感じで」
……アントニア、それってどういう意味? (自分たちの方が新婚なはずなんだけど)
「お酒のおつまみに、何か材料ある?」
ここは大きな姉さんが仕切るらしい。一応ウィプサニアが本家の長男の嫁であるのだが。(まあウィプサニアは一時期マルケラの義理の娘だったから、従うわけだが)
ああそうか。こういう時に女性陣は「いいお嫁さん」をアピールしたいわけか。いつも家内奴隷に押し付けてるはずのアントニアまでが動いているのは、そういうことだ。
「大晦日からフラミンゴが茹でてあるのよ」
……何故フラミンゴ。
「庇護人の一人のお歳暮みたい。羽根ごと茹でると煮崩れないので、まんま茹でてあるの。これから二度煮するところ」
想像させるようなこと言わないで欲しい。
「それでうちの中で、フラミンゴが水死してたんですか」
ウィプサニア。そういう表現と反応はどうかと思う。
「これから羽根をむしって皮をはいで、じゃ酒の肴にはできないでしょう」
「なんでもいいよ。肴なんだからテキトーで。フラミンゴは夕飯として、どうせここのうちの食糧事情なんて、たかが知れてるし」
だからユルスは人のウチだってのに、何でそうも偉そうなんだ。
「ティベリウス様はいつものキュウリ、いりますよね?」
ウィプサニアが無邪気に尋ねている。
「何じゃそりゃ」
「ティベリウス様の大好物で、種を二日間ミルクにつけてから土に埋めて育てるキュウリなんですよ」
「うわ、コメントしにくいなー」
……いいんだよ。うちの兄はとりあえずキュウリを食べさせとけば満足だし、アウグストゥスは小食で、ナツメヤシとかレタス一枚とかで足りてしまうのだ。兄は軍隊式で足りずとも良しとするし、義父は偏食が過ぎると思う。子供には悪い見本になりそうなので困っている。
だから別に、うちの食糧事情が悪いのではない。大黒柱である男たちが、貧乏くさい食事で満足してしまってるだけだ。
「ヤッホ~!」
それは挨拶か。
ユリアだ。土産やら私物やらを、奴隷たちにどんどん運びこませている。
「疲れた~! やっぱ実家はいいわ~!」
そんな距離じゃないだろう。歩いてきたわけでもないだろうし。
「ああ、新年早々騒々しいのが来た」
「何よ、新年早々陰気な顔してるわね!」
兄ティベリウスと義姉ユリアが低レベルな言い合いをしている。
「お父さまはいらっしゃらないんですか?」
連れてきたのは子供たちだけなので、ウィプサニアが尋ねる。えーとアグリッパ将軍のことだ。やっぱりややこしいんだよ、うちの婚姻関係は。頭がこんがらがってくる。
「ああ。あの人、現場に呼ばれて監督しに行っちゃったわよ。建築中の何かの建物。ホント年始だってのに落ち着かないったらありゃしないわ」
えー、とウィプサニアが残念がる。
「わたしはこっちでのんびりしてくけど。ウィプサニアも実家に帰れば? 戻りたくなくなるかも知れないけど。うるさい姑も小姑もいないから」
そう言ってるユリアの婚家には、姑も小姑もいないじゃないか。まあだからこそ敵なしで暇なのだろうけど。
「でもたまには息抜きしないとね? 大好きなお父さまも独り占めにできるわよ」
明らかに兄といるよりは、ストレスは少ないと思う。ウィプサニアは兄が周囲と衝突する時の緩衝材なのだ。彼女がいなくなると、一番困るのは兄だろう。
兄が「考えておきます」と返事するウィプサニアを、動揺して見つめている。そんなに大事なら「行くな」と言えばいいだけなのに。
「しかしユリアは息抜きしっぱなしだろが。たまには思い出して吸っとけ」
「あんたに言われたくないわね。ったく毎年毎年、何しに来てるのよ。お父さまに挨拶なんて名目で、賭け事しに来てるだけでしょ」
「元旦にローマにいて、俺が最初にアウグストゥスのとこに来なかったら何言われると思う? 会える会えないはともかく義理は果たしてるの。どうせユリア、お主も入るんだろ」
「あったりまえよ。ほらドルスス、なに他人事みたいな顔しているのかしら? 座んなさいよ」
ユルスもこっちに手招きをしている。有無を言わさず「卓に着け」ということだ。拒否権はない。
……嫌だよこの人たち。なんか楽しくないんだもの。兄さんも何で参加するかなあ。社交嫌いのくせに、こういう時には、変に負けず嫌いなんだから。
「いいわねえ、実家がある人は」
「大マルケラ様は御実家に住んでますからねえ」
ユルスが妻を振り返る。
「何か文句あるのか、え? カリナエの屋敷は俺名義なのに、俺の方が婿養子状態なんだぞ」
「一般論ですよ」
マルケラはそっけなく言ってそのまま厨房に引っ込んでしまう。「フラミンゴは頭を引っ張ると、筋ごと抜けるんですよね……」ウィプサニア、想像するからやめてくれ。
「……ティベリウスって昔から要領いいよな」
ユルスがネチネチと兄にからんでいる。酒が入ってるせいでさらにガラが悪くなっている。
「誉め言葉と受け取ろう」
「なんだその税収取立人みたいな、容赦ない巻き上げ方は」
「やることがアコギよね。手を抜かないもの」
「当たり前だ。ツメの甘さが命取りになるというのは、戦場での鉄則だ」
兄が面白くもなさそうな顔で呟いている。
「誰が負ける戦をするか」
「あー、その発想がケチくさい!」
ウィプサニアが頻繁に居間に出入りしていて、奴隷たちに負けず劣らず、酒や料理に気を配っている。ウィプサニアもご令嬢のはずなのに、そういうことが嫌いでないらしい。
「ドルススも利益もないけど、大損もしないタイプよね」
自分でも嫌なのだが勝負事になると、つい熱くなってしまう。反省しよう。
「ああ、来ていたのかユリア。ユルスも」
ようやくアウグストゥスが謁見から戻ってきてこちらに姿を現した。
「あけましておめでとうございます」
ユルスが即座に立ち上がり、アウグストゥスを迎え入れる。年があけて初めて顔を合わせるはずの、実の娘や義理の息子は、ろくに顔も上げずにすごろく盤を気にしながらの適当な挨拶だ。
「お待ちしておりました。どうぞ」
こんな調子だから、陰気な兄よりも愛想のいいユルスの方が気に入られている、と言われたりするのだ。
しかしユルスはユルスで陰でほくそ笑んでいる。
「よっしゃあ、カモが来た!」
言われてるよ、義父上……。
「おお、大きくなったな、ルキウス、ユルス」
ユルスの子供たちに話しかけているアウグストゥスの手を、無理やり引いて「いいですから、座ってください」と強制する。
「こうして家族がそろい、子供たちや孫たちの顔を見られるのは幸せなことだ」
「すいませんね」
兄が仏頂面で口を挟むものだから、空気が悪くなる。
「あの……僕は抜けてもよろしいでしょうか?」
即座に場に殺気がはしり、兄にまでギロリと睨みつけられる。
「勝ち逃げかよ!(勝ってない)」
「最低」
「これからだろうが」
アウグストゥスは呑気に「まあまあ、せっかくの正月なのだから皆で楽しもうではないか」などと言ってなだめてくる。
勘弁してくれ……。
「毎年毎年、学習しない子だこと」
思えば幼い頃から、どれだけ言われたことか。ほどほどにしようとか、そろそろやめようと思っても、気づくと抜け出せないでいるのだ。
そしてまた今年も母には仕方ない子ね、と言われる。怒っているのではなく「まだ子供ね」と思われるのだ。だから嫌なんだ。毎年元旦に、こんな思いをさせられるのは。
「ま、こんなことで、一年の運を使い果たしたくはないけどな」
ユルスが強がっている。少し取り戻しただけで、結局は負け越した。学習能力で言えば、絶対ユルスの方に問題があると思う。
「良いではないか。正月なのだし」
ユルスに温情を見せてカモにされたアウグストゥスが、しみじみ楽しそうに言う。……いいのかそれで。
「まったくユリアったら! 少しは手伝いなさいよ!」
料理にかかりっきりだった大マルケラが出てきて、心底呆れている。
「そういうこと言うなら、負けがこんできた時に呼びにきて欲しかったわ」
面白くなさそうにユリアが席を立つ。どうせ厨房では、愚痴や噂話をしながらアントニアが隠していた、いい酒で盛り上がるのだろう。
そして恒例の母の「もう少し大人になりなさい」というお説教を聞きながら、ふと思った。
おそらくこれからも、こんな一年の始まりが繰り返されるのだろう。子供が生まれたり、大きくなったりして、この光景が少しずつ変わりながら、続いていくのだろう。
……それも嫌だなあ。
2006.01.19~01.22 UP
古代ローマの料理の本見てたら、ダチョウでも良かったかなあと思いましたが、あまり例がなかったらしいのと、やっぱインパクトで。
最後のウィプサニアのセリフは、ツル(鶴)の話のようですけど、見た目も料理方法も似てるからいいかなあと。
最初、淡々としたドルススの一人勝ちにしようとしたんですが、スエトニウスのアウグストゥスの書簡では、ドルススは賭け事に大声をあげて熱中して、大損はしたけど少し取り戻したlとあるので、やめておきました。