崇高な使命感
当たればでかいが、外したらドンマイ。小野井は特攻の事をこの様に考えていた。しかし、調べてみると、そこにあったのは、想像以上に低い数字だった事が分かった。
5機中1機成功するかどうか。小野井はこの現実をさらに深く掘り下げて調べた。
そもそも、特攻が継続され続けたのは、第二次世界大戦末期の日本陸海軍の作戦成功率の低さにあった。せいぜい10%が良いところだった、陸海軍の諸作戦。そう見ると特攻の作戦成功率は20%に届きそうな数字をコンスタントに出していた。
特攻が愚策とは言い難い。だからと言って小野井は特攻を肯定する事が、どうしても出来ずにいた。そこには現役の海上自衛官としてのプライドがあった。実際に特攻で亡くなったのは、今時分の己位の若者達である。若くして部下を持つ以上、その大変さを知る以上、簡単に十死零生必死の作戦を選んだ大本営が許せなかった。
現代人の小野井が、そんな事に目くじらを立てても仕方のない事なのだが、こうやって何かの縁があって調べて行くうちに、どうしても感情移入してしまうのも無理はない。戦後の75年間平和を謳歌してきた日本人にとっては、第二次世界大戦など、歴史の1ページになっている。
戦争体験者の高齢化は一層速度を増すという現実はある。だからこそ、何かをしなくてはいけない。何かを残そうという意思が必要だった、今はそう思える。
最初は小野井も上官に言われたからやっていただけだった。だが、今は違う。自分の足で立派な1つの時代のワンシーンをまとめあげたい。どういう形になるかは分からないけれど、後世の世代に何かを残そうとしたい。そう思っていた。
勿論、作業や取材は任務の間をぬって行う事になる。国防という任に着きながら同時に未来の為にアクションを起こす。それは若いから体が続くのであって、上官に試されているだけの事なのかもしれない。普通の人間ならば、そのような崇高な使命感は沸き上がって来ない。
小野井を突き動かしていたのは、亡くなった祖父が関係していた。他界して20年近くになるが、小野井が小さい頃可愛がってもらった微かな記憶がある。小野井の祖父もまた、帝国海軍軍人であり、戦闘機乗りだった。第二次世界大戦初期の零戦乗員で、当時は無敵のゼロファイターとして欧米から恐れられた。
開戦から零戦とゼロファイターは、戦場を縦横無尽に駆け巡った。正に向かうところ敵なしだった。アメリカ海軍が、零戦を攻略するまではえらく時間がかかった。というのもアメリカは、ナチスドイツのタイガー戦車に苦労したからという訳ではなく、日本の零戦隊を攻略する戦闘機の開発に時間を要したからだと言われている。




