四回表:解き放たれた実力
残念ながら、柚木の後は続かなかった。一番の加山も粘ってはくれたが、最後はカーブを引っ掛けてサードゴロでアウトだった。
とはいえ、四人で20球以上を村井に投げさせることには成功した。首尾としては悪くない。
高木がバッターボックスに入る。これから、二巡目だ。
「さあっ! 来いやあっ!」
高木が声を上げる。
その声に、柚木は目を細めた。なんだこいつ? 一回の頃と雰囲気が違う。声に張りがある。
なんだその顔は? 楽しそうにしやがって。うぜぇんだよ。
腕の脱力だけは忘れること無く、苛立ちをボールに込める。
「ストライク」
内角へとストレートが突き刺さった。
高木が口笛を吹くような素振りをする。
どういうつもりだ? 柚木は変わった雰囲気に違和感を覚える。気持ちが悪い。
だが、やることはこれまでと同じだ。
三原がミットを高めに構えた。上へ外せと要求してくる。
柚木は要求に応えた。
「ボール」
高木は動かなかった。一回のときのようには釣られない。ゆったりと、リラックスした構えを見せてくる。
煽っているつもりか? 上等だ。
第三球。アウトローいっぱい。
「ストライク」
打てるものなら、打ってみろ。
三原が内角低めへと構えた。ここなら、打たれても引っ掛けて凡打にしかならない筈だ。
思いっきり、ミット目掛けてボールを投げる。
ボールをリリースした瞬間、嫌な予感がした。少し、力んだ。
ボールが甘い。少し、真ん中寄りに浮く。
乾いた音が響いた。
低い打球。サードとショートの間を抜けていく。レフト前ヒット。
「よーしっ! ナイバッチ高木~っ!」
高木が一塁で右手を挙げた。
柚木は舌打ちする。これで、完封試合もノーヒットノーランも無くなった。まあ、狙っていたつもりも無いが。
レフトからショートを中継して返球されたボールを受け取る。
バッターボックスには二番の足柄が入った。
柚木はセットポジションで構える。
クイックでも、投げ方の基本は同じだ。指先一点に力を込める。
足柄がバントの構え。
「走ったあっ!」
構わずにストレートを投げる。
ボールはストライクゾーンへ。しかし、足柄はバットを引いた。
「ストライク」
三原がすかさず二塁へと投げるが、間に合わない。
「セーフ」
二塁の審判が両腕を水平に伸ばした。
柚木は、三原が自分のことを肩が弱いと言っていたことを思い出す。そして、高木の脚が速いことも。
「柚木っ! バッター集中っ!」
とはいえ、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。後続を仕留めていくことが先決だ。
柚木は意識の先を足柄へと切り替える。
セットポジションからの二球目。
再び、バントの構え。
今度は、本当に送ってきた。
「柚木。ファースト」
ダッシュして正面のボールをキャッチし、ファーストへ送球。
「アウト」
これで、ワンアウト三塁。
三番の内藤がバッターボックスに入った。バントの構えをしてくる。
柚木は、一番から三番まで、米倉が要求するワンパターンの攻め方を忠実に実行していることに気付いた。なら、ここはスクイズだろう。
ゆっくりと、三塁へ牽制を入れる。こういう真似は、正直言ってやったことが無い。下手な真似をしてボークでも取られたら冗談じゃない。
だが、高木はリードを縮める気配はまるで無かった。
内藤への第一球。
「ボール」
投げ終わった瞬間からダッシュするが、内藤はバットを引いた。
今度は三原は内角低めへと構える。ここを綺麗にバントするのは難しい。
「ストライク」
またも、バットを引いた。スクイズはブラフか? しかし、ここでまだやってくる可能性は消えていない。
三原はインハイへと構える。ここもここで、打ち上げる可能性が高いコースだ。
今度は、内藤はバットを引かない。
「ストライク」
すかさず、三原がボールを三塁へと送球する。しかし、高木は既に塁に戻っていた。
本気のスクイズだったら、いくらなんでもここまで早く戻れるはずはない。ということは、単なる揺さぶりか。
高木のリードを確認する。心なしか、少し小さくなっている気がする。
内藤が、またもバントの構え。
柚木はボールを投げた。ストライクゾーン。真ん中高め。
内藤がバットを引く。しかし、それはただ引いただけではない。バックスイングへと切り替わる。
ジャストミート。
一直線に、柚木へと弾き返してきた。
反射的にグラブを前に出す。弾丸のようなライナーが、グラブの中に入った。
「サードっ!」
三原の声に、我に返る。サードを見る。高木が飛び出していた。
慌ててボールを掴み、腕を後ろへ。
「ダメだ。投げるなっ!」
そこで、止める。
サードも飛び出していた。投げても、サードが捕ることが出来ない。
ツーアウト三塁。依然として、ピンチは続く。
四番の赤城に打順が回った。
「タイムを頼む」
三原が審判にタイムを頼んだ。審判もそれを受けて、タイムを宣言する。
三原が柚木の元へと駆け寄ってくる。
「マズいことになったな」
「そうだな」
不機嫌に、柚木は吐き捨てた。
「柚木。気付いているかも知れないけど、あいつら三回までと様子が違う」
「みたいだな」
改めて、一軍のベンチを見る。どいつもこいつも、明るい表情を浮かべている。
「でも、何でだ?」
「俺の予想だけど。米倉が消えたことが理由なんじゃねえかと。ストレスの元がいなくなったわけだからな」
柚木は舌打ちした。
「つまり、俺が余計な事したってことか?」
三原は首を横に振る。
「いや? そういう面もあるってだけ。俺としても、いなくなってせいせいしているよ」
そう言って、三原は肩を竦めた。
「それと、あいつらは一回の頃よりもバットを短く持っている。その分、コンパクトなスイングをしているんだ。それで、食らい付けるようになったって感じだと思う。甘い球だと、打たれるかもしれない」
「そういうことか」
「逆に言えば、今俺達は本気の一軍を相手にしているって訳だ。これで勝ったら、気持ちよくね?」
「確かにな」
柚木は首肯する。
「でだ、赤城はどうする? 敬遠するか、勝負するか」
答えは決まっている。
「ぶちのめす」
はっきりと、柚木は答えた。
満足げに、三原は笑う。
「OK、OK。負けん気の強いエースは、俺としても嬉しいよ。で、どうやって?」
「そこは、思いっきり投げるしか無いだろ」
「そう言うと思ったよ」
三原は頭を掻いた。
「なあ、柚木ってこれまでストレートしか投げていないけど。変化球って無いのか?」
「悪い。知らね」
「だろうな。でもまあいいや。ものは試しだ」
そう言って、三原は赤城や一軍ベンチから隠すように、腹の前にボールを持った。
「俺が指で丸を作ったら、こんな感じで親指と人差し指をくっつけて握れ。んで、思いっきり投げろ。あと、中指と人差し指を揃えたら、こうしてボールの端に指を揃えて、引っ掛けるようにして投げてみれ」
「どういうことだ?」
「サークルチェンジと、スライダーの投げ方。ほんのちょっとの変化でも、タイミングや芯が外れるかも知れない」
「ストレート一本ていうのは?」
「多分、もう今の赤城には難しい」
「分かった」
悔しい気持ちはあるが、客観的な指摘は受け入れる。
「柚木。一点くらいならくれてやってもいい。だから全力で投げてくれ。もしダメでも、何とかして、取り返してやるからさ」
「ああ、頼む」
頷くと、三原はホームベースへと戻っていった。
「プレイ」
三塁の高木を確認する。もう、すべてを赤城に託しているのか、こいつにしてはリードは小さい。
赤城への一球目。内角低めいっぱい。
ジャストミート。しかし、差し込んだ分。打球は三塁線を割っていく。大きな当たりではあったが、ファールだ。
次、外角高めストレートが要求される。
再び、ジャストミートの音が響く。
「ファールボール」
今度は、ライトの横へと切れていく。少し外れてボール球になったが、その分追い込んだ形になる。
カウントはノーボールツーストライク。追い込んだ。カウントは悪くない。
三原がサークルチェンジのサインを出してくる。確かに、こういう冒険をするのなら今しか無い。
あまり難しいことは、考えない。どうせ、ダメ元だ。
三球目。柚木は、思いっきり腕を振った。
赤城の体が硬直する。
全力のストレートの9割程度のスピードで、ボールはミットに収まった。
「ボール」
しかし、ぎりぎりストライクゾーンから外れる。
三原から返球を受け取り、赤城の顔を見る。少し、動揺しているように見えた。
三原がスライダーのサインを出してくる。畳み掛けようというのか。
外角へと構えてくる。
言われたとおり、柚木はボールを引っ掛けるイメージで、スナップを利かせて投げた。
鈍い音。そして、鈍い当たり。
ボールの上っ面を叩いた打球は、速いながらも真っ直ぐにセカンドへと転がった。どうやら、少しはスライダーも曲がって、上手く芯を外せたようだ。
セカンドの山本が慌てることなく捌き、一塁へ送球。
「アウト」
柚木は、吹き出した汗を拭った。