三回裏:試行錯誤
よろよろと、米倉は校舎の中へと消えていった。途中で、赤城に何か言っていたようにも見える。
このまま保健室かどこかで休むのか、それとも病院に行くのか知らないが。
「やるなあ。おい」
柚木がベンチに戻ると、三原を初めとしてメンバーがニヤニヤとした笑みを浮かべていた。どうやら、他の連中にとってもアレは痛快な出来事だったようだ。
「なあ、あれワザとか?」
「さあな?」
柚木はすっとぼけることにした。ここで白状した方が、自慢になるのかもだが。それを証拠にチクられると、後々面倒だ。そこまでは、他人を信じていられない。
「あ、そうだ浜田。バッターボックスに行く前に、ちょっと俺の話を聞いてくれないか?」
三原が七番の浜田に声を掛ける。
「なんだよ?」
「うん。前のイニングで少し柚木と話をしたんだけどさ。村井の攻略について。でさ、ちょっと試して貰えないか?」
「へえ? どんなだよ?」
「と言っても、大した策でもないんだけど。俺達、身長小さめだから。逆にそこを活かして心持ち構えを小さくしてフォアボールを狙う」
「とすると、ボールもツーストライクまでは見逃す感じか?」
三原は頷く。
「ああ、球数を少しでも増やしたい。まずは、こんなところからでもプレッシャーをかけ続ければ、地味に効いてくるはずだ」
「精神攻撃は基本って奴だな」
「そうそれ。あとは、ランナーを溜めれば村井って浮き足立つこと多いだろ?」
「あー、確かになあ」
浜田は納得の表情を浮かべた
。
「いいぜ。分かった。やってみるよ」
「頼む。俺達もやってみるから」
「ああ、それじゃあ行ってくる」
そう言って、浜田はバットを持ってベンチから出て行った。
村井も投球練習を終え、浜田がバッターボックスの中に入る。八番の三原もネクストサークルへと入った。
「あいつ、なかなか上手いな」
須崎が言ってくる。いつの間にか、後ろに立っていた。
浜田が注文通り、体格としては、不自然ではないが小さめという絶妙な構えをしている。
「柚木が実際、あれをやられたらどう思うよ?」
「一人くらいならいいけど、続くと嫌になりそうだ」
マウンドから見たストライクゾーンを想像する。コントロールの要求が結構シビアなことになりそうだ。
村井が投げる。
「ボール」
高めに浮いた。
続いて、二球目。
「ボール。ツー」
今度は低めに外れ、ワンバウンドした。
「これは、効果有りってことか?」
「さあ? まだ分かんねえけど」
三球目。
「ストライク」
高さ的に、真ん中だったように見えた。
四球目。
「ストライク」
これも、ほぼ真ん中に近い高さに思えた。
しかし、柚木は違和感を覚える。
「村井の奴、ボールを置きにきているな」
「須崎? どういうことだ?」
「明らかに、さっきより球威が落ちてる」
「やっぱり、そうなのか?」
「ああ」
どうやら、須崎にははっきりと分かるようだ。生憎と、柚木には分からなかったが。それでも、打席に立てば分かるのかも知れない。
五球目。今度は高めのボール球速い。浜田が手を出す。
「ファールボール」
ファールチップで、粘った。
「あっぶねえ。浜田釣られたわ」
「あれ、ワザとか?」
「だと思う。ボールカウントにはまだ一つ余裕があったし」
「なるほど」
六球目。今度は高めに外れた。浜田も手を出さない。
「ボール。スリーボール、ツーストライク」
七球目。
低め、浜田は手を出さない。
「ストライク。バッターアウト」
浜田が顔をしかめた。手を出しておけばよかったと、後悔したのかも知れない。
「迷ったかな? まあ、仕方ないかあれは」
そうかも知れない。見逃せばフォアボールの可能性もあるのだから、打たずに出塁出来る誘惑を考えたら、判断は難しい。
柚木はベンチを立った。ヘルメットを被ってネクストサークルの中へと向かう。その脇を浜田が駆け抜けていった。
八番の三原が構える。
しかし、その構えは少し奇妙だった。
三原は左肩に顎を付け、バットを高く後ろへと上げる。まるで、バックスイングを捨てて、限界まで引き絞っているような。そんな構え。
村井が三原への第一球を投げる。高めに外れた。
「ボール」
続いて、第二球。球威はさっきよりは落ちる。
「ストライク」
村井は見逃した。
心なしか、それで村井が安心したような空気を見せた気がした。
三球目。真ん中。
三原は、バットを振った。
キィンと快音が響き渡る。鋭い当たりはサードの頭を越えた。思わず柚木も震える。
「ファールボール」
しかし、打球に回転が掛かっていたのか、弧を描いてラインを割った。
威嚇するように、三原が素振りを繰り返す。
四球目。ボール。多分、須崎の言うとおりならこれも高めの釣り球。三原は微動だにしない。
この態度は、投げる方としては割とムカつく。
五球目。速い球。しかし、これも低めに外れた。やはり、三原は動かない。きっちりと、球筋の見分けは出来ていると言わんばかりに。
スリーボールツーストライク。審判が宣言する。
六球目。今度は遅い球。
三原の体勢が崩れた。少し、前にツッコみすぎている。
軽い音と共に、サードにボールがボテボテと転がった。サードがキャッチしてファーストへ送球。
「アウト」
三原は、間に合わなかった。
柚木は無言で、バッターボックスへと向かった。
作戦通り、少し小さめに構える。そして、三原と同様にバットを後ろに下げて構える。
柚木の記憶が確かなら、三原はこれまでこんな構えをしていたことは無かったはずだ。それが、今日はした。そして、ファールになったがいい当たりをした。なら、考えがあってやったのかもしれない。
だから、試してみようかと思った。
村井が振りかぶる。
リリースポイントからボールが離れた瞬間、分かる。高め一杯のストライク。
柚木は打つ素振りを見せつつ、肘を少し下げた。
「ボール」
丁度ボール一個分、落とした日出も上を通過する。狙い通り。村井が顔をしかめるのが見えた。
村井が二球目を投げてくる。今度はど真ん中。しかし、さっきよりも球威が無い。
柚木は敢えて見逃した。
「ストライク」
これだったら、自分でも打てたような気はするが、今は少しでも作戦通り投げさせてやりたい。
三球目。外角高め。
「ボール」
直接、村井とこうして対決するのは二年ぶりだ。今思えば、あの練習試合も入部してからの適正検査みたいなものだった。あの頃は体格の差も今ほどには大きくなかったのだが。
やっぱり、あの頃よりは球が速くなっている。
けれど、柚木は思う。村井には、あの頃から変わっていないところがある。
良くも悪くも、素直な球だ。だから、球筋は見極めやすい。
四球目。内角。多分置きに来た球だ。
芯を食った。軽い手応え。鋭い打球がサードへと飛ぶ。頭を越えた。
「ファールボール」
しかし、三原のときと同様に打球は三塁線を割った。
なるほどと、柚木は理解する。
この構えを試してみたかったから、振ってみたのだが。存外に悪くない。バックスイングが必要ない分、ボールをギリギリまで引きつける事が出来る。
そして、正直言って体格に合わないクソ重いバットでも、これなら遠心力を活かして振り回すことが出来るというものだ。
五球目。
遅い?
しかし、何かがおかしい。柚木は動かずに見送った。
ボールが曲がって、外角へと外れていく。
「ボール」
これが、カーブか。
これで決めるつもりだったかはどうかは分からない。しかし、カーブがあると思わせるのが、ここでそれを投げた理由かも知れない。
何にしても、イメージには残るから搾りにくくはなる。
六球目。
村井は大きく振りかぶった。けれどそれはどこか、思い切りがいい。
速いストレート。それも、ストライク。
柚木の体は反射的に動いていた。
バットに当たる。
ずっしりとした重さが手に伝わった。負けじとバットを振り切る。
力なく、ボールは浮かんだ。ふらふらとショートの頭へと。
それを横目で見て、一塁へと全力で走っていく。
ポテンと、打球はショートの頭を越えて落下した。
念願の、初ヒット。初出塁だった。