一回表:白球に殺意を込めて
いつまでも野球少年を続けられる男の子は、多くない。
どこかで野球を諦めることになる。
これは、その諦め方の一つを書いた物語。
死ね。
ともすると場違いな、乾いた破裂音が鳴り響いた。
状況を知らず、音だけを聞けば、それは拳銃の発砲音にも聞こえたかも知れない。
「スッ? ストライクッ!」
審判役の二年生が、上擦った声で宣言した。その姿に、柚木は昏く仄かな愉悦感を抱く。
どこか浮ついていた空気が変わったのを柚木は肌で感じた。周囲の誰もが、押し黙る。
キャッチャーの三原が、ボールを投げ返してきた。柚木はそれをやや投げやりな気分でキャッチする。
三原がミットを構えた。
はあ、と軽く息を吐いて、柚木は次の投球モーションへと移る。
頭の上へと高くグローブを掲げ、背中を反らせ。
左足を上げ。腰を限界まで捻っていく。
腕に力は込めない。球も軽く握る。鞭をイメージして、極力脱力していく。
左足を真っ直ぐ、ホームベースへと向けて踏み込む。出来るだけ、歩幅が大きくなるように。
集中するのは、指先一点。右手が目の高さと同じになったところで、ピッと手首に力を込めてスナップを利かせる。
再び、破裂音がグラウンドに響いた。
「ストライク」
放ったボールは真っ直ぐにミットに収まった。
ほぼど真ん中だったが、バッターは見逃した。
「何やってんだお前はあっ! そんなの見逃してんじゃねえぞ! 振っていけよっ!」
レギュラー軍のベンチに座っている監督。教師の米倉が怒声を上げた。
うぜぇ。柚木は舌打ちをする。
だが、ある意味で痛快だった。あいつがイラつく姿こそ、見たいものだったからだ。
三原から投げ返されたボールを受け取り、柚木は三球目の投球モーションに入る。
「ストライク。バッターアウト」
今度は少し高めに外れた。しかし、釣られて手を出したバットが空を切った。儲けたと柚木は思う。
「高木いっ! しっかりしろやっ! ボール球だぞボール球。しっかり見ろ。あんなのに手え出すなっ!」
ご愁傷様。と、柚木は高木に冷笑を送った。
しかし、「手を出せ」と言った直ぐに今度は「手を出すな」ときたものだ。高木が釣り玉に引っ掛かったのは「手を出せ」と言われたことも影響しているだろうに。
米倉の言うことがその場その場で都合よくころころと変わるのはいつものことだが、その態度に柚木はむしろ神経が逆撫でられる。
だから、なおのことこいつを黙らせてやりたい。
二番の足柄が打席に立った。
だが、誰が相手だろうと関係ない。どいつもこいつも、ただの有象無象。ねじ伏せてやるだけだ。
ムカつくんだよ。どいつもこいつも。
どす黒く、冷たい殺意が柚木の胸の中に広がっていく。その怒りが、どこまでも力を与えてくれるように感じた。
「ストライクっ!」
ありったけの殺意を込めて、ボールをキャッチャーミット目掛けて放り投げる。乾いた破裂音。
「だからっ! 初球から。そんな高めのボール球に手を出すなってんだろがっ! 分かってんのかっ!」
柚木は嘆息した。どうにも、マウンドからボールを投げるのはいつもと要領が違う。高めに浮いてしまう。
三原がミットを低めに構えた。
バリバリと柚木は後頭部を掻いた。少し気分を変えたい。
そして、大きく振りかぶる。
今度はもっと、歩幅を大きく。状態を沈み込ませて、少しでもリリースポイントを低く。視線の先は三原の構えるミットのみ。
「ストライク」
よし。と、柚木はほくそ笑む。
ボールは三原が構えたとおり、バッターの膝の高さギリギリを通過してミットに収まった。
「死ね」から始まるスポーツものって、正直どうなのよ?