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零戦を見たあの日

作者: 古本怜士

零戦を見たあの日


全身に衝撃が走った。


それは雷が身体に直撃した衝撃というよりは、重たい鈍器で不意に顔を殴られたような衝撃だった。僕はそのとき、ニュージーランドにいた。


「英語を学びたい!」「海外の文化に触れたい!」というキラキラした理由で短期留学に向かい、降り立った地で研修の一環として、戦争資料が保存してある博物館を訪れたのだ。


目の前には日本兵の人達が特攻していく前に書いていたであろう寄せ書きがあった。同じフロアには世界に2機しか残っていない本物の零戦のうちの片方が展示してあった。


あまりよくは読み取れなかったけれど、とても力強い文字だった。僕は当時高校2年生で、いろいろなことに取り組んでいたときだった。


大学進学に向けての勉強や好きでやっている空手、英会話、学校での研究活動、友達との遊び、文化祭の準備、体育祭での応援団の演武練習などだ。


とても楽しい時期というか、未来への希望いっぱいの時期だった。そこでいきなり鈍器で顔を殴られたような衝撃を受けたのだった。


いま、こうして生きている現在から数十年遡った過去には、人間魚雷や零戦に乗って敵戦艦隊に体当たりして太平洋の底に沈んだり、銃で撃ち殺されたり、火炎放射器で焼き殺されたりしていた人達がいたのだ。


考えても想像できない。「死ぬと分かっていて、祖国のために戦地に行く」とは一体どんな心境なのだろう。恐らく、どれだけ勇ましい人でも恐怖でいっぱいだったに違いない。


「彼らがいたから、お前はいま平和な世の中で暮らしているんだぞ」と言われた気がした。


もともと僕は福岡出身だ。原子爆弾の2発目の投下目標はもともと北九州だったこともあって、少し歴史が違えば僕は生まれてきてすらいなかった可能性のある身だ。だから余計に、生々しい衝撃があった。


想像してみても分からない、戦時中を生き抜いていた人達がどんな心境だったのか。


地下鉄から降りて地上に上がったときに目の前に火炎放射器があったとしたら、僕はどうするだろうか。「あぁ今から俺は数秒後に黒焦げになって死ぬのだ」と悟ったときの絶望感は計り知れない。想像もできない、考えただけでぞっとする。


焼夷弾を浴びて自分の家族が黒焦げになるなんて、想像もできない。


「人生に迷ったら、知覧にいけ」といっている本があった。知覧とは、神風特攻隊の記念館がある鹿児島県の南にある島のことだ。私の空手の先生もそう言っていた。戦時中を強く生きていた人達の生き様を見れば、いかに現代が平和で恵まれているかが分かると。どれだけ自分がちっぽけな存在で、小さなことで迷っているのか分かると。


 日本は平和ボケしているとよく言われているけれど、それは本当なのかもしれない。僕も背骨が震えるような衝撃をあの博物館で受けてから、自分の小ささ、しょうもなさに気づかされた。今の僕が持っている悩みなんて、悩みというに足らない。


 別に鉄の鉛玉が自分の身体を貫くわけでも、刀で切り殺されるわけでも、火炎放射器で焼き殺されるわけでもない。命を取られるようなことは、まずないのだ。


 ニュージーランドへ向かう飛行機の中で「綺麗だなぁ」と思いながらぼんやり眺めていたあの広い海の底には、沢山の人達が眠っている。


 家族ともろくに会えず、鉛玉で体を貫かれるかもしれない、爆死するかもしれないという恐怖を味わいながら出撃して、実際その通りになって海の底へ沈んでいった人達だ。


 彼らが死の間際に感じたのは、綺麗事を抜きにして恐らく恐怖だけだと思う。生物の本能だ。実際に死を目の前にするととてつもない恐怖を感じると思う。


 もしかしたら自分を食べずにそっぽを向いてどこかへ行ってくれる可能性がある猛獣とは違って、特攻をしに行くことは必ず死ぬことを意味する。


あの衝撃は、戦争で犠牲になった人達から高校生の僕へのメッセージのように感じたのだ。「平和な世の中なんだから楽しく生きていけよ」と言われているように感じた。


小さなことでウジウジ悩んでいたら、彼らに顔向けできない。「こんなしょうもない弱虫を守るために俺は命を落としたのか?」とがっかりさせるようなことはしたくない。


僕達はあの過去を忘れてはいけないのだ。戦争の悲惨さを直接体験談として語ってくれる人達がいなくなったとしても、また形を変えて、人類は同じことを繰り返す。


悲惨な過去を忘れて平和ボケした現代で、小さなことでウジウジ悩んでいてはいけない。社会の構造が戦時中と現代では全く違うだろうから一概には言えないけれど、少なくとも命が保障されているこの現代において、本当のリスクなんて存在していないように思う。


ニュージーランドは平和な国だ。世界での治安の良さランキングでも上位にランクインしている。そんなのんびりした平和な丘の上にある博物館に、世界に二機しか残っていない零戦が残っているというのだから、余計に不思議な感覚だった。


 戦争の話ばかりしてきたけれど、この人達だけじゃない。僕たちの周りを取り囲っている環境は全て、昔の人達が命懸けで作ったものだ。


 テクノロジーの発展や文明の発展がどれだけ大変か、想像できるだろうか。私達は感謝しなければならない。隣の家に比べて自分の家の収入がどうとか考えている場合ではない。


 しょうもないことでいがみ合ってはいけない。今この現代に生きることができているだけでありがたいことなのだ。


これは自戒でもあるけれど、常に胸に刻み続けていきたいと思う。僕は少しでも自身のやりたいこと、人のためになることを行動に移していこうと思った。


 ニュージーランドで見たあの寄せ書きの書き手の人達が報われるように。


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